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第九話 セミテリオから何処へ その二十八


(だんなさ~、あきらめてお話し続けましょう)

(マサ、しかしですのっ)

(わたくし共がどうこう思おうと、世の中変わっていくのですから)

(ふぅ。しかし、ユリさん、長くなりますのっ)

(長くたって構いません。どうせ退屈なセミテリオの日々なんですもの)

(さようでございます)

(まぁ、カテリーヌさんまで)

(申し訳ございません。でも、あの時のお話、ほら、マナさんがお生まれになった時も長く、え~と、どこでしたかしら)

(京都ですわ。わたくし共の孫の朝子の実家に滞在したことでございましょう。あの時も、三か月ほど京都におりましたから、あの時に比べれば短かったですわ)<音天より:第一話をご参照ください>

(はい、いえ、あの、いらした長さではなくて、あの時のお話はそれほど長くはなかったではないでしょうか)

(はい、確かに)

(しかし、カテリーヌさん、あれは何度も話した話、それに、もう大層前の事ですからね、まとめられるのでのっ。今話しているのは、なにしろつい先日の事ですからのっ、まだ、いろいろと生々しくて、いや、そりゃ私は生ではないのですがのっ、まだまだ衝撃から立ち直れませんでしてのっ)

(衝撃……ですか、何かに衝突なされたのですか)

(いや、その、つまり、衝突されたような一件がありましてのっ)

(何をもったいぶってらっしゃるのでござろう。吾輩こそ衝撃でこの世に参ったもの。既にこの世に参った吾等に今更衝撃など)

(何か気に病んでらっしゃるのですか。気に病んだとて、こちらの世では何ができるわけでもなし、お話しなさった方がすっきりなさる)

(でも、ご無理なさらなくとも)

(ですわねぇ。え~と、そもそも、嘉徳氏のお宅での久しぶりの法事ということで、数日前には準備の手伝いに広島で夏休みの、何でしたっけ売戸とかいうものをお休みになって舞さんが戻ってらして、舞さんとお母さまが茶器を出してお洗いになったりあちらこちらお掃除したり、高校生の修さんがお父様とお座布団を出したり高いところの拭き掃除なさってらして、わたくしと同年齢ほどの、あら、今のわたくしの見かけのでしてよ、あちらの世に生まれてからの年ではなくて。その久子さんは、ご仏壇周りを丹念にお掃除なさったり、あちらこちらのお部屋の花瓶にお花をいけたり。そうそう、その少し前には植木の剪定に職人さんがいらして、何しろ大層お広いお家のぐるりですから、数日かかってましたわ。お家の中も、何かみなさん忙しそうでした。嘉徳氏ご夫妻やわたくし共およそ四十名は、お掃除をお手伝いもできず、東京に戻る術もなく、ただただ青い畳の香漂う白い障子の仏間で手持無沙汰に、嘉徳氏や奥様のチヨ子さまにご案内されてご近所を散歩するくらいでしたわ。チヨ子さまがあちらの世にいらした時には、毎日ご仏壇の次にお供えなさってらした隣の神社をご案内いただいたり、嘉徳氏が亡くなられた用水の側を散策したりでしたの。で、法事の日、お車をご自分で運転なさったり、え~と賃貸しの車)

(タクシーですのっ)

(そうそう。タクシーでいらしたり、にぎやかになって参りましたのよ。御当家の方々も、いらっしゃる方々も、法事ですのに、みなさまきちんとなさったお服ではなくて、驚きましたわ)

(しかしですのっ、我らとて、たいした服装ではなかったですのっ)

(あら、わたくしどもは、そもそも、御法事に参るなど存知ませんでしたし、あら、でも、そうですわねぇ。あの時に、きちんとした服に着替えようと思えば、着替えられましたのね。ついつい、いらした皆様と同じになってしまいましたわたくしもわたくしでしたわ)

(御当家の方々が、いらした方々とご挨拶なさったり、歓談なさってらしたのっ。来訪者が玄関にいらっしゃる度に、嘉徳氏が、誰それのご実家の誰それとやら、誰それの孫のところの何番目のお子だのとおっしゃってましたのっ)

(わたくしどもの中には、あら、あの方、あなたのお姉さまのところの甥御さんですよ。まぁ、あなたの姪御さんのご結婚相手がこちらの先代の方の従兄弟さんのようですわ、などとおっしゃったり、どうしてはるばる東京からこちらのご法事に参ることになったか、おわかりになる方もいらして。でも、だんなさ~もわたくしも、まだ、ご関係がわからなくて。その内、存じ上げる方がいらっしゃるのかと、玄関にどなたかがいらっしゃる度に、心はずませておりましたのよ)

(その時でしたのっ。絵都が、まぁ、朝子ですわ。あなた、朝子ですわ、と碧さんに申してのっ)

(朝子は、わたくしを見て、まぁ、おばぁさま、お母さま、お久しぶりです。お先にいらしてたんですか。よくこちらがおわかりになりましたね、とご挨拶なさいましたの。絵都が碧さんを、わたくしがだんなさ~を朝子に紹介して)

(まぁ、お爺さまどころかお父様もご存知なかったのですか)

(ですのっ。私は孫の朝子が生まれた時には、もうこちらの世におりましたからのっ)

(碧さんは、朝子が二歳になる前に、面庁で亡くなってますのよ。朝子は父に抱かれた記憶がぼんやりとあった様ですが、お顔はお写真だけだと申しておりましたわ。絵都がよくこぼしておりました。もう一人産んでくれ、お襁褓を僕が換えるからと言ってたのに、まだ朝子のお襁褓がとれないうちに外地で亡くなってしまって、と)

(面庁ですか。懐かしい。昔は面庁で死にましたからね)

(今は、死なないのでしょうか)

(戦後はペニシリンや抗生物質でね。治るんですよ。もっとも、最近は耐性菌が増えましたがね)

(今は面庁では死なないのですか。よい時代になったものですわ。絵都がここにおりましたら、さぞかし悔しがったと思います。あの娘は、今でも碧さんをとても慕っておりますもの。あちらの世でもっと長く一緒にいたかったことでしょう。今度も、こちらにも一緒に戻って参りませんでしたでしょ)

(そういえば、ご法事の前に、嘉徳氏と歓談中に、碧さんが大連で亡くなったことをご自分で語られた折に、嘉徳氏のご家系のどなたかも大正の中頃に外地で亡くなられたと語られてましたのっ。どこでしたかのっ)

(慶尚南道とおっしゃってましたわ。朝鮮の。チフスでご一家全滅で、どなたかが遺骨をお引き取りにいらしたとか)

(チフスですか。こりゃまた懐かしい。戦前は、チフスは怖い病気でしたからね。まぁ、今でも怖いことは怖いが、珍しい)

(チフスも、珍しくなったのですか。まぁよろしゅうございます)

(戦前はね、腸チフス、パラチフス、あと、ちょっと違いますが発疹チフス。致死性の伝染病ですしね。早めに隔離しないと、あっという間に広がる)

(朝子さんは、碧さんとこちらの世で初対面でしたの)

(そうなんですよ、カテリーヌさん。朝子がそこに参ったので、朝子は父親と祖父に初対面)

(あら、でも、朝子さんはこちらの世のお方ですよね。ユリ、わからないんですけど、こちらの世の方なのに、お玄関からいらしたのですか)

(朝子は、綾子に憑いて参りましたの)

(綾子さんは、嘉徳氏のご家系、いえ、そんなことないですよね。だって、綾子さんって、マサさんの曾孫、でしたっけ。ユリ、頭の中がごちゃごちゃ。えっ、でも、どうして綾子さんが嘉徳氏のお家のご法事にいらしたんですか)

(お分かりにならなくて当然ですわ。わたくしも、朝子が参った折に、朝子がどこかで嘉徳氏のご家系と関係あるのかしらと、謎でしたもの。でもね、綾子といらした綾子の連れ合い、え~と、だんなさ~、あの方のお名前、なんでしたっけ。ほら、摩奈のお父様)

(薔薇の花束を持って毎晩帰宅するおのこですのっ)

(まぁ、だんなさ~。薔薇の花束の話ではなくて、あの方のお名前)

(私には、薔薇の花束の話がひっかかっておりましてのっ。今のあちらの世では、そういうおのこがおるということに、驚嘆いたしましたからのっ)

(薔薇の花束、毎晩ですの。素敵ですわ)

(カテリーヌさん、大和のおのこが、左様な西洋かぶれなことを)

(あら、だんなさ~、わたくしも素敵だと思っておりましたのよ)

(存知てますのっ。マサが、素敵だと思ってるからこそ、私は引っかかっておりますのっ)

(あらぁ、だんなさ~)

(花を摘むだの花を飾るだの、おごじょのなすことですのっ。大の男が花を持ち帰るなど)

(だんなさ~もお持ち帰りになってらっしゃれば、わたくし嬉しゅうございましたわ。だんなさ~のお持ち帰りになられたのは、部下の方々。翌朝まで宴会でしたもの。わたくし、女中ともども酒の肴をお運びで、大変でしたわ)

(俸給も持ち帰りましたのっ)

(ユリ、うらやましいです。いいなぁ、絵都さんのご主人は、お襁褓を換えて、綾子さんのご主人は花束を買ってらっしゃるんですか。いいなぁ。で、嘉徳氏とはどういうご関係)

(最初は、嘉徳氏も訳がわからないようでしたが、ただ、そのお名前を失念した綾子のご主人の、つまり綾子の今の名字には心当たりがあるとおっしゃってました。それに、摩奈も、たいへんご無沙汰しております、と申しておりましたしね)

(え~と、嘉徳氏のご次男のお孫さんにあたるのでしたかのっ)

(そのようなお話でしたわね。で、摩奈が)

(で、そのぉ、マサ)

(はい、だんなさ~)

(マサ、やはり、この話はこの辺で)

(奥歯に物の挟まったような)

(ご無理にお話にならなくとも)

(ですのっ)


お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。


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