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第九話 セミテリオから何処へ その三十二


(で、やっぱりユリにはわからないお話ってことですか)

(いや、その、結婚しなくとも結ばれれば子はできる、ということで)

(あっ。そんなのだったらユリだって知ってますっ。男の人と女の人が一緒に住んでいたら、子供ができるのって、当たり前でしょ。なぁんだ。結ばれるってそういうことですかぁ。あら、でも、マサさまか彦衛門さま、先ほど、摩奈さんは、ご結婚なさってらして、お子様が出来たことをご仏壇に向かってご報告なさってらした、っておっしゃいませんでしたか。で、どうしてそれが恥なんですか)

(だからですねぇ、ユリさん、ご結婚前にお子様ができたから恥だ、ってことなんでしょう。そうですよね、彦衛門さん)

(ですのっ。ご隠居さんは直截的ですのっ)

(わたくし、穴があったら入りたいですわ)

(もう入っておりますのっ)

(たしかに。吾等皆)

(これ以上入れませんかのっ)

(ですわねぇ)

(彦衛門さん、結婚というのは制度ですからね。しかし、結ばれる方は、まぁ、男と女がいれば、当然といえば当然。男女の仲や子作りまで管理しようとして制度を作るのが好きな人が古今東西いるだけのことですよ。管理したがる者達は、とかく民が従うことを求める。それが常識になって喧伝されるよう望む。いつの間にか、それが普通になってしまい、かくして結ばれる前に届けを出させる。届けの無いものを排除する。管理する側が排除する前に、普通だから、普通以外はいけないものだという常識が民に排除させる。さもなきゃ徴兵や納税はできませんからね。まぁ、管理がしっかりしていれば予防接種には役立つ。大量死はまぬかれる。民が死んだら税金も取れないし徴兵もできませんでしたからね。で死んだら死亡届を出さないと焼けない、埋葬できない。まったく、生まれる前から死んだ後まで管理する社会構造なんですよ。逃れたいと思っても他国に行くにも旅券が要る、査証が要りますしね。がんじがらめ。その点、今の僕たちは、自由自在、あはは。死んで楽になりました。つまりですね、彦衛門さん、彦衛門さんは、そういう社会制度の視点でとらえているから恥と感じてしまうだけのことですよ)

(ですがのっ、私の職業柄、法律というものは守られてしかるべきものでありましてのっ)

(彦衛門さん、結婚を届ける前に身籠ってはいけない、という法律は、ありましたかのっ)

(おおおっ)

(ははは)

(何か、恐ろしいご発言ですこと。でも、身籠ってからでは、ご結婚を渋る男性もいらしゃいませんか。先に身籠ってしまってから男性に逃げられたら、生活できませんでしょ)

(いやぁ、それもね、女は家をまもり、外では働かない、なんてのを常識にしたからでね。今のあちらの世はどんどん男女平等で、女も外でいくらでも働けますからね)

(だんなさ~、わたくし、何か、気が楽になったように感じます)

(私は、まだ・・・・・・なんとも、もはや世の終わりのような気がしておりますのっ)

(そりゃね、彦衛門さん、日本で社会が管理されたのを奈良時代頃からだとしても、もう千数百年ですからねぇ。ましてや彦衛門さんは、近代、明治の管理の頃をお過ごしでしたから、まっ、僕もそうなんですが、近代現代の管理体制はすさまじいですからね。しかし、人間の方は、管理とは無縁の動きもするわけですから。婚姻届の前に妊娠した場合、誰の子かわからない、というのは男側の論理でね。結婚していたからといって誰の子か、本当はわかりませんよね。DNA検査で今では誰の子なのかは明らかになるのですが、そういうもののなかった時代には、男側が自分の子だと確認できる手段が、婚姻届。女が結婚前に妊娠していようが、それが夫の子でなくとも、夫の子にできる時代があったとも言える)

(おっ、その何とか検査がまた出てきましたのっ。誰が誰なのか分かるだけではなく、誰が誰の子なのかもわかるのですかのっ)

(はい。ですから、法律の方が追い付いていないというか、ばかばかしい。今の法律だと、子の出生が、結婚届けや離婚届の何日以内とか何日以降とかで誰の子なのか規定しているようですが、その何日とは無関係に、男も女も結ばれるわけですからね、あはは。それにね、マサさん、彦衛門さん、今どきのあちらの世では、子ができることがどれほど稀有なことか。僕のところの玄孫、瑞円、瑞空、瑞海が生まれるまで随分かかりましたからね。それも体外受精。自然に任せて妊娠できたということだけでも、摩奈さんはご立派ですよ)

(だとしてもですのっ)

(彦衛門さま、まだ何かあるんですかっ、もう、ユリ、信じられない。玄孫さんがご結婚して身籠ってらして、あっ、身籠ってからご結婚なさって、おめでたが二つあって、それでもまだ、何かあるっておっしゃるんですか、何がそんなに)

(もしかして、摩奈さんのお相手がよほどお気にめさない、とかでしょうか。でも、それはどうにもしようがございませんでしょう。私たち、こちらの世におりますし、手も足も口も出せませんもの)

(いや、それは、まだ、その失礼な奴には会ってませんからのっ、お気に召すも召さぬも、その点では何も申しようがないのですがのっ。マサ・・・・・・)

(みなさま、摩奈がご仏壇の方に手を合わせて目をつぶり語っていたことはまぁ、それだけ、それだけと申すには、わたくしにもだんなさ~にも耐えがたく愕然といたしておりましたが、身籠っていることをご先祖様方々にご報告して、お腹の子が無事に生まれてきて、元気に育ちますように、皆さまおまもりくださいってお願いいたしておりました。摩奈がご焼香のお盆を綾子に回して、綾子は同じ様にご仏壇に向かって手を合わせ、目をつぶり、その時でしたわ。あの時にこちらから引っ張られて参りました時と同じような、何か吸い寄せられるような感じがいたしまして、だんなさ~とわたくしと、絵都と碧さん、朝子夫婦も共に、綾子の方に引き寄せられて、何か綾子の世界に入ってしまったんです。そこには、綾子だけではなく、わたくし共の他に、種類も大きさも色も違う猫や犬が何匹も遊んでいましたし、鳥が飛び、てふてふも舞っていて、色とりどりのお花が咲いていて、木々の緑が鮮やかで、小鳥が歌い、青い空、甘い香りの美しい世界でした)

(不可思議な、しかし乍、なんともやわらかい真綿に包まれているような。ですがのっ、馬がいななき、牛が草を食み)

(幸福感にひたっておりましたわ。朝子が、あら、私が戦前に飼っていた白、それに何とかとか何とかなどと猫や犬の名らしきものをいくつも申しましたし、碧さんは碧さんで、あの犬はたしか大連で隣の家が飼っていて、僕が可愛がっていた犬、絵都、何という名前だっただろうかなどと。それに、摩奈が生まれた時に朝子の家にいた犬らしき姿も。綾子の世界は、わたくし共がおりますこの世とは別の)

(しかも、今は私達が去りしあちらの世とも違う世界でしてのっ、何やら、獣や花や虫が渾然一体となった穏やかな世界でしたのっ。あの綾子の世界に入れたおかげで、摩奈の件で受けた衝撃が柔らぎましたのっ)

(摩奈さんがお生まれになった時にいらしたのは犬でしたわね)

(でしたのっ)

(で、呼び鈴が鳴って、犬が吠えて、で、マサさまと彦衛門さま、こちらの世にお戻りになられたのでしたわね)

(カテリーヌさん、覚えてらしたのですね。ありがとうございます)

(摩奈さんて、すてきなお名前でございましょ。ですから。で、あのぉ、朝子さんは、犬を飼ってらしたのに、その前は猫を飼ってらしたのですか)

(私は知りませんのっ。何しろ絵都が結婚したこととて、ましてや再婚したことを知らぬのですからのっ。マサは知っているのかのっ)

(わたくしとて、朝子が結婚した頃は、もうこちらの世でしたもの)

(あっ、ユリわかりました。もしかして、カテリーヌさんって、ユリと同じで、犬と猫を両方飼うって不思議なんでしょ)

(はい、そうなんです。何となく、犬を飼い続ける方と猫を飼い続ける方って、分かれているように感じておりますの)

(僕など、職業上というのもありましたが、どちらも飼いませんでしたしね)

(我輩もですな。犬も猫も大して違うとは思いませぬな)

(いやあ、違いますのっ。猫は食えないが、犬はそれなりに旨いですのっ)

(いえ、その、彦衛門さま、食べるためではなくて)

(猟犬ですかのっ)

(番犬でしょうか)

(猫でしたらネズミ取り用かしら)

(いえ、あのぉ、ただただ可愛がるために)

(可愛がるために飼うのですかのっ)

(望は、可愛がるために飼ってますわ。犬猫のみならず、いろいろと。あの時に彦衛門さまがいらして望の部屋をご覧になってらしたら)

(あはは、さぞかし大変でしたでしょうね)

(何しろ我輩などマック君に乗ってましたからな。彦衛門殿に食われかねなかったですな)

(マック君とは、時折ここに洗われる黒い犬のことですのっ。いやぁ、あの犬は美味しくはないですのっ)

(望に聞こえなくてよかったですわ)

(ごめんなさいね、夢さん)

(それじゃあ、もしかして、綾子さんの世界で彦衛門さんが楽しめたのは、おいしそうな動物がたくさんいたからでしょうか。牛も馬もいたのでしたわね)

(いやぁ、カテリーヌさん、牛馬は、昔は滅多に口にするものではなかったですからのっ、牛馬は旨そうには見えなかったですのっ。そのぉ、そういうことではなくてですのっ、こう、何と申すか、虫も花も牛馬も犬猫も皆、穏やかで楽しそうで、ということでしてのっ。先ほども申した様に、私もいたあの世界で見せたのと同じ、うっとりとした綾子は、にっこり微笑んで目をつぶっていたのですからのっ。随分長い間だったのやもしれませんのっ)

(で、ふと気付くと、わたくし共、また、嘉徳氏のお宅のご仏前におりましたの。で綾子はまだ目をつぶって、微笑んでいるんですよ。きっと綾子はまだあの幸せな世界の中にいたのでしょう。でも、あちらの世の方々が、皆さまざわざわなさり初めて、それでも綾子は目をつぶったまま微笑んでおりました。で、綾子の連れ合いが、綾子をつついて、綾子がやっと目を開けて、あわててお盆を連れ合いに回しました)

(あれは、何ともいい気分の世界でしたのっ。何と申しましょうか、こう、綾子が私たちと交流できた世界とでも申すのですかのっ)

(彦衛門さま、何か、他のお話をなさって、お話をそらしてらっしゃいませんか)

(ユリさん、折角マサさまと彦衛門さまがお幸せなお話をなさってらっしゃるのに)

(でも、ユリ、やっぱり気になりますぅ)

(いやぁ、話をそらした訳ではなくてですのっ、あの時に、私とマサ、それに絵都夫婦、朝子夫婦が、綾子の世界に入ってしまったことがですのっ、私共を余計に苦しめることになってしまったのでしてのっ、ここを省いてしまう訳にはいかないのでしてのっ)

(ですわねぇ。あの時に綾子のあの楽しい世界に入れてなければ、後で苦しむことにはならなかったでしょうねぇ。ユリさん、もう少しお待ちくださいな。でね、ご焼香のお盆が一巡し、お坊様のお経も終わり、お清めのお食事の折に)

(おおっ、あの折詰はすばらしかったですのっ。味わえないのが目に毒でしたのっ。山奥とまでは申さぬとも、山の幸のみならず、海からは大層離れた地で、刺身が何点も)

(お食事のお支度大変だったでしょうに)

(お茶と、おつゆだけご準備なさってらして。折詰は、どこかから届けていただいてました。皆さま、お食事をお召し上がりになりながら、ご仏壇のご先祖様のどなたのどういうご係累で、今はどこにお住まいで、何の仕事をなさってらっしゃる等々お話しになったり、お名刺の交換をなさったり、あの持ち歩かれる小さいお電話を出されて、お電話どうしを突き合わせるようになさって、あれで、何か、ご連絡先が伝えられるそうで。気味悪かったですわ。わたくし共四十名もそれぞれのご係累のお傍にいらして、あちらの世の方々もですが、こちらのわたくし共も、互いにどういう関係だったのかと、おしゃべりいたしておりましたの。わたくし共には、こちらの世の方々と、あちらの世の方々の両方の声が聞こえますでしょ。大層にぎやかでしたわ)

(で、何しろ皆さん久しぶりに会う方々が多かったですからのっ、中には家系図のような物をお持ちの方もいらして、こう、生年月日などが書いてあるわけでしてのっ、摩奈と綾子に、もうそろそろご結婚ですか、お相手いらっしゃらなかったら、ご紹介しましょうか、などと尋ねる者もいらしてのっ)





お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。

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