第十話 セミテリオの新入居者 その一
(♪あっちいってちょんちょん、こっちきてちょん♪)
(ユリちゃん、それ、何だい)
(あっ、虎ちゃん、久しぶり)
(う〜ん、頭と目の体操をしてきた気分)
(あっ、ロバートさんと別れて、どこかうるさい所に行ったんでしょ)
(うるさい、たしかに。しかし刺激的で。僕の時代には遊技場も、いや、学生が行ってはいけない場所で、いや、祭りの射的ぐらいなら、しかし昨今の遊技場は音もさることながら、速度がね。目も頭もついていくのがたいへんでした。小さな映画の中で自動車を運転したり、人形を格闘させたりとめまぐるしいこと。まぁ、ロバートさんよりは若さ故に耐えられたが)
(小さい活動写真だったのね。ユリ、行ってみたい)
(ははは、ユリちゃんの賑やかさなら負けないかも)
(久しぶりでも、やっぱり虎ちゃん口が悪い。口、ポンチードラドラ、トーナンシャーペイハクハツチュン、フンッ)
(支那語かい。ユリちゃんが麻雀を知っているとは)
(ああ、麻雀って言うんでしたっけ)
(えっ、ユリちゃん知らないで言っていたのかい)
(うん、知らないの。この前、虎ちゃんがいなかった時にお話に出ていたの。で、この ポンチードラドラ、トーナンシャーペイハクハツチュンって、面白いでしょ。だから覚えちゃった)
(それは麻雀という四人でする博打の役と牌の名前で、最後の部分は東、南、西、北、白、碧、赤でね、まぁ、僕も遊んだことはないんだが、悪所通いの上級生からの耳学問)
(ふ〜ん、何かこの前もどなたかがおっしゃってらしたけれど、それよりも音が面白いからだけで。あっ、虎ちゃん、それで、 ♪あっちいってちょんちょん、こっちきてちょん♪は知ってるかしら)
(それは、麻雀ではないね。マサさんから教わった唄かい)
(え〜と、マサさんじゃなくて、たしか夢さんが歌ってたの。ありさんの唄。可愛いでしょ)
(ふ〜ん、蟻ね。蟻がかわいいか。小さいものがかわいいならば、ダニやノミやシラミもかわいいことになる。女は救い難し)
(フンだっ。すぐそういうこと言うんだから。虎ちゃん、じゃぁ、ありって字書ける)
(虫に義理の義だろ。書けるに決まってますよ。僕はね学徒だったのです)
(フンだっ。じゃぁ、ありが十匹でなんて言うか知ってる、知らないでしょ)
(蟻が十匹、蟻一、蟻二、蟻三、蟻四、蟻五、蟻六、蟻七、蟻八、蟻九、蟻十、九九ってわけはないし、まさか、あああああああああありりりりりりりりりり、ありありありありありありありありありあり、早口言葉かい。それとも、蟻が一匹、蟻が二匹、蟻が三匹、蟻が四匹、蟻が五匹、蟻が六匹、蟻が七匹、蟻が八匹、蟻が九匹、蟻が十匹、眠れない時に数えるとか)
(違うもん。ふふふ、わかんないでしょ)
(ああ、もしかして、蟻が十匹で何を言う。蟻は話さないから何も言わない、ってのが正解だろう)
(ふふふ、違うもん)
(我が輩も分かりませぬ)
(あら、ロバートさん、あのお話の時、いらっしゃらなかったですか)
(ええと、どの話ですかな)
(彦衛門さんとマサさんの播州のお話)
(播州の話とは播州皿屋敷なら僕も知ってるよ。ユリちゃん、あれは蟻ではなく皿を数える)
(あれは、播州ではなく番町でござろう)
(そうそう、番町の井戸から幽霊がってのでしょ)
(いやぁ、播州だったと僕は思いますが、ロバートさん)
(番町に播州藩のお屋敷があったかもしれないじゃない)
(番町はたしかにお屋敷が多かったですな)
(赤穂浪士の赤穂藩が播州藩でしたね。だとすると、増上寺の近く。番町とは場所が異なる。宮城の東西になりますね)
(あのね、ロバートさん、虎ちゃん、番町でも播州でもどっちでもいいの。ユリが虎ちゃんに出したなぞなぞは、ありが十匹でなぁに、だったの)
(ああ、それね、ユリちゃん、降参)
(ふふふ、学徒でも知らないんだぁ。あのね、ありがとう)
(僕は礼を言われる様なことを言いましたっけ)
(まさかぁ。そうじゃなくて、ありがとう)
(えっ、なぜありがとうと言われるのか)
(だからぁ、ありがとう)
(えっ、ユリちゃん、大丈夫かい)
(虎之介殿、我が輩には判明いたしましたな。ユリさん、なかなかやりますな)
(ふふふ、でも、考えたのはユリじゃないの。ほら、ロバートさん、この前、彦衛門さんとマサさんがお話しなさってた播州のお家の高等学校生がおっしゃってたそうです。でも、虎ちゃん、まだわかんないの、うふふ。同じ高等学校生でもわかんないんだぁ)
(虎之介殿。とんちですよ。とんち。だからありがとう)
(えっ、ロバートさんまで、僕にお礼をおっしゃるのですか)
(虎ちゃん、そういうのをね、真面目に糞が付くっていうんだから)
(糞の話題なら、私も加わりたいものですのっ)
(彦衛門さん、もうお元気なご様子)
(いやぁ、実の所、まだ気は旅の途中のような、ややふわふわしておりますのっ)
(わたくしも、まだスゥッ〜フワァ〜。気の本体はこちらに戻りましても、まだまだ。年ですわ)
(糞をひねっておった頃でも、身は戻れども魂は旅の途中ということがよくありましたのっ)
(今では全身が気ですものね)
(ねっ、ねっ、虎ちゃん、ほら、あそこにもありが十、いえもっとたくさん。ねっ、♪あっちいってちょんちょん、こっちきてちょん♪しているでしょ)
(確かに)
(今日も虎さんはユリさんにやられてますね)
(ご隠居さん、ユリちゃんは最近のあちらの世の風潮にどんどん染まってきて、困ったものです)
(まぁ、世の中女性を立てておけば、家庭円満とも申しますよ)
(嗚呼、そういう世になったのですか。僕の頃は、男を立てるのが家庭円満だった筈)
(まぁね、威張りたがりの男の言いなりになったふりをしていた女性の方が賢かったのかもしれませんがね。それだって、結局は女性に操られていたとも言えるわけですから。それに、ほら、それこそアリは、ハチと同じで、女王は産む、他のアリは生まれたら女王と巣と子育ての為に働くのですね。虎さん、世の男性と同じとも言えませんか)
(男は外で働き、女は家で働く、確かに、私も同意しますのっ。しかし、女に操られていたとは思いたくないですのっ。マサ、お前は私を操っていたのかのっ)
(まぁ、だんなさ〜、そのようなはしたない。いえいえ、わたくしはだんなさ〜を大切に思っておりましたわ)
(うらやましいですわ。夫はわたくしを異国の冷たい墓の中に置いて、欧羅巴に帰ってしまいましたのに)
(カテリーヌさんはご主人さまの女王様だったのかしら)
(あちらの世におりました折は、たしかに)
(カテリーヌさん、一時と言えども、女王になられたのですな。我が輩は姫君を女王にする前にこちらの世に来てしまいました)
(僕は、女王などいりませんが、姫君にも出会うことなく)
(ユリ、女王になりそこないました。女王になりたかったなぁ)
(ユリちゃん、相変わらず何にでもなりたがる)
(虎ちゃんは、男だから女王にはなれないもんね。うふっ。働くばっかり)
(この前どこかでユリちゃん言ってただろう。女が働ける時代っていいなぁって。あれは)
(だから、女王になって、どんどん産むの。産むってお仕事するの)
(産むことは仕事ですか。ふむ)
(ご隠居さん、何かおっしゃりたいみたい)
(たしかに産むのは仕事と言えなくもないでしょうねぇ。アリもハチも数えきれない程卵を産んで、しかも寿命は働きアリより長いそうです)
(身につまされる話ですのっ)
(ほら、あそこ、♪あっちいってちょんちょんこっちきてちょん あいたたごめんよそのひょうし、ありさんとありさんがごっつんこ♪)
(マサさま、このお唄面白いですよね。先日教えてくださってありがとうございます。ユリ、これ大好き。ほら、ここならアリさん、毎日見られますし)
(いえいえ、わたくしではございません。先日まで存じませんでしたもの。夢さんがお歌いになってらしたのですよ)
(そうでしたっけ。いつもお唄はマサさまだと思ってました)
(あの、アリとアリがぶつかっているのって、戦なのでしょうか。殿方は戦がお好きでしょう。ですから寿命が短くなるのではないでしょうか)
(あれは、たぶん、情報交換しているのでしょう。あっちには美味しいものがあるよ、とか。でも、カテリーヌさん、良いことおっしゃる。戦が好きだと戦死する。あはは、僕は平和主義者ですから長生きしたのでしょう。おっと、すると今の日本が世界一の長寿国というのは、日本人が平和主義者だということのあらわれですかねぇ)
(日本は世界一の長寿国なのですかのっ。たしかにご隠居さんは長生きでしたのっ。しかし、私は長生きできませんでしたのっ。維新前後で戦死しなかったものののっ)
(だんなさ〜は、病に負けたのですもの。薩摩の生活を続ければよろしかったのに、維新の後の贅沢で)
(贅沢は敵とはそういうことでしたか)
(あはは、虎さん、それは戦前の言葉、彦衛門さんの頃には言われてなかったでしょう)
(いえいえ、質素倹約質実剛健は武家では当然でしたわ)
(しかし、マサのっ、目の前に馳走があれば、据え膳食わぬは武士の恥とも申しますのっ)
(お爺ちゃん、何の病でこっちの世にいらしたんですか)
(虎之介殿、私は貴殿の祖父ではないのですのっ)
(はいはい、彦衛門さん、で、何の病で)
(飲水病でしたのっ。蜜尿病とも言われましたのっ)
(糖尿病でしたか)
(糖尿病って、ありが寄って来るって本当なんですね。だって、さっきから彦衛門さんの方にばかりありさんが行く)
(まさか、気になっても甘いのですかな)
(ロバートさん、いくらなんでも)
(いやぁ、こちらの世に来てから、不思議なことが多数ありますからな。蟻が甘い気に寄って来ることもありえそうですな。烏や蝙蝠が墓場に付き物同様、蟻もなのですな)
(たしかに今日も、あちらでカァ〜)
(こちらでコルネイユ)
(そちらでクロウ)
(地面に蟻さん)
(薄暮にゃ蝙蝠羽ばたく、我らがセミテリオ)
(え〜と、初めまして)
(えっ)
(どなたでしょう)
(どちらに)
(こちらです)
(あっ、お爺ちゃんの後ろの方、左斜め後ろ)
(おっ、こちらこそ初めましてですのっ)
(いつこちらに)
(はい、数日前に)
(ご自分が墓入りなさった日を覚えてないのですかな)
(いやぁ、そのぉ、ここのところしばらく、月日も曜日も気にしない生活を送っておりましたので、申し訳ございません)
(あのぉ、失礼ですが、どちら様)
(あっ、申し遅れました。私、富実と申すものでございます。こちらの世界がこの様に面白い所とはとんと存ぜす、先程来みなさまのお話に耳を傾けさせていただきまして、ぜひ私も参加させていただきたく存じ、ご挨拶させていただきました)
(なんだか堅苦しいご挨拶。ユリ、苦手です)
(ユリさんとお呼びしてもよろしいでしょうか。私が至らぬばかりに、ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません。え〜と、どのようにお話しすればよろしいでしょうか)
(何か、堅苦しいの。もうちょっと、こう、なんて言うか、くだけてくださったら)
(くだける、ですか。人生半分以上このような者でおりましたから。まさか最近のでお目にかかるのは、やはり初対面では体面もございますし、いや、最近の姿の方がもしかしたら思い出していただけるかもしれないのですが、やはりあれでも内面が変わったわけではないですし、いや、でもやはり、え〜と、くだける、くだけていたのは学生時代。しかし、いやぁ、あれはまずい、う〜ん......)
(何をぶつぶつおっしゃってらっしゃるのかな。まぁ、僕もぶつぶつ言いますが、ぶつぶつはあちらの小言幸兵衛偏屈爺さんの特許。世間体などないこちらの世界。体面など
気にしなくて良いのですよ)
お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。