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第九話 セミテリオから何処へ その十五

(♪風の中の木の葉の様に、いつも変わる女心♪)

(まぁ、ご隠居さん、すばらしいお声ですこと)

(いやいや。そんな。ふと思い出したのですよ)

(それ、何でしょう。わたくし、覚えたいですわ。ぜびもう一度お聴かせくださいませ)

(♪風の中の木の葉♪ 木の葉だったでしょうか。ふと、枯れ葉、いや、羽、なんだったのでしょうか。もううろ覚えでね。昔、もう半世紀も前でしょうかねぇ。そうそう、レコードではなくソノシートで聴いたのでしたっけ。オペラの、何か喜劇のような、♪風の中の枯れ葉の様に、いつも変わる女心♪、いやぁ、やはり枯れ葉ではちともの哀し過ぎますね。 ♪風の中の羽の様に、いつも変わる女心、タリラッタタリラァ〜タリラッタタリラァ〜、タリラ〜、タリラ〜、タリララッタタァ〜♪、あはは、うろ覚えですね)

(素敵ですわ)

(マサは本当に歌が好きですのっ。よく次から次へとのっ)

(昔の歌ほど、不思議な事に覚えておりますのよ。繰り返す回数が多いからかしら。それに、これは楽しい調子のお歌ですもの。覚えられたら覚えたいですわ。どなたがお歌いになったのでしょう)

(さて、どなただったか。いや、歌っていたのは日本人の男性でしたよ。日本語でしたしね。でも、元の曲はたぶんドイツかイタリアの、誰だったかなぁ、たしか日独伊の関連で)

(わたくし、その音楽は耳にした事あるように思いますわ)

(ではフランスでしょうか)

(もしかしたら、エノケンが歌っていませんでしたっけ)

(ああ、夢さん、そうかもしれませんね。そういえば、エノケンは天国と地獄やオペラも色々と日本語で歌ってましたしね、あっ、でも、僕が聴いたのはエノケンの声ではなかったようにも思います)

(夢さん、エノケンが歌っていたのかもしれないのですか。まぁ、やっぱり素敵なお歌なのですわね)

(マサさまがエノケンの歌を御存知なのですか)

(ええ、ええ。もう大層素敵な方でねぇ)

(♪ラメチャンタラギッチョンチョンでパイノパイノパイ♪)

(♪パリコトバナナでフライフライフライ♪)

(まぁ、マサさまが御存知なのですか)

(あら、夢さんこそ)

(私は、母に叱られましたわ。女学生がみっともないって)

(おほほ、わたくしも、息子や孫に隠れて歌っておりました)

(まぁ)

(マサも夢さんも、異国の言葉をよく覚えたものですのっ)

(あら、これ、外国語だったんですか。お囃子みたいなものだと思っておりましたわ)

(だんなさ〜、国語ですわ。♪東京の中枢は丸の内、日比谷公園、両議院、粋な構えの帝劇に、厳めし館は警視庁♪)

(おおおっ、よかよか)

(でございましょう)

(私、二番の終わりが好きなんです。♪なんだとこんちくしょうでおまわりさん、スリに乞食にかっぱらい♪)

(おおおっ、それは)

(あら、だんなさ〜、歌のことですから)

(こんな言葉、歌でもなければ、女学生が口に出せませんでしたでしょう。ですから、好きだったんです。三番は三番で、戦中戦後に思い出しては空腹を鳴らしておりましたわ。あら、頂けない今も、少し辛いかしら。♪豆腐みそ豆納豆桶屋、羅宇屋飴屋に甘酒屋、七色とんがらし塩辛や、屑〜い屑〜い下駄の歯入、按摩鍋焼炒焼売♪)

(おおおっ、腹が鳴りそうですのっ)

(♪いつでも戰に出たその時にゃ、野でも山でもみんなどんどん乗越えて♪というのもございましたわ)

(♪俺は村中で一番、モボだと言われた男、自惚れのぼせて得意顔、東京は銀座へと来た♪というのも)

(懐かしいですわ)

(ほんとに)

(♪ラメチャンタラギッチョンチョンでパイノパイノパイ♪)

(♪パリコトバナナでフライフライフライ♪)

(ユリさん、なんだかニコニコしてらしゃる)

(だって、その歌おもしろいんですもの。それに、セミテリオにいたら見られないものばっかり)

(今ではあちらの世でも見られないものが沢山)

(夢さん、そうなんですか)

(ええ、食べ物はともかくも、羅宇屋 屑屋、下駄の歯入なんて、今ではほとんど無いと思います。浅草の十二階もないですし、東京駅からは新幹線ですしね)

(屑屋さん、いないんですかぁ。芥がたまっちゃう)

(今は古紙回収業者とか、都のゴミ収集車とか、そこの道をよく通ってますよ)

(桶屋さんは、無かったらお風呂で困るし、下駄も歯を入れなくちゃ履けないでしょ)

(桶はプラスチックの安いのがたくさんありますし、下駄は履かない方が多いですし)

(そうなんですか。ここが墓地だからじゃないんですね。ユリ、またがっかりしそうです)

(あらあら、ユリさん、この唄、元気が出るのに)

(ほら、♪ラメチャンタラギッチョンチョンでパイノパイノパイ♪)

(♪パリコトバナナでフライフライフライ♪)

(面白いでしょう)

(はいっ)

(やはり、女心と秋の空、ですね)

(エノケンさんその後お元気でいらっしゃいましょうか。もう結構なお年ですかしら)

(もうとっくに。随分前にこちらの世にいらした筈ですわ)

(考えてみれば当然でしょうねぇ。私が直接存じておりました方々、もう皆さんこちらにいらっしゃるのですわね)

(わたくし、割と長生きいたしましたでしょう。ですから、あちらの世の方々とお別れするのは、それは寂しゅうございましたの。でも、こちらの世でだんなさ〜や両親にも会えるかもしれないと、少し楽しみでしたわ。長生きいたしますとね)

(私は、マサやこども達を遺して逝くのは辛かったですのっ)

(ユリは、わからないままこちらに来てしまいました。あの時には......あら、だめです。ユリ、また気分が沈んでしまいそうです)

(それじゃぁ、話しを元に戻しましょう。すぅ〜)

(ふわぁ〜)

(えっ、またですか)

(いえ、そのすぅ〜ふわぁ〜というのはもうなくなり、夜の帳が降りて、朝になって、日がな一日、その、ユリさんのおっしゃる洗濯板のような、こんもり小山がぽつぽつと並ぶ上を浮き進みまして、夕暮れ時には川面が光る大きい川の上を超え、そこに注ぐ小さめの川を上るように浮き進み、朱色に染まる空を映す更に細い川が山の間に見えたのを最後に暗くなりましてね、その時突然でしたのっ。すぅ〜っと)

(ふわぁ〜、ですか)

(いえ、ふわぁ〜はないまま、すぅ〜、すぅ〜とゆっくり、皆が手を繋いだまま、すぅ〜すぅ〜と暗闇の中を落ちて行ったのですのっ)

(わたくし、これが今世最後かと、だんなさ〜と絵都の手をしっかり握りました。気付いた時、わたくし、セミテリオに戻って参ったのだと思いましたわ)

(だが、ぐわっ、ぎゃぁ〜というような声も聞こえましてのっ)

(絵都が、あれは何かしら。化け物、と碧さんに尋ねてましたら)

(どなたかが、ああ、あれはたぶん鷺ですよ、と)

(鷺の声とは思えませんでした)

(どなたかが、あの声は、たぶん青鷺でしょう、と)

(白いのではなくて、ですか)

(この辺ではもう白い鷺も見かけなくなりましたわね)

(青鷺はもっと大きくて、こう、青というより灰色みたいな)

(動物園でなら、僕も見たことありますよ。ほう、あれはそんな声を出すのですか)

(らしいです)

(そんな声もこちらでは聞こえませんでしょう、それに、そんな色の鳥も見かけませんでしょう。ですから、セミテリオでは無いとは分かったのですが、どこだかまだ分からなくて。でも、もう、浮いておりませんでしたの。そのぐわっ、ぎゃぁ〜という恐ろしげな声のみ聞こえる暗闇でまんじりともせず、みなさま両手を繋いだまま、一晩過ごしましたわ)

(それに、畳の香がしましてのっ)

(そうそう、それも新しい、替えたばかりのい草の香)

(あの香は久しぶりでしたのっ。何せ、昨今、人に乗せていただいても、行く先々に畳が無いですからのっ)

(大きな川、少し小さな川、それからもっと小さい川、それから落ちて、ぐわっ、ぎゃぁ〜、い草の香り。い草の香は久しぶりで素敵でしたが、暗闇で見えないのは不安でした)

(ぐわっ、ぎゃぁ〜が聞こえなくなると、木の葉のそよぐ様な音が聞こえてきましてのっ、それから遠くの方で蛙の鳴き声らしきものも。その頃になるとだんだん明るくなってきて、そちらを見ると、なんと障子があるのですのっ。昨今、目にしない障子ですのっ。久しぶりでしたのっ)

(明るくなってきましたので、周りがよく見えるようになりました)

(なんと、我ら四十人程、青い畳の上に、手をつないだまま横たわっておりましたのっ)

(広い、とても広い、四十人程が全く窮屈ではなく手をつないだまま横になれる広さでしたから、どれ程だったのでしょうか)

(一人一畳としても四十畳ですか。そりゃぁ広い)

(で、見上げると、太いはりが)

(まぁ、恐ろしい。仏教でおっしゃる針の地獄ですか)

(えっ、ああ、カテリーヌさん、違いますのっ。天井に渡してある太い木のことですのっ)

(太い木、ですか)

(しかも、継ぎ目がないのです)

(太くて長い木でしたのっ。なかなか手に入りにくいと思いましたのっ。随分高い所にあって、古いのにきれいにみがかれておったのっ)

(古い、ですか)

(彦衛門さまより古いということでしょうか)

(おっ、カテリーヌさん、確かに私は古いですのっ。そして、然様、私より数百年は古そうなはりでしたのっ。縫い物に使う針ではないですのっ)

(ここはどこなのでしょうか、とどなたかがおっしゃり)

(これが次の世なのでしょうか、と別のどなたかがおっしゃり)

(いやぁ、これはあちらの世、今の世の前の、僕達が生きていた世でしょう、とどなたかがおっしゃり)

(それにしても広い。どこか有名な大寺院の広間でしょうかね、とどなたかがおっしゃり)

(私達の内のどなたかのご子孫のお家なのでしょうか、と別のどなたかがおっしゃり)

(皆で、まさか、と顔を見合わせましたわ)

(でも、どなたも、ご存知なくて、怪訝なお顔をなさったり、首を傾げたり、横に振られたり、皆、ひそひそ声で)

(まだ、みなさま、手を繋いだままでしたのっ)

(夜も明けて、部屋の中はどんどん明るくなりましたからのっ、よく見渡せるようになり、あらためて、皆を見回しました。マサと絵都、絵都が寄り添っている碧さんを除けば、やはり知らぬ方々ばかり。そのどなたもこの広間のある家を御存知ない様子)

(奥の方に床の間がございましたの。それも、昨今目にする一畳幅のではなく、昔のような、幅も奥行きも広い床の間。そこには、立派な掛け軸と、一抱えもあるような大きな壷に、ナナカマドとユリとツツジと桔梗と色とりどりの花や枝が、こう、手を広げたように、どこの流派だったのでしょうか。で、その横に大層立派なご仏壇がございました。扉が閉まっておりましたの)


お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。


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