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第十話 セミテリオの新入居者 その六

(今のあちらの世ではね、それが無い。よりよい未来というのが見えにくい。がんじがらめで息がつまるような。社会構造がきっちりできあがっていて、官僚が巧くコントロールできるようになっていますからね。それを整った社会整備だと言えばかっこいい。ですが、整い過ぎると、民の自律性が失われる。しかも、先ほど話した階層に分かれてしまう。明治維新や敗戦で階層がごちゃごちゃになった時代は遠くなり、富の差が固定化してしまったわけですよ。ちゃんと官僚はその上の方にいる、という形でね。ただね、人間の本質は、できるだけ平等な状態を望むそうです。卵子に向かって精子が競争するように、伴侶獲得に男性が競争するわけですが、ある程度平等な条件の中の競争でしょう。でも、維新、敗戦から長年月経って、競争の前提が平等でなくなっている。富める者も貧しき者も、次世代になっても状態は滅多に変わらない。金はこちらの世に持って来られず、あちらの世の次世代に引き継がれる。政治家のみならず官僚ですら、最近は次世代も次々世代も政治家や官僚ってことが多い。僕の所も代々医者なわけですが、これじゃぁ維新前に逆戻り。彦衛門さんは、ご家老のご家系、先ほど、時代の波にもまれた不運を嘆くこともあったとおっしゃったが、家系で方便が決まっていた時代に、恵まれない者達は鬱屈していたわけでしょう。今のあちらの世も似たようなものなんですよ。そりゃね、あの時代に比べれば、今は義務教育が平等に受けられる。しかし、家に帰ってからの環境が、勉強できる状態なのか、それとも勉強ばかりさせられる状態なのか、教育熱心な家系と、教育なんてどうでもいいという家系では、違ってしまう。教育に金をかければ良いというものでもないし、金かけてもどうにもならない者もいれば、金をかけなくとも努力する貧乏人もいる。でも、前提条件でどちらが楽かは、差が出てしまうでしょう。人間の本質はできる限りの平等を求めるそうです。なぜなら、裕福な側も、あまりに裕福だと、不自然だと思うものだそうで。だから、例のnoblesse obligeで慈善事業、寄付で差をなくそうとしたりね。でも、今のあちらの日本では、あまりに未来が見えない不安で、寄付するよりは貯め込む。余計に不安になる。余計に貧富の差が開く。この富む者の不安と貧しき者の不満はどちらも鬱を招く。もう二昔、いや三十年程前ですかね。アメリカでは精神科やカウンセリングが儲かると聞いたことがあります。経営者側に都合の良い、必要な時にのみ労働力を手配するアメリカ流。退職まで一社に正社員として勤める形の日本流とは違う資本主義を導入した頃から、日本の企業も金儲け重視、世界や人類や社会に対するポリシーの欠如、ただただ金をもうける、もうけることが目的化してしまうからなのかと海の向こうのことだと思っていたのですがね。どうも最近の日本も人材派遣の会社が雨後の筍状態で、鬱患者の数もアメリカ流になったようですよ。よりよい社会のためによりよい商品を作ったからよく売れて儲かった、というのではなく、もうけるために売れる商品をいかにつくるか、もっとひどくなると、もうけることが先にある。資本の蓄積。多けりゃ多いほどよい。どんどんこっちの発想になっているでしょう。それも、個人ではなく、企業として富を蓄積するから、労働者、庶民には配分されず、経営者と労働者の貧富の差がどんどん開いていく。不安と不満で鬱になる。つもりつもって、内向的になれば自殺、外向的になれば犯罪、テロ。あちらの世の中、最近、多いでしょう。自殺も、やぶれかぶれで赤の他人を巻き込む殺人事件。鬱患者が増えると社会は崩壊していくというのは大げさでしょうか。でも、鬱々とした曇り空より青空を見たいですよね)

(ご隠居さん、だから、考えなきゃいいんですよ。それに、鬱患者が増えれば医者はもうかるでしょう。そう前向きにとらえればいいんですよ。金持ちだろうが貧乏だろうが、考えれば不安になったり不満をもったりなわけですから。考えだしたから私だって鬱になりかけたんだし。鬱鬱と鬱の波が打ち寄せる、なんてね)

(えっ、富実さん、そうだったのですか)

(いや、まぁ、その話は......ちょっとね)

(えっ、何か秘密ですか。ユリ、聞きたい)

(まぁまぁユリさん、お行儀悪い)

(マサさん......だって)

(先日の播州旅行の時のお話、だんなさ〜もわたくしも、結局お恥ずかしいお話しいたしましたでしょう。きっと、富実さんも、その内お話しになってくださいますわ)

(はい。ユリ、待ちます)

(待たれるのですか。鬱の話は話すだけでも鬱陶しいのに)

(庶民は余分な事を考えぬよう、考えられぬようにね、教育しているのではないかと、僕思ったことあるんですよ。国際比較で、日本のこども達は計算は得意でも文章題になると点が悪くなるそうで。随分前からそう言われていた。計算は得意というのは、作業効率は上がりますよね。ものを、余分なことを考えずに、目の前の単純な作業ができるわけですからね。もしかしたら、そういう教育こそがあの高度成長期を支えたのではないか、とすらね。自分で考えようとしないから、不安も不満も少なく、飼いならされた羊のようにおとなしい庶民が代々続く。支配すると言っちゃぁ言い過ぎならば、コントロールするには、おとなしい羊ほど便利な存在はないでしょう。柵がどんどんせばまってきても、草がどんどん少なくなって来ても、気付かないわけですからね。気付いたとて、もう何もできないわけですよ)

(私は、はい、飼いならされたおとなしい羊でいいんです。いえ、その羊も反逆することもある、いや、あれは反逆というか反抗というか、いや、違う)

(富実さん、それ、ユリが聞きたいお話しの続きですか)

(いや。え〜と、ご隠居さん、あのね、考えてもどうにもできないんですよ。どうにもなりゃしないんですよ。だってそうなっている。私だって、腹立てましたよ。仲間と話していて知ったんですけど、私と同年輩ですと、中学卒業で就職組もまだまだいたんですが、私は厚生年金組でしたからね、うらやましがられました。中卒以来ずっと働いて、国民年金だけって人はね、月額にして受け取るのは七万行かないそうで。払っていた時には老後は安心できると思っていたのに、食費医療費光熱費払ったら残らないって。家賃も払えないそうで。でね、これだけ聞いたらね、まだ仕方ないとも思ったんですよ。現役で働いていた時に家を買う努力をしなかったから、ってね。で、気付いたわけですよ。家を借りても、買って固定資産税を払っても、大して違いないでしょう。つまり、国民年金だけじゃ老後は生きていけない、ってね。でも貯金すればよかっただろう、とも思ったんですよ。けど、それこそ賃金の差がありますからね、貯金だってままならなかったそうで。で、ここまででも、まだ、私、仕方ない、社会ってそういう風にできてんだから、って思ってました。仲間内に大学院生ってのがいて、この若いのが、奨学金をもらっているんですが、一応返済しなきゃいけないそうなんですが、月々二十万程もらってるそうです。たぶん、今もね。国民年金の三倍以上。ここで、私も腹立てはじめた。で、その若い学生が言うには、生活保護費だってそのくらいの筈、それに、難民指定待ちの人もそれくらいの筈、留学生だと返済義務がなくて、やはり同じくらい文科省から出ているって言うんですよ。もう、私、本当に腹立てました。中学からずっと年金納めていて、月七万円に行かない同年輩の同僚がいるというのに、生活保護や日本の学生の奨学金や外国の留学生や難民の方が多く支給されているって、一体全体どうなっているんだ、とね、生活保護費や外国人留学生や難民指定待ちの人は返済義務ないそうですからね。全部税金なわけでしょう。腹立ちました。税金納めた上に年金も納めていたのに、税金から払われている生活保護費や奨学金や難民指定待ちの方が税金から多くもらっているわけでしょ。彼らが日本で生活するのにはそのくらいが必要だというならば、十六から三十年以上働いて老いたのに、若い学生や外国人の三分の一以下で生活しろと、国家が言っているのと同じじゃないか、ってね。姥捨国家ですよ。だまされたも同然でしょ。税金の使い方が変でしょ。で、腹立てた。けれど、腹立ててもうどうしようもないわけで。腹を立てると不満で、それこそ鬱陶しくなってね。だから考えない、見ない、聞かないにこしたことはない。それに、自分のことじゃない、なかったですしね。仲間とはいえ、所詮他人事。で、おとなしい、柵が狭まっても気付かない、隣の羊がオオカミに殺されても気付かない。気付いてもどうせ何もできやしない。だったら気付かない方が楽。ひつじの方が安穏な日々を過ごせるってわけです。柵が狭まっても、上を見上げれば青空ありますから)

(青空に逃げますか。その内、柵がせばまって、空を見上げる自由もなくなるかもしれなくとも)

(ご隠居さん、幸い、私、もうこちらの世におります)

(何ですのっ。その年金というのも、あるが故にややこしいのですのっ)

(彦衛門さん、そうなのかもしれませんよ。期待だけさせられてたのが私の世代、いや、私よりお若い方々は受け取る金額も少ない、いや、もっとお若い方々は、本当に受け取れるのか、税金に上乗せさせられているとすら思っているようですしね)

(明治以前より非道く聞こえるのですのっ)

(あはは、案外そうだったりして。西南の役から半世紀も経たずして大戦で、その半世紀の間の正義というものが大戦でまた覆されて。西南の役からの半世紀で形造った制度も大戦で覆されたわけですが、大戦から半世紀で、今のあちらの世の制度は覆されない。何故にか。制度が疲弊して時代に合わなくなったからだ、という説もありますがね、そういう制度にしてしまったのは誰なのか。僕は官僚だと思うわけですよ。明治維新も終戦後も、よりよい社会を築こうと願い、そのためには優秀な人材を登用しよう、優秀な人材を育てようと思った。ところが、明治維新以降は軍部と財閥が、大戦以降は官僚と大企業が、自分たちの都合のよい社会を作ろうと、庶民をがんじがらめにしていく。条例、法律でこと細かく庶民を縛り。けれど、官僚も政治家も言葉遣いが巧くてね。真綿の布団は柔らかいからぐるぐる巻きにされていたことに気付かない。その内、外から縛られる。で、縛られても、真綿が柔らかいから気付かない。気付いた時にゃ遅すぎる、息もできない、手足も出せない、行き詰まって、 息が詰まる 、生き詰まる。あはは、こんなところで韻を踏んで、あちらの世でおしまい)

(行き詰まって、息が詰まって、生き詰まる、ですか。日本語は面白いものですな)

(ロバートさん、わたくしにはわかりませんわ)

(ユリ、わかったけど、なんかなぁ)

(カテリーヌさん、行く所につまって、吸う息が詰まって、生きることにも詰まる、ということですな)

(まぁ、いきって日本語、そんなにたくさん意味があるのですか、まぁ)

(いえいえ、漢字が違うのですが、音が同じですから、遊べるのですな)

(ご隠居さんも彦衛門さんも、真面目な方々なんですねえ。そういうこと考えてらしたんですか。息がつまるようなことはね、私、ごめんこうむります。それに虎さん、とお呼びしてもよろしいでしょうか。虎さんも真面目な学生さんなんですね)

(高等学校生です、いえ、でしたから。そりゃ、少なくとも根は真面目なものでしょう。中学校ですでに夜間行軍、あの頃、代々木練兵場で軍事教練などありましたし。校内でも陸軍将校の目が光っていました。お国のために命を捧げる道を選び、兵学校や士官学校に転学、進学する者もいる中で、中学生といえども国の将来を考えるのは当然でした。そりゃ、へらへらした連中も少しはいないでもなかったのですが、へらへらしたくともできないからこそこそと。そういう連中ですら、校内や人目のある所では表向きは至って真面目でしたね)

(虎さん、私より十五年先にお生まれでしたっけ。どこで終戦を迎えられたのでしょう。文系ですと学徒出陣ってんでしたっけ、徴兵されたでしょう)

(いや、僕は高等学校に入ってすぐに肺病にやられて、終戦を迎えてません。僕の世代ですと、文科であれ理科であれ、命を捧げられずにすまなかったと申すのが普通なのでしょうね。ただ、僕は司法の道を歩みたかったので、命を捧げるのは本心では潔くなかったのですが、そこで悩む前にこちらの世に参ってしまいました。今のあちらの世を見るにつけ、鬼畜米英の文化は明るく自由で、あのまま生きていたらどういう人生を歩んだのだろうと考える反面、かくの如き猥雑退廃した現状を目にすると、あのまま日本が勝っていたら、とも思いますよ)

(私、戦中生まれということになるのですが、ほとんど記憶なくてね。木製の軍機の玩具で遊んだことをうっすら覚えているくらいで。姉二人は戦中もう女学校に通ってましたから、いろいろと覚えているらしいです)

(富実さん、物心ついてらっしゃらない頃にお姉様が女学校って、随分年の離れた弟さんなんですね。さぞかし可愛がられたことでしょう)

(可愛がられた、う〜ん、というよりも、面倒は見られました。母が兄にかかりっきりでしたから、私をあやしたりおむつを換えたりするのは姉達だったそうです)

(お兄様もいらっしゃる、いらっしゃった、ですかしら。あっ、それでご養子になられた)

(まぁそうと言うか、ちょっとややこしくてね)

(ややこしいのですか。ユリ、そういうお話、興味津々、でも、ややこしいのだと頭こんがらがっちゃうかしら)

(あはは、こんがらがせてさしあげましょうか)

(いえ、はい、どちらにしようかしら)

(じゃぁ、ほんのさわりだけ。晴実、恵実、和実、富実、久実、雅実、怜実、勇実、武実)

(なんですか、それ、お経かしら、それとも早口言葉)

(あはは、名前ですよ。私の兄弟姉妹の。みんな最後のみが実るという漢字でね。父が百姓でしたから、ともかく実るのがいいということで、男だろうが女だろうが、みんなに実という漢字を使ったんですよ。ではクイズです。この内、何人が男でしょう)

(そんなのわかるわけないですっ)

(あら、でも、今、とみさんが四番目になってらしたから、それに上にお姉様がお二人、お兄様がお一人、あら、やはりわかりませんわ。下にまだ、え〜と、何人いらっしゃるのかしら)

(全部で九人。男四人に女五人)

(九人ですか。それはそれは。お母様たいへんでしたでしょう)

(産めよ増やせよの時流に乗って、私の次からは毎年産んでましたよ。姉二人は次から次へと産まれて来る赤ん坊の世話にかかりっきりで、それで、おむつが外れてからの私は放って置かれた)

男四人の内、最後の二人は双子で、しかも戦争末期でしたから、すぐにこちらの世に来てしまいましたがね)

(食糧難でしたからね。お産の後、母乳の出が悪かったとか)

(いえ、そこは、百姓でしたから、食うものはあるにはあったんですが、何しろ双子って小さいでしょ。育たなかったんですよ。父は双子の顔も見ずじまい)

(まぁ、おかわいそうに)

(あらぁ、そんなにお早く)

(いやぁ、ひと月近くは生きていたんですよ。ただね、父は四十半ばだというのに徴兵されてましてね。あんな年で徴兵されるんですからね、負けて当然)

(富実さん、お父様を早く亡くされたんですね。大変でしたでしょう)

(いやぁ、父をそんなに早く殺さないでくださいよ。参ったなぁ。徴兵されて半年程で戦争終わったんで、生きて戻って来ましたよ。なんか、どこかの浜に連れていかれて、穴掘りばかりしていたとか言ってました。まぁ、百姓でしたからね、穴掘りは得意だったそうですが。で、戦争が終わったというのを知ったのは一週間後ぐらいで、そこから何人かで船を漕いで勝手に戻ってきたそうです。穴掘りは苦手だった漁師達が船を漕ぐのは上手だったそうですよ。あっ、それでね、戻ってきた時にはもう双子は墓の中。父は、八十過ぎまで長生きしました)

(そちらにご一緒なんですね)

(いや、ここは養子に入った先ですから、実家の方の寺にね)

(そういえば、ご実家はどちら)

(姉達は荏原郡生まれ)

(今の品川区ですね)

(いえ、世田谷区になります。ですから、姉達と私では戸籍の表記が違っていてね。私の上の三人は村生まれなのに、私は世田谷区生まれになるんですよ。同じ所で生まれたのに、村と区では違い過ぎるって。村生まれってのは田舎みたいだから、区の方がかっこいいって)

(ははは)




お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。


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