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第九話 セミテリオから何処へ その十六


(大きいご仏壇だったのっ)

(でも、どなたかが、お寺の仏壇にしては小さいですねぇ、などと。あのご仏壇の扉が開ければ、ここのお宅のお名前が分かりましょう、と別のどなたかがおっしゃって。でも、わたくし達には、そういう力はございませんでしょう)

(いくら四十人程が手を繋いでおってものっ、気の存在が四十人分集まっても、扉一つ開けられないのですのっ。手を拱いておりましたのっ。まぁ、試しはしませんでしたがのっ)

(あのぉ、手を繋ぐはわかります。こうでございましょう。でも、手を拱いてとはどうすることでしょう)

(ああ、カテリーヌさん、こうですよ)

(あら、それ、わたくし、日本に参ります前に、日本ではそういうご挨拶をするものだと伺っておりましたのよ。でも、みなさま、なさりませんでしょう)

(ですねぇ。中国かインドかタイの挨拶のようですわ。あら、でも、そこに行ってみたら違うのかもしれませんし。あっ、でも、カテリーヌさん、手を拱くって、そういう手の合わせ方ではなくて、え〜と、手も足も出せなくて困っている様子のことですわ)

(まぁ、手も足も出せないなんて)

(あら、どうしましょう。手も足も出せないというのも、本当にそうだということではなくて)

(カテリーヌさん、あのね、何も、なぁ〜んにもできないで困っているってこと)

(あら、そうなんですか)

(ですからね、皆でひそひそ話しておりましたのよ。どなたのかもわからないお屋敷で、たとえできたとしても、たとえあちらの世にいたとしても、他所様のご仏壇を勝手に開くわけには参りませんでしょう。ですわねぇ。この仏壇、たしかに立派で古そうですが、でも、こちら、お寺ではございませんわねぇ、とどなたかがおっしゃり、お寺ほどに広いが、だが御仏像も無い、それにしても、どこにいるのかももわからないのは、不安ですね。そもそもどこの世なのか。などと口々に。ここに来る前に、大きな川を超えましたわ、それからその支流を超えましたね、その先のもっと小さな川が見えてなどと口々にね。いやぁ、運を天に任せましょう。そうですわ、こちらの世に参りまして以来、手も足も出せないのですもの、などと。その前が琵琶湖で、その前が富士山で、ということは、関東を出てから、そのまま西南に飛ばされたのでしょうか。たぶん、日本のどこかでしょうねぇ、障子があるので、まぁ、日本なのでしょうか、他国には障子はないのですかのっ、朝鮮にはありませんでしたか。満州にもございましたわ、でもお前、あれは日本人が行って使っていたのではないのか、あらそうかもしれませんわねえ、どこにも日本語は書いてないですわ、うむ、あちらの世なのかこちらの世なのか次の世なのか、僕達こうして手がかりもなく手をつないで手を拱いて、あはは手抜きですよ、などとおっしゃる方もいらしたり、飛ばされていて足下がすぅすぅいたしますよりも、足下が畳ですもの不満は申しませんわ、とか、まぁ、腹も空かず、喉も乾かず、便所も不要ですからね、とまるでだんなさ〜の様なことをおっしゃる方もいらしたり、小声でみなさんお話なさってましたの)

(遠くで、ざっざっがらがらと音がしましてのっ、あれはなにやら雨戸を開ける音、やはりどなたかのお宅なのでしょう。閻魔大王が雨戸を開けるとは聞いたことないですものね、あら、閻魔大王に会われたことあるんですか、いやいや、地獄はまだ見た事ないですしね、あら、あちらの世の地獄でしたら、関東大震災や、いやぁ、焼夷弾は怖かった、何をおっしゃる、原爆より数段ましですよ、などと怖いもの比べになりましたのっ)

(それから、とても懐かしい音が聞こえて参りましたのよ。とんとんとんとんって、まな板の上でお野菜を刻む音。するとどなたかが、懐かしいですねぇ、こどもの頃を思い出しますわ。暖かいお布団から抜け出せなくて、夢の世界から出たくない時に、母さんがおみをつけ用のお大根か何かをを千切りにする音、家の朝はパン食でしたから、あれはキャベツを刻む音でしたよ、と別の方がおっしゃったり。♪七草なずな唐土の鳥が渡らぬ先にととんとん♪、あら、少し違いませんかしら、♪すととんとんとん♪でございませんでしたか。どちらにしても季節外れですね、春の七草にしても秋の七草にしても。春の七草はなんでしたっけ、芹薺御形蘩蔞仏座菘すずしろです。秋のは、女郎花尾花桔梗撫子藤袴葛萩ですわ。秋のも召し上がれるのでしょうか、さぁ、薄はちょっと口の中がくすぐったくなりそうですわねぇ。まぁまぁ、春の方は舌で味わい秋の方は目で味わうものですよ、あらそうでしたの、春の方はともかくも、秋の方は我らにも愛でられるわけですな、とか。その内、まな板の音も止んでしまい、またシーンとしてしまいましたの)

(割とご高齢の殿方が、生きておれば障子に穴をあけられますが、などとおっしゃるので、まぁ、お歳を召されても、殿方はそういう事を考えるのでしょうか、と思っておりましたのに)

(私も、同意したのですのっ、障子に穴をあける方にですのっ)

(障子の穴に、桜やかえでに切った紙で穴を塞ぐのも風流でしたわ、と思い出しましたの。すると、お若い方が、いやぁ、障子に穴をあけても向こうはサッシかもしれませんし、それも曇りガラスやも、と)

(さっしがわからなかったのですのっ。ガラスの種類ですかのっ)

(まぁ、あれは穴を塞いでたのですか。わたくし、日本の方は、白ばかりでは面白くないので張り紙をなさってらっしゃるのだと思っておりましたわ)

(カテリーヌさん、障子は、少し穴が空いたからと、その枠だけを替えてもかえって目立ってしまってね、ですから、年末の大掃除の頃までは、保たせたくて)

(然様でしたの。存じませんでしたわ)

(年末の大掃除ですか。懐かしいですわ。いえ、大変でしたわねぇ。畳を上げて、襖も張り替えて。でも、最近はしないみたいですよ。愛も、換気扇とトイレの掃除をいつもより丁寧にするくらいで。それに、ほら、畳や襖や障子のあるお部屋も少なくなってますしねぇ)

(たしかに、最近はしていないですねぇ。僕も病院の方は、きれいに清掃していましたが、それも業者を入れてですからねぇ。医者や看護婦にはさせられないですし。ましてや家の方は、そんな暇はないですしねぇ。ざっと、いつもよりは少し丁寧にするくらいでしたね。昔、おっと、もう昔なんですね。大掃除の後、ほこりだらけになった身体を清めて、新年を前に湯船に浸かるあの嬉しさも、味わえなくなりましたね。やはり、苦が苦しい程に楽も楽しいのでしょう)

(ご婦人が、穴のあけられない障子紙もしれませんわ、とおっしゃって)

(そうそう、最近の障子紙は丈夫なんですよ。ちょっと濡れたくらいでは破れなくて)

(夢さん、そうなんですか。ということは、こう指先が濡れていたので、という言い訳は効かない訳ですのっ。いや、指を突っ込んだのではなく、雫が、それで、などというのは、もう効かない訳ですのっ)

(だんなさ〜、もしかして......)

(ばれましたかのっ。へへへ。いやぁ、これは、こどんらにも教えたんでしたのっ。母さぁには内緒に、と)

(だんなさ〜)

(張り替えてすぐの頃は、新年ですしのっ。客人にみっともないと自制しておったのですがのっ。紙が新しければ新しい程、穴をあけたいとうずうず。母さぁに怒られるかもしれぬ怖さと、穴をあけたいという欲との戦いですのっ。まぁ、その緊張感をこどんらに教えたくてですのっ。もう何十年も前のことですのっ。え〜と、あの広間では、誰も唾も出せず、指に力無く、意味の無い会話でしたのっ)

(だんなさ〜、何十年もの間、わたくしに黙ってらしたのですねっ)

(え〜と、遠くから、板の上を歩く足音がしましてのっ)

(だんなさ〜。穴のあいた障子紙では反古紙にもできませんのよ)

(障子を貼り直すのだから、せめてその前ぐらい、こんらに、思いっきり破ってもよいぞ、と申したいのに、それも止められましてのっ)

(破られると、剥がしにくいのですもの)

(あのぉ、ほごがみって何でしょう)

(襖の下貼りや、備忘紙に使えますでしょ)

(そういえば、女中が、丁寧に端から剥がしてましたわ。あの日本の紙のことですか)

(後に分かったのですが、長い板廊下がございましてのっ、そこを広間と言うか仏間と言うか、私達四十名程が居た部屋に向かって、どなたかが歩いてくる音でしたのっ)

(ぱたぱたぱたぱた、変な足音でした。で、襖がサッと開いて、しわくちゃの素足が見え、あちらの今風の、こう上から下までまっすぐの、絵都が何と呼んでましたかしら。何か面白い言い方してましたわ。あっ、アッパッパーと呼ぶお服の白髪をひっつめにされたご老女と、初夏には似つかわしくない羽織袴の禿げたご老人が入ってらして)

(そうそう、あれにはちと驚かされましたのっ。襖の出入りは立ったままの上、しかも、今のあちらの世は、おなごが先に入り、前を歩くものなのかと)

(だんなさ〜の頃とは時代が違いますものね。何でも西洋流でございましょ。だんなさ〜、あの頃、築地でも銀座でも日比谷でも、西洋かぶれの大和男児は、もう、おなごと腕を組み、馬車に乗る時にもおなごの手を取り、でしたでしょう)

(戦後になってから観ました洋画の世界ですわ。私は、主人の前を歩くなど一度も。パーキンソンで転ぶこともたまにあったのですが、主人は転んだ私を置いてさっさと歩いていってしまいましたわ。後で、みっともない、と叱られましてね)

(まぁ)

(愛は健さんと並んで歩きますし、望は翔也さんの前を歩きますしね。で、望など、翔也さんに早く行こう、ですもの。時代は変わりましたわ)

(で、そのご老女、ご仏壇の前のお座布団に、なんと申しましょうか、ぺたっと、正座ではなく、両脇に脚が出るようにお座りになって、一方ご老人の方は、ご老女のやや斜め後ろに、畳の上に直にきちっと正座なさって。いくら時代が違うとはいえ、ご老人にはお座布団も無いのですもの)

(女性の方が冷えに弱いからかしら。初夏ですとお座布団はなくてもいいからかしら。ユリは夏だったら畳に直の方が好きでした。でも、新しい畳でしたら、汗で汚してしまわないか、気になったと思います)

(で、そのご老女、ご老人がそこにはいないかの如く振る舞うのでしたのっ。もしや、ご老人は、あの家のご養子なのだろうか、肩身が狭い思いに慣れてしまってるのだろうかと思わされましたのっ)

(ご老女がご仏壇の扉にしなびた両手をかけられ)

(私ども四十名程が、注視しましたのっ。四十名の、もしや御子孫の家名が書かれているやもしれず)

(扉は開かれましたわ。大きいご仏壇でしたでしょ。ですから、奥行きもそれなりで、奥の方までご位牌が並んでいて。手前の方でも数年は経っているようでしたが、でもまだ白木に近くて、文字も障子越しの朝の光の中でも読めましたの。蠟燭が灯されて奥の方迄見えたのですが、蠟燭やお線香の煤でなのかしら、汚れていたと申しては失礼ですから、灰茶色とでも申しましょうか、文字も読めなくなっておりましたし、それに、その時気付いたんです。ご位牌に書かれているのは戒名ばかりでございましょ。戒名ではどなたか分からないってことに)




お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。

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