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第十話 セミテリオの新入居者 その三

(僕は使ってました。今も時折、孫やひ孫の所で目にしますよ。あれを自分の手で動かせたらよいのに、とよく思いますよ)

(え〜と、ご老人)

(あっ、僕は瑞顕と申しますが、こちらではみなさんにご隠居と呼ばれております)

(ご隠居さんは、いつこちらの世に)

(もうかれこれ十年は経ちましたかね)

(ご高齢にお見受けいたしますが、そのお年でインターネットをなさってらした)

(はい、あれは楽しめる。サーフィンなどと呼んでね。仲間内で、最近はサーフィンをしているなどと申して、驚かれましたよ。私が波乗りをしていると思われて)

(ああ、インターネットサーフィンですか。そういえばそういう言葉も流行りましたね。夜半中サーフィンして日中眠そうな顔をしてと、一時社会問題になりかけてましたっけ。えっ、そのご高齢で、失礼しました。え〜と、でも、サーフィンですか。あっ、お年寄りは夜寝付けないそうですしね)

(いやぁ、僕はサーフィンと言っても昼間でしたし。それも、仕事関係のメールで紹介されたサイトに行ったり、そこからまた別のサイトに行ってみたりといった具合で。ついでに申しておきましょう。富実さん、僕は百まで生きましたから、まごうことなき高齢者、遠慮なさらないで構いませんよ。それと、夜はしっかり眠れていました。朝の光を浴びれば大丈夫なものですよ)

(ご隠居さんって、たくさん眠ってらしたから長生きしたのかしら)

(ああ、そうかもしれませんね。酒はたしなむ程度。でも、煙草も吸い続けてましたからね。要は、何でも中庸。度を超しさえしなければいいんですよ。良いからと言って採り過ぎたり悪いからと言って何かをやめてイライラするより、人生楽しむ方が良い、どうせ死なぬなら、生きている間は楽しむべし、なんてね。おやおや、人生訓など語る我が身の恥ずかしさ)

(さすが、ご長寿の方はおっしゃることが素晴らしい)

(富実さん、おだてても、こちらの世では何も出てはきませんよ)

(おだてているのではございません、はい。いえ、ただただ感服いたしてまして。私など、人生如何に生くべきかなどと考えたのは、こちらに来る数日前。あはは、もう生くべきを考えても仕方の無い日数しか残ってなかった始末です)

(僕とて同じ。日々、生きていくために仕事をして。夜は疲れてぐっすり。生きるのか生かされているのか悩む暇とて無い日々。でも月日は過ぎて、いつの間にやらひ孫も育ち、気づいたらこちらの世。今の方がよほど、如何に生くべきかを考えますね。後悔こそしておりませんが、後悔先に立たず。まぁ、人生、そんなもんかもしれませんよ。人生如何に生くべきかを考えて一生を送るのは、その暇がある分だけ辛いのやもしれませんしね)

(なるほど。ご長寿でらっしゃると達観なさってらっしゃる)

(あっ、いやぁ、達観というか、まぁ、こう、何て言うのでしょう。あちらの世に長らえた間、こうありたい、というようなものは持っておりましたよ。自分にも他人にも正直に生きていこうというような。ただねぇ、正直にと言っても限界がありますからね)

(いやぁ、正直であることは大事なことですのっ)

(ふむ。然様ですかな)

(ユリ、そう教わりました)

(ユリちゃんの場合は、嘘ついたらいけません。お鉢の中のおせんべいを食べたのは誰ですか、ちゃんと正直におっしゃりなさい、などと言われた口だろう)

(虎ちゃんっ。そんなことユリしませんでしたっ。それって虎ちゃんがご両親に言われてたんでしょっ)

(うん。幼い頃だったらそれくらい当たり前だろう。ユリちゃん、本当にそういうことしなかったかい)

(ユリ、お腹空かせてなかったもの)

(しかしですな、嘘をつくのも必要な場合もありますからな)

(外交ですか)

(えっ、こちらでは外交問題まで話題になるのですか。こういう世がこちらにあったとは)

(いえいえ、外交問題ではなく、ただ、我が輩がかつては外交官だったからということだけでして。いや、外交とは、別に嘘をつくということではなく、そもそも、嘘をつく以前に交渉の前に互いに内情を探り合っておりますから、嘘というのとは違いまして。いや、我が輩が申した嘘をつく必要がある場合とは、例えば、え〜と、八百屋の爺さんに、あっ、我が輩が親しくなった爺さんなんですが、その爺さんが、最近は耄碌してきてと言われた時に、たしかにその爺さんが最近は元気が無くなってきたなと思ってはいても、正直には言わず、いやぁ、ますますお元気なご様子で、と答えていた、こういう嘘で)

(そうそう、ロバートさん、僕もそう思うんですよ。ましてや僕の職業ではね。その手の嘘と正直のバランスが難しい。いや、まぁ、こなしていたわけですが)

(ご隠居さん、もしや株のトレーダーか何かをなさってらした。虚々実々の世界で生きてらした)

(いえいえ、僕は医者でした。まぁ、口では生涯現役などと申しても、実際に診察してたのは、せいぜい八十ぐらいまでで。息子や孫が現役でしたしね)

(おお、これはこれは、お医者様一族でらっしゃいましたか。薬九層倍、医者百倍、寺の坊主は丸もうけ。あちらの世におりました時に存じ上げておりましたなら早速営業にご挨拶伺わせましたものを)

(富実さん、僕、こちらに来てもう一昔ですよ。ちなみに、今の薬云々も聞こえたのですが、僕、実家は寺でした、あはは)

(ああ〜。口に気をつけねば、いや、心と頭に気をつかわねば。もう、穴があったら入りたい。失礼いたしました)


(大丈夫ですわ。もう、富実さんもわたくし共も穴の中ですもの)

(そうでした。それにしても、我が身ながら、たしかに、私、まだ生々しいですねぇ。こちらの世に参りました以上、もっと枯れなくてはいけないんですね)

(枯れる必要はないのですのっ)

(ただねぇ、こちらですと、手も足も出せませんでしょう)

(ついでに糞もひねれぬのっ)

(あはは、面白いことをおっしゃる)

(富実さん、だんなさ〜も、この点だけはいつも生々しくてね、申し訳ございません)

(いやぁ、出すほうだけではないですのっ。入れる方にこそ私は生々しくありたいものですのっ。そもそも、入れられなければひねれぬのでしてのっ。先日の法事での山海の珍味。味わいたかったですのっ、なっ、マサ)

(いえ、わたくしは、あの朝顔の花に似せた練りきりさえいただければよろしかったとは思っておりますの)

(ほら、マサとて食い意地がはっておりますのっ)

(あら、マサさま、練りきりでしたの。わたくし、いただきたいとは申しませんが、せめて目にしたいですわ。最近のあちらの方々、あまり和菓子は召し上がらないようで、お外に乗せていただいてもなかなか目にいたしませんのよ)

(練りきり、美味しかったですものねぇ、カテリーヌさん)

(はい、マサさん、見せていただきとうございますわ。いただいてしまうのがもったいないほど芸術的な美しさ、あら、今でしたらいただけませんから、美しさだけでも)

(ユリも、練りきりなんてお上品なものでなくていいけど、さっき虎ちゃんがおせんべいって言ったから、おせんべい、お口の中でぱりぱり食べたいです)

(みなさん結構生々しいようにもお見受けいたします)

(いえ、あら。何のお話しておりましたかしら)

(斉藤さん家がたくさんあるってお話)

(いえ、その前は)

(新幹線のことでしたかしら)

(おっ、そうですのっ。斉藤家では、飛行機と呼ばぬという話でしたのっ)

(いえ、斉藤さん家ではなく、サイトなんですが、まっいいか。で、その、飛行機、いや、航空機に乗る前にはいろいろと搭乗手続きが必要で時間がかかる、という)

(そりゃ、飛行機に乗るには、高い所を飛ぶわけですから、身体検査が必要でしょうな。我が輩がこちらの世に参る前に終わった大戦では飛行機が活躍していたようですな。しかし、乗るのは若い男ばかり。年寄りや女性では身体に負担がかかるわけですな。そりゃあ、飛行機に乗る前には身体検査が必要でありましょうな。それに、重過ぎては落ちるでしょうしな)

(うわっ、落ちるんですか、ユリ、怖い)

(たしかに、時には航空機事故もありますねぇ)

(Mon Dieu! Ave Maria! わたくし仏蘭西に参りたいなど、もう考えないことにいたしましたわ)

(カテリーヌさん、空は結構気持ちよかったですわよ。先日の播州旅行。スウッ〜フワッ〜。最初は少し怖かったんですの。でも、慣れました)

(わたくし、慣れなくてかまいませんわ。落ちるなんておそろしいですもの)

(しかし、僕たち、気の存在ですからね。落ちるんでしょうか。先日、雷雨の中、宮城と公園を眼下にした折には、肝が縮む思いでしたが。気の存在、落ちても大丈夫でしょう)

(あっ、空気だから浮けるってこと)

(いや、ユリちゃん、空気より重い気体もあるけどね、僕の印象では、僕たちは空気となじんでいる、で、いつか雲散霧消する)

(富実さん、つまり、飛行機に乗るには、身体が頑強であるか検査が必要。荷物が重すぎないように荷物も計る、ということですかのっ。たしかに、新幹線では、荷物の計量はしてませんでしたのっ。しかし、あの速度、身体が頑強でなければならないかと、私は思うのですのっ)

(慣性の法則というのもありますから、速度は中にも影響があるわけで)

(ユリ、わかんない)

(ユリちゃん、電車の中で跳びはねても、最初の所に着地するでしょ。でも、もし、ユリちゃんが、電車だけ動いていると思っていたら、本当は、別の場所に着地しちゃうなんて思っていないかい)

(あっ、そうだぁ。でも、ユリ確かめたことないから。電車の中で跳びはねるなんて、そんなお行儀の悪いことできませんでした。虎ちゃん、試したことあるの)

(ないですよ。ただね、そういう法則があって。つまり、そう決まっている、いや、そういうことになっていて。ですから、新幹線、僕は乗ったことはないのですが、たぶん、新幹線に乗るには、身体頑強である必要はないのでしょう)

(でも、飛行機に乗る時には検査がいるって、今富実さんおっしゃってました。飛行機の時には、そうなっている、ってのは、そうならない、ってことなの。えっ、あっ、そうか、電車は地面を走っているけれど、飛行機はお空を飛ぶから、別のそうなっているってのがあるってことなのね)

(いや、飛行機でも慣性の法則は働く筈、それこそ僕は試したことないですけれど、あっ、いや、僕も従兄にグライダーに乗せてもらったことありましたっけ。それこそ跳びはねませんでしたが、まぁ、同じ筈)

(あのぉ、身体検査というのは、身体が頑強であるとか、身長体重を計るとか、そういうことではなくてですねぇ。航空機に持ち込んではいけないものがありまして)

(何ですかのっ。馬や籠に乗るには、酒や酢はこぼれるので注意が必要でしたがのっ)

(ご隠居さん、助けてくださいよ。話がこんがらがって、先に進めません)

(富実さん、いいんですよ。ここでは時間はほぼ永遠。話があちらに飛び、こちらに飛び、それでも慣性の法則のように、いつかは元の辺りに着地しますから。それにね、富実さん、飛行機、いや旅客機も、戦後すぐの頃には、万年筆の持ち込みが注意されていたこともあったんですよ。ご存知ですか)

(聞いたことはあります。それより何より、万年筆というものが、今ではもう珍しい)

(確かに。ほとんど見かけませんね。ボールペンばかり。そうそう、ボールペンもね、飛行機の中で、昔は時々インクが漏れることがありましたっけ)

(ボールペンも進化しましたね。僕が、あれ、いつ頃でしたか。僕は、大学に入った頃は、進学祝いに万年筆をいただきました。パーカーのいいもので。銀行に入って、ボールペンが出回り始めて、初期のボールペンはインクが塵みたいに固まったりね。まともには使えず。銀行の窓口でもボールペンでよくなりはじめて、正式な文書に署名するには万年筆でよくなって。正式な場合は毛筆の時代というのも少しは経験しましたっけ。今ではなんでもかんでもボールペンでしょ。いや、そもそも字をかかなくなって。そうそう、あの頃、タイプ室なんてのもありましたっけ。タイプ室も、今、まだどこかにはあるんでしょうか。あの頃は正式文書はタイプ室にまわしていましたが、今は、文書も自分で、各自一台のパソコンで制作ですからね。電子署名なんてのまである。あれは危ないと思うが、まっ、もう俺には関係ないし、どうでもいいか。え〜と、もう、万年筆からは隔世の感。おや、私、失礼いたしました。私が話を横にそらしてしまいました。なるほど、こうやって脇に逸れていくのですね。なるほど。いや、反省いたしております)

(トミーさん、こちらはこんなものなのですな。その内、慣れましょう。で、飛行機の身体検査の件は如何に)

(ハイジャック、え〜と、たぶん、この言葉はみなさまには通じませんね。飛行機の乗っ取りと申しましょうか。これを阻止するために、乗っ取りに使えそうな武器を持ち込めないように、飛行場で検査をするのですよ。だから、荷物も身体も検査)

(あっ、それで身長や体重を計るってのとは違うってことなのね。ユリ、わかりました。でも、万年筆は武器ではないし。それに、兵隊さんって、武器もって船にも電車にも乗るでしょ。飛行機だけ、だめなの、どうして)

(いや、あっ、そうですね。今、軍人は普通いない、いや、自衛官が、でも、自衛官は旅客機に乗らない、いや、乗るのかな、乗るとしても武器は携行しないのか。自衛官だけじゃない、警察官も、いや、しかし、警察官は普通は武器は携行しないことになっているのだっけ。え〜と、ユリさん、あのぉ、乗っ取りを企まれると困るから、ってことなんだと思うので。そのぉ、今の軍人、つまり自衛官やあるいは警官が、まぁ、普通は乗っ取りをするとは思わないという前提で)

(普通は、ですか。僕が幼い頃というか、こちらの世に来る前に、五一五事件とか二二六事件というのがありましたから、軍人とて乗っ取ることもあり得るのではないでしょうか)


あけましておめでとうございます。

本日は、彦衛門の命日です。

ご冥福をおいのり申し上げます。


お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。


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