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第九話 セミテリオから何処へ その十一


(本土ですら敗戦後はそうだったのですからねぇ。そりゃぁ、戦地や逃避行の最中には恐ろしい噂も実話もどんどん広まる。軍や兵にしてみれば、自分たちが敵にしてきたことを敵が自分たちにしないなどとは思えない、言えない。女達は陵辱され男達は奴隷にされる、そんなくらいなら生きて辱を受けるよりは自決を選ぶ。追いつめられて自決してしまう。怖くて、美学や戦陣訓だけではなく。元々、切腹という習慣もありましたしね。そういう考え方になってしまったのでしょうね。僕ね、不思議だったんですよ。大陸や半島や南島で、兵が陵辱した各地の女性が、妊って、中にはそれこそ自殺した人もいたそうですが小数で、堕ろす術も無く、多くは妊ったこどもを産んでいる。まぁ、赤子が生まれて来てから殺すというのは結構あったそうですが。敵の子を産むというのが、日本人の感覚からは耐えられない、何とか堕胎しようとするんじゃないだろうか、いや、それとも、母体に宿った生命は、母性愛に訴えてくるのだろうか、それともその子の半分は自分だと思うのだろうか、ともね。まぁ、戦中は知らなかったわけですが、戦後、不思議に思いはじめたわけですよ。そりゃあ、戦後の日本でも妊ったパンパンが堕胎せずに産むということもあったわけですが。覚悟して、やむを得ずその職についた以上孕む可能性はあったからなのか。あるいは単に堕ろす術が無かったのか。それにしても、帝国陸海軍が進展した各地で、生きて虜囚の辱を受けずとばかりに自決したその地の人々って、いたかもしれませんが、あまり聞かないでしょう。日本に占領された外国の女達と外国に占領された日本の女達と、この違いは何なんだろうか、とね)

(たしかに、大阪城でも天草でも、女子供が自決してますわねぇ。でも、あれは、敵に殺されるくらいなら自分でということなのではないでしょうか)

(マサさん、でも、敵に殺されないかもしれない、とは思いませんか)

(でも、辱めを受けるかもしれませんもの)

(辱めを受けても、殺されないかもしれない、とは思いませんか)

(辱めを受けるくらいなら、自決いたします)

(ほらほら、そこなんですよ。生きる希望よりも、死ぬ美しさ、ではないでしょうか)

(美しいというよりは、生きていて辛いかもしれないならば、さっさと死んでしまいたい、のように思います)

(そこなんですよ。どうも、そこが日本人に特有なのかもしれなくて。どうも、日本人は死を恐れなさ過ぎる、と言われているようなんですよ。辱めを受けて、でも生きていたら楽しいことがあるかもしれない、とは思わない人が日本人には多いらしくて)

(私、こちらの世界があるなんておよそ思ってもみなかったのですが、でも、死んだら楽になる。死んだら主人の暴力から逃げられると思って自殺しようとしましたわ。失敗して、でも、後になって考えると、失敗したのは幸いでした。死ななくて良かったと思えましたもの。愛の家に参ってからは、愛や夢や動物達と楽しい末期を過ごせました。後から思えば、あの時自殺に成功していなくて良かったと思いますけれど。自殺に失敗した時にはもうとても残念で。パーキンソンになった私には自殺する術もないのかと)

(でしょう。生きていれば良い事もあるでしょう)

(でも、嫌な事もありましたわ。自殺できなかった時、主人はものすごく、いつも以上に腹立てて暴力ふるわれましたし)

(生きていれば良い事があるって、ユリは思ってました。でも死んじゃったけど、ユリは自殺じゃないし)

(わたくしはもう、生きていたいとは思っておりませんでしたわ。もう充分生きたと思っておりました。で、こちらの世でだんなさ〜と再会できましたし)

(嬉しいことを言ってくれるのっ)

(そういうこと、あちらの世にいらした時にもおっしゃってくださればよかったのに)

(いや、薩摩男児としては、なかなかのっ)

(いいなぁ、ユリ、そう言える方に巡り会いたかったです)

(うらやましいですわ)

(あら、カテリーヌさんは、ロビンちゃんがお傍にいらっしゃるもの)

(でも、ユリさんもご両親がご一緒でしょう)

(でも、もう、お墓の中で、何も話かけてくれません)

(話しかけられるのもねぇ)

(そりゃそうですね。夢さんは、ちと、いやだいぶお辛い、あれではね、いや、すみません)

(で、そんな次第でね、どんどん琵琶湖に向かって落ちていくわけですよ。手をつないだ三四十人の輪がすぅ〜と落ちて)

(すると、今度はふわぁ〜と浮いて)

(またしばらくすると、すぅ〜と落ちて)

(またふわぁ〜と浮いて)

(すぅ〜と落ちて)

(ふわぁ〜と浮いて)

(すぅ〜と落ちて)

(ふわぁ〜と浮いて)

(すぅ〜と落ちて)

(ふわぁ〜と浮いて)

(あのぉ、いつまで繰り返すのですか)

(わたくし、伺っておりますだけでも気分が悪くなって参りました)

(しかしですのっ、繰り返されたのですよ)

(ジェットコースターの様ですね)

(夢さん、たしかに、そうそう、ジェットコースターかもしれませんね)

(それ、何ですか)

(遊園地の乗り物ですよ。後楽園にできたのが最初でしたかねぇ)

(あれ、いつ頃でしたかしら)

(オリンピックの少し前頃でしたかね。瑞穂が乗りたいと言って、私も一度だけ。あんなもの、金出して乗る気が知れませんよ)

(私も苦手ですわ)

(後楽園に乗り物ですか、まぁ)

(私も訪ねたことはないのですがのっ、見事な庭園だそうですのっ)

(そこに遊園地ですか。まぁ)

(池田藩でしたかのっ。新し物好きなのですのっ)

(あっ、いえ、その後楽園ではなくて、東京の後楽園ですよ)

(東京に後楽園ですか)

(ええ、遊園地ですけれど。今は、野球場と一緒に東京ドームって言うのでしたかしら。でも、昔は後楽園って呼んでいたんです)

(で、そこに、すぅ〜と落ちて)

(ふわぁ〜と浮く)

(乗り物があったのですかのっ)

(ええ、スピード、あっ、速さも速くて、天井のない電車の小さいような)

(ふむ)

(それが、山、と言っても低い山みたいな上のレールを登っていって、登ったぶんだけ次に落ちる、そのくり返し、あの頃、二度登って二度落ちるのが二周か三周で終わりでしたか)

(そのくらいでしたかしら。子供達三人とも好きでしたわ。何度も並んで)

(並ばなけりゃ乗れないものなのですか。しかも金を払って。おっ、もしかして、あれのことかのっ)

(えっ、彦衛門さんの頃にもありましたか)

(いや、私は乗ったことも見た事もないのですがのっ、上野の内国勧業博覧会場にエゲレスからのがあったとか、新聞で読みましたのっ。ふむ、あれがそういうものだったのですかのっ。しかしですのっ、私とマサが琵琶湖の上で体験いたしましたのはですのっ、たぶんに、ちと違うと思いますのっ。何よりも、金は払わなかったですのっ。まぁ、払えと言われたとて払えませんでしたがのっ。それに皆で手をつないだままでしたのっ。すぅ〜と落ちて)

(ふわぁ〜と浮いて)

(すぅ〜と落ちて)

(ふわぁ〜と浮いて)

(すぅ〜と落ちて)

(また繰り返すのですか)

(でも、本当に何度も何度も繰り返されたのですもの。ふわぁ〜と浮いて)

(すぅ〜と落ちて)

(ふわぁ〜と浮いて)

(すぅ〜と落ちて)

(まだ繰り返すのですか。いくらこちらの世が永遠かもしれなくとも、日が暮れてしまいます)

(日が暮れたら暮れたで、明日がある)

(まぁ、ずっと繰り返されるおつもりですか)

(いやいや、そのすぅ〜)

(ふわぁ〜)

(マサ、あれは一昼夜続いたのでしたかのっ)

(でございましたわ。そのままふわぁ〜、すぅ〜で気は滅入りませんでしたが、わたくしも気分が少々すぐれなくなりましたの。そんなまま日が暮れて、たぶん、夜の間もふわぁ〜、すぅ〜が続いておりましたのよ)

(で、翌日、たぶん翌日だと思いますがのっ、どこぞの山々の間から朝日が昇り、いや、その、日が昇ったのですからのっ、当然そちらが東なのでしょうがのっ、山の名前はわからなかったのでしたのっ。で、まぶしくて気付いて、下を見たらまだ琵琶湖の上なのでしたのっ。すぅ〜と落ちて)

(ふわぁ〜と浮いて)

(というのはもう収まっていたのですがのっ。どこにも進んでいない。琵琶湖の上のまま)

(やはり勾玉の力で琵琶湖に吸い込まれて水没するのでしょうか、などと思っておりましたわ)

(その時でしたのっ。手をつないでいた三四十人の中でも若い、若いと申してももう四十は過ぎてましたかのっ)

(殿方が、皆で黒売るをしてみたらいかがでしょう、とおっしゃって)

(私もマサも黒売るというのがわからなくて)

(他にも私共と同じように怪訝なお顔の方がいらして)

(するとですのっ、こうやって泳ぐことですよ、と腕を後ろに一旦ひっこめ、前に突き出した)

(皆さん、お手をおつなぎになって浮いておりましたでしょう、輪っかになって)

(ですからのっ、その四十男がその動作をすると、いかなる混乱が生じたことか)

(こう、順々に腕が回るんですの。それで、止めたくともお隣の方が動かされて、それがぐるぐる続くわけでございましょう。で、段々輪っかが小さくなりまして、あちらこちらでぶつかりあい、痛さは感じなくとも、なんとも)

(まぁ、あの動きで、私は、黒売るというものが、泳法だとはわかりましたがのっ。しかしながら、私は泳ぎを知らないものでしてのっ)



お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。

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