第十話 セミテリオの新入居者 その二十
お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。
(あれっ、私、何の話をしていたんでしたっけ。ユリさんににらまれそう)
(まだユリ、にらんでいません。あのね、お話は、富実さんのお妹さん方がご結婚なさらなかったって所で止まっています。ユリも結婚せずにこちらに参りましたから、気になります。あら、でもお妹さん方はあちらの世でまだご存命でいらっしゃるのですね。ご結婚もなさらず世間体が、あらごめんなさい。でも、退屈ではなかったでしょうか、お子様もいらっしゃらず。あら。ご結婚もなさらずにお子様がいらしたら、もっと世間体が、あら、ユリ、ごめんなさい、失礼なこと申しました)
(ユリちゃん、どんどん深みにはまってる。もの言えば唇寒し秋の風あはは)
(あ〜、別に、いいんですよ。未婚でこどもがいるのは、世間体悪いって思うのが普通ですよねぇ。そんなこと思わなかった人もいましたが)
(えっ)
(いえ、こちらの話。そうそう。雅実も怜実も結婚しなかったって所で中断していたんですね。怜実は一時付き合っていた人がいたんですよ。でも、雅実が、その人が離婚歴があって、別れた相手にはこどももいてなんてのを調べて来て母に告げ口してね、で、母は久実のこともあるから、猛反対して、それを機に怜実は家を出てしまいました)
(まぁ、家を出られて久実さんのようにお相手の所に駆け落ちですか、恋に燃えたんですね、素敵。あら、でも独り身のままって先ほど富実さんおっしゃいました)
(ユリさん、違います。怜実は一人住まいを始めたんですよ。ほら、会社で簿記の仕事していましたからね、アパートの家賃ぐらい払えたので)
(まぁ、一人住まいですか、女の方が。まぁ)
(何か変ですか)
(いえ、今は違うのかしら。ユリの頃でしたら、女の一人住まいなんて何て言われたか。かわいそうとか何か過ちをおかしたとか、捨てられたとか、言われ放題でしたもの)
(あはは、そんなことは無かったですよ。そりゃね、恋路を姉に邪魔されるわ、姉と一緒になった母親にはあることないことこっぴどく言われるわ、自活できるならを飛び出してもいい年齢でしたしね。で、結局、家には祖父母と両親と和実と雅実が残り、それから祖父、祖母、父、母の順にこちらの世界に参って、葬式の時くらいでしたよ怜実が実家に帰るのは、まぁ、私もそんなもんでした。家族が減っていくに連れて、雅実が強くなって、家に行く気が失せるんですよ。その頃はまだ忙しかったから、仕事にかこつけてね。嫁はそれでも年に数回、娘を連れて訪ねていたようです。嫁は和実を気にしていましたしね。それですよ、嫁のなんていうか育ちの良さというか、博愛心というか、もう私は付いていけない世界。和実に会いに行けば雅実に会わざるを得ないってのにね。和実も嫁になついて)
(まぁ、まるで幼子の様なおっしゃり方)
(マサさま、幼子とはキリストさまですわ)
(そうそう、カテリーヌさん、ほんと、嫁はまるで幼子キリストを護るかのようにね和実に接していました)
(護るって、何から)
(あ〜、雅実からですよ。そりゃね、兄弟姉妹、遠慮が無い、とはいえ、どんどんひどくなってね。祖父や祖母や父が亡くなった頃はまだしも、母が亡くなってからは和実と雅実の二人だけで住んでいたわけでしょう。父の死後、雅実は会社を辞めてしまいましたし。もう独身の男性社員と釣り合う年齢でなくなって、オールドミスはいらないってね、追い出されました。家にしかいないから、和実に前よりひどく当たり始めた。ひどかった。あの頃は家庭内暴力なんて言葉は、思春期のこどもが親に暴力を振るう時ぐらいにしか使われていませんでしたが、今なら警察沙汰になってもいいくらい。実はね、母が亡くなる前に既に分かっていたんですが、戦後の農地改革の前に、広い田畑を、祖父母と両親の名義で分割して、農地改革を逃れてたんですよ。私は当時はそんなこともちろん知らなかったわけですが。で、祖父母が亡くなった時に、名義を子供達に変えて、父が亡くなった時にもまた分割して、だからこども達は皆、母が亡くなった時にまた分割されるものと思っていたら、母は和実に家と土地を相続させるという遺言があって。父が亡くなった頃がバブルで)
(ばぶる、とは何かのっ)
(泡のことですな)
(お父上がこちらにいらっしゃって泡になられたのですか)
(いえ、カテリーヌさん。そうじゃなくて。あはは、ロバートさん、泡は泡なんですが、あれはね、ひどかった。ほら、ロバートさん、泡ってどんどん膨らむ。実態があるような、やはり無いような。あれですよ。ちょっとしたことで泡は消えてしまうシャボン玉の様な)
(ふむ、そこは解りますがな)
(♪しゃぼんだまとんだ、やねまでとんだ、やねまでとんで、こわれてきえた♪)
(マサさま、そのお歌、ユリ知りません)
(あら、ユリさんがこちらにいらしてからのお歌なのかしら。朝子が歌っておりましたわ)
(でも、ユリ、シャボン玉が壊れるのはわかります。ばぶるってシャボン玉みたいなのかしら)
(泡とシャボン玉は同じものか否か。案外難しい)
(虎ちゃん難しく考え過ぎよ)
(バブル経済、バブル崩壊、こういうのは、銀行にお勤めだった富実さんには説明お手のものでしょう)
(いや、ご隠居さん、私は、いや、バブルには私も乗ったと申しましょうか乗せられたと申しましょうか、その辺りはちょっと)
(富実さん、泡に乗ったんですか。すてき。ユリもシャボン玉に乗ってみたい)
(ユリちゃん、雲に乗りたかったんじゃなかったっけ)
(そう、雲にもシャボン玉にも。ふわふわして楽しそう)
(落ちる、とは思わないのかい)
(落ちないようにふわふわの上や中で遊ぶの)
(本当に。ふわふわなんですよ。シャボン玉は、うまく遊べればよいが、風で流され、破裂する。はじける。落ちる、落ちましたよ、私はね。でも、落ちず巧くやった者もいた。あの頃、土地は現金より強かったですからね)
(土地には限りがあるが、現金はいくらでも印刷すればいいからですか)
(ご隠居さん、そこまで乱暴なことはもうしませんよ。一応、銀行に身を置いた立場といたしましては。でも、はい、土地の資産価値は急上昇したんですよ。ふわふわと。ですから、土地を担保に借りた金で、名古屋に住んでいた晴実はあちらで家を、蒲田に住んでいる恵実は蒲田でビルを建ててね、一階で飲み屋をはじめて、私は貯金、久実は横浜でこども達の家族も住める三階建てにして、晴実と恵実と私と久実の土地は三等分して、和実と雅実と怜実で分けて、それぞれ自分たちの相続分と合わせて、それぞれ賃貸マンション建てて、つまり兄も妹達も家賃収入で暮らして行けるようになった訳ですよ。もう後は母名義の家庭菜園並みの土地ぐらいと三人が賃貸マンション建てた時に改築した、今度は仏壇付きの家。そこに母と和実と雅実が住んでいて。あの頃はすごかったですね。その頃まで、ずっと農地だった世田谷がどんどん開発されて、土地を担保にすれば金は借りたい放題でしたから、借りて建てて、貸して建てさせ、返させて、元農家も銀行も儲けたわけですよ。実質的には土地を売ったわけではないのにね。私が生まれる前まではとても都心とは呼べなかった世田谷が、都心扱い。農地はほとんど無くなりましたよ。世田谷が農地だったなんて、今のあちらの世の方々には信じられないでしょうね。まるで魔法でしょう、野菜や米を作って売っての利益と土地を手にして巧く売ったり建てたりするのと、後者の方が労少なくして儲けられた。不労所得もいいところ。終戦直後は土地で採れたものでぼろ儲け。バブルで、今度は土地そのものでぼろ儲け。汗水流さずぼろ儲け、だからバブル。ふわふわシャボン玉経済。怜実は、自分の建てた賃貸マンションの最上階を半分住処、半分庭園にしてましたっけ。で、私と同じで、実家にはちっとも顔を出さなかった。結局、母が死んだら、雅実が和実の、今でいうなら介護をすることになってしまったわけですよ。介護たってね、兄は自分のことは自分でできる。ただ、それまで母任せになっていた、まぁ、あの頃女任せだった炊事だけのことですからね、要するに母替わりなだけでしょ。だって、掃除洗濯炊事が介護だってなら、はは、私だって嫁に介護されてたようなもんだし、世の中の男ほとんどそうでしょ。母に介護され、妻に介護され、娘か嫁に介護されってなもんで)
(なるほど。あれは介護ですか。面白い視点ですね)
(私にはよくわからないのですのっ。その介護とはなんですのっ)
(え〜と、ほら、病院の付き添いみたいな)
(それもよくわからないのですのっ。医者にかかるのに付き添うことですかのっ)
(いやぁ、そうではなくて、ほら、入院すると家族が付き添ってっての、あ〜、最近はない、いや、もしかして昔もなかったのですかのっ)
(看護婦のことですかのっ)
(いや、看護婦でなくて)
(富実さん、最近は完全看護ですから、昔のように、家族が病室で寝泊まりというのは一般的ではなくて、それと、彦衛門さん、もっと昔というか、そのぉ、彦衛門さんの頃には、入院そのものが珍しかったでしょう)
(ですのっ。戦役で負傷したものが入る所でしたのっ。私の若い頃、ご一新の頃にはなかったのですのっ。支那との戦の頃でしたかのっ、衛戍病院、参ったことはないのですのっ)