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第十話 セミテリオの新入居者 その十一


(つまり、ここにいる皆は心不全でこちらに参ったということですかのっ)

(我が輩もですかな。我が輩は刺されて)

(刺されて、たぶん失血死、あるいはどこか内蔵の機能不全だったのではないでしょうか。でも、最終的には心停止で、心不全。まぁ、ロバートさんの場合には、殺害されたわけで、心不全とは言われていなかっただろうとは思います)

(ユリは西班牙風邪、あっ、そうか、でも心臓が止まったから死んじゃったんだし)

(今はね、心臓が動いていても、脳死というのもあります)

(それ、何でしょう)

(心臓は動いているわけですよ。呼吸もしている。いや、できている、というのが正しいのか。けれど、脳も身体も回復の見込みのない状態のような)

(ような、とは、ご隠居さんらしくない曖昧さ)

(いやあ、僕は曖昧な人間ですよ。結構いいかげん、でしょ。トミーさんには負けますが。ただね、脳死の定義は人によってどころか、専門家の医者によっても、さらには国籍や文化、宗教次第でいろいろありましてね。まちまち。ほら、僕だって、こちらの世に来る前には、魂は残るとか死後の世界があるなどと、思っても見ませんでした。寺で育ったのにね。けれど、実際、今、僕たちこうやって交流できていますし、あちらの世の方々ともたまには交流できるでしょう。で、日本人はそう思う人が多い訳ですよ。神道の千代八百万の神の国ですからね。草木にも路傍の石にも神がおわします)

(厠にもおわしますのっ)

(だんなさ〜)

(おわしますのっ。マサとて、正月には厠にも鏡餅を備えてましたのっ)

(はい。鏡開きの時に、御不浄のはどうしましょう、なんて悩みましたわ。臭いが付いていそうで、でももったいなくて。四つ角に捨てておいたり、そうしたら野良犬か乞食が持っていってくれるかもしれなくて)

(昨今の鏡餅はビニールやプラスティックで覆われていましてね、衛生状態は気にする必要がないんですよ。大きな鏡餅の中には、切り餅がたくさん入っていたりしてね。その切り餅もひとつずつ覆われていて。昔の餅は、ひびが入ったりかびてしまったり、ああいうのも最近は見ませんね)

(何やらわからないものがありましたのっ。え〜と、呉の何とかに似た、あれで包むということですかのっ)

(あ〜、クレラップやサランラップ、はい、まぁ、似たような。へぇ〜、彦衛門さんがクレラップをご存知とは。あれは、私が若い頃にはなかったのに)

(いやぁ、こちらのどなたかから以前教わったのですよ、いや、たしか目にもしたことがありますのっ。あれは便利なようで、互いにくっついたり、丸まると剥がすのに苦労していたようでしたのっ)

(そうそう。あれっ、何の話しをしていたんでしたっけ。たしか私、兄のことを話しておりましたね。つまり、兄はそんな状態だったので)

(そんな、って)

(つまり、身体も精神も不自由というか)

(ユリ、やっぱりよくわかりません。え〜と盲人だったんですか、それとも、えっ、ご隠居さん馬鹿って何て言えばいいんですか)

(知的障害者)

(なんだか舌かみそう。つまり、富実さん、お兄さんはそれだったんですか)

(う〜ん、知的に障害があったとは思いませんが、でも、他人からはそう見えたみたいです。身体もね、別にどこかが動かないとか、聾唖者でもないんですよ。ただね、こう、なんていうか、黙ってじっと座っていたら、普通の人でしたよ。でも、黙っていられない、じっとしていられない。だからユリさん、馬鹿じゃないのですが、馬鹿に見えるんですよ。静かにしていなきゃいけないとは分かっている、けれど、声が出てしまう、顔や手が動いてしまう。落ち着きがないように見えますし、動きが赤ん坊のようなので大人としては不自然でしょう。私達の頃は、少し知恵おくれでも私たちと同じ教室で学んでいました。今は特殊学級を作ったり養護学校に通学するそうですね。どちらがいいのか賛否はあると思うんですよ。で、兄は、私より七年前に生まれていますから、当然普通の学校、国民学校と呼ばれていた頃なのかどうか知りませんが、普通の学校に行けば目立つ。で、教科は理解できても、答えようとすると言葉が不自由で分かり辛い。からかわれますよ。いじめられますよ。母は怒ってましたね。長男だから大事に育てていたのに、何の因果か、事故なのか病気なのか、どちらにしても母は自分を責めてしまうから、余計に兄を可愛がる。兄を除け者にする同級生やその親達に腹を立てない日はない。いじめた相手の家に中学校の頃でも、母がどなりこむこともありましたしね。家の中では、私に続いて一、二年ごとに次から次と妹弟を産んでも乳離れすれば後は兄にかまいきり。妹達の世話は私の祖母や姉達にまかせて、ともかく兄のことばかり。祖母にしても姉達にしても、後から後から妹達が産まれてくるわけでしょう。私は放置されていたんですよ。祖父は男手がいる農作業の時を別にすれば、婿、つまり私の父に後は任せて遊び歩いているか飲んだくれて、父は真面目で寡黙、そんな中で、育ちゃ要領よくなりますよ。幼い頃から、腹が空いたら自分で台所や戸棚を漁る。小学校に上がってから、友達の家に遊びに行くでしょう。するとね、そこのお母さんが、お八つを出してくれるわけですよ。羨ましかったですよ。でも、友達は逆に私をうらやましがる。私は駄菓子を山ほど買える小遣いを貰っていましたから。だんだんそこが分かってくると、子分というほどではなくとも、仲間ができる。私にくっついていれば駄菓子屋に行って一緒に食えるわけでしょう。あの頃、サラリーマン家庭だったり、戦後都心から越して来た山の手育ちのお母さんだったりすると、駄菓子なんて食べちゃいけません、だったらしいですし、何よりも小遣いをそんなに貰っていなかったようで、私と駄菓子屋に行って、普段は手の出ない、五十円とか百円の高めの物も食べられるわけですから、彼らにとっては、天国みたいな、禁断の味なわけでしょう。で、友達が家に遊びに来る。お前ん家、広いなぁ、走り回っていると、兄と出くわす。兄の異様な動きに仰天、気味悪がって逃げてきて、あっちに変な男の子がいたけれど、あれ、誰と尋ねられて、私、お兄ちゃんだとは言えなかった。兄のことを家族以外には話しちゃいけない、繰り返しそう思うようになり、話さないのが当然になり。中学校には同じ小学校から上がった子がいるわけで、そういう子達は薄々、あれが私の兄だとは知っていても、わざわざ話さない。高校になったら、私立でしたから周囲はみんな新しい知り合いばかりになる。一緒に遊び始めても、家には招ばない。だから、誰も知らないも同然。家庭環境調査表みたいなのがあるでしょう。あれに兄の名前や年齢を書いても、その頃になると都内で農家ってのは少し珍しくなってはきていたけれど、何しろ農家だから七つ上の兄が家事手伝いでもおかしくないわけで、たぶん、先生達も知らなかったと思いますよ。あれって、普通親が書くものらしいけれど、ああいう家でしたからね、自分でできることは自分でする。つまり、私が書いていましたしね。そうそう、小学校の終わりくらいから、親のはんこうが必要なものでも私が勝手に捺してました。通知表もね、小学校の最初の頃こそ親に見せていましたが、関心示してくれなくて、がっかりしたことも覚えてますよ。で、がっかりしたくないから、見せない。戦後すぐの頃も、高校、大学と進学していく間も、小遣いだけはたんまり貰っていましたし、足りなくなれば祖父にせびる。嫌な顔ひとつせずどころか、男が生きていくには金がいるもんだな、なんて言われてね。どんどん要領よくなるでしょう。仲間とも女の子達とも要領よく遊び、勉強も要領よく、受験も要領よく、就職に有利な経済学部を選んで、安保反対って叫んでる連中にデモに一緒に行かないかと誘われても断り、断って正解。赤の気のないことで、就職もこれまた要領よくゼミの教授に口きいて貰って銀行。仕事も、上司や先輩にははいはいと笑顔忘れず、窓口業務の女の子達の熱い視線には気付かないふりをして、だってね、窓口の女の子達って、胸から上はにこやかでも、カウンターの下では、足で一千万円の束を蹴飛ばしたり給湯室で陰口たたいたりしているんですよ)

(カウンターとは何でしょう)

(え〜と、台)


お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。


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