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セミテリオの仲間達 番外編保−2 サイン帳1冊目 後半

方子様

とうとうお別れする時が来ちやつたのね。どうして三月まで東京にいらつしやらないの。つまらないワ。でも會ふは別れの初めとか云ふことわざがある位だから運命とあきらめなければならないけどさびしいワ。でも時々はお遊びにいらつしやいネ。私も時があつたら必ず必ずそちらへ参りますワ。そしたら昔の女學生時代の事、話し合いませうヨ。貴女ヨボヨボのおばあさんになつても時々お会いませうヨ。それまで”浅野さん”と云ふ人お忘れにならないでネ。私だつてもちろん高倉さんの事なんてどんな事があつたつて忘れやしないワ。きつときつとおばあさんになつたつておばあさんになつたつて忘れまくてヨ。”わしのな若い女學生時代にな、高倉方子さんと云ふおチャメなそれはそれはかわいらしい友達があつたのぢやよ。わしの親友でな、仲よくあそんだものぢやつた。それで運動神経經が良く発達しておつてな、ピョンピョンピョンピョン兎の様にはねる人ぢやつたヨ。まあ女學生生活はそれが一番の思ひ出ぢやつた”なんて、孫に話して聞かせるかもしれないワ。本当よ。貴女と云ふ方がいらつしやらなかつたら、女學生時代のたのしみはなかつたと思ふワ。あんまりたのしい思ひ出ばかりで何から畫いてよいのかわからないワ。

 貴女と仲よくして二年間位ネ。でも私、一番たのしいグループなの。貴女と大館さんと三人のグループが一番良いグループだつたワ。

 でもせつかく四年になつて三人が一緒のクラスになつたと思つたら動員で分れて了つて、つまらないワネ。もう一度三人一緒になつてたのしくたのしく遊んだりして見たいワ。それからもう一度”ケンクワ”して見たいワ。”ケンクワ”で思ひ出すけど、良く私達つてケンクワしたワネ。貴女が私のみかたして下さつて。大館さんとケンクワした事あつたワネ。愉快ネ。今思ひ出すとなんであの時ケンクワになつたんでしたつけ?

 さうさう、私が”ばたあ”がをできもので皆がうつるつて薬を買つて来たりして。

 私を皆がきらつたのだつたワネ。そして、貴女が同情して下さつたんだつたの。それで貴女と私が急に仲よくしたものでグループからぬかされて了つたのヨ。愉快ネ。それから二人でしばらく遊んでゐてこんど大館さんが石田さん、河上さんに抜かされて一人になつたから私達と又一緒になつたのネ。石田さんとは何時から仲よくしたんだつたかしら。三年の終わり頃からだつたワネ。お正月にはその四人で東實に行つたんだつた事。たのしかつたワ。それから櫻の咲く四月、新學期になつて、三人一緒のクラスになつて、大喜び。それで大館さんと私と並んで時間中だらうがなんでああらうがペチヤクチヤペチヤクチヤおしやべりして、先生にはにらまれ、たまに貴女の事をはなして貴女に見つかつて貴女がおこつて了つなりしたのネ。あの時の二人で話した事つておよそばからしい事ばかりヨ。何にしろ一番話の種子になつたのは石田さんの事なのヨ。まあよくもあれだけ云へたものと今考へて見るとあきれて了ふワ。それと、時々は貴女の事も話したワ。話したと云ふヨリ手紙のやりとりネ(先生二にらまれるからヨ)お休時間になつて貴女が来てプンプンとおこつたはネ。私達こまつたわ。何も悪口を云つたわけでもないのヨ。すぐひねくれておこつちやふんですもの。それで貴女つたら「もう一人になるワ。どうぞ、大館さん、浅野さん二人で仲よくなさつて下さい。私のいない方が二人は幸福でせう」なんておこつちやふのヨ。こまつたワ。あの時そんな事もいつのまにか忘れてまた三人仲よくなつたと思つたら動員なんですもの。がつがりがつかりがつかりがつかり。

 さうさう一番思ひ出すの。三年の時だワ。常会となると私達グループの事ばかり。ビクビクびくびくしたワネ。常会の度ごとよ。オカモチ岡田先生が目に浮かぶ様だワ。”アツツ島” オホホホホ。

 貴女とは組が違つたあとなにしろにらまれたの。お食事以外の食物を持つて来るのでおこられた事、それから石田さんの事いぢめるつておこられ、なにしろななにからなにまで私達のする事なす事皆氣を付けてゐた人、すなはち下田さんがいたんですもの。いやだつたわ。あの方うらみかさなるワ。あまりいつも注意されてばかりいるから、いつだつたかグループで全員で岡田先生にあやまりに行つたのネ。いやね、そしたらやさしくてさ、あきれてあいた口がふさがらなかつたワ。しかしながら、皆泣いたワネ。私もワイワイ泣いちやつた。ホホホホホ。面白い事。

 でもあの事かへつて思ひ出になつたワネ。良かつたワ。少しは悪い事もしておくものネ。思ひ出になるんですもの。それからその時、三級生の事でもさわいだわネ。横瀬さん、八幡さん達があまり夢中なんですもの。ついつりこまれて了ふのネ。それで大館さんはミドに夢中になつて一時すご的なお熱、毎日手紙を畫いて来て渡さうか渡すまいかとあつちでぶらりこつちでぶらりしたのネ。でもとうとうある放課後決行したんで喜んだワ。私達まで喜んだかうれしくなつちやつたワ。うらやましい位仲よかつたのネ。あの位のだつたらいいの。あの方も幸福ネ。

 貴女も一時大谷さんはさわいだワネ。卒業式にハ、サインでいそがしかつたでせう。四年になつてからは實に愉快ネ。高木さんの事ヨ。朝礼の時音樂にそろへてお教室へ入る時、高木さんのそばを通る時プツと横をむいて了つて實に實に愉快だワ。だけど遂にする事になつて一番始めのお手紙二人で一生懸命考へたワネ。中々良い文が出て来ないでこまつたワ。そのあくる日、下駄箱に入れておいたりして面白い事やつたものネ。あの頃を思ひ出すワ。四月五月の頃だつたワネ。一番よい氣候の時バスケツトボールよく一緒にしたのネ。テニスコートで面白かつたワ。あの頃、いつだつたかしら、放課後大館さんはおかへりになつちやつて貴女と私と残つてバスケツトボールしたのヨ。その中にミドさんや中条さんが入つていたのヨ。そしてミドつたらボールを受けとつて投げるときの顔!!!! おかしかつたワ。もう私思ひ出すと今でも吹き出してしまふの。あの顔。ありありと目にうつるワ。あれも思ひ出の一つネ。それから貴女は高木さんに、私の事、石田さんのお姉様とだななんて云はれたときもあつたワ。そして海岸へ遊びに行くなんてさわいだワネ。とうとう行かなかつたの。私よかつたの。思ひ出つていい事をいざ畫こうとすると何を畫いて良いかわからないワ。さてさて困つたわ。樂しひ思ひ出あつたワ。ほら運動会、これこそ一番たのしひ思ひ出ネ。一年の時はさうでも無いけド。三年の運動会ネ。愉快だつたわワ。練習の時の方が面白かつたワネ。夕方遅くまでタラララタラララ(これ何の音樂だかわかつて?)このダンスを汗かきかきやつたのは宇治先生、ホホホホホ。ふみかへ調歩、思ひ出すワ。あの先生好きだつたワネ。どのダンスでもステツプが入つてゐるんですもの。あきれるワ。リレーの練習の時も良くやつたワネ。あの頃のたのしさ愉快さ面白さ、一生忘れる事出来ないワ。

 白衣の兵隊さんとお晝休たのしく遊んだワネ。浅野さんも御一緒よ。♫春のうららの隅田川♫ ほがらかなほがらかな昏にうつとりしながら歌つたあの時、あの厚生園のうつくしい芝生の上で清い空氣を吸ひながら一日を過したんだつたのネ。あの兵隊さん「仲野」つておつしやつたのネ。さうだワ。兵隊さんの事で思ひ出だワ。運動會をおへて十日位たつてからだつたかしら。貴女と石田さんと大館さんは丁度お風邪をお召しになつて行かれなくなつたけどそれから私と三人で病院へお見舞に行つたのヨ。お花を買つてネ。でもお会い出来なかつたからつまらなかつたのネ。それからしばらくたつて校長先生にその兵隊さんからお礼状が来てそれを校長先生つたら全校生徒の前でお讀みになるんですもの。赤面したワ。私。それから又後がいやなのネ。オカモチと来たら、私を一人呼んで「お見舞いに行つたんですか? お見舞いにゐらつしやるのは良いですがもう大きくなつたんですからあまり良い事ではありませんネ。まさか貴女方は大丈夫でせうが色々変な事がおこると大変ですからこれからは氣を付けませうネ」だつて。随分失礼しちやつたワ。変なこと云ひだすワ。私びつくりしちやつたワ。オカモチいいかげん。あきれる事あるワ。ネエ、さう思ふワネ。だれにだつてえばりくさつた態度ばかりして本当に嫌ひだワ。なんてあんまり先生の悪口ばかり云ふとおこられちやふからよさう。だけど私達も又先生にはにらまれるタチなのネ。あまり公明正大にやりすぎるから。でもこの方が愉快でいヽの。かげでコチヨコチヨやるほなんて嫌ひサ。私宇治先生にもにらまれたワ。二年の時だつたかしら。時間中笑つて了つてどうしてもとまらないのヨ。たふたふ見つかつて了つてさんざんお説教こりたワ。でもあの先生すぐ忘れて下さるからよかつたワ。いい先生だつたのネ。私一時は嫌ひだつたけど、だんだん良い先生と思ふ様になつたワ。ダンスがお好きでお休時間となると一人で蓄音機をおかけになつてチャカチャカチャカチャカおどつていらつしやるのネ。しかしながらあの大きな目玉で見られると恐ろしい氣がするのネ。体操と云ふと貴女のすつきりとしたいかにも軽さうなお姿が目に浮かぶ様だワ。本当よ。貴女は体操、ダンス等お上手だつたワネ。全校で有名だつたぢやない。ピョンピョンピョンピョンなにからなにまでかるさうになさつて了ふんですもの。本当ヨ。誰だつて感心せざるを得ないワ。その頃はまだ毛が長くてピョンと後ろにあんでゐらつしやつだんだわネ。かはいらしかつたの。あの頭、いかにも貴女の特徴が表はれてゐて。それに貴女はスタイルがいいのヨ。脚が細くてすらつと長く全体がほつそりと。なにをお召しになつてもぴつたりお似合になるんですもの、本当ヨ。うらやましい限りだワ。又ブルーマをはいて運動服の所もいかにも運動家らしいきりつとしたお姿だつたのネ。今となつたらもう二度とあの様な事したくても出来ない。又見る事も出来ないかもしれないのネ。ヅボンになつて了つたんですもの。きつと大きくなつてすつかり世が平和になつた頃、昭和の頃にはヅボンをはいたなんて珍しがる様になるかもしれないワネ。面白いわ。なにしろ思ひ出つて多いものね。

 あんまりありすぎてかへつてわかんなくなつちやふワ。

 そうそう、四年になつてから、そらあのお當番の時、私、二人にいぢめられたワ。ちよつと私があんな下品なこともらしたら、二人でいい氣になつていぢめたんだもの。悲しかつたワ。オロンオロンオロンオロン。私とつても恥かしかつたワ。穴があつたら入りたい程だつたのヨ。お當番の度ごとに私の奉仕袋から出してはからかふんですもの。思ひ出すとぞつとするけどおかしくて。でもあの時いくら本氣で怒らうと思つてもおかしくておかしくておこれなかつたワ。フフヽヽヽヽヽヽ。あの頃も良くさわいだワネ。愉快な事は四年生全体が石田に反抗してすごかつた事。愉快だつたワ。あれ高力の事を怒るのと一緒ヨ。あの人を皆がおこつたんだつたワネ。いやな聖人ぶつてサ。田切先生に夢中ですごかつたのは三年の時だつたかしら。その頃からだんだんいやがつて来るのね。みんなが一人にさせちやつたわね。實に愉快な事だつたワ。私あれであの方こりて少しはおとなしくわざとらしくなくなるかと思つたら全くおどろいたわ。又今となつたらけろりとしていい氣になつてふるまつてるんですもん。くやしいくやしいくやしいくやしい。

 高力の事しやくにさわるごとく石田もさうだワ。本当よ。二年の時のオハギの事件は死ぬほどくやしいワ。召し上がりもしない大館さんや貴女にまでごめいわくおかけしてサ。ゴメンチヤイ。あれ云ひつけたのだれ。いつたいしやくにさわるのネ。イワツキもみな私達下品だのつて云ひふらかしていたんでせう。あきれるワ。自分がどれだけ上品なのヨ。さう云ひたくなつちやふワ。おかげで頭がハゲる事になつたワ。さうでないかしら。なにしろわざとらしいのね。この頃なんて皆云つてゐるワヨ。又皆から一人にされないかしら。いい氣味だワ。わざとつんとした顔して、あのにくらしい。

 工場に来てからもいろいろと思ひ出あるワネ。なにしろ、工場に行くのは八十名だけなので、誰が行くとか行かないとかみんな泣いたのネ。わめいたのネ。すごかつたワネ。私達も大館さんがどうか行けます様にと祈つたけどあの時丁度お母様が御病氣になつて行かれなくなつたのでせう。かなしかつたワ。でも、ミドリチャンは工場に来なくてよかつたワネ。もしいらつしやつたとしたら、体がもつと悪くなつてしまつたかもしれないワネ。さて工場に入つてから、先づ最初ヨ六月二十七日初めて入社してその式の日。思ひ出せば思ひ出すほど悲しくて恥かしくなるワ。この私つたらお弁筒忘れてしまつてサ。どうかい晝までに帰れます様にと何べん神に祈つた事か。それでもたふたふお晝になつちやつて、私が先生に云はないと云ふのに八幡さんたら先生に云つちやつふんですもの。それがオカモチ先生なのヨ。悲しかつたワ。とたんに涙が出てきて止まらなくなつちやつてこまつちやつた。しばらくして、どんぶりを持つて私の机の上に置いたノ。”泣かづにおたべなさい”なんて云ふんですもの。私、食べなければ悪いと思つて、ふたをあけてみたらまづさうなライスカレー。一口二口食べて見たけど恥かしいやらまづいやらなにがなんだかわからなくただ涙ばかりどんどん出て来てちつとも食べた氣がしないんですもの。そのままふたしておいおい泣いちやつた。ああはづかし心はづかしや。今考へると身ぶるひする位。でもその日はそれで過ぎそのあくる日からあの作業服と戦闘帽。私、平氣でかぶつて来たら実はあの恰好愉快ネ。男の子だか女の子だかわからないで。あのかこいの中で朝からお仕事初めは検査だつたワネ。思ひ出すのは錫パツキンネ。錫錫パツキン錫パツキン。

 ああ、今かんがへてもぞつとする程いやだつた錫パツキン、二枚ベタツとくついていてとれないで中の数へられないでこまつたワネ。

 それでしばらく検査して、次は面取。これ又いやだつたワ。始めの中なれないで手がいたくて氣づいたらけがしてしまつてネ。それもだんだんとなれてこんどは五工場の隅の方に引越してその時はその時で工程管理課長のアホヤマとケンクワしちやつて先生に云はれ散々な目に合つちやつたワ。その頃、あなた良くお休みなさつたワネ。

 それから又引越して六工場の食堂のくさいにほひのプンプンする所で暗くて陰氣な場所へうつされ又そこでは吉岡、細田両人が私達の事先生に云ひつけて又もや先生からお説教。その時には貴女と私ねんがらねんぢゆうけんくわしていたのネ。どうしてあんなにしたのかしら。なにか云ふとすぐ二人ともブスツとふくれておこつちやふのネ。オホホホホ。

 それから、しばらくして又こんどは六工場の日のあたる窓ぎはにうつつたのネ。そこへうつつてからは貴女たつた一日しかいらつしやらなかつたのネ。あの時は私いやだつたワ。

 なにしろ古田さんが前にいて、毎日毎日変な事ばかり云つて私をいいように玩具にして、それから張さんの事は出来るため悪く悪くそれはすごく悪口云つていたの。張さん毎日泣いても泣ききれない位。私達も張さんに同情したワ。

 それでM.Tだなんて、わざとみんなにききたがらせて、そんな事ばかり云つている。小淵さんと時々けんくわしてその度ごとにすごい手紙をあげ、いつでもシクシクシクシク小渕さん泣いていたのヨ。

 その上、トモちやんなんてお晝休みと三時のお休み必づ会ひに行くのヨ。バカげているわネ。さてそこに一箇月位いたかしら。こんど又職場がかわると云ふ事、それは性能試験課と完成検査とが分かれると云ふ事で七分隊がわりあてられる事になり、私祈つたワ。どうか古田さんと違ふ所へ行きます様にと。

 それがかなへられたか、あの方は完成検査へ、私は性能試験課へ行く事になつたの。うれしかつたワ。第五生産課の性能試験へ入つた時一番始め田沼さんからブーコンについて説明していただいたの。ああ、その時の顔、それから声。

 私、それ以来だんだんと心をひかれて毎日毎日工場へ来るのがどんあにたのしかつた事か。河部さんも同感だつたのヨ。それで二人の話しが合つて面白かつたの。その頃丁度佐藤さん指をケガしていたから残業しないでせう。そうすると河部さんと私二人だけなのヨ。たのしかつたワ。色々な事お聞きして、ああ、うれしかつたワ。なんて云つてよいかわからない位。そんな良い方なのよ。みんなはやらしい変な人つてバカにして、ほんとにほんとにかわいさう。だんだん立つ中で話す事ろくに出来なくなつて了つて、河部さんと私の氣の落した事、一通りではなかつたワ。その中貴女が出ていらつしやつたのネ。私その時のうれしさと云つたらほんとに涙の出るほどうれしかつたワ。

 貴女がいらつしやつたとたんあの方に心をひかれたのネ。それで又私うれしかつたワ。

だつて、田沼さんとても良い方ネ。親切で頭が良くていかにもやさしくて、ほんとにもうなんて云つてよいかわからないワ。

 この頃ではさういう事ばかり三人で云つてよろこんでいるのネ。でもたのしいものネ。私達少し青春時代を味はつているのかも知れないワネ。ホホホホホ。はづかしいワ。なんだか。

 でも今一番思はれているのは貴女ネ。うらやましい限。私なんて古田さんにあんな事云はれて田沼さんと話しするのさへ氣がひけて、思ふ様に話せないんですもの。それにわざと態度で変な事したでせう。だものだから少し変に思つていらつしやるのヨ。残念無念。

 でも随分夢見ているワネ。私達つて。あの方の妹さんが女子學院だからなんてギヤアーギヤアーさわいだり、休電日は遊びに行かうとか、お手紙出さうとか、ホホ。空想ばかりふけつてでもたのしいことだワネ。サインもたのみませうか、もし見つかるとこまるワネ。それさへなければ夢見ている時が一番良いのかもしれないワネ。それこそ度が過ぎるといけないかもしれないのネ。

毎日たのしいワ。

 朝行つて、あの方がいらつしやらないとなんだか氣が抜けてなんとなくものたりないのネ。ホホホホホ。もうこんな事はこれ位にして、

 さて、こでれ女學生時代の歴史はおへたかしら。なにしろ思ひ出ばかりでたのしくつてしようがないワ。これから貴女が租界なさる迄あと少しだけどうんと色々な事して面白いたのしいたのしい思ひ出たくさんつくる様に致しませうヨ。それから先づ貴女がこつちにいらつしやつたら、どんなにたのしい事かしら。それと二人だけだつたらよけいにいいワネ。河部さんならいらつしやつても良いけれど、外の人あつたらいない方がいいワ。そしたら田沼さんと朝から晩までたのしいたのしいお話ししてゐられるのだけどな。夢ばかりでだめかしら、つまらないの。

 さうさう、田沼つたら貴女の事”サル”だつて。失礼ね。でもあの方の云ふ事ならなにも氣にかからないワネ。それから豊川さん、小僧の豊川さん、實に愉快ネ。このおサルはおしりが黒いなんてネ。ほんとに面白い豊川さんネ。ヤセツピでひよろつと高くまるで万才するひとの様な帽子かぶつてテクテクと歩いてる所は實に見物ね。でも頭の良い方ね。中學生でもあんな無邪氣で面白い中學生ないと思ふワ。

 なにしろ性能試験へきたため随分思ひ出が出来たのネ。良かつたワ。

 あああ、こんな澤山思ひ出を畫いて了つたらポーとなつてしまつたワ。

 ウサギの様なマコちやんかわいい高倉さん、どんなになつたつて死んでも忘れられない。貴女、永久に今のかわいらしい貴女えいて丁戴ね。そしてお元氣で必ず百まで生きませう。大館さんと貴女と私と三人でおばあちやんになつたらどこかでお合ひしませうネ。そんなになんなくてもあと五六年たつたある日でもお合ひ致しませう。その時はどうかはつているかしら。

 ではその時をたのしみにどうかかわいいマコチヤン、私の親友であり大館さんの親友であるマコチヤンお元氣で疎開なさつても三人は永久の親友でいつまでもいつまでも仲よくいたしませうネ。

 ではこれで筆を置きませう。

 御機嫌様

 サヨウナラ


昭和二十年一月二十四日

親しい私の友

方子様


杉並区堀ノ内○○○

 浅野きぬ子





第七話登場の夢さんのご親友の高倉保子さんの妹方子さんが疎開する前に、美和子さん、絹子さんに書いて頂いた内の絹子さんの分です。

東京ヒマワリ製、中原淳一の姉様人形を抱く和装少女の表紙絵、左端に紙人形の挿絵のある和綴じノォトに万年筆で記された、長い長いお別れの言葉でした。方子さんは疎開中何度も読み返しました。




お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。


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