第十話 セミテリオの新入居者 その二
(はぁ。でも、みなさん、それぞれのお姿は、あちらの世と別れを告げた時のお姿なのでしょう)
(はい。でも、着替えることもできなくはないのですよ、ねぇだんなさ〜)
(ですのっ。まぁ、着替えたとて、気を抜けば元の木阿弥、ましてや私は土葬でしたからのっ、あの折の姿、つまりこの紋付袴という訳で。でも、ほら、ちょっと気を使えば、斯様に)
(まぁ、それ、どちらの制服でございますの。どことなく軍服のような)
(だんなさ〜、それは上京前の晴れ姿。久しぶりに目にいたしますと、まぁ、見目のよろしい)
(マサさまうっとりなさってらっしゃる)
(ええ。あの頃のだんなさ〜は羽振りがよくて。いえ、商売をしていたわけではなかったのですが、あの頃の官舎には築山もございまして、召使いや書生さんがたくさんいらして、お馬でお出かけになるのをお見送りいたしました頃を思い出しますわ)
(ユリはね、白い死装束が嫌だから、いつも気を張って、これ、桃色朝顔の素敵な浴衣にしてるの。本当は、母が用意し始めておりました打ち掛けでもいいんですけど。この前、望さんのお洋服を真似てみたんですけど、あまり似合わないって虎ちゃんが言うし)
(うん、あれはね。まぁ、あれでも、コンビニから出て来た時よりましだったけどね)
(あら、みなさま、初めていらした方には、何のことだかお分かりになりませんわ)
(つまり、気を張れば着替えられる、ということなのでしょうか。ほうっ、これは面白い。こちらの世にはこちらの世のルール、いや、風習、習慣、いや違う。それなりの処世術。私も見習わなければ。処世術ならお手のもの、いやそうでもない。うん。いや、しかし、私が一番楽なのは、いやそもそも一番私らしかったのは、う〜ん、やはり学生時代、しかしあれはあれでラフすぎる、いや時代遅れ、かといって最近のではみすぼらしい。やはり体面は体面で)
(またぶつぶつ。なんだか小言幸兵衛偏屈爺さん候補みたい。ユリ、やっぱりこの方苦手です)
(ユリちゃん、まぁ、まぁ)
(え〜と、お名前は何でしたかのっ。すみませんのっ。何しろ筆も帳面も無いものでのっ)
(富実と申します。富山の富に実現の実で富実。若い頃はトミーなどと呼ばれておりました)
(トミーさんっておっしゃるのですかな。我が輩の国のThomasの愛称ですな。おっと、我が輩、ロバートと申します。一世紀程前に亜米利加合衆国より来日してそのまま、我が輩の愛して止まぬこの地に葬られました。こちらがマダムカテリーヌ、英吉利の方とご結婚されて来日なさった仏蘭西の方で、夫君の名は偶然にも我が輩と同じでありまして)
(Bonjour, Comment allez-vous?)
(おっ、フランス語、久しぶりに耳にいたしました。学生時代以来ですかね。そうそう、第二外国語、フランス語はかっこ良いと、特に女子学生に人気で、軟派には便利とか、いや、こういう話題はやはり。まずい、どうも、考えていることが口に出てしまう。いや、あれ、おかしい。口に出しているわけではないのだが)
(あはは、トミーさん、まだ慣れてらっしゃらない。こちらの世界では、考えたこと感じたことが伝わってしまうのですよ。心の奥まではもちろん見えるわけではないですよ。しかし、ほら、僕たちの会話というのは音になっているわけではないですから、心の表層で考えたことは、気を付けないと流れっぱなし。 いやぁ、気を付けるってのも、気を遣うのが見え見えですからね、気を付けるだけ気疲れする。気遣いするのは優しさでも、気を付けるってのは、遠慮ならともかくも、面子のためですからね、体面など気になさっても仕方ない。結局地が出る、自が出るわけですよ。それと、ユリさん、ここでは、来る者拒まず去る者追わず。拒みようがない、追う方は、まぁできなくもないが、ですよ)
(ぐすん。そうでした。富実さん、お生まれはいつなんですか)
(昭和十五年、七十前にこちらに参ってしまいました。まぁ、もうどうでもよかったのですが。あちらの世に未練はなし、それこそ体面保つのに大変でしたしね)
(ユリ、未練だらけ。あれにもこれにもなりたかったものがたくさんあったのに。お嫁さんにもなれなかったし。あっ、でもね、あちらに未練のある方が、こちらにとどまれるみたいですよ)
(富実さん、未練がないなどとおっしゃっては、ご両親様がお悲しみになりますわ。親というものは、子の健やかな成長、長生きを望むものですわ。ご両親様、そちらにいらっしゃるのでしょう)
(いえ、あっ、はい。え〜と、こちらにおりますのは私の義父母でして、私の実の両親は、こちらの世にはおりますが、別の墓地に。あの両親が、私の長生きを望んでいたとは思えませんがね)
(まぁ、わたくしなど、ロビンに先立たれるとは思いませんでしたのに。あら、申し訳ございませんわ。初めての方はご存知ないですものね。こちらにわたくしより先にロビンが入りましたの。赤子のままで。時折泣いておりますでしょ)
(七十前ですか。僕よりはよっぽど長生きですね。あっ、でも僕の方が年長ではある。僕は同じ十五年でも大正ですから)
(ほうっ、それはそれはお若くてらした。特攻隊ですか。私が小学生の頃は、大きい声では言えませんでしたが、戦前は、幼心にもあこがれの花の特攻隊。まぁ、戦後、口さがない母などは、特攻隊崩れは恐ろしいなどと申してましたがね。白いマフラーが風になびいて、でにっこり笑って手を振って、敵機に体当たりというのでしょう。で、どちらの海に)
(特攻隊ですか。学友にはおりましたがね。僕は結核で、昭和十八年にこちらに参りましたから)
(あっ、これは失礼いたしました)
(うわぁ、ユリ、聞こえちゃった。今、富実さん、ちぇっ、つまんない、ってお感じになられたでしょ。外面よくて、もしかして内面めちゃくちゃ。あら、外面よくないわ。なんだか慇懃無礼、ユリ、苦手だなぁ。江戸っ子らしくないっ)
(いやぁ、参りました。参った。慇懃無礼ですか。これは職業病みたいなもので。うん、たしかに、銀行に入る前の俺なら、大学の三年ぐらいまでなら、あはは、あれが俺の地なんだろうけれど、あれじゃぁなぁ)
(今、俺っておっしゃいませんでした)
(あっ、はい。俺。もうかれこれ半世紀使っておりませんでした。四年になる前ほどから、就職活動でね、それまでの俺にはバイバイして、う〜ん、慇懃無礼ねぇ。いやぁ、礼儀正しく、言葉遣いも身だしなみも周囲に合わせて、というよりも入ると想定される輝かしい我が周囲に合わせようと、まずは形から入った次第でして。その慇懃無礼と言われてしまった方の生活をそれから半世紀近く続けましたから、どちらが地なのか、いやぁ、俺も地かもしれませんが、私も地とも言えなくもなく。う〜ん......。あれっ、でも、皆さんだって、周囲に合わせる、いや、新しい環境に入る前には、そういう風になさりませんか)
(ユリはユリのままでしたっ。でも、もしかしたら、もし結納なんてしちゃってたら、あちらのご家庭に合わせたかもしれません。ユリなんて言えなくなって、カテリーヌさんやマサさんみたいにわたくし、なんて言ってたのかなぁ。うううん、きっとすぐにお母さんになっちゃってたと思う。で、虎ちゃんなんか、もう少し長生きしてたらお父さんって自分で言うようになってたかも)
(ユリちゃん、なんでそこで僕が出てくるんですか。僕は結婚のけの字も考えてませんでしたよ。上級生の誰それや近所の某がどこに入営したとか耳にしていた時代ですよ)
(わたくし、日本語を学び始めたおりに、わたくしと申すのが正しい日本語だと教えられたものですから。あっしや、わたしやあたしはわたくしが崩れた表現だと伺いました)
(仏蘭西語ならJe、英語ならIだけですな。まぁ、meというのもなくはない。つまり、日本語そのものが相手や周囲に合わせようとするのですな。階級制度とはやや違う。あるいは、自己消滅型文化形式。我が輩が我が輩と申すのも不味いのやもしれぬ)
(ロバートさん、我が輩をおやめになったら、どうするんですか)
(小生なんてのはいかがでしょうか)
(小生、あはは古くさい。ですが我が輩よりは新しいのでしょうか。いや、我が輩が古すぎると言う訳ではなく、これはこれは失敬いたしました。う〜ん、何を言っても難しい。ここの世に慣れるのは大変そうだ。義父は小生と言うのが口癖でしたよ。義父は、う〜ん、あれだけの人物でありながら威張らず、小生殿には私など足下にも及ばず)
(古くさい、ですか。しかし我が輩、たぶんにトミーさんの義父さまと同年代、いや我が輩の方が先に生まれているのではないですかな。う〜ん、やはり我が輩で参りましょう)
(義父さま、そちらのお墓でご一緒でしょう)
(はい、もう私、ずっと、頭が上がらなくて。この墓にも入れてもらいましたが。というよりも、ここにしか入れませんでしたしね。でもきっと苦虫を噛み潰してる、いや、義父なら苦虫も噛み潰さず、大らかに、ですよね。お義父さん)
(......)
(そちらのお墓からは今までどなたもお話になったことないのですよ。物静かな方でいらっしゃって)
(ですのっ。私もマサが来るまでは物静かでしたのっ)
(私が墓参りに来てもたしかに義父は何も語ってくれなかったですね。というよりも、皆さんのお声も全く。墓に入るとこんなに近所付き合いがあるなど、想像もしてませんでした。いやぁ、よかった。実家の墓に入っていたら、近所付き合いはともかくも、家族付き合いだけでどっと疲れる。ここの墓に入れて貰って、お義父さん、ありがとうございます。いや、入れてくれたのはあちらの世にいる嫁と娘と娘婿に感謝せねば)
(まぁ、お墓に入るのが大変でしたの)
(ええ、はい。俺、いや私、末節を汚しましたので、いやぁ、末節どころか、中節から汚しっぱなしでしたから、義父と嫁には苦労かけました。入れてくれなくとも、無視されても当然でしたから。う〜ん、中節で、地が出てしまったんですね。やはり、地はものを言う、言ってしまった、地なのか血なのか)
(血、ですか)
(血は争えぬと言うでしょう)
(DNAですか。最近彦衛門さんがお好きな)
(いや、その、訳のわからない何かが私は好きというわけではないですのっ。ただ、いろいろと、死人が誰だかわかるそうですからのっ。警察の仕事に役立つとのことでしたからのっ。私の時代にあったならば、さぞかし便利至極と思う次第でしてのっ)
(ユリ、思い出しました。ほら、この前、彦衛門さんとマサさんがご旅行なさってらした時でしたっけ。ほら、おまわりさんがいらしてて)
(ほうっ、こちらではご旅行もできるんですか。それはそれは)
(はいはい。僕など最近はあちらの世の方の肩に乗らずとも、思いだけで孫のところに行けますよ)
(ユリもね、憑く方が簡単だと思ってたの。でも、肩に乗るのも結構楽ちん。ロバートさんなんて、あれっ、虎ちゃんもでしたっけ。犬にも乗るのよぉ)
(ほうっ)
(でね、彦衛門さんとマサさんなんか、どなたにも乗られず、っていうか勝手に引っ張られたんですって。で、フワッ〜スゥッ〜って、播州まで旅なされたの。まだ、ユリはそこまでできないんですけど)
(わたくしも、頑張れば仏蘭西まで旅できるのでしょうか)
(え〜と)
(カテリーヌと申します)
(カテリーヌさん、飛行機にお乗りになれば)
(でも、それも怖くて。それに、飛行機には憑けるのかしら)
(飛行機まで行くのも大変ではないでしょうか)
(ですわねぇ、虎さん)
(たしかに。飛行機に乗るには成田、いや、また羽田からも乗れますが、搭乗前手続きに時間がかかりますしね)
(それ、何でしょう)
(いや、チケットを買ったり席を予約したり)
(新幹線も同じですのっ)
(彦衛門さんでしたか、え〜と、服装から随分ご年配のようにお見受けいたしますが、新幹線の開業はえ〜と、オリンピックの頃で、つまりもうかれこれ半世紀前、まだあちらの世にいらっしゃいましたか)
(まだ、とはなんとも。いや、もうおりませんでしたのっ。私は何しろ日露の戦までしか知りませんですのっ。ご隠居さんやこちらの面々にお伺いいたして、その後に大戦が二度もあったそうでのっ。驚いておりましたからのっ。しかし、新幹線というものには、摩奈が生まれる前に初めて乗りましたし、つい先日も播州からの帰路に乗りましたからのっ)
(飛行機の場合は、その、買ったり予約したりという以外にも、搭乗前の荷物検査や身体検査がありますから、時間がかかるのですよ)
(荷物検査や身体検査ですかのっ。なにゆえに。おっ、わかりましたのっ。不審な輩の人相書きが手配されているのですのっ)
(不審な輩ですか。いや、あっ、まっそうかなぁ)
(だんなさ〜、先日新幹線に乗りました時、不審な輩の人相書き手配、ございましたかしら。わたくし、気付きませんでした)
(いや、あるにはあったのですのっ。駅の掲示板に、人相書きではなく、流石今のあちらの世では筆の絵ではなく写真、それも総天然色のでしたがのっ)
(でも、荷物検査や身体検査など、朝子は、いえ、朝子はもうこちらの世の人間ですが、綾子も摩奈も身体検査など受けておりませんでしたわ)
(女子は免除ですかのっ。いや、しかし、入鉄砲に出女。女とて女子が行えばよいのですのっ。はてさて)
(それに、ほら、綾子の連れ合いも、別に何も)
(手配書きとは違う人相だったからではないのですかのっ。いや、しかし眼鏡に鬘に髭と変装はできますしのっ)
(あの、そういうことではなくてですねぇ)
(はいっ)
(飛行機には持ち込んではいけないものがあるんですよ。あっ、みなさまについ合わせてしまい飛行機と申しておりますが、今時、飛行機と言うのはこどもぐらいで。航空機と言うんですよ)
(そうなんですか)
(たぶん。ニュースなどではそう言ってますし、それに、サイトなどでも)
(斉藤さんって、有名な方がいらしたんですか)
(斉藤さんっ。いえ、さいとうではなくてサイトでして。え〜と、皆さんパソコンはご存知でしょうか)
(この前の嘉徳氏の所の法事で、こう、黒い画面の上で親指と人差し指をつけたり広げたりしてという、あれですかのっ)
(ああ、それは、私も触ったことはなくて、それはタブレットと呼ぶもので、まぁ、パソコンと似ているのですが、いや、まぁ、サイトの説明には同じことか。えっ、はい、そのタブレットの場合、指で突くと別の画面が広がりませんでしたか。あの、開くページ、え〜と、開いた画面をそれぞれのサイトと呼ぶんですよ。え〜とパソコンをご覧になった方は)
(ユリ、お花屋さんで見ました。洋風のお好み焼きを注文してました。あれも斉藤さん家ってことなの)
(いや、斉藤さんの家ではなくて、え〜と、また別の画面を開いたらその画面は別のサイトで)
(今、あちらの世では斉藤さんが増えたんですか。うわぁ斉藤さんってご子孫がたくさんいらっしゃるんですね)
(いえ、そういうことじゃなくて。え〜と、タブレットやパソコンで開く画面は、例えば商店街にあちらのお店やこちらのお店があるのと同じで、つまりお店みたいな)
(うわぁ、お店がみんな斉藤さんなんですか。それって、八百屋さんも乾物屋さんも小間物屋さんも、みんな斉藤さんなんですか。すごぉい)
(いや、そうではなくて。ちっ、困ったなぁ。知らない人には見えなくて、見えない人には理解ができないってことの証明をしてくれているみたいな人たちだ)
(トミーさん、拝聴いたしました)
(あっ、すみません。まったく)
(今のも、ユリ、聞こえました。しょうがないでしょ。わからないんだもの。パソコンってのは見たことあっても、触れないし)
お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。
門松や冥土の旅の一里塚
門松も見かけなくなりました。
よいお年をお迎えくださいませ。