第四話 セミテリオのこども達 その十一
(いいえ、どういたしまして。え〜と、それからびわちゃん、じゃなくて彩香ちゃんは宿題をすることにして、算数の教科書の問題を帳面に解いていきました。一緒にユリもお勉強しようかななんて思ったんですが、ほら、例の長さので、どうもメートルとか何とかメートルとか四種類あって、それぞれ十倍ではなくて、百倍のや千倍のもあって、よく覚えていません。十寸が一尺で、六尺が一間でしたっけ。あら、これも十進法だけじゃないんですね。あら、ユリが逸れてしまいました。算数が終わったら国語の宿題で、これは教科書を二度、声を出して読むのでした。例の、小さいお魚が集まって主人公のお魚が目になって、っていう異国の物語です。彩香ちゃんね、もう何度も読んでいるらしくて、すごぉい早口で読んでいたら、お婆さまが階段を降りていらしたの。彩香ちゃん、それじゃ心がこもっていないわ。まるで早口言葉の練習じゃないの)
(早口言葉、おほほ、となりのきゃくはよくかきくうきゃくだ、とか、ぼうずがびょうぶにじょうずにぼうずのえをかいた、ですわね)
(カテリーヌさんは、日本の早口言葉でからかわれましたかな)
(たけやがたけたてかけた。私には竹屋が何だかわからなかったのっ。竹などどこにでもあったからの。江戸では竹を売る店があるんだと、不思議だったが、今でも江戸、否、東京には竹屋はあるんだろうのっ)
(我輩、来日当初、屢々からかわれましてな、汝の早口言葉は舌が回っておらぬとな。舌が回るものかと真剣に考えたこともございましたな。意味がわかるようになると、漢字を思い浮かべてすらすら言えるようになりましたな。最初はどこで切れているのかわからず、そういえば、日本語は単語が離れないで書かれるので難しいのでござる)
(ほうっ、ロバート殿のお国の言葉は、ぶつ切れに書かれるのかのっ。それは空白が多くて紙の無駄遣いだのっ)
(あのぉ、続けてもいいですよね。ぐらんま、毎日二度もなんだよぉ、それにもう二週間目だから、いやになるの、って彩香ちゃんが言って)
(ぐらんま、と申したましたか。こりゃ驚き桃ノ木山椒の木。流石英語教室で勉強しているからですかな。ぐらんまざぁで祖母という意味なのでして)
(ぐらんま、かのっ。老婆が妙に異人ぽい)
(何語であれ、老婆は老婆、わたくしも老婆、老婆は白髪。それにいたしましても、日本語は乱れているようですわね。孫が祖母に敬語を使わない世は嘆かわしゅうございます)
(嘆くでない。嘆くと消えたくなるからのっ)
(わたくしも老婆ですわ。生年からですと。わたくしの孫はどこにいるのか、何語を話しているのかしら)
(ユリも、老婆、なんですわね。若い姿をしておりましても。彩香ちゃんのお婆様はユリよりお若いんですよね。お婆様が、私は毎朝毎晩お経を唱えているのよ。今日なんか、祥月命日でお墓参りしてきたから、お昼にも唱えたわ。二週間どころか、ぐらんぱが亡くなってからずぅっと欠かさずですよ)
(ぐらんぱ、ですか。ぐらんふぁーざーで祖父ですが、あぁなるほど、ぐらんぱぱ、なんですな。ふむ)
(おっと、ロバート殿が英語に感心しておるご様子)
(ぐらんまのお経は趣味みたいなもんでしょ。からおけに行くのに喉が鍛えられていいって言ってるじゃない、って彩香ちゃんが言って、あのぉ、ぐらんまとぐらんぱは、話の流れでユリにも分かりましたが、からおけって、ロバートさま、何でしょう)
(英語ではないような。カテリーヌさん貴女お判りになりますか。仏蘭西語でしょうか)
(いえ、わたくしの知らない言葉のようですわ。宝石の大きさと英語のOKではございませんかしら)
(空桶とは何ぞや)
(風呂桶に水が入っていない処に行くのがご趣味なのでしょうか。喉を鍛えるためのお経ですか。あら、だんなさ〜、湯船で歌えば美しく聞こえる、あれかしら。でも、空の桶では楽しくないですわね。江戸ではお水はあまり不足いたしませんのに)
(僕にも聞かないでね。判らないよ)
(ともかく、お婆様が彩香ちゃんを軽く睨んでから、上に行って、ご仏壇の前でお話をぐらんぱに読んでらっしゃいよ、ちゃんとぐらんぱがわかるようにゆっくりねと言われて、彩香ちゃんも、うん、面白いかも、って教科書持って上に上がって行きました。ご仏壇の前に座った彩香ちゃんは、教科書を開いてお膝に乗せ、お座布団に座って、りんをちんと叩いてから読み始めました。段落毎にお座布団から腰を浮かしてちんって鳴らすんですよ。でも、ゆっくり大きい声で読んでいました。私も、学校でのと合わせて聞くのはもう三度目でしたから、ご仏壇を眺めていました。あらぁ、今気付きました。びわちゃん、この宿題してませんでした。いけないんだぁ。あっ、それで、一番手前にお爺様のご位牌、その奥にも三柱ございました。どなたもご仏壇をお留守にしているようでしたから、彩香ちゃんが折角読んでるのにとも思いましたが、たぶんお近くのセミテリオまで届いているのかもしれないわ。ユリもその音に乗って帰りたい。お婆様がセミテリオにいらっしゃるのが明日だったならお婆様に乗れましたのに、なんて思っておりました。途中でお婆様が彩香ちゃんの後ろに座られて、あっ、そこお婆様のお部屋だったらしいんですけれど、にこにこなさってました。その時、階段を下からどなたかが駆け上がってくる気配を感じて、あら、ご先祖様が彩香ちゃんのお話を聞きに戻ってらしたのかしら、とユリが思ってましたら、扉に何かがドンとぶつかって、ご先祖様は豪快な方なんだ、と思う間もなく扉が勝手に開いて大きな白くてふわふわの丸いものがお婆様のお膝に飛び乗ったんです。ユリは目をまんまるにして驚いていたんですよ。すごぉいご先祖様なんだって。なのに彩香ちゃんとお婆様は驚かないので、あらっ、ユリにだけ見えているのね、と思ったんです。でも、お二人ともけらけらお笑いになって、ゆきちゃん、また太郎君が来たのねって、その丸くて白いふわふわを撫でるんです。ユリちゃんって言われたのかと思ってユリはもっと驚きました)
(私達の中には白く丸くなる者もおるのかのっ、初耳ですのっ)
(お婆様と彩香ちゃんには、わたくし達がご覧になれるのかしら)
(ユリもね、そう思ったんです。ゆきちゃんはご仏壇の中のご位牌のどなたかで、太郎君もユリ達の仲間かなって。太郎君はどこにいるのかしら。後からゆっくり階段を上ってくるのかしらって。彩香ちゃんが、おしまい、ちんと鳴らして、本読み終わり。ぐらんま、後ではんこ押してねって言って、ゆきちゃ〜ん、太郎君怖いんだね。あの格好だもんね。でもあんな格好にしたのは太郎君じゃなくて太郎君のご主人様だからねって言いながら、お婆様のお膝の上の白いふわふわのを撫でたら、返事しました。にゃ〜んって。甘え声なんです。猫だったんです。霊じゃなかったです。太郎君怖いんだぁ。でも、ゆきちゃん、小さい頃は太郎君と仲良く遊んでたんだよぉ。太郎君はかふぇのますたーのしゃむからゆきちゃんを守ってくれてたでしょ。ぐらんま、どうしてあんまりかふぇに行かなくなったの。だって、かふぇのますたーとばーばー次郎の次郎さんと同級生だったのはぐらんぱなんだもの。ぐらんぱがご位牌になっちゃったら、なんだか行き辛くて。それにゆきちゃんはしゃむにいじめられるし、あのかっとの太郎君を怖がるし。彩香ちゃんとお婆様はこんなお話をなさってらしたんですけれど、ユリ、チンプンカンプンでした。ゆきちゃん、あんなに大きい真っ白な猫、ユリ初めて見ましたし。かふぇが珈琲店だってのはわかりますけれど、かふぇのますたーって何の事。婆婆なのに次郎って男の人の名前ですし、君とさんと婆とで、次郎さんが太郎君の弟なのか妹なのかわからなかったんです。格好だと思っていたのにかっとって何でしょう。そりゃ、ユリがこちらの世に参りましてから、もう九十年も経ちましたけれど、あちらの世がこんなにややこしいことになってるなんて、そろそろユリこちらの世界からも消えなさいって言われているのかしら)
(あちらの世では自殺できるけれど、こちらの世では自殺できないからなぁ)
(あちらの世で殺せるのは肉体だけですからのっ。まぁ、祖父母ぐらいまでの記憶はありますからの。孫が生きている内は思い出してくれるとその時だけちょっと元気になりますの。その後は、思い出してくれる方が多いと続くようですの。ですからお釈迦様や耶蘇教の基督様はこちらでも長寿なのですかのっ)
(我輩の場合は、気力と好奇心ですな)
(僕も好奇心で続いている。僕の世代のこちらに急に来ざるを得なかった方々はみなさん石みたいな気で、固まってるみたいだけれど。固まったままを受け入れたらおしまいなのかなぁ。氷みたいでも溶けることもあるみたいだし)
(こんな筈じゃなかったと、ありのままを受け入れられない、ご自分の置かれた気という状態を否定なされば、割と早く消えられる様ですな)
(わたくしもカテリーヌさんもユリさんも、好奇心ですわね。あちらの世がどんななのか、どうなって行くのか気になって気になって面白くて、ですものね。ですから、ユリさま、気落ちなさらないで)
(わたくしもお仲間に寄せてくださいませ。老女とはいえおごじょの身。好奇心は人一倍ですわ)
(大丈夫だよ。音天さんが僕たちのこと気にしてくれている間は僕たちはこの世に居続けられる)
(然し乍ら、音天さんもその内、こちらの世に来るのが定め)
(その頃にはまた新しい音天さんが現れるよ、きっと)
(そうですなっ。我輩の国や西洋社会では魔法使いとか魔女とされる様な方々を、何故か日本は大切にしますからな。巫女や口寄せ、ゆたなどが社会の中で活躍の場を与えられてる不思議な国ですからな)
(そうですわね。わたくしもあちらの世におりました頃には、日本のそこが不気味でした。西班牙ほどではなくとも、耶蘇教の社会では基督さまや聖人さまを除いて、奇跡を起こしたり尋常でない行動は魔女、怪人扱い、奇人変人狂人でしたものね。うっかりすると宗教裁判、破門され社会的に抹殺されたり火あぶり)
(日本でも似た様なお話がございましたのよ。だんなさ〜が亡くなられた年だったかしら、熊本の方や長野の判事の奥様が不思議な能力をお持ちだとか、新聞で騒がれておりましたが、たしかお二方とも自害なさいました。インチキ、イカサマ、ペテンだと非難囂々でしたのよ)
(インチキ、イカサマ、ペテン、何語なんだろう、なんだか日本語っぽくないように聞こえるのは僕だけですか)
(英語にも仏蘭西語にもあまりないように思いますが)
(明治の末頃ですかな。もう西洋文明の視点が日本にも浸透しておりましたからな。残念ですな。我輩も、西洋文明で学びましたからな、来日当初は、宗教がいくつも共存する異常文化、日本は劣った社会だ、などと西洋文明の視点で捉えておりましたな。草や木、山や海にもそれぞれ神がいるなど原始的宗教であり云々と)
(ロバート殿、便所にも神がいらっしゃるのだのっ)
(紙じゃなくてですか)
(存じております。正月になると便所にもお供え餅を飾るのを初めて目にした時に、如何に我輩が驚いたことか)
(あのぉ、ユリの謎をどなたか解いてくださいませ)
(ますたーとは英語であるならば修士、支配者、つまり珈琲店の主人ですかな。ばーばーも英語ならば床屋、つまり次郎床屋の次郎さんの太郎兄さん、ですかな。ユリさん、納得いたしましたかな)
(えっ、はい、なぁるほど、うふふ)
(しゃむは仏蘭西語みたいなのですが。たぶんシャム国)
(沙室のことですか。僕らは泰と教わりました)
(おっ、猫ですな。しゃむ猫。沙室原産の猫ですな。英吉利のかつての大使夫妻の公邸におりました)
(あら、上野の動物園にいたあれかしら。細くて、薄茶色で、尾が黒くて長い。ユリさん、たぶん、珈琲店の主人の猫ですわ)
(ああ、シャム猫ですか。僕は、裕福に見える婦人の腕に抱かれている写真や絵を見ました。日本の丸っぽい猫とは違うし、色もね)
(あっ、あれがシャム猫なんですね。うふふ。あのぉ、ゆきちゃんも猫でした。白くてふわふわ)
(それは、我輩も存ぜぬ)
(もしかしたら、わたくしが来日する前に英吉利人が仏蘭西猫と呼んでいたのが似ているように思いますが。南の方から連れて来て掛け合わせて作っていたそうで、でもそれって随分前のお話ですし)
(かっとは何でしょう。ユリ、勝手に格好と思っていたのですが。太郎君を格好って。でもかっこじゃなくてかっと)
(かっとって切るってことですよね。ロバートおじさん)
(然様。太郎を切る、太郎が切られる。嗚呼、我輩は切られたのではなかったが、刺された、いや切られたのだろうか)
(ロバートさま、そのお話はまたごゆっくりお伺いいたします。わたくし、恐ろしくて)
(つまり、次郎床屋のお兄様が切られていて恐ろしくて、でも、その太郎お兄様は、ゆきちゃんが珈琲店のご主人のシャム猫にいじめられるのを助けてくれる、ってことかしら。猫のゆきちゃんがシャム猫にいじめられるのを助けてくれる太郎おじさんは切られているからゆきちゃんは怖いってことなんですね。じゃぁ、ゆきちゃんは恩知らずということなのでしょうか)
(カテリーヌさま、あちらの世のことはわからないことが多いものですわ)
(うふふ)
(ユリちゃん、どうして笑ってるんだい)
(えっ、だって、わかったんですもの。でも今は内緒。それでね、あちらの世のゆきちゃんは、こちらの世のユリをわかっていたみたいなんです。そこにいるでしょ、私にはわかってるんだからね。黙っていてあげるけど、って気を送ってきました。ユリ、ちょっとぎくってしましたけれど、でも、猫さんが彩香ちゃんやぐらんまにお話しできるわけもないでしょ)
(そうかのっ。飼い猫や飼い犬や飼い鶏、飼い豚、飼い牛、飼い馬に、人間は話かけるがのっ)
(猫も犬も鶏も豚も牛も馬も、返事はしているみたいですわね)
(返事はできても、猫は人間の言葉は話せませんな)
(ユリ、なんだかゆきちゃんにじっと見られているみたいで落ち着かなかったです。お婆様が箪笥の引き出しから印鑑を出してらして、本を読みましたってことで厚紙に捺印されて、彩香ちゃんは教科書と厚紙を持ってお婆様のお部屋を出て、お隣のご自分のお部屋に入りました。またまた総天然色のお部屋で、お机とお椅子と箪笥が白、カーテンとべっとの上の布は同じ柄でした)
(ユリちゃん、べっとじゃなくてべっど、だよ)
(あらぁ、ユリはべっとって教わりました)
(う〜ん、確かにそうも言ってたけれど、でもあれは英語のベッドゥからだから、べっど、って濁るんだってば)
(そうそう、面白いものですな。日本の方はバックとおっしゃるので、我輩は背中のことと思いましたが、バッグなんですな)
(そのバックとかバッグとはなんぞな)
(だんなさ〜、かばんのことですわ)
(おっ、かばん、これなら私も一言あるぞ。かばんとはそもそも日本語ではなかったのだのっ。支那語だったそうだのっ)
(支那の漢字だったのですね)
(いや、それがまた違うのだのっ。銀座に谷澤鞄屋というのががあってのっ、そこの店主がこの字を作ったそうな。革で包むものだからと。陛下がその字を読めなくて尋ねたので、支那語の読みをお伝えしたところ、革に包むという新しい漢字を鞄と読むことになさった。そこからかばんと言う様になったそうだのっ)
(ほう、我輩初めて耳にしました。バックはバッグで鞄は明治にできた日本の漢字で、かばんという音は支那語なのですな。こちらの世に参りましても学ぶことが多うござる)
(学び、好奇心は僕たちの空気、食料)
(あのぉ、それで、カーテンとべっどの柄は、耳と目鼻だけ黒い、長い耳の白い犬さんと黄色い小鳥さんと、日本人ではないらしい髪の色をしたこども達の漫画で、ところどころに蛇と丸の文字の外国語が書いてありました。彩香ちゃんは時間割を見ながら黄色い覆いのついた鞄から教科書を出したり机の書棚のを入れたりして、あっお箸出さなきゃと独り言を言って、お箸とコップの袋を手にして、鞄を閉じてからべっどにどすんって背中から乗って、あ〜あ、って伸びをした途端に、お机の所でにぎやかな音楽がしたんです。ユリびっくりしました。彩香ちゃんがべっどから飛び起きて音のする方に行ったら、この前の亀歩き青年のお電話とは違うんですけれど、もうちょっと大きいので、一階からの電話みたいなので、お母様が、ぴざが届いたから、ぐらんまにも声かけて下りてらっしゃい、あっお箸とコップ洗うから持ってきて、うんわかった、今持ってるって彩香ちゃんが返事して、家の中で電話があるんですよぉ。ちょっと階段上がってくればすむのにね。それで彩香ちゃんはお婆様のお部屋のふすまを開けて声をかけてから先に階段を下りました。お台所のお机の上にぴざと言われるものが乗っていました。やっぱりお好み焼きに似ていました。もうちょっと厚くて、きれいな丸で淵が盛り上がっていました。でもね、ほら、お好み焼きってねぎぐらいでしょ、それともそういうのってユリのお家だけかしら。あっ、ユリね、初めて作ったというか、それしかできないんでした。お好み焼きは作ったことあるんです。いえ、作ったというか失敗。ねぎを刻んでも薄く切れないし、それにとんとんとんとんってやってみたらみんな繋がってしまいましたし。で、うどん粉をお水でといて、焼いても焼いてもその水ときうどん粉が減らないの。だからお母様に見つかったら叱られるって思って、お手洗いに捨てたら、婆やにみつかって、お嬢様、うどん粉を厠にお捨てになりましたね。もったいない、とやはり叱られてしまいました。あっ、それでお話を元に戻しますね。ぴざは三種類あったんですが、みなとてもきれいで、色々なものが乗っていました。お好み焼きよりうんと大きいです。直径が一尺以上あるみたいでした。あんな大きなのをどうやって焼くんでしょうね。でも、大きさよりも、ユリが一番驚いたのは、ぴざが乗っているお皿でした。あんなの信じられない。だってね、荷物を入れる箱みたいな、白い色できれいなんですけれど、でも、ほら、中が波うっているような紙を数枚重ねたような)
(ユリちゃん、それって段ボールのことだろう。僕がこっちに来る前には段ボールでランドセル作っていたよ。ランドセルって、ほら、小学生が肩からかけている。やだなぁ、さっきのペテン、イカサマ、インチキもだけれど、段ボールって何語なんだろう。ボール紙ってのもあったね。厚紙のことをボールっていうのは、仏蘭西語ですか英語ですか)
(仏蘭西語ではボウルは大きいおどんぶりみたいなのを言いますが)
(英語ですと球ですな。日本語では外国語の語尾が変化したり消えたり、途中の子音と子音の間に母音が入りますからな。はてさて)
(あぁ、そうそう、あのお鞄、ランドセルって言うんでしたね。で、その段ボールのをお皿にしているんです。ランドセルにするくらいなら、お皿でも不思議じゃないのかしら。その大きな四角い段ボールが三つ並んでいて、あっ、あと、くぅぽんでただになったというぽぅていとぉの箱も三つありました。これも紙の箱でした。仕出し、いえ、出前って、もしかして今ではおうどんやおすしも、瀬戸物ではなくて紙のお丼や桶なのかしら。そういえば、ぴざとさらだが何なのか、ユリが先ほどお尋ねした時にはどなたも答えてくださらなかった、ですよね。でも、いいです、ユリにはわかりました。つまり、ぴざは西洋風お好み焼きで、さらだはお野菜がたくさんってことらしいってわかりましたから。でも、くぅぽんって何でしょう)
(ユリさま、ぴざは、たぶん、伊太利亜で小麦粉を練って色々乗せて焼く食べ物だと思います。わたくしの祖母の頃は、伊太利亜は仏蘭西が統治いたしておりましたのよ。その頃にすでにございましたぴっつあのことではないかしら。それと、くぅぽんは仏蘭西語の、切るって意味の言葉に似ているように思いますわ)
(切る、ですか。たしかに、お母様が包丁を出してらして、一枚を八つに切ってらっしゃいました。横からお父様が赤いへらでお皿にわけてました。あっ、こちらは瀬戸物のお皿です。彩香、冷蔵庫からコーラ出して、と言われて彩香ちゃんが冷蔵庫を開けたので、冷蔵庫がどんなものなのかも、ユリ見てきました。すごいんですよぉ。中に色々な入れ物に入った食べ物がたくさん、たぁくさん入っていて、扉にもたまごや瓶に入った調味料や牛乳とかジュースって書いてある紙箱も入っていました。小学校のお昼ご飯の時にお当番さんが注いでいた牛乳の箱と同じ形のでした。お母様が、彩香、そっちじゃなくて、野菜庫っておっしゃって、彩香ちゃんが冷蔵庫の下の、あっ、これも上と一体なんですけれど、別の引き出しを開けて、そしたら中にいっぱい、かぼちゃやとぅめいとぅやお葱や胡瓜やお大根が入っていて、そこにコーラの、瓶というよりふにゃふにゃの一升瓶よりちょっと小さめのが二本入っていて、彩香ちゃんは一本取り出して、栓抜きを探すのかしらと思っていたら、上の蓋をくるくるまわして開けていました。あら、なんだか彦衛門さまが、出せるものなら涎を出しそうなお顔ですわね)
(いや、食べられぬ、飲めぬ身とは知りながら、口から入れるものと下から出すものには、どうもまだ執着があってのっ)
(だんなさ〜、こちらでまでそんなですから、あちらでは糖尿病になられて、あんなに早く亡くなったのですわ。まぁ、こちらでは召し上がれませんものね)
(マサ、なんだか意地悪言われているように感じるのは、私の僻かのっ)
(旨いものをたらふく食べて早死にするか、我慢して長生きするか、こりゃどちらを選ぶか難しい。旨いものをたらふく食べて長生きできればよかったのにのっ。どうも目の前に人参をぶらさげられているのに食べられない馬のような気分だの)
(彦衛門さま、マサさま、お食事風景、お話するのよした方がいいかしら)
(いやいや、お話しくだされ)
*
続く
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次回は29日にアップいたします。