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第十話 セミテリオの新入居者 その五

(カテリーヌさんやロバートさんは美しい日本語をお話しになられて、うらやましい程ですわ)

(あら、まぁ、そうなんですか)

(そんなものですよ。外国語を学ぶ時には正統のものを学びますからね。ほら、手指が自由に動かせるようになってから学んだ字は美しいが、小学校にあがるくらいに学んだ字は、癖がついてしまいますからね。大人になってから学んだものは形が美しい)

(でも、わたくしには、日本語はいつまでも外国語ですわ。ロバートさんみたいにはなれませんもの)

(我が輩の場合は、最初は正統日本語を学びましたが、実際に町中では違いましたからな。我が輩の日本語の師は、実は八百屋の爺さんやもしれませぬ。おお懐かしや。あの爺さんも今はこちらの世にいる筈。どこぞで巡り会えぬものか。旧交を暖めたいものですな)

(ご隠居さん、三代目は珍しいとのことですが、すると、私が三代目と称しても問題はないということでしょうか)

(いやぁ、厳密に二代目なのか三代目なのかはさておき、三代目が珍しいというのは、疫学的にそうなのでして)

(えきがくって、占いか何かですか)

(いや、占いではなくて、病気のことで)

(病気ですか。もしかして江戸時代には病気でどんどん死んじゃうからってことですか。恐ろしい。うわっ、だから、三代目まで残らないってことですか。たしかにユリは西班牙風邪でこちらに来てしまいましたし)

(そうそう、スペイン風邪、インフルエンザもそうですし、それに、虎さんがユリちゃん同様お若くしてこちらにいらした原因の肺結核もそうですしね。伝染性の強い病は、人口過密な都会では広まるのが速い。致死性ですとそこで途絶えて次世代が作れなくなるわけですし。男女比率も江戸以降男の方が多すぎて、結婚できない者が増える。まぁ、これは、大戦の後は女の比率が高くなり、やはり結婚できない者が増える。今ならさしずめ、コンビニで事足りるから男女ともに結婚する必要性を感じない者が増えているらしいですしね。つまり、次世代を作らない)

(あはは、私の身内にも結婚しなかった者が多数おりますよ。化け物みたいな年増揃い)

(まぁ、富実さん、また地が出てらっしゃる。お見かけのお方とは随分異なるようですこと)

(えっ、はい、こちらが地なんでしょうね。見かけは長年の習性だけですからね)

(都は生き馬の目を抜く恐ろしい所だとは存じておりましたわ。でも病まで、なんですね)

(マサ、私共は、三代続いておりますのっ。いやもっと。摩奈は玄孫ですからのっ。しかも摩奈は身籠もっておりますのっ)

(でも、朝子は京都に越しましたし、綾子も摩奈も都下ですわ)

(温の子孫がおりますのっ)

(温も、今では都下にお住まいですし)

(しかし東京は東京ですのっ)

(わたくし共の頃でしたら、東京とは呼んでおりませんでしたもの。それでも江戸っ子なのでしょうか)

(都会は暮らし辛い所なんですよ。何でもあるけれど人情に薄い。自殺者も都会の方が多いでしょう。人間同士の摩擦も多いですしね、自然に囲まれていたらそうそう自分を殺すなどと考えないでしょう。自殺してしまったら次世代を作れない。貧しくて、生活をあきらめたとして、田舎なら親戚知人が多いでしょうから恥ずかしいから乞食になれなくとも、あるいは、そこまで貧しくなる前に手助けが得られるでしょうけれど、都会でならば乞食になれる。他人に無関心な都会ではね。知人も少ないから恥も外聞も無い)

(恥や外聞ですか。耳が痛いような)

(富実さん、それは地かしら。えええっっ。どうして)

(いや、むにゃむにゃ)

(あら、お隠しになるのがお上手になられて)

(はい、そりゃ、周りに合わせてという習性でして)

(へぇ〜)

(いつぞやどなたかが、え〜と、あれは武蔵君の祖父殿でしたかのっ、乞食はいなくなったとおっしゃってたように記憶しておりますのっ。乞食がいない世は素晴らしいと思ったのを覚えておりますのっ。だが、やはりいるのですのっ)

(乞食とは呼ばなくなってますよ。それと、たしかに一時いなくなっていたんですよ。オリンピックの前辺りからね、本当にいなくなったのかそれともただただオリンピックに来る外国人の目から隠しただけなのかはともかくも)

(あ〜そうそう、あの頃、街中がきれいになりましたね。ゴミ箱も整備されて、道路も舗装されて、電車から見えるあばら屋がかなり減って。傷痍軍人の姿も見かけなくなって。それからバブルがはじけるくらいまででしたか、乞食という言葉すら忘れてしまってましたよ。バブルがはじけてしばらくした頃から、ホームレスが増えて)

(ホームレスとは、家庭が無いという意味でござるな)

(そう、家庭がない。乞食とは違いますね)

(そう、乞食とは違う。物乞いはしないらしいですね。それと、実態は家庭ではなく、家が無い、だからハウスレスが正しいのではないかと、僕は思ったものですよ。なぜなら、ホームレスと呼ばれていた人たち、家族は別に住んでいる家があるって人が多かったそうですよ。で、別居する家がないから、段ボールハウスに住んでいたらしい。最近は都がどこかに住まわせているとも聞きます)

(そりゃぁ、暑い、暖かい内は良いのですが、寒くなってくるとね、心も寒くなる。帰ろうと思えば帰る家はないことはない。家族もそこにいる。けれど、帰れない、帰りたくない。複雑なんですよ。物乞いもしたくない、物乞いするくらいなら、資源ゴミを集めて売る、アルミ缶とか鉄くずとか古新聞古雑誌、集めて買ってもらい、その代金で食物を買う)

(富実さん、お詳しそう)

(はい、まぁ、ちょっとね)

(すると、やはり乞食は今のあちらの世にはいないということですのっ)

(まぁ、表向きいない、実態は、いるとも言い切れないような、ってところでしょうか、ね、ご隠居さん)

(都会の方が、組織がきちんと整っているようで、乞食など出現しないように制度が設けられていてというのは確かに表向きだけでね。結局、無産の徒が田舎より多いのが都会でしょ。年金制度や健康保険制度を一部の特権階級のものではなくしたのは戦後でした。一見平等でね。僕、患者を診るのが天職だと思ってましたし、金のことは最初は妻のハナ任せ、後は事務員任せになってしまって、健康保険の制度もあまり詳しくなかったのですが、一度、実態を知って驚きましたよ。共済のは優遇されている、それぞれの業界の健康保険組合のもまぁまぁ、でも、国民健康保険の場合、納める料金も医療費支払いの時の割合も、過酷というか、共済のに比べると酷い差でね。年金も共済と厚生と国民では酷い差でしょ。つまりね、官と民と一般で、階級みたいになっているわけですよ。で、誰がこれを作ったか。国民が選んだ政治家が官僚を動かして、というのは教科書的な表向きの形の良い解釈でね。実態を見れば、賢い官僚が政治家を操って作った階級制度。庶民が気づくのには時間がかかりすぎてしまい、今更庶民が腹を立てても、できてしまい長年続いた構造を変えるのはたいへん、しかも特権階級にいて利便性の高い保険や年金制度を手放したくない者達の大反対に遭う。政治家は官僚を手なずけたい、官僚は政治家を操りたい、だから結託して庶民は置いてけぼり。でね、年金制度も、その賢い官僚が、貧乏な庶民を救うために、貧乏とは言えぬまでも特権階級ではない庶民の相互扶助なんてかっこいい言葉で操って作った制度。恩給制度を庶民にもということでね。でも、以前より長生きはするわ、親孝行の概念は薄れるわで、年金制度が破綻してしまう。戦争がなくなり、医学の発展で致死性の伝染病がある程度押さえられるから、支払い額はどんどん増える。賢い筈の官僚が考えた制度は破綻する。賢い筈なのに未来を読めなかった。少子化だってそうでしょう。今こどもが少ないのは、その親の世代でどんどん生まれる数が減っていっていたのだから、分かりそうなものなのに、未来を読み間違えた。で、いろいろな制度が破綻しても誰も責任をとらない。誰も責任をとらず、特権階級にいる者達は責任をとらなくて済む構造になっていてね。自分たちのことになると、責任放棄の構造をしっかり作ってある賢さ、いやずる賢さ。結局、利己的。官僚だって人の子、利他的になれる筈がなかったのですよね。戦後民主主義が前面に出て来て、僕はよりよい社会になるだろう、なんて希望を持っていましたよ。あの頃の官僚は、それこそ虎さんじゃないけれど、世のため人のため、国家のために尽くす、まだまだnoblesse obligeの気概を持った、誇り高い帝大生が中心だったのにね。それでもこんなに利己的な世の中になってしまったんですよ。国民をまもるために制度を充実させるために、というかっこだけよいお題目で税金ばかりむしり取り、自分たち官僚が勝手に使える金を増やすばかり。賢いならばせめて、如何に少ない金を国民のために平等に分配するかを考えられそうなものなのに、特権階級にいる自分たちと、その下にいる大企業を優先し、底辺の一般庶民からはむしりとることを考える)

(ご隠居さん、ご高説拝聴いたしました。いやぁ、さすがですねぇ。私など足下にも及びません)

(ご隠居さん、僕は、ちょっと危険な匂いを感じました。僕がいた頃のあの世でしたら、特高に引っ張られそうな解釈ですよ)

(昔もそうやって官僚制度がまもられていた。結局戦後もそうだったってだけのことなのかもしれませんね。あはは、僕だって、こんなこと四六時中考えているわけではないですよ。若かりし頃は、天性の医業に目も心も奪われていましたからね。ふと気づくと、あの戦後の明るさは何だったのか、とね。で、今なぜあちらの世が猥雑で暗いのか。その理由が、もしや官僚制度にあるのではないかと感じているわけですよ。中国や、韓国もでしたか、科挙制度の弊害というのを読んだことがありますが、戦後の官僚制度はどうも戦後しばらくしてから弊害が目にあまるようになった。利他的な官僚というのが本来あるべき姿でしょう。公務員というのは、庶民のためにある筈のものでしょう。まぁね、厚生省は国民の方を向いていなかった、あれは医者や病院の方を向いていた、と医者だった僕も数十年前に気付きましたが、国そのものがそうなんですね。国の民の方は向いていない。自分たちの利益に向いている。あはは、人間の愚かさ。公務員、官僚って所詮そんなもんなんだと気づくのに、僕は時間がかかりました)

(今のあちらの世はそれほど猥雑で暗いのですかのっ。ガス灯に比べると、電灯など煌煌と、恥ずかしい程に輝いておりますのっ)

(いや、彦衛門さん、そういう明るさではなく、人心が暗いという意味で)

(お爺ちゃん、いえ、彦衛門さん、猥雑なのは、僕、請け合います)

(別に、虎之介殿に請け合って頂こうとは思いませんのっ)

(聞いてくださいよ。この前、僕、英語を話してた方々にロバートさんと共に乗ったでしょ。あれっ、あの時いらっしゃらなかったですか。あの時ね、遊技場の中に入ったのですが、騒音すさまじく、総天然色で動く画面、周囲一面総天然色。そこに若い男女が男女の別もなくたむろしていたわけですよ。想像を絶する猥雑さ。休日でもないのに、しかも昼ひなか、仕事にも学業にも励むことなく、金を使い嬌声を上げて)

(ほうっ。それはそれは。我が輩の時代の橋向こうの日暮れ時の様相ですな)

(橋の向こうって、ロバートさん、何ですか)

(ユリさんはお若い女性ゆえ、ご存知ないですかな。荒川の向こう辺り、いや、手前の浅草寺界隈でもよろしかろう)

(あっ、いつもお祭りみたいな所でしょ。でも、小さい子は行っちゃいけません、って言われてました。ユリはもう小さくなかったのに、あそこは大人の行く所ですって)

(川の向こうというのは、そういう場所になりがちですからのっ。♪大人の通う川の向こうには何がある♪ たしかに、猥雑でしょうのっ)

(まぁ、だんなさ〜がお珍しい、謡いですか)

(何があるのでしょう)

(カテリーヌさん、おわかりになりませんかしら)

(川の向こうには昔、居留地がございました。わたくしの頃にはそこに住まなくともよかったのですが。まだまだ外国の方が多うございました。わたくしには素敵な所でしたのよ。あら、でも、あれは川ではなく、海かしら。いえ、海の向こうでしたら、わたくしの国も)

(然様。あはは、我が輩の国も海の向こう。しかし、猥雑ではなかろう、いや、猥雑な部分もありますな)

(猥雑な所とは、とかく、暗い中でそこのみ明るく怪しく輝くものでありますのっ。つまり、ご隠居さん、今のあちらの世が暗いゆえに、猥雑な灯りが目立つということですかのっ)

(いや、暗さはあくまでも人心のことでして。猥雑な部分は古今東西人間の習性なのやもしれませんが、たとえば、彦衛門さんがお若い頃、世の中、いや、世相ではなく、う〜ん、何と申しましょうか、将来に向けて何をすべきか、どう生きるべきか、などとお考えになられたことでしょう。いかがですか)


(世も世でしたからのっ。代々士族。薩摩のお国で先祖の職を継ぐものと決まっておる筈だったのが、お国は薩摩ではなく日本、帝国、大日本帝国というものになり、薩摩のお殿の上には将軍家と思いきや、間が抜けて陛下になり、私の都は薩摩の筈が、京都から江戸、東京になり、継ぐ筈だった家老職もなくなり、家禄も刀も取り上げられて残るは士族という名前のみ、今から思うと疾風怒濤の日々月々年々でしたのっ。ご先祖様方々が羨ましくてなりませんでしたのっ。お国、帝国のことではなく、薩摩のお国、薩摩の殿、薩摩の民のことを考えていればよかったですからのっ。決められていた通りに、我が方便、我が歩む道に思い悩まずに済んだ訳ですからのっ)

(つまり、ご先祖は楽に生きてらしたのに、という羨みですか。ご自分は、日々変わる激動の世に放り出されてしまった、と。僕も、ある意味そうだったんですよ。あの戦後、帝国が被占領国になり、昨日までの鬼畜米英の兵が我が者顔に街を闊歩し、もんぺに素顔の楚々としていた女達が厚化粧をして媚びてきつい言葉でやり取りするのを目にしましたし、正義の為の戦争と主張していた新聞が、負けた途端に侵略だ、悪いことだと述べ始め、一億火の玉と言われていたのが一億総懺悔などと言われてね。彦衛門さんにとっての明治維新と、僕にとっての終戦は同じような激動、驚天動地、天地がひっくりかえるような時代でしょう)

(わたくし、それより前にこちらの世に参りまして、よろしゅうございました。ご維新の様な時代を生きるのは大変でしたもの。人生に一度で結構でございます)

(あはは、そうですね。でも、彦衛門さん、マサさん、そういう時代を生きてらして、それなりに、こうしてみようか、こういう生き方もできる、などと、将来を模索する中で、死のうとは思わなかったでしょう)

(ですわね。日々の方便に追われておりましたが、この先、よりましな、より楽しい、そんな世界が、そんな老後が楽しみでしたわ)

(まぁ、私もたしかにそういう部分もありましたがのっ。しかしですのっ、方便が立たぬ。かつての方便を失ったことが悔やまれる。こんな世に誰がした、と思わぬでもなかったですのっ。私の同輩には西南の役に殉じた若者が多数おりましたのっ)

(そりゃね、それまで微々たるものだったとしても、方便があった訳ですから、我がものと思っていたものを失うと、腹立ちますからね。僕だって、父のものであり、弟のものであり、いやそもそも仏のものであったと分かってはいても、自分が育った寺に土足で上がられた時にはいい気分ではなかったですしね。西南の役で若者が多数こちらの世に、大戦でより多い若者があちらの世で寿命を全うすること能わずこちらの世に参り、そうやって多くの若者の血が流れて世の中が逆転して、失った命や糧を悔やんでも悔やみきれず。けれど、死屍累々の焼け野原に花が咲く様に、生き残った者は立ち上がりましたよね。日々食うために、家族を養うために、それまでの禁忌を破り、なりふり構わず働いた、考えた。台風が皆さらってしまった後に上を見上げれば台風一過の抜けるような青空。その青空の下で、何かを求めて、何かを得ようとして、未来、将来が見える、その未来がより良い未来であればと願いませんでしたか)

(ですのっ)


お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。


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