第十話 セミテリオの新入居者 その十二
(で、私だって他人のこと言えた立場じゃないわけで、どろどろ横柄な業務の上に要領良く颯爽とした見かけの服をまとっていたわけで慇懃無礼そのものでしたけれどね。こんな調子で要領よく、すべからく要領よく生きていたわけですよ。支店長の覚えもよく、支店長が本店に戻る時に一緒に連れて行ってもらえて、ここでも謙虚ににこやかに、要領よさを出さないように、目立たず、適当に目立つように、業務はそつなくこなし、で、支店に戻って係長になれて、その時でした。元支店長から部長のお嬢さんとのお見合いの話が出て。天にも昇るような心地になりました。養子に入れそうな次男を紹介してほしいということで、私の他にも何人か紹介したそうで。今ならね、個人情報管理で問題になるのでしょうけれど、あの頃ですからね、内部の情報を内密にというのもありだったんでしょう。いや、銀行なんてそもそも信用情報がとても重要ですからね。で、部長は、私が農家出身なのも気にせず、都内の農家出身で、そこそこの高校、大学を出ていてということで、おめがねにかなったんでしょう。見合いまでこぎつけた、いえ、漕いでなどいなかったのにトントン拍子で見合いの席。部長のお嬢さんというのは、美人とか可愛いというのではないけれど、山の手の深窓の令嬢、贅沢な環境で育っただろうに清楚な女性でね、口数少なくて。高校や大学の頃に遊んだ女友達や私の母や姉妹とは正反対。まるで戦前の女性みたいな。いや、祖母も母も姉も戦前の女なんですが、それこそお育ちが違うというのか、もの柔らかでね。特に惹かれたわけではなく、お見合いの席でも、彼女も僕にあまり興味はないようだったので、だめだったかな、まぁ仕方ないと思ったんですが、数日後に元支店長から次回は二人だけで会えないでしょうかと打診があったと伝えられてね。意外な思いと共に、手に入れるぞと。出世の為には手段を選ばず、恋愛沙汰はもう卒業していましたしね。私の名字が変わることにも何の抵抗もありませんでした。あっ、私はね。あの頃、両親も祖父母も、私が結婚を考えている人がいるということが嬉しくて、私が養子に入るってことを伝えそびれていたというよりも何となく後回しにしていたもので、いざ私が養子に入ると分かったとたんに、母が猛反対しましてね、この家は誰が継ぐのか、って。私にしてみれば、障害者とはいえ兄がいる。農家ってのは昔から長男が一人で継ぐのが当然と思っていた私の勝手な思い込みだったらしくて。母は兄を可愛がっていましたから、当然兄に継がせると思っていた私が浅はかだったのか、いや、跡継ぎは兄でよくとも、兄の子はたぶん望めないからということだったようなのですが、私はそこまで考えていなかったんですよ。次の世代のことまでね。いつもは寡黙な父が、自分も養子だったんだから、まだ結婚していない妹達二人のどちらかが養子を貰えば済むことだと言って、その場は収まったんですがね。結婚の前には婚約というか結納があるわけで、結納の為には両家の家族がせめて一度は顔合わせということになり、ここで困った。兄ですよ。じっとはしていられない兄を結納の席でどうするか。整いかかっている結婚が破談にされやしないか。母なんか、破談になった方がいいじゃない、銀行員ならお相手はよりどりみどりでしょ。何も次男だからって養子に入らなくでも、この農地を継いでくれる働き者の嫁の方が良いって。私にしてみたら、母はやはり私が跡継ぎするのを望んでいるのか、私の妻になる人に兄と共に暮らせということなのか、ただでさえ都会では敬遠されがちな農家の跡継ぎの嫁などそう易々と見つけられるわけがないのにと私は思っていましたが、母は強気でした。戦後のもてもて農家を覚えていたからかもしれません)
(農家はなんでも持っていたのですのっ)
(えっ)
(もてもて農家とは、なんでも持っているという意味ではないのですかのっ。野菜や米と交換しようといろいろ持ってきたのではなかったですかのっ。納屋にも積んでいたのではなかったですかのっ)
(あっ、いえ、違います。もてもてとは、え〜と、もてるということで、持っているではなく、う〜ん、人気があるという意味ですよ)
(ふむ。新しい国語ですかのっ)
(いえ、あまり新しくはないかもしれません。今の人は使うのかなぁ。もしかしたら私の世代の言葉かもしれません)
(そういたしましても、だんなさ〜の言葉よりは新しい言葉なのですわ)
(はぁ)
(顔合わせに父が出ない訳には参らず、兄は寄り合いの方に父の代理で出かけて留守にしておりまして、という体裁を整えることになって。結納が済み、トントン拍子に進んで、義父の住む山の手の地続きに新居が完成するのに合わせて結婚式。またしても父の代理で出かけましたとするわけにも行かず、兄は当日急病で欠席という形にして、式も披露宴も滞り無く進み、格好悪くも気恥ずかしいライスシャワーに送られてハネムーンは修善寺)
(富実殿、最後の修善寺はわかりましたがのっ、聞き慣れぬ言葉が多数出てきましたのっ。寺で式を挙げたということですかのっ)
(いえ、式は目黒で、寺は、あっ、修善寺は地名の方で、そこの寺にもお参りするにはしましたが、要するに寺なだけで、どこの寺でも似たりよったりでしょ)
(ははは)
(あっ、ご隠居さん、すみません)
(いやぁ、そんなもんなんでしょう)
(あのぉ、銀行も似たりよったりですから)
(ははは、まぁ、そうかもしれませんね。寺も銀行も病院も、名前が違うだけで)
(富実殿、寺の前に出て来た私が聞き慣れぬ言葉をもう一度聞かせていただきたいものですのっ)
(ええと、私、何を話ししていましたっけ。あっ、ハネムーンに修善寺に行って、あっ、そうそう、私が車を運転して行ったものですから、同僚に空き缶を付けようと悪のりされて、でももしかしたら警官に呼び止められるのではないかと、流石銀行員集団それはやめてくれたのですが、ライスシャワーならまさか、公道にゴミをまき散らすとは言われないだろうとやられてしまって、気恥ずかしいやら格好悪いやら。そりゃね、同僚達にしてみれば、逆玉の輿に乗った私に対するひがみもあったから余計にからかいたかったのかもしれませんがね)
(もしや、彦衛門殿に不明の言葉とは、honeymoonとrice showerですかな。両方とも英語ですな。新婚旅行と米のシャワー、え〜と、米を上横から新郎新婦に向けてばらまくわけですな。我が祖国のやり方でして。カテリーヌさん、貴女のお国でもなさるのではないでしょうか)
(はい、いたします。懐かしいですわ。お米は手に入らなくて、麦でした)
(米や麦をばらまくのですかのっ。勿体ないことですのっ)
(儀式ですからな。honeymoonの蜂蜜にしても米にしても、我が輩は詳しくは存ぜぬが、古代より食していたもの、さぞかし、子孫繁栄などの意味が込められているのでありましょう。日本でも、彦衛門さん、家を建てる時に紙に包んだ菓子をばらまいたり、樹木を伐る折に酒をかけたり、地に酒を注いだりいたしますな)
(ああ、棟上げ式のおひねりですのっ。それと、木々や土地の霊を鎮めるのですのっ。なるほど)
(ご結婚はいつのことでしたか)
(昭和四十年でした、ご隠居さん、何か)
(昭和四十年だと、瑞穂の時よりは十五年近く前で瑞鏡よりは十五年程後、瑞穂はグアム、瑞鏡は熱海だったか)
(ご隠居さん、お一人言ですか)
(いや、息子と孫娘の新婚旅行先を思い出しましてね)
(あのぉ、ユリ、わかんないんですけど。新婚旅行って何ですか)
(えっ、ユリちゃん知らないの)
(えっ、虎ちゃん知ってるの)
(知ってますよ。結婚したばかりの夫婦が旅行に行くことですよ)
(まぁ、そうなんですか。へぇ〜。どうして。記念にですか。でもお式を挙げたらそれだけで充分記念になるのに)
(いやぁ、そりゃ記念にもなるでしょう、でも、まぁ、子作りの為に)
(やだぁ、虎ちゃんたら)
(まさかユリちゃん、夫婦は一緒に住んでいれば自然に子ができるなどと思ってる)
(虎ちゃんやめて、ユリ恥ずかしい)
(ってことは、ユリちゃん知ってはいるんだ)
(もうやめて、虎ちゃん)
(僕の息子が熱海に新婚旅行に行ってから十五年前後後で、でも修善寺でしたか)
(格好付けですよ。近くならば銀行業務に差し支えがない、いざとなれば、新幹線で戻って来られる。もちろんまだ若造、そんな大層な業務に就いていた訳でもなかったのですが。結婚如きで仕事を忘れてしまうほど愚かな人間ではない、なんていう格好付けですよ。新幹線というのも開通したばかりで、本来ならば新幹線で東京駅から熱海駅へという手もあったのですが、あの、新幹線の駅でってのも格好悪いですしね。新郎が新婚旅行の前に公衆の面前で胴上げなんて、恥ずかしいでしょ、まぁ、米をばらまかれるのでも充分奇を衒ってましたがね。結婚までこぎ着けた。兄や妹の厄介事も知られずに済んだ。海辺をのんびり散歩し、温泉街をぶらつき、世田谷の農家の倅が本店の部長の娘を手にした高揚感に浸っていましたよ。休暇は一週間とってよいことになっていたのですが、男たるもの、そんなに職場を放棄していては、同僚に何をされるかわかったものじゃないですからね、旅行から帰ったら、新居に慣れたりあちこち挨拶周りがありますしね、修善寺には三泊でした。で、最後の一泊の前の晩、それまで甲斐甲斐しく新妻らしく振る舞っていて、私と目を合わせられない可愛らしかった嫁がですね、部屋での豪勢な海の幸の夕食の後に、頼んで持って来てもらったポットの)
(急須のことですな)
お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。