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第十話 セミテリオの新入居者 その四

(そうですねぇ。たしかに。あっ、こういう話題、俺苦手なんだよなぁ)

(聞こえました。富実さんはこういうのお苦手なんですって、虎ちゃん)

(すみません。僕にとってはつい最近のことのように思えても、富実さんには古い話題ですしね)

(いや、古いとか古くないとかではなくて、そのぉ、五一五とか二二六って、思想がらみでしょ。あ〜いうのよくわからなくて、というより関わりたくないんだよなぁ。六十年安保も苦手だったし。なんか勝手にやってくれ、って感じ)

(僕にも聞こえました。苦手なんですね)

(はい、どうもね。だって、どうでもいいでしょ。要するに政治とか思想って、誰がどう思っているかってことで、そんなこと関係なく世の中動いてる。作って売って買って貸して借りて飲んで食って着て住んで死んでくんですから)

(うわぁすごぉい。でもほんと)

(作らされて売らされて、ってな調子で、させられたらたまらないですけどね)

(トミーさん、なんともすさまじい。そりゃ確かに、その通り。させられるのはかなわない。させられるのを避けられたらいいわけで、させられるのを避ける方法の一つが、歴史を学び、政治に注意していることだと、僕は思うのですが)

(ご隠居さん、僕もそう思います。政治や歴史を知らずして生きるなかれ。まぁ、もう死んでますけれど)

(え〜と、虎さん、ご隠居さん、しかしですねぇ、戦前に生きてらして、政治を見てらして、で、戦争、避けられましたか。避けられなかったでしょう。そりゃ、憲法が違ったし、軍部が独走したとか、国民は何ももの申せる立場でなかったとかってのもあるのかもしれませんが、政治なんて、所詮そんなものでしょ。一票の重みなんて、たかが一票に過ぎないわけで。政治なんて見てようが投票で参加しようが、何も変わりゃしない。ややこしい権力争い見ているよりも、飲んで食って恋して死ぬ、みんなね)

(ほうっ。こういう御仁もいらっしゃるのですな)

(ロバート殿、私は情けない思いですのっ)

(だんなさ〜、わたくしもでございます)

(マサ、あいがて。飲んで食ってついでにひねって、恋して死ぬでは、虫けら同様。人であるが故に、如何にこの世を良くすべきか、如何に四民を護るべきか、如何に異国と張り合うか、人生如何に生くべきか、それを考えずして何が人間)

(うへっ、まずかったかな。え〜とですね、いや、でもこちらが俺の地なわけで、いや、しかし)

(トミーさん、分裂なさってらっしゃいますね。慇懃無礼な表向きの裏に隠れる自由奔放ですか)

(ご隠居さん、そんなもんでしょう、人間なんて)

(いやぁ、僕はそこまで分裂していませんから。僕はね、根っからの自由人。少なくともそうあろうとしてましたし、今もね)

(あ〜、それでそういうお姿なんですね。とっちゃんぼうやみたいな、およそ医者らしくない)

(父ちゃん坊や、ですか。懐かしい言葉ですね。あはは、喜んじゃいけない言葉なんでしょうかね。でも、まぁ、白衣着てって医者の姿は、僕、好きじゃなくて。診察室を一歩出たら、ただの人。診察室を出ても、人格に白衣着せて医者でござい、ってのは好きでなくてね。こういう帽子にこういう服って楽でしょ)

(喜んじゃいけない言葉だったんですか。これは失礼いたしました)

(父ちゃんでありながら子どもみたいな、ってのが元じゃなかったですか。僕、風貌は子どもみたいでも、中身は一応大人、きちんと物事を考えているつもりですよ。というか、まぁ、そりゃ考えたとて、何かが変わるわけではないのかもしれませんが)

(でしょう。ですから、虫けらと言われようがかまわない。みなさんほとんど、日々、食って寝てのくりかえしでしょ。仕事終わったら酒のんで、ちょっと憂さ晴らしして、明日はまた同じ、日々くりかえし、死んでいく。考えてもしかたない)

(富実さん、本当にその様な人生を送られたのですかのっ。私には信じ難いですのっ。それじゃぁ、虫けら同様、申したくはないがのっ、無学無教養無産の人以下の輩ですのっ。なのに、どこぞにお勤めだった由。私には理解不能ですのっ。男たるもの天下国家を論ぜずして何が人間なりや)

(でも、え〜と、彦衛門さん、みんなそうでしょ、今の時代。そりゃね、私、大学出ました、銀行に勤めていました。貯金もありました、いや、今でもある筈、もう私のではないのでしょうけどね、そういや、あれ、ちゃんと見つけてくれたかなぁ。で、一応、人間やってました。でも、大学行ったからって、学問したわけではなく、就職の道具。世間では大した職業と言われようとも、やっていたことは昼はデスク、夜は接待されたりしたり、教養なんて教養課程やっただけで、身に付くわけでもなし、貯金たって、勝手に給料が貯まっていっただけで、でも、息して、飲み食いして、寝て起きての日々で、それを人間以下と言われようとも犬でも猫でも牛馬でもなく人間だったわけで。日々、何か楽しいことがあればとことん楽しみ、何か嫌なことがあれば寝て忘れる、それだけで精一杯。天下国家を論じるなんて、そんな暇なかったですよ。まぁ、あったとしても、天下国家なんて、私とは無縁の世界)

(考えさせられますな。彦衛門殿や我が輩の時代とは異なるのでしょうかな。そもそも人口が増えましたしな。昔と違って、今は我が祖国でも小中学校に通わぬ者は皆無に近く、文字の読めぬ者も大層少ないとのことですからな。考えてみれば、読み書き算術ができるということと、天下国家を論じられることには、かなりの差がありますな。学問を身につけたとて、新聞が読めるということであり、新聞が読めたとて、考えるか否か、考えられるか否かは、素養によるものであり、学問の書物を読んだとて、受け売りできればまだましなのやも知れませぬ。自分の頭で考える、考えられる者ができあがるものなのですかな。それこそ考えさせられますな。そもそも、考えられる者は少なく、故に、哲学者や神学者が崇拝された、とも言えるのではないですかな)

(そうそう、みんな自分だけうまく立ち回って、自分だけちょっとでも余計に稼いで楽な生活したい、それだけでしょう)

(自分で考える者が出て来てはまずい、何か、戦前の様相ですね。あの頃、僕は、天皇が神だなんて思ってはいませんでしたが、そういう教育をしてましたしね。で、考えてみれば天皇が人間だなんてことわかりそうなものなのに、大人にそう教えられれば神だと信じる、いや、信じるとか信じない以前に、そういうものだと思ってしまう。何しろ、現人神などという奇怪至極な言葉がありますしね。神でありながら、人でもあるから食いもすれば死にもするというね。神ではないと知っている大人も、下手に口に出せない。自分たちで暗示をかけて、そういうことになっているという集団を作りあげてしまう。今から考えると馬鹿らしいが、そういう社会を作っていたわけで、その社会の中に自分たちもいたわけで)

(でしょう。だから、考えたって無駄なんですよ。だったら、考えて苦しむかもしれないよりは、そういうことを考えずに日々楽しむに限る。考えて行動して逮捕されるよりよっぽどまし。え〜と、私、だまされた気分なんですよ。年金でね。年金って昔は無かったんでしょ。戦後のことらしいですよね。積み立てて、老後を楽しようってのね)

(老後が楽しめるですかのっ。いいですのっ。老いて病み、たいへんですからのっ)

(ですわねぇ。うらやましい限りですわ。わたくしは、温の世話になりましたの。温がお小遣いをくれて、嫁もよくしてくれて。身寄りもお金も無いと、辛うございますでしょ。軍人のご家族やご遺族は恩給が出てましたのに)

(でね、若い内に月々積み立てていれば楽な老後を過ごせるんだって、思ってましたよ。実際、私と同世代ぐらいまではね、そこそこの金額を受け取れてね。でも、若い時に、 国民年金と厚生年金と共済年金に違いがあるなんて、金を扱う仕事していた私でもね、ほとんど気にしていませんでしたよ。就職前にはね、四季報か会社案内にどんな年金制度か書いてあったかもしれませんが、学校でも教わらなかったし、まぁ、今から考えると、学校の先生は共済年金でしょ。それに、私が通学していた頃じゃ、恩給を受け取っていた人はいたんでしょうが、年金を受け取っていた人はいなかったのかもしれないし、誰も受け取る年金の額に違いがあるなんて言ってませんでしたよ。名称の違いだけだって思ってましたし、それに給与から天引きされていましたから、いちいちね。で、受け取る頃になったら、分かりましたよ。あまりの金額の差にね。私はまだしも、妻など、国民年金分ですからね。で、厚生年金だと夫の死後、妻は半額しか受け取れないのに、共済年金だと夫の死後、妻はほとんど全額受け取れるようになってるそうで。月々の積み立て額にどれほどの違いがあるのか知りませんが、一般の国民年金に比べて、共済年金はとても優遇されている。なぜか。共済年金に入れるのは公務員なわけで、そういう仕組みを作ったのも政治家を動かした公務員なわけで、狡い。公務員の狡さに気付いた瞬間でしたよ。まぁ、たとえ、私が学校でそれを教わったとしても、きっと、優秀な公務員を集めるための手口だと思っただけで。で、集まった優秀な公務員は、優秀だからこそ、優秀でない一般国民が損するように、自分たちが得するように、うまくごまかす、導く。優秀なだけに上手。で、一般の国民は損する。官僚や公務員の退職金も、年金も結局は税金でしょ。国民からがっぽりむしりとった税金。こういう仕組みに気づかなかった私は、職業柄本当に馬鹿だったと思い知らされましたよ。ましてや無頓着な国民がその差に気づくのは、受け取る頃、つまり払い始めてから三十年四十年経ってからですよ。唖然としましたよ。国民という名前を付けた年金と、共に助け合うという名前を付けた年金と、名称自体にまやかしを感じるでしょう。そりゃね、ここに気づかなかった私が馬鹿なのかもしれませんが、でも、もし気づいていたとして、何ができたでしょう、何か変わったでしょうか。気づいて、変えられず、ムカムカ日々を過ごしていたかもしれないと思うとね、気づかずに何十年も過ごせてまだましだったのかもしれない、と思うわけですよ。つまりね、考えたって無駄。天下国家を論じたとて無駄。大切な一票を集めて当選して議員になったって、官僚や公務員の作った路線に乗せられてしまうだけですからね。そりゃ、大切な一票を集めて当選すればたちまち収入アップするわけで、国民という名前のついた年金のことなんて考えもしなくなって、官僚の言いなりになるわけで。ほらほら、私、こちらの世にいるというのに、あちらの世のことでムカムカしてくるわけですよ。ムカムカしていても嫌なだけでしょう。だから、最初から考えない。あきらめる、いや、あきらめもしないんですよ。最初からあきらめなきゃならない物事を見ない、聞かない、知らないままで考えない。これが人生楽に生きる秘訣です、いや、でした。どうせ公務員が得するように、一般の国民は損するように、うまくできた仕組み。気づいたとてどうしようもできないんだから、だったら知らないに限る。自分が損しているなんて気づいたらうんざりするでしょう。うっかり知ってしまったらうっとうしくて仕方ない。日々楽しめなくなりますよ)

(なんか、たいへんなのね。ユリの頃は、恩給ってのがあって、軍人さんは老後が楽だって耳にしたことはあります。でも、軍人さんって命がけのたいへんなお仕事だから、それも当然だと思ってました。家みたいにお商売していれば継いだ人がその老父母を養うし、親孝行って当たり前でしょ。子供がいなくてってのなら、その分、みんな自分で貯金すればいいんじゃないの)

(ユリさん、貯金しない人ってのもいたでしょう。それに貯金できない人ってのも)

(江戸っ子は宵越しの金を持たない、ですか)


(へへへ。私が若い頃言ってましたよ)

(富実さん、それ、本音の方ですか)

(はい。若い頃は本音。私、祖父母が伊予から東京に出てきているんで、三代目江戸っ子、宵越しの金は持たないなんて言ってね、遊び歩いてましたから)

(ユリは、え〜と、父が新潟から出てきたわけだから、二代目なのかしら)

(僕は先祖代々ですから、何代目になるのか、江戸っ子ですが、ユリちゃんの場合、ユリちゃんが初代江戸っ子になるんじゃないかい。で、富実さんだと二代目)

(えっ、すると、私は三代目じゃないってことなのですか。あはは、今さらもうどちらでもいいですが。勝手に三代目と自称してましたよ)

(まぁね、江戸っ子三代目って、実は珍しかったそうですよ。今でもかもしれません)

(まぁ、そうなんですか。あっ、今は江戸ではなくて東京と呼ぶからでしょうか)

(カテリーヌさん、そうではなくて、この地で三代続くということが珍しいそうです)

(まぁ)

(そうなんですか。明治より前は、そんなにみなさまお引っ越しなどなさらなかったのかと思っておりました)

(ですのっ。私もマサも、明治にならなければ薩摩から出ることはなかったやもしれませぬのっ)

(お爺ちゃん、参勤交代ってのがあったでしょ)

(私は虎之介殿の祖父ではないですのっ)

(またそれを言う、いえ、おっしゃる。孫ではないのに武蔵君には許すのに)

(そういえば武蔵君はどこかしら)

(まだ戻ってきていないようですね。武蔵君のお爺さまも)

(ご実家の方に行ってらっしゃるのかしら)

(おうどん屋さんでしょ。いいなあ。ユリもおうどんの鰹節のお出汁が懐かしいです。黒いお汁の中に白いふんわりしたおうどん。いただきたいです)

(彦衛門さん、で、参勤交代で江戸と藩元を行き来していたのではないですか)

(然様。しかしながら、私はまだその年齢ではなく、せいぜいが錦江湾縁のお屋敷まで使いに出されるくらいでしたがのっ。たしかに武士でない者が江戸まで来ることは滅多になかったですのっ)

(薩摩は遠いですからねぇ。ですが、丁稚や子守りやなんだかんだと、現金収入を得るのと食い扶持を減らすために、近在の農村から江戸には結構入ってきていたようですよ。僕が小さい頃も、いやぁ、戦前までそうでしたよね、マサさん)

(でございましたわね。丁稚や女中、小僧、あちらこちらのなまりが強くてね。わたくしも他人様のことを申せませんが、それでも長く東京に住んでおりますと言葉遣いもなじんで)

(日本語なのに、そんなに違ったのですか。仏蘭西語と日本語はたいそう違いましたわ)

(薩摩言葉は、忍びの言葉とまで言われましたのよ。それほどに通じませんでした)

(まぁ)


お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。


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