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第八話 セミテリオに警察官 その二


(しかし、以前、あのため息高校生のお宅に来た警察官はあの様な服装ではなかったですのっ)

(たしかに違いましたね。あの時の方々は、みなさんよくこの辺りを歩いている勤め人と同じ服装、背広でしたからね。あっ、でも、あの後、僕、あの内の一人に乗って警察署まで参りましたから、警察署の中には、同じ服装の人が何人もいましたよ)

(ほうっ、すると、あれが今のあちらの世の警察官の制服なんですのっ。ほうほう、興味深いものですのっ。おっ、あれは拳銃ですのっ。それに警棒も)

(あのお墓が荒らされたのでしょうか)

(墓を荒らすなど、神も仏もないことを、恐ろしい)

(戦後は多かったですわ。私まだ生きておりましたが、碧さんのお墓も荒らされましたのよ。骨壺の蓋も開いていて、お骨が地面に散乱して、で、碧さんを大連で火葬いたしました折に、こちらの世で不自由なさらないようにと一緒に焼いて入れておきました金縁眼鏡と金の入れ歯が無くなってましたの。そればかりか、先妻さんの骨壺も開けられていて、地面に混じってましたのよ。なんだか私、妬けてしまって)

(まぁ、お墓を荒らして、盗むばかりかお骨もばらばらなど、ひどい事を)

(ええ、軒並みやられてました。神国だった筈の日本も戦争に負けてしまえば、神も仏もあるものか、でしたもの)

(死んで喰うものか、見るものか、と思ってしまえば、死者の物など不要。生者が生きて行くために活用させて貰う、ということらしいです)

(たしかに、我輩、喰えませぬな。しかし見えますな。眼鏡がなくとも、気の目で見えるものでありますから、眼鏡も不要)

(あちらの世の方が不便ですわね。お金が無ければ生きていけないんですもの)

(そうですね。こちらでしたら気力だけで生きていける。いや、生きているというのとは違いますが)

「本署に連絡入れて、たぶんに行旅死亡人であるもよう、と伝えてくれ」

「はいっ」

(えっ、何て言ったっすか)

(行き倒れのことですな)

(生きていて倒れるっすか、行って倒れるっすか)

(行く途中で倒れる場合もあるのでは、まぁ、それまでは生きているのでしょう。要するに、家や病院ではない場所で死ぬことでしょうね)

(倒れるって、生きてはいないってことっすか)

(武蔵、少しは静かにできないものかね。皆さん困ってらっしゃる)

(けど、爺ちゃん昔から言ってたっしょ。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥って)

(武蔵、言いにくいことだが、もう一生は終わったのだから)

(うっす。けど、気になるっす)

(たしかに、倒れるというだけでは死んだということにはなりませぬな。しかし、まぁ、日本語に限らず、倒れるということは死んだ、ないしは死ぬ直前の状態ではありませぬか。いづれにせよ、行旅死亡人と言ってましたから、死んでいるのでしょう)

(あっ、そうか。転ぶってのは倒れるってのとは違うっすね。けど、転んで死ぬ人もいるっしょ)

(武蔵君、まだ何か言いたそうですね)

(うっ、あの、俺も死んでるっすよね)

(そう、私達みんな)

(で、あそこで誰かが死んでいて、でもこっちには来てないっすよね)

(まだあちらの世とこちらの世の間にいらっしゃるのでしょう)

(あっ、そういうことっすか)

(それに、こちらの世があることをわたくしがこちらに参ります以前のだんなさ〜の様に、まだご存知ないかもしれませんし)

(うむ。何かじっと静かにしている世だと思っておりましたのっ。マサが来てくれてから、こう、肩の凝りが取れたような、気が楽になりましたのっ)

(父上、母上、私もここの墓地に参ってから楽になりました。あちらは静かなんですよ)

(いや、僕も思ってもみなかったですよ。こちらの世がこうだとは、こう騒々しいとは。絵都お婆ちゃんの墓地は静かなんですか。羨ましい限りです)

(我輩も。しかし、今の武蔵君の疑問は、我輩にはいささか興味深いものでしたな)

(えっ)

(あちらの御仁は死んでいる。我輩やみなさまも死んでいる。しかし時制と申しましょうか、状態と申しましょうか、ここには違いがあるのですな)

(なんか、それ、学校で英語の時間に聞いたことあるっす。ややこしくて嫌いっす)

(いや、しかし、つまり、あちらの御仁は死んでいる。そして我輩も死んでいる。しかし微妙に違いがあるのですな)

(もしかして、現在完了形か過去完了形とおっしゃるのですか。それは、僕も文法的には理解いたしますが、どうも感覚的には日本語にはないものですから。仏語でも苦労いたしました。spring has comeでしたっけ。おっと、フランス語ではこの場合はなかったですね)

(たぶん、おっしゃること分かりますわ。avoirの場合ではないかしら。etreの時は少し違いますが。わたくしも夫の英語で、仏蘭西語とは微妙に違いを感じました)

(avoir、etre懐かしいものです。j’ai, tu as, il a, nous avons, vous avez, ils ont, とかsuis, es, est, sommes, etes, sontなど基本中の基本でしたね)

(それ、何っすか、早口言葉っすか)

(いや、動詞の活用)

(ああ、go,went,goneみたいなのっすか)

(そうそう。フランス語は一つの時制で六つ、時制がまぁ十六種類、一つの動詞が大雑把に言えば、百以上に変化する。名詞や形容詞には男性形と女性形があって、海は女、橋は男)

(ドイツ語には中性名詞というのもありますな)

(♪Sur le pont d’Avignon, L’on y danse, l’on y danse♪)

(それ、何っすか。英語よりもっと難しいっすか。俺、英語だけでもうんざりだったっす。よかった高校に行く前に死んでいて)

(♪Sur le pont d’Avignon, L’on y danse tout en rond♪)

(僕達の頃は、その先に何を学びたいかでフランス語にするかドイツ語にするかでしたね。概ね文科は、独文以外はフランス語、理科はドイツ語でしたね。そうそう、で、寮も別になっているとはいえ、男のくせになよなよとしたフランス語などと言われて)

(漢籍は、国学はどうなったのかのっ。蘭学ばかりでしたかのっ.情けない)

(国学は、御心配なく。彦衛門さん、国粋主義が大手を振って歩いていた時代ですよ。漢学は、僕の頃は支那があのざまでしたからね。もっとも洋学の方も、僕の頃には若干厳しい視線を浴びておりましたね。ドイツはお仲間でしたからともかくも、フランスはドイツにやられ初めてましたし、英語は敵性後になりつつありましたしね。まぁ、しかし、学問の術としてはね。幼年学校などでも語学は教えていましたし)

(我輩は仏蘭西語を学んだおりに、そのまま仏蘭西語には出来ずに苦労いたしましたな)


お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。


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