第十話 セミテリオの新入居者 その十五
(あの、わたくし、お話わかりません)
(いえいえ、マサさん、そういう病気が発見されたんですよ。アフリカの猿かチンパンジーからね、人間に伝ってね)
(まぁ、然様でしたの)
(まぁ、トミーさんはアフリカにいらしたことあるんですか)
(いえいえ、そうじゃなくて。アフリカで、猿から伝った新しい病気が世界中に広まって、日本にもということで)
(世界中に広まるんですか)
(病気なんてそんなものですよ。今はボーダーレスですからね)
(境界無しということですな)(まぁ、教会が無くなったのですか)
(いえいえ、カテリーヌさん、国と国の境のこと、というか。ほら、ネットみたいなものですよ。ネットで世界中がつながっている時代)
(網ですかな)
(いえ、あぁ、ネットって網じゃなくてインターネット、ほらパソコンの)
(あっ、ユリ分かりました。あの、斉藤さん家がたくさんあるってことの)
(まぁ斉藤さんの家じゃなくてサイトなんですがね)
(パソコンというのは、あの機械のことですのっ。私も覚えましたのっ。摩奈が指先を動かすと絵が変わるあれですのっ)
(まぁ、はい、それもタブレットで、パソコンの仲間で)
(すると、あの機械で新しい病も遠く離れた阿弗利加から病を運ぶのですのっ)
(いえ、それじゃぁ、まるで明治の、ポストや電話の笑い話じゃないですか)
(富実殿、私は明治を生きておりましたのっ)
(富実さん、僕も明治生まれですよ)
(失礼いたしました。あの、でも、ポストの前や電話の前で、自分も運ばれるんじゃないかって立ち止まっていたというのは)
(ああ、確かに、そういう御仁はおったそうですのっ。そりゃ、私はそうは思ってはおりませんでしたのっ。とはいえ、封書が運ばれるのは明治以前にもありましたからのっ、人間が運ぶのですからのっ不思議でもなんでもなかったのですがのっ、電話で声が運ばれるのは今もって解りませぬのっ。そりゃぁ、テレビというものも昨今目にしますからのっ、そういうものだとは解っていても、なぜ余所で起きていることが我が子孫の目の前に現れるのか、あのパソコンという機械で指を動かすと絵がかわるのも、なぜなのかは解りませんのっ。不思議至極)
(然様ですな。人が漕いで動く船を蒸気で動かすようになりという辺りまでは我が輩も解るのですが、その後の、石油を使うやら電気を使うやら原子力を使うやらになると、もう理解いたしかねますな。動いているという事実があるというのを受け入れるのみですな)
(ロバートさん、原子の力で船が動かせるのですか。科学はそこまで進歩したのですか)
(虎さん、そうらしいのですな。我が輩、あちらこちらの方の肩に乗せて頂いて方々出歩いておりますからな、色々と学ぶ機会が多く、で、その原子力という動力があるそうですな。だが、なぜ船や潜水艦を動かせるのかは我が輩には解せませぬな)
(男の人って変なの。ユリ、猫が動いているのは、四本足があって動かすからだって。で、いいじゃない)
(いや、ユリちゃん、猫がどうして足を動かせるのか。脳が命令しているからで、というのがあって)
(虎ちゃん、猫の頭が、四本ある足のどれかをどのように動かすかって考えてるってのかしら)
(そう)
(でも、虎ちゃん、四本もあったら、脳がいちいち考えていたら、ややこしくて足がからまっちゃう)
(ユリさん、わたくしもそう思いますわ)
(ですわねぇ。わたくしなど足は二本しかなくとも、いちいち右か左のどちらを前に出すかなどと考えておりましたら、前に進めませんわ。あら、もしかしたら、年取ってから歩き辛くなりましたのは、頭が考え始めていたからかしら)
(マサの頭は、年取ってから考え始めたのかのっ)
(だんなさ〜)
(考えて動けるものではないんですよねぇ。そう、だから考えたって無駄。無意味。考えず、その日、その時、その場で、適当に行動する。どうせ生まれる時も場所も親も選べやしないんですから)
(う〜ん。そこに戻ると、僕は辛いですね。もし僕が富実さんの頃に生まれていれば、結核は治療できてこちらの世にくる事もなく、軍事教練もなくて、司法の道を選べたわけですね)
(まぁ、そうだったかもしれませんし。逆に、私が虎さんの頃に生まれていたら、うわっ、冗談じゃない。嫌ですよ。徴兵されて殴られなくともへとへとになって、で、農家の次男、すぐに戦争に取られただろうし。うわっ、もし大学に行ってたとしても、なんでしたっけ)
(学徒動員のことですか)
(そうそう、それそれ。で、特攻隊で怖い思いをした後にどこか南方で海に沈んでいるか、北方に抑留されて凍死してたか。うわぁ、そう思うとほんと虎さんより十五年も後に生まれてよかったんですねぇ。う〜ん、私より十五上の方って、銀行にも何人もいらっしゃいましたが、そういう時代をくぐり抜けてうまく生き延びられた方々だったんですねぇ。大正生まれ、あはは)
(大正生まれだと笑われるわけですか)
(いえ、虎さん、ふと思い出したことがあってね。そうですか、虎さん、大正のお生まれですか)
(はい。で何か、大正の生まれだとおかしいことがあるのでしょうか)
(いえね、おかしいと思ったのは、大正生まれのお二人が同じことをおっしゃってたなぁ、と思い出しまして。あっ、お二人というのは虎さんではなくてね)
(はい)
(こちらに大正生まれの方、虎さんだけですか)
(え〜と、はい、今こちらにいらっしゃるのは)
(やっぱりそうなりますか)
(えっ)
(私の中学の時の担任が大正生まれでね、妙な自慢をしていたんですよ。先生は貴重な存在なんだぞ、ってね。で、なぜかと言うと、そもそも大正時代は十五年しかなかった。さらには、関東大震災で多数の死者が出て、おまけに太平洋戦争で徴兵されたのは大正生まれが多いのだから、よってもって、戦後生き残れた大正生まれは貴重な存在なんだとね。で、大学の恩師がまた同じことを言ってたんですよ。貴重じゃなくて希少だと、ちとしの違いはありましたが)
(はは、たしかに。何か、その台詞、僕も耳にしたことありますよ。大正生まれの方々にはある主の自慢なんでしょうか。平成になってからは明治生まれの僕も希少になっていました)
(え〜と、私、先ほどの話に出ていた件で気になっていることがあるのですがのっ)
(うん、ユリも気になっているの。富実さんの奥様が目に涙を浮かべてらして、続きは)
(いや、私のはそれではなくて、厚木でして)
(厚木は脇に逸れたお話ですもの。本筋は奥様の方)
(いや、しかしですのっ、厚木が気になっておりましてのっ)
(でも、元のお話は奥様の方で)
(ユリさん、私の方が年配ですのっ。そもそも私は男子ですのっ)
(だって、そんなのいや。負うた子に教えられってのもあるんですっ)
(ユリさん、私はユリさんを背負ったことはありませんのっ)
(まぁまぁ、ここはだんなさ〜を立ててくださいませ。ユリさん、わたくしわかりますのよ、女子って損でございましょう。でもね、男子のわがままを通して、陰で得するという徳もございますのよ)
(そうかしら。ユリ、やっぱり嫌です。それに、お年を召された方だからって言ってたら、後で生まれるほど損じゃない)
(ユリさん、武蔵君みたいなことおっしゃる)
(カテリーヌさんまで)
(ごめんあそばせ。わたくしも、マサさまと同じですの。殿方のわがままはある程度お許しになる方が、うまくまいりますのよ)
(そうそう、お釈迦様の手の上の孫悟空ですわ、ユリさん。わたくしどもがお釈迦様、ねっ)
(いいなぁ。今のお若い方は。夢さんの所のどなたでしたっけ。あっ、そうだ、愛さん、違う。愛さんのお嬢さんは動物のお医者さんでしょ。いいなぁ)
(あら、それでしたら後で生まれる方がお得ですわね。ほら、後に生まれたら得というのもございますでしょ)
(後で生まれる程、先人の知恵を学べるのでござる。そもそも、あれは日本の言葉ではなかったでしょうか。年寄りの言葉は千に一つの無駄もない、という)
(ははは、私は千語れば、無駄話ばかりですのっ)
(だんなさ〜、よくご存知ですこと)
(マサ〜)
(先ほどの仕返しでございますわ)
(えっ)
(お忘れですか、私は年を取ってから考え始めたとおっしゃいました)
(今ころ)
(ユリさん、マサさまはお釈迦様ですわ)
(ふふふ。ユリ、なんとなくわかりました。手の上ってこういうことなんですね)
(女子は怖いものですな)
(然様ですのっ。で、厚木のことですがのっ。ご隠居さん、厚木の海軍飛行場とおっしゃった)
(はい、米軍に接収というか占領される前はね、帝国海軍の飛行場でした)
(私には理解できぬのですがのっ)
お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。