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第九話 セミテリオから何処へ その十九


(ご老人が改めてご挨拶申し上げますとおっしゃったところでのっ、ひっつめ白髪のご老女が桔梗の様な花を入れた花立を手に入ってらして、お座りにもならずご仏壇に置くと、お線香が消えているのを確かめてからご仏壇の扉を閉じて、またお部屋を出て行かれましたのっ。私は、行儀の悪い老女だなと思ったわけですのっ)

(この部屋には当分誰も入って来ないので、あらためてご挨拶申し上げます。小生、この家の現家長の曾祖父嘉徳と申します。本日はみなさま遠方よりお越し頂きありがとうございますとかなんとか、延々とご家族のご説明がございましたの。わたくし共の年齢になりますと、会ったこともない自分の曾祖父母、だんなさ〜の曾祖父母二人の祖父母、両親、子供達孫達の名前を覚えるだけで精一杯でございましょ。お初にお目にかかりました、まだ、状況が見えていない折りに、延々とご家族のことをお話なさって、拝聴いたしましたものの、他所様のご家族のお名前などとてもとても、ここで思い出せませんの。覚えられましたのは、その方のお名前と、ご老女は、今のご家長さまのお母様で、久子さんとおっしゃること、そちらには今は久子さんと久子さんのご次男夫婦と久子さんの孫にあたる青年の四人が住んでらっしゃるだけで)

(お子様、お一人ですの。愛のところもそうですが、最近一人っ子が多いようですわね)

(ほほ、夢さん、僕のところも、僕から後はずっと一人っ子でしたが、玄孫はいきなり三人になりましたよ。だが、たしかに子供はどんどん減っていますね)

(愛が申してました。一人だってたいへんなんだから、って)

(そりゃぁ、昔から子育ては大変なものですわ。でも、いつ死んでしまうかわかりませんものね)

(昔はそうでしたねぇ。栄養失調になったり、病気も治療方法がなかったり)

(今は、そのかわりに交通事故)

(昔は、避妊をしなかった、男の勝手というのもありましたしね。それに、下手な鉄砲数撃ちゃあたるで、何人もこどもがいれば、一人くらいはまともに育つだろうなんて思ってでしょうかね)

(いえ、愛が大変だと申していたのは教育費でした)

(ああ、なるほど、確かに理系は、私立にでも行かれたらほんとかかりますからね。でも、望さんは幼い頃から、獣医をめざしていたわけではないでしょう)

(でも、もしもう一人生まれていて、そちらが理系に行かないとは言い切れないわけですし、ね)

(あのぉ、こどもの数が少ないことで盛り上がってらっしゃるのに水を差すようですが、そちらのお宅は、一人っ子ではなかったようですわ)

(先ほど、そうおっしゃいませんでしたっけ)

(そちらに住んでらっしゃるのは青年、え〜と高校生で、でも、お姉さんが他県、どちらでしたかしら、だんなさ〜、覚えてらっしゃいますかしら)

(私は昨今の県名は苦手でしてのっ。え〜と、あちらのお宅より南とおっしゃいましたのっ)

(そちらで大学に通ってらして、自宅からは通えないから下宿なさってるとおっしゃってました)

(私は驚いたのでしたのっ。女子が下宿をする時代になったのかと。あの様なお屋敷育ちの女子が、学問を身につけるのは当然としても、独人住まいとはのっ。親元を離れて若い女子が独居など、悪い虫がつかぬかと心配せぬものかとのっ。若い女子は、さっさと嫁がせるに限りますのっ)

(ほらほら、だんなさ〜、それで絵都が苦労いたしましたのにっ)

(それが親心、家長の責任と申すものですのっ。そうそう、嘉徳氏、そのご老人が、家長とおっしゃった時にのっ、今は家長とは言わず、世帯主と言うそうで、と付け加えておりましたのっ。よくわからぬ言葉でしたのっ)

(ユリもわかりません。あっ、家長はわかります)

(わたくし、どちらもわかりませんわ)

(戦後、新しい憲法になった頃でしたかしら。世帯主という言葉が使われ始めたのは)

(夢さん、世帯という言葉はもっと前からたしか使われていましたよ。戦前の、ほら配給の頃にも使われていませんでしたっけ)

(そういえばそうだったような)

(虎さんあたりが詳しいかもしれませんが、残念、今日はいないですからね)

(虎ちゃん、詳しいのかしら)

(ユリさん、虎ちゃんは法科を目指してましたからね。戸主とか家督制度というのもありましたね)

(あっ、新憲法で男女平等になって、男だからと威張れなくなって。女性には楽になった筈でしたのに、でも、一朝一夕で男性も女性も変われるわけはなかったですわね。私、結婚したのは昭和二十年半ばでしたのに、主人は相変わらず家長で威張っておりましたもの。世帯主などと言う言葉は馬鹿臭いとか言って、男は偉いもんだと決まっている、でしたもの)

(夢さん、また聞こえますよ)

(聞こえたって良いんです。もう今更私を叩けませんでしょ。私、こちらに先立って、最近はとても気が楽ですの。若かった頃のようにのびのびできます。パーキンソンで転ぶこともなくなりましたし、手も震えなくなりましたし。もっとも、こちらではお箸や万年筆を持つ必要もございませんわね)

(それで、その、世帯主とか家長って何ですの)

(カテリーヌさん、たぶん、フランスでもそうだった時代があったと思うのですが。父親が一番偉い、その父親が家長。まぁ、場合によってはその父親のまた父親が家長ということもありましたね。家長は他の家族の生殺与奪の権利を持っていたようなもので)

(ケイサツですか)

(えっ、いや、生殺与奪。まぁ、あの頃の特高なら生殺与奪かもしれませんが。おっとカテリーヌさんを混乱させてしまいますね。警察ではなく、生殺です。つまり、家族を生きさせるのも殺すのも家長次第と言っても大げさでは無いくらいの力が認められていたのですよ)

(まぁ恐ろしい)

(一方、世帯主とは、同じ家に住んでいる中の誰か代表者ということで、別に男である必要もない、年長者である必要もない、たしかこうだったと思いますよ。で、家長と違って、世帯主は威張る権利は無い。あはは、こうやって申してみますと、そりゃぁ夢さんのご主人には腹立たしい限りだったでしょうねぇ。昭和二十年代ですと、父親の下から独立して、いざ自分が家長、さぁ威張るぞと思って居た矢先に法律が変わってしまったのですからね。ところで夢さん)

(はい)

(先ほど、昭和二十年代にご結婚なさったとか)

(はい、半ばに)

(え〜と、瑞鏡、僕の息子が結婚したのもその頃なんですよ。僕と息子は同窓なので、ってことは、ご主人と息子も同窓、ほぼ同じ年代でしょうかね)

(あらまぁ、どうしましょう)

(いや、別にどうするってこともできませんがね。え〜と、大正十二年生まれでね、僕の息子はまだあちらの世にいますよ)

(あら、主人の方が少し年下ですわ。でももうこちらの世に)

(人間、何時何処で生まれるかと同様、何時何処で死ぬかわかりませんからね)

(あなた、聞いてらっしゃいますか。ご隠居さんのご子息はあなたの少し先輩らしいですわ。ねぇ、あなた)

(ふんっ)

(あはは、先輩じゃ不味かったですかね。後輩だったらよかったのでしょうか)

(あのぉ、男の人って、どうして威張りたいのかしら。ユリ、昔からわからないの。兵隊さんって、怖そうだったでしょ。お巡りさんも。でも、話してみると怖くない人いっぱいでしたし)

(ユリさん、わたくしも、殿方は怖いかたばかりだと思っておりましたのよ。でもロバートは、いつも優しくて、威張られたことなど、見た事もなかったですもの)

(ロバートさんは紳士なんですね。あら、カテリーヌさん、ロバートさんがご主人様なんですか。存じませんでしたわ。あら、でも別のお墓ですわね。えっ、どうして)

(あっ、夢さま、違うんです。こちらの、今日はいらっしゃらないロバートさんは亜米利加の方で、わたくしの夫も偶然同じ名前ですが、英吉利人ですわ、いえ、でしたわ。それに、ロバート、夫の方ですが、私とロビンをこちらに残して、今は英吉利のお墓に再婚なさった方と入ってますの)

(まぁ)

(どうして男は威張りたいか、ふむ。考えさせられますねぇ。一番になりたい、これは精子以来の競争原理だとして、一番になったからと言って、あるいはなんらかの力を得たからといって、威張る者ばかりではないわけで。ふむ。威張りたいというのは、自分が持って居る力を誇示したい。要するに自己顕示欲なのか。ふむ。いや、しかし、威張るのはむしろ一番になっていない、なれなかった者の方が多いのかも。すると一番になれなかったことの欲求不満の表れですかね。ふむふむ。それとも、社会的に威張るものだという固定概念。威張るのは男に多い。なるほど、男の方が自己顕示欲と欲求不満と固定概念にとらわれるもの、確かに。おっと、国家もまた然り。生殺与奪の権利を握りたい輩が代表者になると、あはは、なるほど、だからか、嘆かわしい)

(なんだか、またご隠居さんの独り言が始まったみたい。ユリにはわからなくても、ご隠居さんには、男の人が威張りたいのがおわかりになるんですか)

(なんとなく、ですがね)

(主人の小言と怒鳴り声より、ご隠居さんの独り言の方がよほどましですわ。八つ当たりはなさいませんでしょう)

(あはは、ユリさん、夢さん、こりゃ失敬)

(マサ、私は家督を温に譲って隠居するまでは家長でしたのっ)

(はい)

(マサ、私は威張っておったかのっ)

(まぁ、少しは。ほら、絵都など、最初の結婚相手を決められたこと、今でも少し恨んでおりますし)

(はぁ、あれは、そのぉ、赴任先での武士の約束で)

(あら、明治の御代でしたのよ)

(いや、その、少し前までは武士だった者同士の)

(だんなさ〜、わたくしにではなく、今度絵都に会った時にご釈明なさいま

し)

(あのぉ、そのご老人がご挨拶なさって、それでもうこのお話はおしまいで、すぐにこちらに戻ってらしたのですか)

(ユリさん、いやいや、ご老人のご挨拶が終わっても、私共四十名、相変わらず怪訝な顔でしたのっ)

(もしかして、ユリさん、退屈なさったかしら。だんなさ〜、もう止めましょうか。ユリさん、ごめんなさいね)

(いえ、そうじゃなくて。どうして彦衛門さんとマサさんが見知らぬ方々とそちらにいらっしゃったのか、ユリ、まだ不思議なんです)

(ユリさん、それなんですのよ。ご老人がご仏壇を背に、ご仏壇の中の方々の代表として、ご老人のご先祖様のことから、そのお宅にお住まいになってらっしゃる世代までのことを延々とお話なさってらっしゃる間、先ほども申し上げましたが、自分の子孫ですら段々わからなくなって参りますでしょう。だんなさ〜が摩奈の名前を覚えられないように。ですから色々と伺っても、こちらはよほど面白かったところぐらいしか覚えてられませんでしょう。それでも、嘉徳氏がお名前を次から次へとおっしゃる度に、わたくしの頭の中で、わたくしの記憶にあるだんなさ〜やわたくしのご先祖様や子孫の名前と比べておりましたの。中には同じお名前や似た様なお名前もございましたわ。でも、世代が異なったりで。わたくしではない別のマサさんもご老人のご子孫にいらっしゃいましたし。共に富士のお山と琵琶湖を超えた方々も、みなさま拝聴なさりながら、ご自分のご先祖さまやご子孫に同じ方がいらっしゃらないか注意なさってらしたようでした)



お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。

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