第九話 セミテリオから何処へ その十二
(鹿児島、いえ、薩摩では、昔の方は泳がれなかったのですか)
(いや、同じ薩摩でも、海の近くで育ったものはのっ。しかし、故郷宮之城は、何しろ山奥)
(川ぐらいございましたでしょう)
(然り。しかし、川内川は上って来るのは船頭泣かせの急流でしてのっ。まぁ、水夫ならともかくも。だが、私も泳法の名前ぐらいは知っておりましたのでのっ、草の脚のみならなんとかなるのではと思い、提案したのですのっ)
(すると、今度は、草とはなんでしょうと尋ねられましてのっ。脚をこう動かしましたらのっ。おっと、いくら気の我が身とて、地上では足をうまく動かせないものですのっ。ほうっ、やはり、あの体験は、空を泳いだということになるのですのっ。ふむ、気の身には、陸上よりも空の方が居心地が良いということですのっ。あっ、それ、平泳ぎの脚の形ですわ、とどなたかがおっしゃってのっ)
(みなさんで試してみたのです。でも、少ぉしふわぁ〜と上に動くだけで)
(すぅ〜とは落ちませんでしたのっ)
(よかったぁ。ユリ、また、さっきのすぅ〜、ふわぁ〜が始まるのかと思いました)
(実は私は、脚を動かすのがだめならば、屁というのも提案しようと、マサに相談したのですのっ)
(おならでございますのよ。お恥ずかしい。でもね、草の脚さばきでもふわぁ〜、すぅ〜でしたから、おならでも同じではないかと申しましたの。それに、気のわたくしどもに、おならができるものでしょうか、とも。だんなさ〜は試してみなければわからぬと、おならを出そうと)
(残念乍ら出せませんでしたのっ)
(ですから、だんなさ〜は提案なさらず、わたくしも恥をかかずにすみました)
(彦衛門さんは、本当に下の話しが好きですねぇ)
(然様。人間、食って出すのが基本であろうのっ)
(ははは。僕なら呼吸が基本だと思いますよ、いや、心臓かそれとも脳か、いやぁ、これはたまごとにわとりになりますから、いや失敬の独白)
(結局、輪になっている以上、どちらかに進むというのは、我々には無理だということになりまして)
(するとまた、別の方が、それでは一直線になればいいと提案なされて)
(そこからが大変でしたわ)
(まぁ、どうして)
(夢さん、輪になっている時には、どの方も、両手がお隣の方とつながれておりますでしょう)
(はい)
(でも、輪でなくなるということは、輪の中のどなたかとどなたかがお手を放さなければなりませんでしょう)
(はい)
(でも、どなたもお放しになりたくなくて)
(あら、でも、お久しぶりにお話しになれた絵都さんご夫婦ならまだしも)
(いやいや、私もマサとは手をつないでいたままでいたかったですしのっ)
(でも、彦衛門さまの片手はマサさまでも、もう一方の手は、どなたか知らない方ではなかったのでしょうか)
(そうでしたのっ。私の左手はマサと、私の右手は知らぬ若輩)
(わたくしは、右手はだんなさ〜と、左手は絵都でしたもの。どちらの手も放したくなかったですわ)
(でも、彦衛門さまは、え〜と、右手はお放しになっても構わなかったのではないでしょうか)
(いやいや、それがですのっ、もうその時迄二晩三日あるいはそれ以上、江戸、もとい東京上空辺りから集まった見知らぬ者達が富士を超えて琵琶湖を超えて、手をつないだまま漂っておりましたからのっ、こう、なんと申すか、離れ固いものがございましてのっ)
(つまり、ははは、一直線になるには、両端になる方が心もとなく感じられることになる。よって、どなたも、たとえ片方とはいえ、手を放したくはない、ということですね)
(ご隠居さん、そうなんですよ)
(なんだか、ユリ達みたい、いえ、ユリのお年頃ならわかるんですけれど)
(というわけで、結局一直線にもなれず、輪っかのままそれ以上泳法を試すこともできず)
(まぁ、でも、よかったのかもしれませんわ)
(どうして)
(一直線になれて、行く方向を決めるってことにもしなってましたら、たぶん、行き先でもめたことと思いますのよ)
(確かにそうですのっ。私はそこまで考えませんでしたがのっ。確かに)
(でございましょう。だんなさ〜とわたくしは、宮之城に参りたいと願っておりましたが、絵都は碧さんと楽しかった大連にまた参りたいと申しておりましたし。空を漂うのはお嫌で元の地面のお墓に戻りたいとおっしゃってる方もいらっしゃいましたし。たぶん、一直線になってましたら、もめたことと思いますわ)
(なるほど)
(そんなこんなで、お江戸から富士のお山、富士のお山から琵琶湖までは速かったように覚えております。たぶん、二日ぐらいだったのでしょう。でも、琵琶湖からは遅々としてどちらにも進まず)
(我らの運命、ここに尽きたり。などと申す御仁もおりましたのっ)
(琵琶湖の天上の守り神にでもなるのでしょうかとおっしゃる方も)
(そういえば仏像の周りには後輪がありますねぇとどなたかがおっしゃって)
(ああ、あれは、光背と言うのですよ。つまり後光。キリストやマリアの後ろにもありますよね、カテリーヌさん)
(はい、マリアさまやイエスさまの後ろにも。象や絵では必ずあったと思いますわ)
(ユリ、あれが、不思議だったの。だって、輪っかじゃなくて、火が燃えているみたいなのもあるでしょ)
(ああ、不動明王の後ろには、炎が付きものですね)
(キリスト教でも仏教でも、頭の上にも輪がありませんかしら)
(ああ、キリスト教では多いですね。仏教でもたまに。僕、小さい頃あれが不思議でね、父に尋ねたことがあるんですよ。父は、威光を示すためと思われがちだが、火教、ゾロアスター教の影響だろうと申しておりました。仏教やキリスト教よりも古いですからね)
(へぇ〜。仏教やキリスト教よりも古いのがあるんですか。ユリ、知りませんでした。あら、でも神道は仏教より古いでしょ)
(仏教が日本に入って来る以前に神道はありましたが、神道はいつから始まったかが明らかでないようですよ。というわけで、どちらが古いかは定かでないということになってますね)
(それで、琵琶湖の上で輪になっておりました時には、わたくし共も、光りの輪になろうとしているのかもしれませんね、などとおっしゃる方がいらして)
(しかし、それですと、我ら輪のまま琵琶湖の上ですぅ〜)
(ふわぁ〜)
(をまだまだ繰り返すことになるのだろうかと、ややうんざりしましてのっ)
(ユリも今ちょっとだけうんざりしそうになりました。また、彦衛門さまとマサさまのすぅ〜ふわぁ〜が続くのかって)
(いや、結論から先に申しますとのっ、もうすぅ〜ふわぁ〜はその後、ほとんど無かったですのっ)
(よかったぁ)
(しかし、小生光っておるのですかね、と申した者がおりましてのっ)
(すると、いやぁ、自分たちでは気付かないだけで、下から見たら光っているのやもしれず、と返す方もいらして)
(そんなことはあり得ないでしょう、とどなたかが申せば)
(いやぁ、こんな気の存在になるなど夢にも思っておりませんでした、とどなたかが返され。そうそう、ましてや、こんな空を漂うなど、と別の方がおっしゃったり)
(江戸辺りから富士を超え琵琶湖上空まで、あまり口を開かなかった我らも、黒売るで肩の凝りがとれたのか、こう、なんとのう親しくなり初めて参りましてのっ)
(でも、まだご近所付き合いという程でもなくて。相変わらず碧さんと絵都は寄り添っておりましたが)
(彦衛門さまとマサさまも、でしょ)
(ユリさん、然様な恥ずかしいことは薩摩男児にはできませぬのっ)
(あら、だんなさ〜、わたくしの手をしっかり握っておりましたわ)
(いや、それはその)
(琵琶湖の上空の光輪になれるのも光栄などとわたくし観念いたしておりましたのよ。宮之城に行かれなくとも、光輪でしたら、あちらの世の次のこちらの世の終わりに、すばらしいことですわ、などと)
(そうやって数日間琵琶湖の上におったのですがのっ)
(まだ、和気藹藹という程ではなかったですわ)
(何しろ数日間、例のすぅっ〜)
(ふわぁ〜)
(が続いておりましたのでのっ、元気もなくなりましてのっ)
(気の存在ですもの、気疲れいたしました)
(それでこちらにお戻りになられたのですか)
(いえ)
(突然と申すか、いや、やはり突然だったのですかのっ)
(夜の帳が訪れて、いや、夜の帳が訪れるのが突然だったのではなく、朝になったら、下に琵琶湖が無くてのっ)
(しかし、どの方向に進んでいるのかはまだ定かではなく、前方左手に太陽があったので、たぶんに、やはり宮之城の方に向かっているのだと)
(だんなさ〜がそう申すものですから、わたくし、また故郷の野山を思い出しまして、嬉しくなりましたの)
(しかしですのっ、どこにいるかが分からないのは、不安なものですのっ)
(下に見えるは、小さな山、そういう山が田畑の真ん中にぽつんと)
(いえ、ぽつんでは一つになってしまいますわ。ぽつんぽつん、ぽつんぽつん、と、沢山並んでいましたのよ)
(妙な風景でしたのっ。平らな中にあちらこちらに、こう、こんもりと)
(おまんじゅうをばらばらに置いたみたいでしたわ)
(マサ、今、私が話し続けるのを割って入ったのっ)
(だんなさ〜が何をおっしゃりたいか、分かってしまったのですもの)
(えっ)
お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。
よい新年をお迎えください。