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第十話 セミテリオの新入居者 その七


(九人もお育てになるのはさぞかしたいへんでしたでしょう。戦前よりも戦後の方が食糧難でしたもの)

(二人すぐ死んでますから、七人ですよ。ただね、父が赤紙でとられたのが早春で、田植えどころか種籾の準備がぎりぎりだったそうで、広い田圃に田植えするにも、昔のことですから機械なんて無かったし、人手もね、しょっちゅう身重の母以外には母の老いた両親と姉二人ぐらいでしょう。近所の人の手を借りたいと思っても、元々少なかった小作の中にもまともに働ける人は徴用されていて、中学校や女学校の生徒が勤労動員で田植えだけは手伝いに来てくれたそうですが、終戦の年の米の出来は悪く収穫量も少なかったそうです。私、父が帰ってきたのは覚えていないのですが、あれは十月頃だったかなぁ。秋、柿の実が色づきはじめていた光景。全然知らない人達が、いろんな物持って、家に来るようになって。玉電もたしか動いてたのに、歩いて我が家めざして来る人の列が絶えなかったのは覚えてます。私は百姓の出だからって馬鹿にされたことは無かったけれど、姉達はそれまで女学校では馬鹿にされていたらしくて、あの頃のことを語らせると鼻息が荒くなってましたね。それまでツンとしていた人達が、ぺこぺこしてへつらってきて、お米でなくとも、芋でも葱でも大根玉葱南瓜でも何でもいいです、何かいただけないでしょうか、ってだったらしいですよ。最初の内はたんすに入れていたたとうも、畳の上に重ねるようになって、もう着物は受け取らないって追い返したら、もっと金目のもの、時計やカメラや指輪や家具まで持ってこられるようになってね。後になって、母が言ってました。戦争中に金属供出させられていた筈なのに、隠して持っていた人が結構いたんだわね、あるところにはある、ってああいうことなのねって。でも、指輪はともかくも、時計やカメラなんていくつもあったって使いようがないでしょう。で、どんどん貯まっていく。野ざらしにできる程には割り切れないから、納屋に押し込む。そうそう、結婚してから妻のグランドピアノを目にする度に、納屋の奥に放置されたグランドピアノを思い出していましたよ。あれは何と換えたのか。ピアノなんて誰も弾けないのにね、受け取っちゃうなんて馬鹿なことして場所とって。私は、そんな高級な物だなんて知らない頃だから、蓋の上で遊んだり蓋の中に入ったりしてたってのを覚えてますよ)

(グランドピアノの中に入ったのですな。羨ましい限りですな)

(ピアノはユリも分かります。でも、グランドって、ああっ、もしかしてえ〜と、前ロバートさんが話してらした、亜米利加のお奉行同士の戦の将軍のことかしら)

(えっ。いや、あの奴隷解放の戦は、奉行ではなくて。おっ、思い出しました、そうそう、あの話の時に、彦衛門殿が、南町奉行と北町奉行の争いでござるか、と尋ねられてましたな。いや、ユリさん、あれはグランドではなく、グラント将軍ですな)

(でも、ユリ、グランドが正しいって、ロバートさんから聞いたと思います)

(はてさて、グランドですかな)

(もしかして、僕か絵都さんが語ってらした、米軍の住宅地のことでしょうか。練馬にあった)

(かもしれません)

(あれは、グラントが正しくてグランドが間違っていて、おっ、なるほど。ユリさんが、グラントよりグランドの方が正しいと思われたのは、僕たち日本人にはトよりドの方が言いやすいのでしょうか。で、ピアノの場合はグランドなんですよ。大きいって意味でしたっけ)

(ピアノの大きいのってことですか、へぇ〜)

(仏蘭西か伊太利亜から輸入したものを母が大層大事にしてました。我が輩が触ろうとするだけで駄目って言われて。あの中に入ったら、もし、母が弾いている時に入ったら、あの動く部分がどうなるのか、ともかく中に入りたくて仕方なかったものですな。あっ、もちろん、中に入れるくらいに小さい頃でしたがね。ああいう、幼い頃に叶えられなかったことって、覚えているものですな。今なら、気の存在、入れなくもないが残念なことに機会がない。幼い頃にグランドピアノの中で遊べたなど、トミーさんが羨ましい限りですな)

(別にどうってことなかったですよ。脚や腕にあたると痛くてね。間に物を落とすと取るのが大変だとか、しいて言えば、ちょっとかくれんぼするにはもってこい、なのかもしれませんが、皆忙しく立ち回っていたから、隠れても探しにきてくれなかったし、蓋を閉めようと思ったこともないこともないんですが、もし蓋を閉めて、誰にも気付かれなかったらどうしよう、って怖くなってね、できませんでした)

(それにしても、羨ましい限りですな)

(あの頃は、物の価値がうんと下がって、食料の価値ばかりあがっていって、それまでかっこよかった月給取りよりもかっこ悪かった百姓の方が上になっていた、らしいですね。残念なことに、私は幼すぎてその快感ってのを味わえなかったんですが。姉達はね、卑屈な思いの裏返しでしょ。下克上だったって)

(優越感と劣等感は紙一重ってところですね)

(姉達には、それがずっとつきまとっていたみたいですよ。つい最近までそういう話してましたから)

(で、富実さんは)

(あはは、私はね、百姓の家だから馬鹿にされるってのは、う〜ん、なかったですね。小中学校の頃は周りもみな同じ様な、百姓はそれなりに豊かになって、月給取りも商売の人も、ほら、戦後復興でどんどん生活水準が上がっていく頃でしたからね。高校からは、私立でしたから、まぁ、やっぱり似た様な所得水準で。あ〜、でも、私は贅沢していた方だったかな。むしろ、百姓のぼんぼんなんて言われてました)

(bonbon、おいしい、とってもすてきなこと。甘くて、おいしくて、懐かしいですわ。マサさま、ご存知かしら。煉りきりとは違いますのよ。もっと甘くて)

(ぼんぼん、わたくし存じませんわ。でも、いただいてみたかったですこと。ねりきりのお好きだったカテリーヌさんがおいしいとおっしゃるのでしたら)

(甘いんですか。ユリもほしかったです)

(いや、その、女性のみなさんがおっしゃる甘いボンボンではなくて、百姓のぼんぼん)

(坊主という意味ですよ、いや、僕の実家のような僧侶ではなくて)

(関西の言葉ですのっ。しかし、富実殿は、東京のご出身の筈ですのっ)

(まだ新幹線が開通するよりだいぶ前でしたが、もう、大阪から仕事で上京してくる人が多くなっていたんですよ。私立の高校でしたから、関西からの転入生もいて、まだ東京を知らないそういう連中にいろいろ教え回るのがおもしろくてね。どこの茶店には可愛い子がいるとか、私服になって行けば年齢を怪しまれない夜遊びの場所とかね。まだまだ中卒で仕事していた人が多かったから、今みたいに高校生でしょ、なんて言われることもなくて。今の高校生はかわいそうですよ。酒も煙草もパチンコも競馬も女も駄目でしょ)

(女......って、富実さん......)

(ユリさん、失礼。しかし、お若かったとはいえ、ユリさんの頃なら、男が女遊びするのは普通だったでしょう)

(いえ、はい、あの、でも、そういうお話は)

(虎さんとユリさん、同年輩ですが、虎さん、いかがでしたか)

(そりゃぁ僕の頃にはありましたが、しかし、僕は、いや、僕も高等学校生の端くれでしたが、まだまだ。あっ、富実さん、ユリさんは、あちらの世に住んだのは十九まで、一方僕は十七までですからね。こちらの世では僕の方が若輩。ましてや。ユリさんは大正にこちらに来て、僕は昭和ですからね。見かけの年齢は近くとも、僕の方がかなり若いんです)

(虎ちゃん、そんなことどうでもいいでしょっ。でも、いつもみたいにユリちゃんじゃなくて、ユリさんって言われるのもいいなぁ。今度からユリさんっておっしゃいなさいな)

(ええっ。今さら)

(いつもユリのこと小馬鹿にしてるんだもの。年下っておっしゃるなら、ちゃんと敬いなさいっ)

(いやぁ。敬うって、っていうか、最近のユリちゃん、前よりどんどん口悪くなってるし)

(虎ちゃんに影響されてるんですっ)

(いやぁ僕は)

(虎さん、たじたじですな)

(こりゃ面白いですのっ)

(だんなさ〜、わたくしにも面白いですわ。近頃の若い女性は、わたくしの頃と違って、生きのよい)

(おばあちゃん、ユリさんは近頃の若い女性ではないですよ。大正の女ですよ)

(あら、でも、ねぇユリさん。女性が元気な方がすてきですわ。ついでにと申しますか、わたくし、虎之介殿の祖母ではございません)

(もうっ。はいはい、マサさん。で、ユリさんって呼んだ方がいいのかい、ユリちゃん)

(う〜ん、どっちでもいいです。なんか、ユリさんなんて呼ばれたらおしとやかにしなくちゃいけないみたいで、お見合いの練習みたいです。やっぱりユリちゃんでいいです)

(富実さんがあちらの世に生まれた頃に僕はこちらの世に来たってことですね。あ〜、戦中の僕が過ごした東京は、今の東京と全く違いますからね。ってことは、富実さんの成長と東京の変化が重なる)

(それならば、私とて同じことですのっ。私が上京した頃には、まだまだ藩のお屋敷があちらこちらに散在してましたしのっ。城がお宮になり、煉瓦作りの建物が増え、人力車が馬車や鉄道になって、練兵場が増えて、髷が落とされ、刀が奪われ、そりゃぁ激しい変化でしたのっ)

(お爺ちゃん、あっ、もとい。彦衛門さん、うらやましいです。僕の生きていた間、そういう変化はなかったです。彦衛門さんのご時代には、どんどん新しいものができて、どんどん変わっていって、たぶん、楽しまれたでしょう。世の中どんどん明るくなったでしょう)

(虎之介殿、確かに明るくなったのですのっ。ガス灯で、夜も明るくなったのですのっ)

(僕の頃には、どんどん狭まれたんですよ。どんどん暗くなって言った。彦衛門さん風に申せば、こちらに来る前には灯火管制で本当に暗くなっていったんですよ。物も少なくなって、国際連盟脱退した頃は幼くてその意味がわかりませんでしたが、結局、あの頃からずっと、どんどん衰退していって。真珠湾の後半年程でしたっけ、みんな元気になってたのは。で、またどんどん暗くなって行って。でも、僕は日本が戦争に負けるなんて、思いたくなかったですよ)

(でも、結局負けたわけでしょう。だからね、私は、考えたって仕方ない、って、それが前提なんです。俺一人が世界情勢や日本の政治をどうこう言ったとこで、何も変わりゃしない。だったら俺は今という時を思う存分楽しむってね)

(俺っておっしゃいました)

(あっ、ユリさん、そう、あの頃の私は俺。俺だったんですよ。だから百姓のぼんぼんやってたんですよ。小遣いが足りなきゃ母にせびってね。いや、せびってというとなんだか母が苦労していたみたいですけど。ぜんぜん。あの頃の百姓って、嘘みたいに儲かっていたんです。まあ、もっと嘘みたいに儲かったってのもバブルの頃にありましたが。でも、高校の頃の俺は、ほんとやりたい放題。女の子を横に乗せて、車乗り回して、夏だったらホテルのプールで泳いだあとはドライブしたり。あっ、彦衛門さん、人力車じゃなくて、四輪の自家用車のことですよ)

(タクシーを乗り回してらしたのですか。まぁ)

(マサさん、タクシーじゃなくて、自家用車。俺が運転して)

(高等学校生がですか。まぁ。車の運転を教えてくださる学校だったのですか)

(あ〜、そういうのもどこかにあったそうですが。私が通ったのは普通科ですから。ほとんどが大学に進学する予定の者が通うね)

(高等学校生が運転をしてたんですか。富実さんと僕の時代は同じ昭和でも、随分異なるもんですね)


お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。


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