第九話 セミテリオから何処へ その二十五
(ユリさん、一人のこどもが生まれてくるには、そのこどもの両親が必要ですね)
(はい)
(ユリさんが生まれてくるには、ユリさんのお父さんとお母さんが必要でしたね)
(はい)
(ユリさん、ご兄弟は)
(弟がいます、いえ、いました)
(弟さんが生まれてくるには、弟さんのお父さんとお母さんが必要でしたね)
(はい)
(ご兄弟は弟さんだけですか)
(はい)
(すると、ユリさんのお父さんとお母さんは、お二人でお二人の子をつくられた)
(はい)
(これですと、ユリさんの世代と、ユリさんのご両親の世代では、二人と二人で同じ数ですね)
(はい)
(もしユリさんに弟さん以外にご兄弟姉妹がいらしたら、二人でお子さんを、例えば四人作られると、二倍になりますね。あるいは、ユリさんのお父さんがユリさんのお母さん以外の方と子を作られたら、ユリさんのお父さんには子が三人以上いることになっていましたし、例えばもしユリさんのお母さんがご再婚で、初婚の時にもお子を為してらしたら、ユリさんのお父さんとお母さんの世代とユリさんの世代では数が随分違って来る)
(ユリのお父さんとお母さんがそんな、辛いです。そういう両親じゃないです、静かですけれど、今もこちらで一緒なのに)
(たとえに使ってしまって申し訳ない。僕の言いたかったのは、男一人で何人作るか、その時のお相手の女性が何人いたか、あるいは、これを男と女を入れ替えてもよいのですが、つまり、必ずしも男も女も、お相手が一人とは限らないわけで、ですから、単純に計算するとおかしなことになるわけですよ)
(ハーレムというのがあったそうですな。日本の場合は大奥がそうだったという説と、いや、そうでもなかったという説も聞いたことがありますな。男にとって天国か、いや結構たいへんなのではともね)
(明治の中頃までは、妾がいるのは甲斐性があるということで勲章扱いされてましたしのっ)
(古今東西、子をほしい男はあちらこちらの女と番うのが常。金や権力があれば、側室をもうけるのも常だったような。まぁ、男であれ女であれ、様々な遺伝子と結ばれた子を作れば、どれかは次々世代そのまた次と繋がって行く可能性は高くなりますしね)
(下手な鉄砲数撃ちゃ当る、ですかのっ)
(だんなさ~。およしなさいませ。絵都とて、再婚したわけですし)
(そういえば、絵都にも初婚の折の子がいましたのっ。で、碧氏にも初婚の折の子が二人でしたかのっ。おっ、絵都を通して、私とマサの血は、一つ目で子、二つ目で孫、三つ目で曾孫、え~と四つ目が玄孫で、おっと、玄孫の名前は摩奈しか覚えておりませんがのっ、いや、摩奈の名前が出てきた私を褒めてほしいものですがのっ、そういやこの墓の方も、温の曾孫、つまり私の玄孫がが墓参りに、おっと、来ていませんのっ。けど、いるにはいるわけで)
(つまり、自分を起点にして遡って見ると、よほど家系図が代々しっかり伝えられていたとしても、往々にして母の名、妻の名はその父の名前や夫の名前でしか書かれておらず、その方々ののご子孫まではまず書かれていないわけですしね、数世代を経てしまうと、結婚相手がもしかしたら共通のご先祖であってもわからなくなってしまう。ですから、世代を遡っていくと、先ほどの二、四、八、十六、三十二、六十四、百二十八のどこかで同じ人が数えられているかもしれないわけですよ。で、逆に、自分を起点に将来を考えた場合、自分と夫ないしは妻との間に、こどもを何人生んだかである程度は栄えて行く様に見えても、病気や事故や災害や戦争で死ぬこともあり、家系が途絶えてしまうこともありますしね。そもそも、こどもができない場合も、特に最近は多々ありますし。ですから、自分に二人こどもがいたとしても、夫婦の二人で二人つくっても数は同じなわけですから、単純に それが二、四、八、十六と増えて行くとは限らない)
(私、三人産みましたのに、一人は死に、一人はこどもができませんでしたし、結局、私と主人の遺伝子を継いだ孫は、望だけですわ。先細りしました)
(僕のところも、僕は弟がいましたが、弟のところはこどもは二人、でも結局戦争と原爆で全滅したようなものでしたからね。で、僕は息子一人、その息子は娘一人、その娘も息子一人で、かろうじて継いでいって、で、曾孫のところはなかなか出来ず、あきらめておりましたが、人工授精で一気に玄孫三人。あはは、こういうこともあるものですよ。一人っ子というのは生き延びられるかという不安に加えて、次々世代ができないかもしれない危険性が高い、ひやひやでしたね。人間も動物である以上、子をなし、その子も子をなし、というのが、考えなくとも自然のことなのに、結ばれることすらなく、結ばれても子をなせないというのは、不自然なのですが、結ばれても考えて子をなさない場合、なぜそこで考えてしまうのでしょう、僕には不思議です。出会うだけでも奇跡、子ができるのも奇跡ということになるのでしょうか。まぁ、子の元の精子が卵子と巡り会うのはね、確かに、五千万とか二億分の一ですとこれは奇跡ですがね。世の中の半分が男で半分が女なのに、結ばれる相手に巡り会うのは奇跡ですかね。孫を抱くには、自分に相手がいて、相手とのこどもができて、そのこどもが相手に巡り会い、その相手とのこどもができて、孫ですからね、こりゃ、奇跡が四つおこらなければならないのですか。四つの奇跡、四つの難関。曾孫となりゃ、六つの奇跡、六つの難関。玄孫ですと八つの奇跡、八つの難関ですねぇ。ほうほう、玄孫が一気に三人。この腕で抱けはしなくとも、八つの奇跡、八つの難関を通り抜けて、目にしたのですねぇ。ほっほっ。自分が生まれてくるまでの数限りない奇跡や難関は意識したことなかったのですが、自分の子孫が生まれてくることは、ほうっ、奇跡と難関の連続なのですねぇ、ほっほっ。過去に遡って家系図を作るよりも、未来に引き継ぐ方が興味深い。いや、過去も未来も大切なのですねぇ。いや、しかしそうすると自分は何なのか。過去から未来への引き渡し、そこを如何に生くべきか。過去からのDNAを未来に引き継ぐだけの存在ではつまらない。いや、それぞれの現在という時点を如何に生くべきか、ふむふむ。ほっほっ)
(ご隠居さん、嬉しそうで、何よりです)
(我輩は耳が痛いですな。生涯、独身のままでしたからな)
(くすん。ユリもです)
(お二人の場合は、別に結婚しようとしなかった訳ではなかったのでしょう、ただお相手に恵まれなかった)
(ユリ、お見合いはしようといたしておりました。でも、こちらの世に参ってしまいましたから)
(我輩は、うむ。恵まれかけた折に殺されてしまいましたからな。ヒロさんとは無関係だと信じてるが。cherchez le femmeであろうか)
(女性を探してどうなさるのですか。ロバートさん、どうなさったのでしょう)
(おや、カテリーヌさん、この名台詞をご存じないですかな)
(名台詞、ですか。どうして)
(おや、本当にご存知ないのですな)
(えっ)
(Les Mohicans de Parisですよ。 Alexandre Dumas, pereの。お読みになってませんか)
(いいえ、あっ、はい、読んでおりません。巴里にいるMohicansってどなたでしょう。その方が主人公なのでしょうか)
(モヒカンって何でしたっけ。あっ、頭のてっぺんだけたてがみみたいに伸ばしているのでしたかしら。あっ、靴の)
(夢さん、それはモカシンでしょう。モヒカンは、アメリカのインディアンの名前ではなかったでしょうか)
(ご隠居さん、アパッチとかスーとか。懐かしいですわ。西部劇によく出て来ましたね。今でもいるのでしょうか。今でもアメリカでは騎兵隊とインディアンが戦っているのでしょうか。騎兵隊の白人が鉄砲撃って、頭に鳥の羽をつけていて入れ墨したインディアンは弓矢で応戦して、酋長がパイプくゆらしていて、インディアンは狡くて、鉄砲奪ったりして、でも最後はいつも騎兵隊が勝って、めでたしめでたし、っての)
(あはは、夢さんはお名前の通りの方ですね)
(ご隠居さん、ひどいですわ)
(私には全く理解できない話なのだがのっ、そのいんであんと騎兵隊の戰というのは面白そうですのっ)
(陰で陽ではなくて、印で餡なのですね。印をつけた餡と覚えればいいかしら。印度の餡の方が覚え易いかしら)
(インディアンです)
(言いにくいですわ)
(ですのっ。異国語は難しいですのっ)
(騎兵隊とインディアンの戦いは実際あったのですがね。確かに、インディアンは悪者だと、我輩も思わされておりましたな。まぁ、あの頃、黒人奴隷は馬鹿だから奴隷としてしか働けない、人以下だと、南部の白人が思っていたのと同じで、野蛮なインディアンは危険だから殺す)
(酷い話ですよねぇ。白人に刃向かうから悪者扱いされていたのですからね。元はインディアンが住んでいた土地に白人が後から入って行って、殺したり追い払うのですからね)
(しかし、戰というものはそういうものではなかろうかのっ。桃太郎とて都で悪さをする鬼を退治しに行って、宝を持ち帰るのではなかったかのっ)
(戰に勝ったら、そこの宝を持ち帰るというのは当たり前ではないですかのっ。いや、しかし、それは武士の道としては許されまじ。いや、しかし、徳川家は豊臣家をほぼ滅ぼしましたのっ。いや、しかし、ご維新の折、徳川は滅ぼされませんでしたのっ。しかしですのっ、あの宮城は徳川家のを奪ったのですのっ。やはり奪うものなのですかのっ。奪わねば、いや、奪いたいと思うから士気が上がるのではなかろうかのっ。命を賭して何も奪えないならば、戰う気にはなりませんのっ。いや、やはり武士としては、思う所、信ずる所がある故に戰に赴くのですのっ。いや、そもそも、敵が襲って来れば迎え撃ちますのっ。血が騒ぐものですのっ)
(血は、わたくしとて、騒ぎましたわ。今でこそ流れる血がなくとも、心は血を流しますわ。いえ、心が立ち向かってしまいますわ)
(女子とてそうなのですのっ)
(ええ、だんなさ~。女子とて、子達が、孫達が命を落とすやもしれぬと思えば、弓か薙刀を手にいたしましたでしょう)
(マサ、お前も、やはり士族ですのっ)
(私も、そう思っておりました。隣組の竹槍の練習やバケツリレーの練習など。でも、やはり戦争は嫌です。皆血走った目で、疲れた表情で、お兄さまやお父さまの戦死公報を受け取っても涙を見せることもできず、焼夷弾に追われたり、焼けこげたご遺体がごろごろ転がっていたりぶすぶす音をたてていたり、食べるものも無く、焼けたり濡れているきれはしを身にまとい声も枯れて座り込む幼い子達やご老人、もうあのような光景は目にしたくないですもの。どんなに正しいことが行われていないからといって、どんなに敵のすることが間違っていても、戦争は嫌です。人が死んで行くのを目にするのは嫌です。人は死んでいくものですわ。でも、他人の考えの為や他人のせいで死にたくはないですもの。お国のためと言う言葉、若かった私にはとても素敵に響きましたけれど、でも、でも、いやです。うまく言えないのですが、お国があって私達がいるのではなくて、私達がいるからお国ができたのだと、今は思っております)
お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。