第九話 セミテリオから何処へ その二十三
(嘉徳氏のところは、江戸の頃から代々庄屋のご家系だったそうですからのっ、私に比べれば滋味栄養に満ち足りて風采よろしかろうのっ)
(だんなさ〜、すねてらっしゃる)
(そりゃ、私とて、田舎とはいえ、それなりの家門でしたのっ。しかし、庄屋というのは米がありますからのっ。いやいや、武士は喰わねど高楊枝。いやぁ、やはり先立つものがなければ、鍛えるばかりでは風采は整わぬ。いや、やはり漢籍も大事ですしのっ。しかし、同じ条件ならば、田舎侍よりは侍でありながら農の民でもあられた庄屋の方が実入りがいいですのっ。いや、実入りを語っては武士の名が廃る、いや、しかし)
(彦衛門さん、葛藤なさってらっしゃいますね。比べても仕方ないですよ。江戸の頃はそう易々と仕事を選べませんでしたからねぇ。今の時代とは大分異なる。士農工商、表向きの身分差別。実際は農や工は蔑視されていたようなもの、商は士と身分は一見とても離れているように見えて、実態は互いに媚びへつらいみたいなものだったでしょう。で、士から偉いという言葉を取ったら、何が残るか、あはは。偉いというだけ。でね、ドイツ語には偉いに相当する言葉は、直訳すれば大きいでしかなくて、カテリーヌさん、フランス語ではいかがですか)
(あら、たしかに。大きい、ですわ)
(ロバートさん、英語もgrandでいいのではないですか)
(ご隠居さん、今日はロバートさんいらっしゃらないです)
(おっと、そうでしたね、ユリさん)
(ロバート、夫はたしか、greatを使っていました。意味は仏蘭西語と似てますでしょう)
(つまり、大きいという意味でしょう。そこに偉いというのとは違うニュアンス、え〜と、微妙な違いとでも申しましょうか、それがあるわけですよ。たしかに、大きいというのは小さいものに対しての力の差があるわけでしょうが、偉いという実態の無いものに実態をつけてしまった日本語があるわけで、まぁ、言葉と文化は相互作用があるのでしょうが、日本では偉いという言葉が一人歩きしてしまった。だから、いつまでも媚びへつらう、何かで偉かった人間は偉くなくなっても偉人にされてしまう)
(何をごちゃごちゃ言ってるんだ。馬鹿みたいに。俺は偉いんだ)
(あなた、失礼ですわ。ご先輩に向かって)
(いいんですよ、夢さん。その偉いというのにご主人は拘ってらっしゃる。ご職業をお離れになって、偉い人として扱われなくなって、お寂しいのでしょう。偉いという実態の無い言葉が固定概念になってしまってらっしゃる。僕は確かにご主人の先輩で、確かにご主人より年齢が上で、偉いと言われる立場になりがちですが、けれど、先に生まれたという事実と、だから僕の方がご主人より偉いということになるというのは、僕は好きではないんですよ)
(ご隠居さん、お医者さまですから偉い方なのでは)
(マサさん、世の中でそう言われがちだというのは僕もわかっておりますよ。けれど、僕は医学の知識を学んでいない人に比べて医学の知識が多いだけでしょう。知識の量や種類で偉いだの偉くないだの、誰が決めたのでしょうかね。知識が多けりゃ偉いならば、百科事典や、それこそ今のパソコンの方が偉いことになる)
(パソコンって何だったかのっ)
(わたくしも存じませんわ)
(もしかして、ユリがお花屋さんで見たあの機械のことかなぁ)
(そうそう、ユリさん、それですよ。それと、ほら、夢さんの所でお孫さんが触ってらした)
(ああ、あのえ〜と)
(そうそう、それそれ。あれもパソコン。つまり、彦衛門さん、マサさん、パソコンと言うのは、機械なのですが、世界中とつながっていて、世界中の知恵や愚痴を調べたければ調べられる物で)
(もしかしたら、だんなさ〜、あれのことかしら)
(あれとは何かのっ)
(ほら、法事の席で、お若い方々が集まって、こう、小さい黒い石盤のようなものの上で指を上下左右に動かしたり親指とつけたり離したりしてらした)
(おお、あれは機械だったのですのっ。黒の中に色とりどりの印があって、そこを押すと小さい印が大きくなってがにぎやかになる。しかし、あれは写真機ではなかったかのっ、あれをこう、目の前にかざして、動いている人々もすぐに写せてましたのっ。しかし写真機は小さくはならないものですのっ。私の頃より薄くはなってましたがのっ。まぁ、今の写真機とて、大して違いはなかろうのっ。私やマサも写せると面白いのですがのっ)
(そうそう、その機械ですよ。まぁ、機械そのものの地位が高いわけでもなし、あの機械を作るのには先人の知恵や努力が使われたわけで、機械が偉いのでもなく、機械を作った人達が偉いのでもなく、先人も作成者もそれだけの知恵を多く持ち、使えたということで。僕がこちらの世に来たすぐ後の頃でしたが、NHKの某がタクシー、あっ、賃貸乗用車のことですが、に泥酔して乗って、何かのはずみで運転手を殴ったというのがあってね、僕はがっかりしたんですよ。それまで、その某を結構気に入ってましたのでね。で、殴った時に、この運転手風情がとか言ったそうで。これなんかも、運転手、つまり昔なら駕篭担きだから、昔なら馬鹿にされていた商売だったかららしいのですよ。まぁ、某の苗字は江戸時代ならばお殿様の苗字、本当にお殿様の家系だったかどうかまでは知りませんがね。江戸時代の身分差別が江戸が終わって百年以上経っても意識の底にあったということでしょう。だから、今でも、百姓や商売人は馬鹿にされるという文化が、まだあるわけですよ。でも、例えばユリさんのご両親、いえ、お父様だけですか、お店を経営なさってらした。お店を経営するには、仕入れや販売や、店員、いや、ユリさんの頃ですと小僧さんですか、小僧さん達にお客への対応を教えたり小僧さん達に払う給金の額を決めたり、いろいろとご商売なさっていた上での知識や技術が必要だったわけでしょう。田畑を耕していれば、何時頃苗を植えるか、天気との関係や土の作り方、どんな虫や鳥から守らなければならないか、学校で教わらなくとも先人や体験、自然から教わる。鑿を作るのだって、家を建てるのだって、酒を作るのだって、染め物だって、同様に先人の知恵や自然との関わりを、書物からではなくとも学んで行く。それぞれ、他の世界に住む人には分からない知恵が身に付いているものでしょう。知恵や知識の量や種類で人を差別しているのが戦後の身分差別。で、これは今でも続いているわけですよ。ただ、今の場合は、どれだけ稼げるかが差別につながってしまう。政治家や医者や弁護士が偉いと言われるのは、たしかに稼げますからね。というより、稼げるシステム、構造にしてしまったんですよ。官僚だって、今みたいに偉い存在に、自分たちでしたんですからね。本来、少なくとも戦後しばらくは、民の為に働く立場で給料は民間より安かったんですよ。だから、長く働いてくれたら退職金をはずみましょう。民の為に民間ではもっと稼げる筈の自己を犠牲にして長くつくしてくれるなら退職金も年金も上乗せしましょう、ってな考え方だった筈なのにね。で、自分たちで政治家と組んで両者ともに自分たちに都合の良いように法律つくって給与賞与歳費年金上げていって、稼げる職業だから偉いということになってしまう。何か変だと思いませんか。いや、狡いですよね。狡い者達が狡く稼いで偉いという実態のないものまで付加させる。まぁ、古今東西そうなのでしょうけれど。で、民が気付き始めると懐柔策を取る。懐柔策をうまく取らないと、あるいは民のことを忘れると、フランス革命やロシア革命。ああいうので、生活の糧の多少の層が入れ替わる。で、入れ替わり数世代続くと、貧しい者達には負の連鎖、豊かな者達には富の連鎖。そして、入れ替わって上になった者達がまた狡くなり、ってののくり返しなのでしょうかね。人間、学ばないものですねぇ。本当の四民平等はいつ達成するのでしょうかね。まぁね、同じ様な事が、一つの国の中だけではなく、地球上の国家という集団の中でも起きているわけですよ。植民地や搾取を望む国々があって、善人でいると植民地化されたり搾取されたり。一つの国の中だけでも貧富の差が縮まらないどころか開いている時代ばかりで、国と国の間でも差があって。開発と未開発、今は発展途上国と言うのでしたっけ)
(ご隠居さん、ユリには難しいです。マサさんのお話、聞きたいです)
(わたくし、何のお話いたしておりましたかしら)
(嘉徳さんが庄屋さんだったってことと、彦衛門さんが郡長だったってことと、だから偉いってことになって、ご隠居さんがお医者さまだから偉いってわけではないっておっしゃって)
(庄屋ですか。言葉は存じておりますが、どういうお仕事だったのでしょう)
(ほう、夢さんも御存知ないですかのっ。おっと、私もあまり知らぬのだがのっ)
(落語にありましたねぇ。殺されてからも何度も殺されたとかいう庄屋の話。あっ、ロバートさんがいらっしゃればお詳しいでしょうに)
(我輩、おりますぞ)
(まぁ、ロバートさん、いつお戻りになられたのですか。わたくし気付きませんでした)
(ユリも。あの、ロバートさん、虎ちゃんとご一緒ではなかったのでしょうか)
(然様。ここから乗った時には道連れでした。乗らせて頂いたご夫婦、確かに英語を話しておりましてね、英国なまりではありましたが、英国とも違う、いや、もしかしたら、我輩の頃の英国と今の英国は異なるのであろうか。それとも英国の植民地、いや、今ですと、元植民地の何処であろうか。虎之介殿も、高等学校時代に少しは聞いたことのある、つまり、米国よりも日本人の耳には理解りやすい発音でしてな、少しは聞き取れるようになったのですが、あのご夫婦、やたらと騒々しい店に入りましてな。game centerと書いてありましたので遊技場なのでしょうが、中には大きな機械がいくつも並び、機械がそれぞれ別の騒音を出しておりまして、あれを音を楽しむ音楽とは申したくない様な騒音でしてな。ムーサの女神も退散するような騒音でして、逃げ出したいと思った我輩は気付いたらここにおりました)
(で、虎ちゃんは)
(虎之介殿は、たぶんに騒音とは感じられなかったのではなかろうか。我輩が両手で耳を塞いでおりました折、虎之介殿は平然となさってましたからな。あの遊技場でまだ楽しんでおられるのではなかろうか)
(ユリ、なんとなくつまんないです)
(あら、ユリさん、やはり虎さんが気になりますの)
(カテリーヌさん、だって、虎ちゃんとは年、いえ、こちらに来た時の年齢が近いんですもの。それだけですっ)
(ところで、先ほど、何か我輩のことをおっしゃってませんでしたかな)
(あっ、はい、先ほどから何度も。ロバートさんがいらしたら教えて頂けるのにってことがたくさんございました)
(我輩がお役に立てますかな)
(はい、あら、でも、何でしたかしら。英語ではどうでしょうとか、亜米利加でしたらというような事でした)
(然様。覚えておりませんのっ)
(覚えてらっしゃらないなら、だんなさ〜、重要なことではないのでしょう)
(まぁ、今更こちらの世に参ってからは、重要なことなどないですからね)
(確かに)
(まぁ大変、忘れてはいけない重要なこと、と思ってみても、何もできない身ですもの)
(たった今、ロバートさんがいらしたらと僕が言ったことでしたら、僕、覚えていますよ。落語です。落語に、殺されてからも何度も殺された庄屋の話ってのがなかったでしたっけ。落語にお詳しいロバートさんでしたらと思ったのですが)
(殺されてから何度も殺された庄屋ねぇ。え〜と、庄屋の出て来る落語といえば、お目出度い席にまねかれた村人が、作法がわからないからと、庄屋の失敗まで真似をするというのがありましたな。いや、あれは庄屋ではなくて坊さん、いや、長屋の大家さんでしたかな。そういえば吉四六さんも庄屋でしたかな。雨乞いの話にも庄屋は出て来たと記憶してますな。しかし、殺された話ですと、殺された我輩、身につまされる話ですが、その落語は記憶しておりませぬ。折角セミテリオに戻って参ったのに、みなさまのお役に立てず申し訳ない)
(ご隠居さん、殺されて一度死んだのに、その後何度も殺されるなんて、あるんですか)
(僕も詳しくは覚えていないのですがね、庄屋を最初に殺した男が、自分が犯人にはなりたくないからと、誰かが殺したことにする。その誰かも、自分が犯人にはなりたくないから、他の人が殺したようにしてしまう、という様な話だったんですよ。何度も殺されたからと言って、最初の、本来の死因と、死後のみせかけの死因とでは痕跡が異なりますからね。現代の医学でならば簡単に判明してしまうことなのですが。そこが面白くてね。落語の時代ならではの話だなぁと、そこばかり気になってラジオを聴いていたのですよ)
(おっ、ご隠居さん、今のあちらの世ではそういうこともすぐに判るのですかのっ。それはよいことですのっ。例の出来の悪い何かとかいうもので調べるのですかのっ)
(だんなさ〜、血が騒ぎますか)
(おうっ)
お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。