第七話 セミテリオから犬にも乗って その四十
(二二六ではたくさん死刑にされて、でも阿部定は、刑務所から出られて、戦後は自分で舞台にも立ってましたよ。おっ、名前を思い出しました。餓死したゾウはトンキー、で、ライオンの名前はカテリーヌではなかったですか)
(まぁ、そんな、というお声を聴くと思っていましたが、カテリーヌさんは、あちらのお部屋にお残りになられたのですか。僕がマック君に乗ったように、もしやあの極楽鳥に乗ってるのでは)
(ロロやララが極楽鳥、ですか、おほほ、確かに極彩色ですわ)
(カテリーヌおばさん、残ったんじゃないっす。消えちゃったっす)
(消えたのですか)
(そうそう、チュラやサティラの前で。ハムスターのところで)
(うっす。なんか、え〜と、あっちの部屋に行く前に笑う話で言ってた外国語みたいなのと日本語でねずみとか言って消えちゃったっす)
(sourireですか、微笑みのこと。ああ、わかりました。鼠は sourisですから、たぶん、フランス語で鼠とおっしゃったのでしょう。微笑んで消えるのもいいものですが)
(もしかして、カテリーヌさま、鼠が怖かったのかしら)
(でも、あれ、ハムスターっしょ)
(ユリには、鼠に見えました。怖くはなかったけど。色も違うし、なんか可愛い感じでした)
(ユリちゃんは、自分より小さいものは何でも可愛く見えるんだ)
(そうよ。虎ちゃんと違うもの。小さいものはみんな五月蝿いんでしょ)
(もしかして、ロバートさんもハムスターを見て消えたのかもしれませんね)
(ああ、そういえば、あの時、マック君が鼠に鼻先を近づけてましたね)
(西洋人は鼠を見ると卒倒するという文化があるそうですからね)
(まぁ、そうなんですか)
(ほら、望さんでしたっけ、愛さんでしたっけ、殺せるのはゴキブリだけだと、夢さんおっしゃってませんでしたっけ。医者の立場で見れば、ゴキブリも鼠もいろいろと人間の病に関連してくるのですがね。でも、怖いと感じるかどうかは人それぞれですから)
(そうそう、望もね、ゴキブリや蚊は平気で殺せるんですよ。ゴキブリ用のホウ酸団子なんて、毒餌と同じですのにね。餓死よりましというものでもないでしょうに)
(どちらにしても死ぬわけですね)
(でも、死ぬなら楽な方がいいっす)
(確かに)
(苦しむのは嫌ですものねぇ)
(うへっ、毒で苦しむか、食えなくて苦しむか、毒の方が早く死ねるっすか。まっ、俺、関係ないっす)
(ユリは高熱でうとうとして死んじゃいました)
(僕は老衰ですから火が消えるようにふぅっと)
(僕も肺病でしたから、似ているかもしれません)
(私は心筋梗塞でしたから、ふぅっとというよりは、痛いっっっ、そしてあっという間でしたかしら)
(夢さん、あまり苦しまなかったのではないですか。人間、死ぬ様な苦しみを味わう時には脳内麻薬のエンドルフィンが出て、苦痛を和らげるそうで)
(そういえば、その脳内麻薬のこと、主人も申してましたわ。でもあの苦痛の時、おほほ、思い出しもしませんでした。お母さん、会いたい、愛と望に会いたい、助けてっとばかり)
(......)
(何でみんな俺のこと見るっすか。俺っすか、俺は、あっという間で、後悔先に立たずってのか、だって、俺は死ぬつもりなかったっすよ)
(ええっ、どうして)
(だから、それはもういいっす。まだ俺、自分の馬鹿さかげんにとっても後悔してるっすから)
(ごきぶりほいほいだのホウ酸団子だの使うくせにね、望は、殺すのは嫌だから、動物園は嫌ですって。生き餌の時など、どちらの生命を重視するか、その度に哲学的葛藤に襲われるなんて辛すぎるって申してますのよ。ですから、今後こちらで開業しても、頼まれても安楽死は絶対におことわりですって)
(安楽死ですか。人間に比べて動物の場合はやるみたいですね)
(そのようですわね。可哀想に)
(動物が自ら安楽死はしませんしね、まぁ人間の場合も自分でするわけではなし)
(まぁ、生き続けて苦しむよりはあっという間に楽に死なせてやる方が良いという考え方、わからなくもないような)
(でも、人間にはそれは認められておりませんでしょ。滅多に。私など、パーキンソンで身体が動かなくなって、主人には足蹴にされ、本当に自殺したかったんですのよ。でも、パーキンソンですとね、情けないことに、自殺すらできなくなりましたし。お薬がたくさんありましたでしょ。主人の目を盗んで、大量に服めば自殺できるかもしれあいと思ったんですよ。でもあのお薬の、何て言うのかしら、指で押すと中からぴょこんと飛び出すようになっている、あれすらできないんですよ。包丁を持とうとすれば力が入らなくて落としてしまいますし。ほんとうに、情けなくてね。ですから、心筋梗塞であっという間で、まぁ、楽だったんでしょうね。あちらの世に未練もございませんでしたし)
(僕は生き続けたかったのですが、でも哲学的に自殺を考えたことはありました。自殺しようとして、いざとなったら、最後の瞬間になったら、自殺しようとしたことを後悔するのではないか。あるいは、頭や心は自殺したくとも、身体は自殺を拒むのではないだろうか、なんて考えたことはありますよ。もっとも、僕の世代は、望もうと望むまいと、一兵卒で陛下の為、お国の為に死ぬ確率は高かったので、自殺を考えるよりも、口ではご奉公と言い乍ら、いかに生き抜くか、でした)
(夢おばあちゃん、どうしてこの犬達おすわりしてるっすか)
(愛がお茶を飲んでいるからでしょう。二匹ともお茶の葉っぱが好きで。それもお煎茶の時だけ、しぼった後の葉っぱがほしくて)
(へぇっ)
(おっ、僕はこの愛さんの煙草の香がなんとも。もったいないことですねぇ。換気扇から逃げて行く。それにしても、ここに換気扇とは)
(換気扇って何ですか)
(ほら、これのことですよ。中の空気を外に出す)
(先ほどのお部屋にも南側と北側と両方にございましたでしょ。あちらは、しょっちゅう換気しないと、動物は臭いから)
(それで風が動いていたんですね)
(健さんがここを設計なさった頃は、お父様もお煙草をお吸いになってらしたので、食卓の側にも換気扇を付けたそうです。お食事の後のお煙草って美味しいそうですわね。今は健さんと愛の指定席ですわ)
(おう、食後の一服、懐かしいものです。禁煙運動が盛んになったのは、僕がこちらに来てからで助かってますよ。あちらにいたら、さぞかし、医者の癖にと言われたでしょうに、外食もしなくなくなっていたでしょうしね)
(主人も申しておりましたわ。まったく、と。車の排気ガスの方がよっぽど人体には悪いのに、とも)
(ですねぇ。煙草は昔から喫煙者がいて、だからと言って肺がんが増えはしてませんでしたからね。肺がんが増加したのは、交通量との方が関連性は高いのにね)
(その灰皿、健さんのお父様が作られたものですのよ)
(そういえば陶芸がご趣味とおっしゃってましたね)
(野毛山の方にもいろいろ頂きました。花瓶や灰皿や箸置きや)
(犬さんたち、おとなしい)
(この子達、芸するっすか、おすわりとかお手とか)
(少しはね。特にマックは、私が教えてましたから。でも、望はあんまり教えなくて。方針の違いとかで)
(方針、ですか)
(ええ。お散歩の時にもリード、紐のことですが、紐もつけないで散歩させたいというのが本音だそうです。日本では放し飼いはいけないことになってますでしょ。でも望に言わせると、紐をつけなくとも飼い主の側を離れないように訓練するのが西洋流だそうで。動物が人間と生きていく上で、最低限のルールは守らせるけれど、それ以上は間違っているという方針で。野毛山では、主人が何が何でも命令して、犬はそれに従うべきだと。主人は気に食わなければマックを蹴飛ばしてましたもの。でも、望も愛も健さんも、こちらでは、何でも言い聞かせるんですよ。で、不思議なことに、言い聞かせるとこの子達、判るんです。この子達だけじゃなくて、あちらの部屋の動物達も、みな)
(まっさかぁ、あっ、でもそうかも)
(僕も信じられませんね)
(あっ、ユリ、わかるかもしれません。赤ちゃんと同じかしら)
(そうそう)
(動物も進化しているそうですからね。人間と漁するイルカとか、走る車の前にクルミを落としてクルミを車に割ってもらうカラスとか)
(それ、ご隠居さん、私と同じテレビでご覧になったのかしら。私も存じておりますわ。望はもっと色々語ってましたわ。何の動物だったかしら。ロシアでは、え〜と、狐だったかしら。大人しい犬と一緒に飼っていると大人しい狐ができるとか、南米のどこかの動物園では、ライオンや虎も放し飼いにしてあるとか。だから、動物は賢いし、話せば分かるって)
(えっ、ユリ、ライオンや虎が放し飼いなのは怖いです。でもお話はしてみたい)
(でしょう。ですから黒豹が逃げた時は怖かったですよ。猛獣を毒殺したり銃殺してしまったんですわ。もしあの時、動物達と話せていたら)
(えっ、昔は話せなくて、今は話せるってことっすか)
(昔も話せたのかも知れませんわね)
(昔は動物と話せるなんて思いもしなかったから話せなかった、いや、人間の方が、話そうとはしなかった、からでしょうか)
(そうそう、それを望が言うんですよ。動物は昔も賢かったのに、人間が馬鹿で支配しようとしていたから、だと)
(先ほどカテリーヌさんが、あちらでノアの箱船のことお話なさってらしたでしょう。そのノアに神様が言うんですよ。鳥も獣も魚もみんな人間にゆだねたとか。ですから、キリスト教の国では人間が動物を支配するって考え方になるとか)
(支配ですか)
(ええ。明示以降、西洋文明になっていたから。でも、昔の日本では同居、地球の上で一緒に住む仲間だと思っていると。日本では何にでも神様がいるって考え方があるから、みんな仲間)
(なるほどね)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。