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第九話 セミテリオから何処へ その十三

(あ〜、僕わかりました、ははは)

(えっ、わたくし、わかりませんわ。雫とは、小さな水のことでございましょう)

(そうよ、カテリーヌさん。でも、ユリにもわかりません)

(あっ、おほほ、もしかして、私わかりました。まぁ)

(夢さんにもわかりましたかのっ)

(ええ、犬の散歩でよく。あら、でも昔のことですわ。今は、愛も望もそういうのにはうるさくてね。最近の犬は可哀想ですわ。地面でできないんですものね)

(あああっ、彦衛門さまのおっしゃりたいこと、ユリにもわかってしまいました)

(えっ、ユリさん、おわかりになったのですか。わたくしにはまだ)

(おとしもののことよ、カテリーヌさん)

(おとしもの、ですか。おとしものって、あのぉ、何かを落とすことでございましょう。水が落としたものは、しずくでございましょう)

(ええっ、カテリーヌさん、ユリ、言いたくない)

(何故、みな、然様に言い渋るのであろうのっ。食えば出る、出せねば苦痛であろうがのっ)

(もしかして......)

(ねっ、カテリーヌさんもわかったでしょ)

(まぁ、排泄物を不衛生と思うから口にしにくい言葉であり、不衛生なのは事実であり、不衛生と思う事によって、衛生状態が保たれるわけであり病気にならないでいられるわけで。おっと、しかし、この論法だと、彦衛門殿は不衛生がお好き、いや、不衛生な話題がお好きだということで)

(ははは、私は、うむ、不浄が好きなわけではなく、不浄な話を皆が避けるゆえですのっ)

(嫌なんですっ)

(しかしですのっ、食えば出る、当たり前のことであろうのっ、もっともあちらの世でのことですがのっ。こちらの世では、食えずひねれず、ちと、いや、おおいにつまらんものですのっ)

(その、まんじゅうを並べたようなものは、昔私も気になったことがありましてね、開業医ですからねぇ、別に学会など行かなくてもいいのですが、息子はそれなりに研究熱心で毎年あちらこちらと行っていたわけですよ。で、僕も、病院を休業にしてね)

(あら、病院をお休みにするなんて)

(いやぁ、昔の医院だった頃ならね、そうそう医者がいたわけでもなし。昨今、医者もあふれてますからね。僕のところが休みにしたって、都内はどこかしら開いている。家は入院患者もいませんし。学会は前もって予定が決まっているでしょう。だから、他の医者や看護婦さん、おっと、今は看護士と言うんでしたね、看護士さんや会計やその他従業員の休日にもできますしね。家族経営ですからね、そういう所は気楽なもんで。まとめて一週間休みにしてしまう。というわけで、息子が元気な頃、僕も付いていって、ほぼ日本各地を旅できました。あっ、僕は、学会なんて顔出しませんでしたよ。僕の同窓の連中は偉くなっちゃって、学会長とかなんだかんだと役職に就いていて、挨拶していたそうですがね。ハナが生きていた頃には、ハナと一緒に観光地巡り、美味いものに舌鼓。う〜ん、あれぐらいですかね、僕がハナを喜ばせたのは。といっても、息子に付いて行っただけなんですがね。えっ、息子の嫁ですか、あれは、あんまり。つまりね、学会は学校がある時なわけで、瑞穂が小学校に通い出すと、いや幼稚園からそうでしたね、父は学会でも母は自宅にいざるを得ないでしょう。ハナがこちらに参ってからは、僕一人でのんびりと、街中を散歩したり、ぶらりと博物館や美術館に入ったり、そうそう、図書館で郷土コーナーなども面白いものでした)

(私もそうでしたわ。主人はあちらこちらと毎年出かけても、私は子供達の世話がありましたしね。で、子供達が大きくなって手がかからなくなったと思ったら、もう定年近くて、学会があるからと一緒に旅行できたのは、ほんの数回でしたわ。それに、学会も夜になると飲み会でしょう。結局、夜、私独りでホテルや旅館におりましてもね。テレビもチャンネルの数も数字も違いますし。本は荷物が重くなりますし、老眼ですと読むのも疲れましたし、どうにも手もちぶさたでしたわ)

(なぁんだ、やっぱり女の人は育児で家から出られないのね。じゃぁ、お仕事できないの。つまんない)

(ユリさん、そんなこともないですよ。私と同世代の方でも、お仕事なさってらした方は結構いらっしゃいました。あら、でも、たしかに皆様、子育てには苦労なさって。私も何度かお預かりしましたし)

(ほらね、やっぱり)

(僕の孫娘、瑞穂は今も仕事していますよ。あっ、でも子育て中は、お婆ちゃん、つまり瑞穂の母が相手してましたね。で、そのお婆ちゃんが、つまり僕の息子の嫁ですから、ああ、たしかに、千代子さんは、瑞穂が生まれてから医院の仕事はしなくなりましたねぇ。折角薬剤師の資格を持っているのだから勿体ないと、瑞穂が幼稚園に入ってからは復帰しましたが、それも、医薬分業になってからは、年も年でしたからやめましたしね。で、孫の相手。あっ、大分話しが逸れました。僕の言いたかったのは、その、彦衛門さんのおっしゃるこんもり、マサさんのおっしゃるおまんじゅうが並んでいた風景ですがね、たぶん僕がそうやって息子の学会に付いて行ってた時に山陽本線から見た

景色のことではないかと。その時に、お二人が浮いてらしたのは、山陽地方ではありませんでしたか)

(たぶん、そうでしたの。でも、はっきりとはわかりませんわ)

(もし山陽本線沿いのでしたら、あっ、今は山陽新幹線が走ってますよ)

(はいはい、そういうお話なさってました。新幹線の駅からさほど遠くはなく、と)

(えっ、どなたが)

(わたくしどもが着いた先のお方が)

(あっ、ってことは、彦衛門さまとマサさま、どこかにお着きになったんですね。で、故郷でしたか)

(いえ、宮之城には参れませんでしたのっ)

(あんな山奥に、あんな怖い速さの列車など走ってほしくないですわ)

(あら、どちらでしたっけ)

(薩摩でございます)

(薩摩ってことは、鹿児島県ですわね。もしかしたらそろそろあちらも新幹線が通っているのではないかしら。私がこちらに参ります前に、何年か後には沖縄と四国を除いて新幹線でつながるとテレビで話しておりましたわ)

(ほうっ、薩摩にあの新幹線がですかのっ)

(山奥までですか)

(さぁ、どことどこを繋ぐかは、私も詳しくはなくて。ごめんあそばせ)

(琵琶湖より西か南で、新幹線が走っているとすると、やはり山陽道だと思うのですが、その辺りのその、ポコッとした小さな山々。あっ、横から見るとそう見えたのですが、たぶん、彦衛門さんとマサさんがご覧になったのと同じだと思うのですよ。で、僕、博物館に寄った折に学芸員の方に尋ねて)

(がくげいいん、って何ですか。ユリもなれるかしら)

(ユリさん、学芸員ってのは、博物館で働いている人のことで、おっと、美術館で働く人や資料館で働く人にもいるんだっけ。つまり、その道の専門家で。で、ユリさんも、何かにうんと詳しくなって、どこかそういう所で働きたければなれるのかもしれませんね)

(あっ、やっぱりユリには無理みたい。とっても詳しいことってないし、というか、もうあちらの世にいないし。つまんない。で、専門家って、大学の先生とは違うんですか)

(教えるのが商売ではない筈ですよ。でも、うん、ある道の専門で、学び続けるのでしょうか。ともかく、その道のことにとても詳しい方々でね。で、僕、どこだったかなぁ、広島、いや、岡山、いやぁ、兵庫かなぁ、県立博物館で、学芸員の方に尋ねた記憶があるんですよ。あの小さな山々は何ですかとね。すると、全てを発掘したわけではないのですが、どうも、古墳のようです、との答えを頂きましたよ)

(古墳って何でしょう)

(マサさん御存知ないですか)

(はい、存じません)

(え〜と、私も、あまり)

(ほうっ、彦衛門さんも御存知ないとは)

(いや、申し訳ない)

(いえ、別に謝られる故はないのですが、ついね。僕より昔のお育ちの彦衛門さんやマサさんでしたら、当然御存知だと思ってしまいました。仁徳天皇陵は御存知ですか)

(はい、もちろん。堺にある、周りに堀があって)

(それでしたらわたくしも、だんなさ〜が堺におりました折に)

(ほうっ、彦衛門さんは堺にもいらしたのですか)

(ほんの数年ですがのっ。東京から派遣されましてのっ)

(あの頃はよかったですわ。いえ、あの御陵が、何か)

(ああ、あれも古墳なんですよ)

(えっ、では、わたくしがおまんじゅうと呼んだものは御陵なんですか。あら、まぁ、どうしましょう。御陵の上を飛んでしまったのですか。不敬な振る舞いをお許しください。まぁ、だんなさ〜、だんなさ〜は御陵を何とおっしゃいかけたことか。だんなさ〜、わたくし、だんなさ〜が不敬なことをおっしゃるのを遮ったのですわ。冷や汗ものですわ)

(まっこと、たいへん失敬なことを申すところでありましたのっ。マサに助けられましたのっ。いや、口にはせずとも思っていたのは事実。嗚呼)

(そんなに気にしなくともよいのではないでしょうか。要するにお墓ということで。天皇だって人間、よもや、ここにいらっしゃる皆様の中に、いまだに天皇は神だと信じてらっしゃる方はいらっしゃらないでしょう)

(おほほ、私より少し若い方々は、本当に信じていらしたようですわ。幼い時にそう教えられるとね、信じてしまいますものね)

(いや、私とて、神とは思っておりませんでしたがのっ。しかし雲上人ですからのっ)

(雲上人の地面のお墓の上を雲の下からわたくしども通ってしまいましたのね)

(あら、あの方々はわたくしどものように、気の存在にはなられないのでしょうか)

(こちらの世で会ったことのある方、いらっしゃいますか。同じ墓でもなけりゃ、難しいものでしょう。あっ、でも、同じ人間だったわけですからねぇ。絵都さんがこちらにいらしたり、絵都さんは碧さんに会えた様ですしね。この世も広いというか曖昧模糊。僕達に体積があるのかないのかすら、よくわからないですからねぇ。あっ、それで、その山陽道辺りにある古墳の数々は、何も天皇家のものと限ったわけではなく、豪族の墓や、その後の時代の武将の首塚や、つまり、長い時代の戰の中でつくられ、奉られ、いつの間にか寺社ができたり、お参りの存在になっていったということでした。ほら、幼い時から祖父母に連れられてお参りしていて、お参りするのが日常になって、お参りするんだから何か凄い存在がそこにはあるんだと、信じる信じないではなく、もうそれが当たり前になってしまうような。あはは、寺の後継ぎだった僕が言ってはいけないでしょうか。医者になってしまった不肖の息子とはいえね。でも、信仰ってそういうものなのですよ。ですから、自ら信仰心を持とうとして持つのはかなり難しい。また、信仰心を捨てるのもかなり難しいわけで)

(そういえば、女中が八幡神社のお狐さんに油揚を毎日備えておりましたわ。あれも信仰心ですものね。お狐さんが神さまになる日本って面白いと思いましたわ)

(ああ、あれは、狐が神なのではなく、狐は神の使いだとか)

(でも、お供えした油揚げが毎日無くなってたそうですわ)

(おほほ、どなたかが持って行って召し上がられたのでしょう)

(ユリだったら、お狐さんが食べたんじゃないかって、神様へのお供えをずるして)

(いやぁ、本当に狐がいたのかもしれませんよ)

(カテリーヌさんのいらしたのは東京でしたわね。あの頃、東京に狐がいてもおかしくは無いですものねぇ)


新年あけましておめでとうございます。

お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。


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