第四話 セミテリオのこども達 その九
(ユリ、こういうお話より、あるがままの見たままをお話する方が楽です。元に戻して続けさせてくださいませ)
(大歓迎ですのっ。歯磨きから話がまただいぶ逸れましたのっ)
(はい、で、歯磨きが終わったらお休み時間で、外に行って走り廻る子や、お教室でご本を読んだりおしゃべりしたり、黒板に絵を描いたり、今の内に宿題終わらす、ってがんばってた子も。そうそう、教科書に落書きしている子もいました)
(なんとっ。書物にらくがきだとっ。もったいない)
(ユリもそう思いました。でも止められませんでしょ。あっ、それと、ほら、みなさま、あの亀歩き青年の家にも置いてあった水色の薄くて細長い箱、覚えてらっしゃいますかしら)
(あの亀歩き青年の妹の机の横にあったこのくらいの水色の箱かな)
(そうそう、それ、虎ちゃん。あの女の子の名前、何でしたっけ。ごめんなさい、忘れてしまいました)
(あちらの世界には何億何十億といて、こちらの世界にはもっといて、名前を覚えるのは大変ですからな)
(忘却の彼方ですわ)
(あの水色の箱の中にね、オルガンみたいなのが入っているんですよぉ。びっくりしました。脚で踏むんじゃなくて、口で吹くんです。管を付けてね。それで、お休み時間に、あの水色の箱から出して、数人で一緒に吹いて弾いて遊んでるこども達もいました。お教室の後ろの棚、あっ、これもこどもの名前がそれぞれ書いてあって、そこにあの水色の箱が入っていて、みんなが持っているみたいでした。ほんと、今の日本って裕福なんですね)
(わたくしには、ユリさまも恵まれていると思えるのですよ。ユリさまは尋常小学校でお勉強なさいましたでしょ。わたくしの頃には、おごじょには学は必要ない、でしたもの。今はお子たちは誰でも学べるのですね)
(ユリは高等小学校にも行かせてもらいました。お勉強はそれほど好きではなかったんですけれど、うふふ。え〜と、それで、お休み時間が終わるとお掃除で、お当番さんだけじゃなくてみんなで一緒に。窓を開けて、あっ、この前みなさまであの亀歩き青年の家に行った時、それからカテリーヌさん、この前の隼人君のお家、あそこでもご覧になった窓硝子、昔のと随分違ってましたでしょ。学校のはね、もっと厚くて、もっとしっかりしていて、そうそう、私の頃と比べたら窓が大きくて、ですからお教室の中が明るくて、お掃除するとほこりがきらきら輝いて見えてました。ユリ、なんだか鼻がむずむずしそうになりました。うふふ、私たちってくしゃみできるのかしら、なんてね。お掃除の後は、午前中の続きのお勉強で、その次、そうそう、二年生なのに六時間もあるんですよぉ。六時間目は音楽で、あの水色の箱の中のオルガンみたいなのを使うのかしらと思っておりましたら、使わないんです。贅沢でしょ。使わないのにみんなが持っているなんて。音楽鑑賞だからって、四階にある音楽室って所に行きました。階段もね、木じゃなかったです。音楽室にもお教室と同じようにお机とお椅子が一人ずつのがあって、でも、お教室より広くて、てっぺんの無い大きなピアノや高い脚の木琴や横向きの大きな太鼓や色々な形の楽器が並んでいました。壁には、カテリーヌさまみたいなお服の殿方の怖いお顔の額縁に入った写真がたくさん並んでいました。みなさん虎ちゃんみたいに髪が長くて)
(実は、これも僕の中の僕のあるべき姿でして、先ほども申しましたが、実際に僕が高等学校に通っていた頃には坊主頭でした)
(でも髪の色は茶色や白や金でした。日本人のお顔は御真影もなかったのに。ユリは明治と大正の御真影にお目にかかれましたのよ)
(ほうっ、西洋では昔から写真があったのかのっ)
(おじいちゃん、絵だと思うよ。だって、モーツァルトとかベートーベンっておじいちゃんより百年ぐらい前の人だもの)
(そうです。モーツァルトは墺太利の方、ベートーベンは独逸の方だったと思います。わたくしが仏蘭西におりました頃にも既に有名でしたわ)
(それで、池田先生がね、このくらいの丸い、いえ、レコードじゃないです。レコードでしたら目にしたことございます。黒くないんです。銀色かしら。小さくて、きらきら光るんです。その丸いのをどこかに入れたら、びっくりしました。気絶するかと思いました。気絶したらセミテリオに戻れましたのにね。だってね、音楽教室の四隅から蠅の大群が飛び出してくるかと思って怖かったんですよぉ。そしたら、熊ん蜂は飛ぶって音楽でした。その蠅じゃなくて蜂の音は本物ではなくてヴァイオリンの音だそうです。それともう一曲聞きました。今度はピアノの音で、土耳古行進曲でした。モーツァルトって人のとベートーベンって人のを両方聞きました。先生が、壁の上の方の写真を指して、この細くて若い人がモーツァルト、この白髪を振り乱して目がぎょろっとしている人がベートーベン、って説明してらっしゃいました)
(しかし、なんだのっ、墺土利と独逸の御仁が土耳古の行進曲とは、どういうことかのっ、土耳古は人気の国なのかのっ)
(さぁ。びわちゃんのお隣の男の子は、蜂の大群の音にもめげずっていうのかしら、気にしていなくて、教科書をぱらぱらめくるから、ユリは覗いて見ていたのですが、日本の曲はみつけられませんでした。ユリが尋常小学校の二年生だった頃どんな歌を教わったかなって、日の丸の旗とか案山子とかだったかしら、日本の歌ばっかりでしたのに。あっ、日の丸の旗の歌はなかったけれど、一番最後の頁に君が代は載っていました。運動会の前に練習しましょうって、校歌と君が代を一度だけみんなで歌っていました。あの歌は変らないままなんですね。でも、なんだか、言葉は同じでしたが、調子が少し違った様な気がしました)
(あれは元は薩摩の恋歌でのっ)
(万葉集の詠み人知らずだって、僕聞いたけど)
(左様かのっ、薩摩人が好きな歌での、島津の初代のお殿様が好きな歌だと思ったが。好きなおごじょにいつまでも長生きしてほしい、という歌だのっ、いや、好きな青年がという説もござったのっ、いづれにせよ恋歌だのっ。薩摩藩士が明治政府最初の軍楽隊となって演奏した筈だのっ)
(曲は外国の方がお作りになったのではなかったかしら)
(英吉利公使館のフェントン氏が苦労なさったとは、我が輩も耳にしたことはござるが、その曲では歌い辛いとかで、次に独逸のエッケルトが編曲したのではなかったろうか)
(ロバート殿、お詳しいのっ)
(我輩来日のたかだか四半世紀程前のことですからな。明治政府にはお抱え外国人がまだ多かった、とはいえ、いわゆる西洋文明国の中で二流国亜米利加の国民、いえ当時は外交官といたしましては、色々と異人の活動は気になることでしたからな)
(あのぉ、それで音楽の授業は終わって、みんなで一階のお教室まで戻って、そこで宿題や連絡のまとめをして、さようならをして、みんなお家に帰るんだなぁ、ユリもセミテリオに帰りたいなぁ、カテリーヌさまは大丈夫だったかしらなんて思っていて、帰る方法を探っていたんです。そしたらね、お家に帰らないんですよね。あっ、学校は出たんです。朝と一緒で、ジミニちゃんとカタリナちゃんと彩香ちゃんとおとなりのお教室の子と一緒にね。カタリナちゃんはお隣のお教室の子と体操教室に行くからってそこで別れて、あっ、そうでした。あのね、さようならって言わないんです。みんなバイバイ、なんです)
(校門で何を売り買いするのかのっ。それとも倍々かの)
(だんなさ〜、お別れの言葉でございます)
(おう、グッバイでござるな、そのバイが二つ重なっておる、ふむ)
(びわちゃんとジミニちゃんと彩香ちゃんは手をつないで行きました。道の向こう側に幼稚園と教会が見えて、あっ、昨日はカテリーヌさまとご一緒でしたのに、ユリ一人で寂しいです、って一寸しんみりしていました。それでチェリーに入って行ったんです。チェリーってさくらんぼでしたよね。でも、ほら勧工場みたいなお店です。なんでも売っているような、そこで浅草十二階にありましたが乗せて頂けなかった箱が上がっていくの)
(うひゃっ、僕、ユリちゃんって呼んではいけない気がしてきた。ユリちゃんって浅草十二階知ってるんだぁ。僕が生まれた時にはもう過去の物だったってのに。あれ、僕が生まれる前の震災で崩れたんだからっ。あっ、え〜と、それ、エレベーターって言うんだ)
(デパートでエレベーターに乗ると、若い女性が乗っていて、乗る度、降りる度に扉を開けてお辞儀してくださいましたわ。網の様な扉もございましてね。上がる時も下がる時も耳が変になったのを覚えております。狭い所に閉じ込められるのが少し気味悪かったですわ)
(ほうっ)
(そうそう、そのエレベータってのに乗って、チェリーの上の方に行ったの。そこが英語のお教室で、幼稚園みたいに、色々な色のお椅子やお机がありました。びわちゃん達がお靴を脱いで入っていくと、水色の絨毯が敷いてあって、そこの大きな机に異人さんの若い女性と日本人の若い男性がいらして、は〜い、って言うんです。するとびわちゃんたちもは〜いって言って、ご挨拶みたいでした。ジミニちゃんが、先生暑いよって言って、そしたら男性の方が何か小さい箱みたいなものを手にして天井の方に向けたら、ユリ、びっくりしました。セミテリオにすぐ戻れるほどにはびっくりしなかったのですが、天井から風が吹いてくるんですっ。天井見上げても大きな扇風機があるわけでもなくて、でも、やわらかい風でした。他にも何人かこども達がやってきて、異人さんの女性が黒板、え〜と、今度は緑色じゃなくて、白いので、白板かしら。そこに絵と英語の字が書いてあるのをぺたぺた貼っていくんです。磁石みたいでした。白板が磁石なのかしら。大きく書いてある英語の字を読んで、同じくらい大きな絵の英語を言ってるらしかったです。絵の下の方に全部で四つ文字が書いてありました。硬い感じの大きい字と小さい字、丸っぽくて右に傾いた軟らかい感じの大きい字と小さい字、一つの文字に字が四つあるらしいです。たいへんですわね)
(日本にも色々な書体がござろう。我輩がこちら、いやセミテリオでなはく日本に参った当初はまだ漢字ばかりの文書が多かったが、その漢字にも楷書行書草書隷書他にもござろう。しかも日本語には漢字のみならずひらがなカタカナ、英文字表記もござる。日本語の方がたいへんですな)
(だから、漢字をなくそう、とか、全部横文字表記にしようとか、明治大正時代に言われていたけれど、ほら、僕の頃は逆に全部日本語にしようとしていたんだ。敵性言語とかでね)
(我輩は漢字には苦労させられましたが、慣れると便利至極。何しろぱっと見てぱっとわかる、紙を無駄遣いしないですむ。ただ、タイプライターは、文字数が多い日本語では作れないだろうと思っておりましたがな、最近はあるんですな、驚きました。一台で色々な国の言語が打てるようでしてな)
(ロバート殿、そのタイプライターとは何ぞや)
(紙を挟み文字の小さな板を打ちますと、文章が書ける機械でござる。便利なものでしてな、誰にでも印刷したような文字が打てるのでござる。紙に一行打ちましたなら取手を持ちて右から左に戻す、すると、紙の行が一段下の先頭になる。その時のチンガシャッという音が何とも言えず近代的な音に響きましたな)
(ほうっ、便利なものでござるのっ)
(ユリさま、英語の字なのですが、英語だけではなく、色々な言葉であの字は使いますのよ。わたくしの国、仏蘭西でも同じ字を使いますの)
(貴女のお国では英語にない文字も使いますな。瑞典語、独逸語、西班牙語や葡萄牙語、伊太利亜語にも英語に無い文字がありますからな、英語はABCの文字数が一番少ないと思います。虎さん、英語は勉強しましたな。疑問文の最後に付くはてな印、西班牙語では文頭に逆さになって付くのでござる)
(へぇ、面白そう、最初から疑問文だと分かるのはいいですね)
(同じ字が色々なお国の言葉で使われるのは、漢字が日本と支那と朝鮮で使われるのと同じなのでしょうか)
(漢字の場合は、その文字で同じ意味なのだと思うが如何でござろう。ABCの場合は同じとは限らないが)
(ロバート殿は何カ国語も操れるのかのっ、流石、元外交官)
(いえいえ、我輩が操れるのは英語日本語仏蘭西語のみでござる。ただ、屢々他国の言語を目にいたしました。おっと、古代羅丁語と古代希臘語も教養として学ばされはいたしましたが)
(お隣は独逸や伊太利亜でしたし、夫は英吉利でした。確かに基本的な文字は同じですが、ロバートさま、希臘は文字が異なりますでしょ)
(然様ですな)
(ユリのお話、続けてもよろしゅうございますかしら)
(はいはいユリちゃん、いやユリ様かなぁ)
(ユリちゃんでいいです。その方が若返ります。それで、白い黒板、変ですわね。白板に貼ったのと同じ絵の歌留多取りしました。ですからユリも少し英語をお勉強したんです。同じ字から始まる言葉が数枚ずつ、それぞれの絵が描いてあるんです。今でもいくつか覚えてますよ。蛇の形をした文字が蛇の言葉の最初の文字で)
(おう、すねーくのSですな)
(逓信省の記号の上の一本少ないのが、とぅーめーぃとーぅ、トマトのてぃー、でしょ。それで、そのままの音でお茶って意味もある、でしょ。それから、あっぷぅがえいで始まってえいこーんってのがあってこーんってのは唐黍で右側が開いている丸)
(りんごとどんぐりにロバートおじさんの好きな物、しぃの字)
(然様、虎さん覚えていてくださり有り難い。嗚呼、懐かしの我が故郷の味)
(丸はおぅで丸ばつでおうし。縦棒一本が、あいで、私。お魚が上向いて口を開いているのがえむでお猿さん。それぐらいかなぁ、あっ、あと書がぶっ、でしょ)
(ユリさん、発音が美しいです。わたくしなど、英語の発音が仏蘭西語式になって苦労いたしました)
(ちゃんと見ていればもっと覚えられたかもしれません。でも、ユリ、どうやったらセミテリオに帰れるか一所懸命考えていたんです。歌留多の中には百合の絵もあったんですけれど、なんだか覚えてませんし。ただね、百合や向日葵やお花って歌留多を見ていて、そういうのはみんな彩香ちゃんがさっと取って行くから、あっ、彩香ちゃん家はお花屋さんだから、なんて納得していて、それで、もしかして、って。セミテリオにお参りにいらっしゃる方々ほとんどお花をお持ちでしょ。もしかしてお花屋さんにいたらセミテリオに帰れるかもしれない、だったら彩香ちゃんに乗れば、って。それで、歌留多取りでびわちゃんと彩香ちゃんの手が重なるのを待っていたんですけれど、一瞬のことなのでうまく行かなくて、それに、もし他のお子に乗ってしまったら、いつまでも帰れなくなるかもしれないのが心配で。折角いい考えだと思ったのに、その後、えむの牛乳としぃのお菓子でおやつになって、次は、食べられる物は、動物園にいるものは、なんて白板に分けて貼っていくお遊びをしたりして、彩香ちゃんにはいつまでも乗り移れなくて、英語のお教室が終わって、エレベーターで一階まで降りて、スーパーチェリーを出たんです。ジミニちゃんを真ん中にはさんで左側に彩香ちゃん、右側にびわちゃんでやっと手をつないでくれたので、お願い、三人とも手を放さないでって祈りながら、びわちゃんからジミニちゃんを通って彩香ちゃんに乗り移りました。そのすぐ後にジミニちゃんがじゃぁね、あんにょんって言って手を放しましたから、間に合ってよかったです。びわちゃんと彩香ちゃんもあんにょんって言ってました。たぶんジミニちゃんのお国でさようなら、なんだと思います。でも、もしジミニちゃんに乗っていたら、韓国のことも色々見てこられたかしら。それとも日本でずっと暮らしているから隼人君家や彩香ちゃん家とあまり変らないのかしら)
(僕ならカタリナちゃんに乗って秘露と日本と混じった生活を見てきたかも)
(虎ちゃんはいいんですっ。乳母日傘で育ったユリには初めての一人旅だったんですから、心細くて寂しくて)
(ユリさま、先日も婆やのことおっしゃってましたでしょ。乳母日傘って、やはりユリさまも上流のお育ちじゃございませんこと)
(カテリーヌさま、違います。ユリの頃の日本は、婆やや女中や丁稚や見習いがたくさんいたんです。女中がいない家は商家では珍しかったと思います。たぶん、上流のご家庭でしたら、執事や運転手などもいたのではないかしら)
(そういえばそうだったような気もいたします。あまり日本のお店には参りませんでしたから存知ませんが。夫の貿易会社にも社員以外にも色々と雑用をこなすまだ少年といったお年頃の子達がいましたわ)
(そうそうそうだったのっ)
(わたくしも、そりゃ薩摩の娘時代にも下女は一人おりましたが、東京に参りましてからは女中が二人。でもだんなさ〜が部下を連れて来てご馳走なさること屢々。お夕食にはわたくし一人ではとても間に合いませんでした。もっとも、麹町の兄の処など、女中は何人でしたかしら。五人ほどはいたかしら。運転手までおりましたものね)
(ああ、あの運転手、というか一番最初は馬車だったのっ。乗用車になってからは最初の頃は巡査のお迎えだったから。警察をやめてからは自分で雇っていたがな)
*
続く
お読み頂きありがとうございます。
お楽しみ頂けましたなら幸いです。
その十は9月15日にアップいたします。




