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第八話 セミテリオに警察官 その十一


(で、昨日協力依頼した中国人の被告人は、イラン人と一緒に何度も仕事をしたことは認めているけれども、日時や車種の証言がとれていないから、ということで。で、この時点で、僕はわからなくなってきたわけですよ。ある程度はね、女検事さんとその通訳氏の話でわかったんですよ。ペルシャ語とベンガル語は文字が一緒で、一寸勉強すれば、あとウルドゥ語もその国では使っているそうで。で、女検事さんが、昨日の中国語の方も、北京語と福建語を話しますし、すごいですねぇ、何カ国語ですかと言うと、通訳氏、僕は日本語と英語を加えて五言語。すばらしいでねぇ、どこに行っても困らないでしょう、と言われれば、いやぁ、通訳の世界では、二言語は当然必須。三言語もまぁまぁ。だいたいみなさん英語もしゃべれますしね、でした。僕の後の方もポルトガル語とスペイン語でしょう。え〜そうなんですよ。通訳の先生方のおかげで、調べが助かります。通訳のみなさんは英語でお話しなさるんですか。いえいえ、日本語ですよ。被疑者達も国籍が違うと普通日本語で話しているでしょう。同じですよ)

(えっ、その悪い人達が、国が違っても日本語で話していたなら、通訳って必要っすか)

(わたくしも、今、そう思いましたの)

(いや、我輩なら、我輩が日本語を話せても、同じ状況におりましたなら英語と日本語の通辞を要求しますな)

(あら、然様でございますわね。たしかに。わたくしも、もし日本で捕まりましたら、仏蘭西語の通辞をお願いいたしますわ。自分の日本語では不安ですもの)

(片言で通じていたらしくとも、正式な書面にする時には通訳が必要なようですよ。実際、時には被告人達、直接うなづいたり、返事していましたが、ほら、特にタイ人は日本に長く住んでいましたしね。で、その通訳氏が言っていた話ですが、日本語で話すと言えば、通訳の懇親会の帰りに地下鉄の中で、どんな事件をやったかという話になって、当然守秘義務がありますから、具体的なことは話さないのですが、放火はやりました、強姦は嫌です、殺人はまだだなぁなどと話ししていたそうでね、当然日本語で。ふと気付いたら、車内がシーンとして。あっ、そうか、普通に聞いたら、僕達がそういう犯罪をしたことになってしまうのかと顔を見合わせて、慌てて次の駅でみんなで降りたことがありました。後から考えると、慌てて降りた方がよっぽど怪しいですよね、と笑っていました)

(ははは、そりゃぁ、同じ車内にいたら、怖いでしょうね。ところでその守秘義務ですが、昨今厳しくなっていて、電話番号や住所や年齢も、いけないそうですよ)

(えっ、そりゃ、警察官や検事はだめでしょう)

(いえいえ、一般の会社も。役所では住民票も本人以外は簡単には手に入らなくしたそうです)

(住民票って何ですか)

(あぁ、昔はなかったらしいですね。戸籍と似た様な)

(電話番号は、そりゃ持っている方は裕福でしょうから、泥棒に狙われるからいけないのでしょうかねぇ)

(えっ。電話番号って普通持ってるっしょ。それに店やっていたら、電話番号なきゃ注文は入らないし、困るっしょ)

(えっ、それは、武蔵君の家がお店だから持っていても普通でしょう)

(お兄ちゃん、今、ケータイの時代っすよ。俺だって高校に入ったら買ってもらうつもりだったし)

(ケータイ、あっ、あの皆が持っている......なるほど、今は皆さん電話を持っていらっしゃるわけですね。でも、電話番号も教えてはいけないのですか。それでは電話を持っている意味が無い)

(自分の番号や住所を自分が教えるならいいのですよ。けれど、例えば学校とか役所とか他にも、保険会社や色々と他人の電話番号や住所や年齢をもっている会社が、それを社内の別の部門に教えるのもいけないそうですよ)

(へぇ〜。じゃぁ、新聞記者などたいへんですね)

(でしょうねぇ。なんとかして知りたい。で、うっかりすると教えてしまう、うっかりどころか、そういう情報リストを売る輩もいるそうで)

(なるほど)

(で、売れば、場合によっては罰せられる)

(ということは、そういう罪名もあるのでしょうね。うわっ、法律の世界も日々変化しているということですねぇ。なんだか武蔵君がよく言う、歴史を勉強するのは、後で生まれた方が損だ、というのが理解できるような)

(うっす)

(あっ、それで、その守秘義務には慣れたのですが、通訳そのもので、時々失敗というか、混乱することもあってね、と、通訳氏が話していました。日本に留学してきて最初に住んだのが大阪だったので、自分という言葉が自分なのか相手なのか混乱します。特に関西出身の検事さんだと、大変なんですよと。他にも、血圧毎日調べているかと聞いて、そう被疑者に訳して、その答えが検事さんと噛み合なかったこととか、貧しいのだから金持ちの日本人から盗むことは悪くないという被疑者がいて、それに対して警察官が、不法残留は悪くないのか、答えは悪くない。放火するのは悪くないのか、人が死ぬから悪い。訳しながら、なんで窃盗の被疑者なのに不法残留や放火や殺人になるのか、わからないままともかく訳していた事もありましたしね、と大笑いしながら経緯を話ししている内に最初の被疑者が警察官につれてこられて)

(えっ、血圧とか放火とか何っすか。大笑いって、何がおかしいっすか)

(あっ、答えは後ほどご説明いたします。しばらく考えていてください。前、ユリちゃんが算数の問題出したでしょう。異国風お好み焼きを花屋の息子がどれだけ食べたのかっての。あっ、あの時は武蔵君いなかったでしたっけ。僕は国語の問題で勝負。おっと、ユリちゃん今いないんだ。残念)

(ああ、ございましたな。ピザのことですな)

(ピザ、で、算数の問題っすか。ここセミテリオって、えっ、俺、そろそろ家に帰ろうかなぁ。なんか、死んでも勉強っすか)

(あはは、あの問題は、僕はもう覚えていませんが、分数でしたね。中学生の武蔵君には簡単でしょう。ただね、頭の中だけで計算するというのは結構たいへんでした。で、ともかくも、その時、僕は驚きに加えて、疑問ばかり。ペルシャ語とイランの関係、ペルシャ語とベンガル語の関係、ベンガル語やウルドゥ語とはどこで使われているのか、ベンガルやウルドゥという国はあるのか、ベンガル虎というのは耳にしたことがあるけれど、あれはインドの方ではなかっただろうか、などとね)

(ペルシャって社会で出てきたっす。なんとか大王の)

(武蔵君、アレキサンダー大王ですね。しかし、アレキサンダー大王は紀元前のことですからね。イランではイラン語ではなく、ペルシャ語が使われているらしいんですよ。いや、使われている言葉をペルシャ語と言うということらしいのですが)

(虎之介殿、然程驚くことでもありますまい。我輩の祖国、米国で使われている言葉を、日本では英語と呼ぶわけでして)

(で、ベンガル語が使われている国は、被告人の調書で分かったのですが、ベンガル国ではなくバングラデシュ人民共和国という国。これ、どこですか、文字が似ているということは、イランの隣あたりでしょうか。ウルドゥ語の方も、肌の色はやや黒いというか茶褐色でしたから、アフリカの近くでしょうか)

(バングラデシュってきいたことはあるっす。アジアのどっかっしょ。それに人民共和国ってつくから、たぶん中国とか朝鮮の近くかも)

(うん、けれど、そんな国、僕の頃にはなかったですからね)

(我輩の頃にも、虎之介殿より古い時代ですから、当然なかったですな)

(そうかっ。ロバートおじさんは古い人だから、元外交官でも外国のこと知らないことあるっすね。なんか不思議っす)

(ベンガルという地名は存じておりますわ。印度の東の方ではなかったかしら)

(では、イランとは接していないのですね。というか、反対側ですね)

(私の記憶に間違いなければ、ですが、いいでしょうか)

(あっ、武蔵君のお祖父さん、教えていただけますか)

(インドは戦後イギリスから独立したわけですが、そのインドからパキスタンが独立して、そのパキスタンから独立したのがバングラデシュだったと思いますよ。ごく最近、と言ってもかれこれ四十年程前ですかね)

(ほう〜。独立が三度ですか。元のインドは随分狭くなって行ったということですな。さぞかしバングラデシュは小さい、のですかな)

(しかしインドは英語ではないのでしょうか。そのインドから独立した国から独立したのですから、英語が普通でしょうに。なのにペルシャ語と似ているベンガル語ですか。不思議なものです)

(地元の言葉なのでは。もし、例えば東北が独立したら、日本語ではなく東北弁が使われるような)

(なるほど。つまり、元々ベンガル語を話す地域だったからベンガル語。でも、なぜ、インドの反対側のイランのペルシャ語と似ているのでしょうかね。やっぱり不思議です)

(あっ、それで、そのベンガルではなくバングラデシュの一人目が入って来て。検事さんが、黙秘権を告げて、協力を求めて、被告人は了解して、というか、次に呼ばれたウルドゥ語の方も、二人とも三十数歳。とっても協力的で、全然暴力的でなくて、話し方も落ち着いていて、女検事さんも、何か世間話でもするような調子でした。あっ、ほんと世間話調だったんですよ。何しろ通訳氏がどんどん、声に重ねて通訳していくんです。なんていうのか、間がない、というか、検事さんや被告人が話し終わるのを待たないでかぶせていく感じで。驚きましたよ。だって、その前のえ〜と、何語でしたっけ、あっ、タイのタイ語の通訳は、メモとって話終わってから通訳していましたからね。なのに、通訳氏はともかく早い。二つの言葉が重なっているんですよ。で、検事さんの仕事も早い。女でもね、感心しました。要点だけを尋ねていくんですね。イランの、あっ、名前、覚えていませんからね。被告人達もイラン人って呼んでいたそうですし。名前を知っているか、会ったことがあるなら、この中の誰か、と写真を十枚ぐらい見せたり、何年何月何日の何時頃で、どういう状況だったかという確認ばかりで、あとは、裁判の時に証言をしてくれるかどうか、これを尋ねて、文書にして、で、ご協力ありがとうございました、とにっこり笑って。なんかね、こういうにっこり、というのは女検事の方が確かに似合っているのか、女だからこそできる取り調べなのかもしれない、なんて思わされましたよ。でもね、被告人に、外人に、それも男に向かって、日本人の検事という仕事に就いている女が、微笑むなど、何か嫌だったとも感じたんですよ)

(お兄ちゃん、外人じゃなくて、外国人って言わなきゃいけないっす)

(武蔵君、君はいつもそれを言うけれど、僕の頃には外国人などという舌をかみそうな言葉は普通使わなかったのだからね)

(けど、外人って言われると、外国人が差別だって感じるからいけないって、教科書に載ってたっす)

(差別じゃなくて区別のつもりなんですよ)

(わたくし、異人と言われると、たしかに異人でしたし、それに異人さんというのは遠ざけられてもおりましたが、少し敬われていた様な記憶がございますわ)

(我輩もですな。もっとも、異人が異国の人という意味で、異国というのは人間として異質だからそう呼ぶらしいと気付いてからは、外人という言葉の方が、まだ、国の外の人という意味で正解かと。いづれにせよ、外人というのは、どちらかというと評価の高い言葉でしたな。つまり、外人という言葉の価値が下がって行ったということですな。いや、言葉がではなく実態が下がって行ったということなのでしょうな)

(珍しい存在だったのですよ。武蔵、お爺ちゃんが小学校の頃には、確かに街中にヤンキーと呼んでいたアメリカの兵隊がたくさんいたが、それもどんどん減っていって)

(ヤンキーって、古い言葉っす)

(うむ。確かに古い。もう七十年近くになる)

(うっそー。僕が小学校の頃、まだ使ってたっす)

(いや、ああ、あのヤンキー。アクセントの位置が違う)

(あの、我輩、義男殿のおっしゃるヤンキー、ヤが強いのはもちろん分かります。以前もこちらでお話したことがござるが、我が国の南北戦争の頃からの米兵のことですからな。しかしながら、武蔵君の言う、キにアクセントがあるヤンキーは存じませぬな。日本語ですかな)

(えっ、俺もよく知らないっす。けど、俺が小さかった頃、ヤンキーには気をつけろって、だから、不良のことっすか)

(そうそう、軽めの不良のことをそう呼んでいた時代がありましたね。で、外国人は、武蔵が生まれる前くらいからまた増え出したが、今度は白人ではなく、東洋系の人が増えてね、ちょっと見たくらいでは日本人と違いがわからない。だから、区別しようとして外人と呼ぶ。当然外人だしね。そこに、日本人特有の、紅毛碧眼こそ外人だという、明治以来の分類が影響して、非白人蔑視が結びついて、外人という言葉の評価が下がったということなのでしょう)


お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。


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