セミテリオの仲間たち 番外編伊 童話 わにのこちい
なにかふわふわのものの中に、ぼくは浮かんでいた、ってのがぼくの最初の記憶でした。ジャカレ、ジャカレという声がしていて、ぼくが目を薄く開けると、黒い目がぼくを見ていました。それからぼくは柔らかいものに包まれ、ごわごわのものに包まれ、だぶだぶのものに包まれ、そっと置かれて、ごろごろ、がたがた、どすん、ごぉっ、どすん、がたん、ごとんごとん、がたんがたん、ざっざっ、とんとん「はぁ〜い。うわぁ、和さん、お久しぶり、ブラジルいかがでした。三通目のブラジリアからの絵葉書が夕方届いたばかりよ」「アマゾンの河口のベレンていう所からも一昨日出したんだけれど、航空便の絵葉書より、航空便の僕の方が先に着いてしまいました。これ、いちこさんにお土産。ちょっとばかり大変だったんです。何しろ陶器、壊れちゃ困るから、衣類の間に挟んで。気に入って頂けたら嬉しいのですが」ごわごわのものと柔らかい物がぼくのまわりからなくなって、無防備でちょっぴりおびえていたぼくの目を、優しそうな黒い目が見つめてきました。「可愛い! 和さん、ありがとう。きれいなわにさんね。ブラジルにはこんな色のわにさんがいるんですね」「いや、これはインディオの生活支援をしている店で買ったもので、インディオの手作りだということです。ポルトガル語では、ジャカレと言うんです」「黒や茶色に黄色や緑や赤が混じっているわにさん、すてき」
ぼくは、本箱の、いちこさんのお仕事関係の本の前に、白いレースのハンカチを二つ折りにした上に置かれたました。いちこさんは、毎朝毎晩ぼくを手にし、ジャカレ君おはよう、ジャカレ君おやすみなさい、と挨拶してくれ、ぼくもいちこさんに挨拶していました。
やがていちこさんは和さんと結婚し、和さんが移り住んで来てからちょっぴり狭くなった同じ本箱の前の同じレースのハンカチの上のぼく。でも、いちこさんがおはよう、おやすみなさいと言う相手は和さんになったので、ぼくは置かれたままになって、でも、いちこさんと和さんが幸せそうなので、ぼくは満足。
いちこさんのお腹が大きくなり、ある日、いちこさんはどこかにお出かけし、和さんと戻ってきたいちこさんのお腹は元に戻り、いちこさんの腕には人間の赤ちゃんがが抱かれていました。赤ちゃんは隆君と名付けられ、いちこさんがおはよう、おやすみなさいと言う相手は隆君と和さんになって、ぼくは相変わらず、もっと狭くなった本箱の前のレースのハンカチの上。ぼくはずうっとここにいるんだよ。ぼく、ちょっぴり寂しい。
隆君が歩ける様になって、和さんといちこさんと隆君は、小さな庭のある小さなお家にお引っ越しすることになりました。いちこさんが小さい時から持っていた物、和さんが持ってきた物、隆君が生まれてから頂いたり買いそろえた物で、家が狭くなったからでした。本箱の上の段から箱詰めしていたいちこさんは、埃が薄くかかって灰色がかったレースのハンカチの上の、やはり埃をかぶってくすんだぼくを見つけてくれて「あら忘れていたわ。ジャカレ君ごめんなさいね。あなたを頂いた時、あんなに嬉しかったのに、毎日挨拶していたのに」懐かしそうに微笑んでいるいちこさんを見て、隆君が手を伸ばし、「見てて、見てて」いちこさんはレースのハンカチを折りなおして、きれいな面でぼくを拭いてから、隆君の小さな手にそっと乗せました。「割れちゃうから気をつけてね」「きれい。これ、わに」「そうよ、わにさん。名前はね」「ちっちゃいからちい」隆君が言ったので、ぼくの名前は、ジャカレ君からちいに変わりました。隆君、きっと優しいよね。
ぼくは隆君の他の玩具と一緒に段ボール箱に入れられて、新しいお家にお引っ越し。「ちい、ここぼくの部屋。ちい、今度からここで一緒に遊ぶの、ほら、犬のわん君、熊のがおたん、オウムのおたべりちゃん、猿のきい君、ちいです、よろちくお願いします」電車ごっこも、病院ごっこも、おままごとも、幼稚園ごっこも、動物園ごっこも、ぼくは隆君と、わん君、がおたん、おたべりちゃん、きい君と一緒。隆君が幼稚園に行くようになっても、小学校に行くようになっても、家に帰ってくると、ぼくと遊んでくれました。でも、隆君の勉強がだんだん難しくなってきて、塾に行くようになり、遊ぶ時間も減って来て、ぼくは玩具箱の中に居続け。たくさん遊んでくれてありがとう、ぼくも楽しかったよ。
物が増えて狭くなってくる隆君の部屋をいちこさんが整理を始めました。捨てられるんじゃないかって、ぼく、とっても怖かったけれど、リメイクやリフォームの好きないちこさんは、ぼくの汚れを洗い、ラッカーで色を塗り直してくれました。よかった、優しいいちこさん、ありがとう。ぼく、さっぱりしたよ。
いちこさんはぼくをお外に連れて行きました。和さんといちこさんの庭には、ガーデニングのお店で買ってきた赤い三角帽子のこびとさんと、青い三角帽子のこびとさんや、緑の風見鶏のついた小さなお家に囲まれて、小さな池がありました。隆君が数年前に金魚すくいですくってきて、どんどん大きくなった金魚さん達もいました。その池の淵に、ぼくは置かれました。こびとさん達はじめまして。金魚さん達こんにちは。風見鶏さんよろしく。ぼく、ちいですよろしくお願いします。いちこさんと会えるのかな、隆君は来るのかな、和さんは、と心配するぼくに、大丈夫、毎日二回、私たちにごはんをくれるから。それに草むしりしたり球根植えたり、お花に水やりに来るよ。ぼくには新しい仲間ができました。
会社に入って、どこかに出張に行って帰って来た隆君の声が、家の中から聞こえてきました。「母さん、これフロリダのお土産。そういえばさ、ちい、捨てちゃったかな」「捨てるわけないわ、あれは和さんからのプレゼントだったのよ」「そうだったっけ。俺の玩具だと思ってた」「ちいはね、今はいちこのにわの池のまわりでこびとさんたちと一緒にいるわ」「ふ〜ん、いちこのにわね。明朝見に行くよ」
こびとさんや金魚さんたちに別れを告げる間もなく、 隆君の大きな手に握られて、ぼくは洗面所で洗われてタオルで拭かれて、テレビの上に置かれました。そこには花柄のわにがいました。「ほら、ちいに仲間ができた」「ちいが喜んでいるかもね、こちらはフロリさんよ」フロリさんはぼくに、よろしくね、とにっこり微笑んでくれました。久しぶりに見る和さんは白髪頭、毎日見ていたから気付かなかったけれど、いちこさんにも白髪がちらほらあって、二人とも少し小柄になったみたいに見えたのは、隆君がとっても大きくなったからかな。
隆君が買って来た花柄のパッチワークはフロリさんだけじゃなかったのです。テディベアが翌日、美紗さんに渡されて、しばらくして、隆君は美紗さんと結婚し、近所の家に住み始め、またしばらくして、洋君が生まれました。美紗さんもお仕事があるので、昼間は和さんといちこさんが洋君を預かっていました。小さい頃の隆君そっくりでした。洋君の成長をぼくとフロリさんは見ていました。
洋君がつかまり立ちできるようになった頃、テレビの上からテレビの台に移動していたぼくとフロリさんをみつけて、「くまちゃん、くまちゃん」「違うのよ。これはわにさん。こっちがフロリさんで、こっちがちい君。ちい君はおじいちゃんがブラジルから連れて来て、洋君のお父さんが小さい頃、遊んでいたのよ。フロリさんはお父さんがアメリカから連れてきてくれたの」ぼくが初めて会った時には、洋君のお母さんとお父さんより和さんもいちこさんも若かったんだよ。その頃にはフロリさんはいなくて、ぼくは、わん君やがおたん、おたべりちゃんやきい君と一緒に隆君と遊んだんだよ、みんなどこにいるんだろう。お庭にはこびとさんたちや風見鶏さんや金魚さん達もいるよ。きっと今もいるよ。ぼくとフロリさんは、それから、洋君のお店の人になったり、お客さんになったり、幼稚園の先生になったり、時には動物園のわにの役もしました。
小学校に入学した洋君は、お父さんとお母さんのお仕事が終わるまで、放課後は和さんといちこさんの家で毎日過ごしていましたが、ぼくもフロリさんも、テレビの台の上に置かれたままになりました。隆君ともこうだった。フロリさん、初めてで辛いでしょ。でも、ここでみんなを見ていられるんだよ。
いちこさんと一緒に動物のDVDを見ていた洋君が、ふと「おばあちゃん言ってたでしょ。ちい君はおじいちゃんが、フロリさんはお父さんがこの家に連れてきたって。あのね、この前図鑑で調べたら、ワニって地球の陸地が一つだった頃からいたから、今は世界中にいるんだって。だから、僕大きくなったら、ブラジルとアメリカじゃない他の国に住んでいるワニさんを連れてくるね」
フロリさんと和さんといちこさんの目が輝きました。
第四話の、桜山中央小学校三年生のいつも笑顔の洋くんの祖父母の家のテレビの台の上のフロリさんの横にいるちい君の作文でした。
お読み頂きありがとうございました。
来週水曜日午後
セミテリオの仲間たち第五話その一をアップいたします。
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