第一話 セミテリオの烏
第1話 セミテリオの烏
(烏が...)
(あぁ、またとまっておるな。主がいたら腹立てるだろうが)
(烏は墓場にはつきものですわ)
(生きておる時には烏はうるさいものだったが、今では烏も気晴らしになる)
(夕方なんですねぇ。昔は烏のお家も近かったでしょうに)
(この辺り、住民は増えたが、元々山は皆無、帰る家はどこにある。昔は狸も出たのだが)
(いつ頃のお話をなさってらっしゃるんですか。狸などわたくしの頃にも出ませんでした。お故郷ではまだしも)
(おぉ、鳴いておる、泣いておるのか)
(♪烏何故なくの、烏は山に可愛い七つのこがいるからよぉ♪)
(マサはその歌、好きだねぇ。私の頃には無かった歌だが)
(昭和の初期に生まれた末の孫娘、朝子が歌っておりました。あなたさまはあちらでは会ったことないんですね)
(墓参りに来てくれた折々にあるがの。孫も皆、鬼籍に入ったそうな。それにしても、私たちが鬼とは...あの可愛かった孫達も鬼にされるとは...こちらの世は住み良いのだが)
(そうですわねぇ。だんだん、わたくし達を覚えていてくれる方々が減ってしまい、さみしくなりますわねぇ。いえ、こちらで会おうと思えば会えるものの、わたくし達、だんだん薄くなって参りました)
(こちらでの、あの再会、マサはすねておったのう)
(そりゃそうですわよ。わたくしはあなたさまより八つも若うございましたのに、わたくしは八十五のおばあさん、あなたさまは六十一のままなんですもの。ずるいですわよ。わたくしの事はお婆さんとして記憶され、あなたさまはお爺様の入り口で記憶される)
(そうかね。私も六十過ぎて、しっかり爺さまだったと思うが。私にあちらで直接会った者はみな、とうに鬼籍、いや、こちらの世界の住人。私の写真はあちらにはないからね。マサは写真が残っておるから、会ったことのない曾孫や玄孫にも記憶が語り継がれていくだろうが)
(年寄りのままのわたくし...若い頃のわたくしを知るのは...)
(こちらにはたくさんおるだろうが)
(そうですわねぇ。あなたさまと、あなたさまのご兄弟さま、ご両親さま、ご祖父母さま、わたくしの祖母二人、両親、兄たち...でも、最近はお目にかかることもめっきり減りました)
(思い出してくれる者が減ると、薄くなっていくからのう)
(そうして大気と混ざって宇宙に漂う...あなたさまも薄くなりました。おつむはふさふさでも、お気は薄くなりました...烏が相変わらずないておりますわねぇ。お山もないのに、どこに帰るのでしょう)
(コルネイユ、からす、クロウ、鳴き声からの呼び方なんでしょうね)
(あらカテリーヌさん、おひさしぶり)
(マサさま、彦さま、お元気でいらっしゃいますか。あらっ、まだ癖が抜けなくて。もう八十年も経っておりますのに、つい覚えた時のままで、最初にこうご挨拶するものだと。私たちの間でお元気というのも変なものですわ)
(カテリーヌさんはすっかりお薄くなってしまわれて、お可哀想に)
(セラヴィ。私を思い出してくださる方など少なくて、遠い血縁の者が家系図の整理をする時だけ、異国日本で死んだ私の名前を読み上げるくらいですもの)
(最近は仏蘭西までいらっしゃらないのですかの)
(コルネイユでは仏蘭西まで飛んでいってくれませんし、両親にも祖父母にも夫にも次男にももう久しく会っておりませんわ。私の所にいらしてくださるのは、外国人のお墓が珍しいからと、一つずつ墓石を読まれる方ぐらいですもの)
(夫君は....忘れっぽくて、ええと、仏蘭西でしたかの)
(いえ、ロバートは祖国、英国の墓地に、ご両親様や次男の近くで。私は赤ちゃんのロビンとここで二人ですわ。ロバートは後妻さまとご一緒ですの。少しだけ、今でも妬けます)
(そうでしたわねぇ。お寂しいですわねぇ。わたくしどもも、ご先祖さまは皆、薩摩のお墓でしょ。こちらではなかなか会えなくて)
(乗り者がないと、なかなかねぇ)
(最近はこの辺りのお参りはとんと減って)
(カモが来た)
(鴨ですか、烏ではなくて)
(カモ、乗り者だよ)
(噂をすればカモですか)
(噂をすれば陰、じゃなくて、駕篭だの)
(汽車だ、電車だ地下鉄だ)
(おお、皆の衆、お目覚めのご様子)
(通りすがるだけさ)
(通り道ですものね)
(便利な世になったもんだ)
(道路が上を走る、電車が下を走る、墓地の真ん中突っ切って賃貸し車が走る)
(私の頃には、遠くへは汽車、街中は馬車鉄道。私の葬列はここまで馬車だった。あれは馬糞拾いが...)
(あなたさま、またそのような)
(こっち向いてくれ)
(通過するだけですって)
(若い娘が...昔なら、墓場など怖がって近づかなかったろうに)
(今は灯りが煌煌と、墓場は逢い引きの場となり)
(俺たちの旅を助ける乗り者となる。だめだ、近寄ってくれない)
(見知らぬ人の墓になど、そうやすやすとは近寄ってくれるわけがない)
(せっかく目が覚めたのに、またまた退屈な時が流れていく)
(どなたかご体験談、旅のお話なさっていただけませんかしら)
(マサさま、この前のお話、もう一度お願いしますわ)
(この前のって、もしやもう四半世紀も前の、例の笑い話ですか)
(四半世紀など、セミテリオの住人にとっちゃ、あっと言う間さ)
(あの時の朝子ったら、でも皆様、構いませんかしら。構うようでしたら、ご退席なさってくださいませ)
(あの話しとは、私とマサが朝子に乗っていった時のか)
(そう、わたくしたちの末娘悦がこちらの住人になったと、朝子がここにお参りに来て報告してくれました折りの)
(その朝子ももうこちらの住人だがの)
(わたくしども、朝子に乗って、東京駅につきました。あの昔の赤煉瓦の建物のままでしたわ。そこから京都まで。あら、あなたご生存の頃には東京駅はああでしたかしら)
(こちらに来る前ぐらいから話は出ていたが、私の頃には赤煉瓦は新橋だった。そうそう、新幹線というものに乗るのは朝子に乗った時のが初めてだったな)
(話が逸れてるなぁ)
(虎さま、よろしいじゃありませんか。逸れた話も退屈しのぎですわ)
(東京駅に着くと、朝子の長女がいたんですよ。久しぶりに会った朝子の長女、綾子はもう大きくなっていて、おなかも大きくなっていて。それで、駅の売店で買ったという冷たいカチカチの霜降りみかんと、透明の器に入った煎茶を手に朝子を待っていたんです)
(旅に茶は付き物とはいえ、あの透明のふにゃふにゃのはいただけぬ。私の頃には陶製のしっかりしたものだったがの。飲み終わると、窓から投げ捨てたものだったが、新幹線は窓も開かぬ)
(時代は変わるものなのですねぇ。あのはやさ。朝子から振り落とされるかとしがみつく思いでした。わたくしどもの頃にも汽車は走っていましたが、東京から京都まではたっぷり一日かかりましたっけ)
(それを三時間ちょっとでしたかの)
(悦の葬儀の後、綾子は身重だからとこちらには来ず、実家で産もうと京都に帰る朝子と東京駅で待ち合わせ。わたくし、孫の朝子もひさしぶり、曾孫の綾子はもっと久しぶり、その上、おなかに玄孫ですもの。嬉しくて)
(しかし、新幹線は速かったの。玄孫が飛び出てくるんじゃないかと、ハラハラ、朝子の家に着けば、犬が腹にとびつくし、私は犬にはドキドキ、というか、薩摩の赤犬に似て美味しそうな犬だったが)
(怖い犬でしたわね。家の中で犬を飼うなんて、狆でもないのに)
(それからひと月もしない真夜中過ぎに、綾子が朝子を起こしに来たんです。破水したみたいだと)
(やはり、新幹線の速さで玄孫がびっくらこいたのやもしれぬ。マサは平然としておったがの)
(わたくし、あなたさまのお子を五人も産んだのですよ。そのくらいじゃびくともしません)
(私は気もそぞろ。こちらの住人になっても、どうもお産は苦手での)
(てっきりお産婆さんを呼びに行くんだと思ってました。朝子は歯を磨き、着替えて外套をはおって、それからおもむろに引き出しを開けて、指輪を選び始めたんですよ。娘が破水しているというのに、夜半にタクシーに乗るのだから指輪を選ぶなどと、わたくしよりも落ち着いていましたね。私がしわくちゃになった頃、朝子は小さい時からおしゃまな子でしたが。お産婆さんを呼ぶのではなく、綾子が電話して呼んだタクシーに乗って、二人は病院に行ったのでした。病院は非常灯のみの暗がりで、出てきたお産婆さん、いえ、助産婦さんが、朝子を身重だと勘違いしましてね。朝子の外套がやたらぶくぶくで裾が広がっていたんですよ。綾子が、破水しているのは私です、と慌てて)
(マサは、そこから私の目を塞いだ。男はだめですよ、と)
(わたくしたち、朝子に乗っていたものですから、結局そこで綾子とは別れて、翌朝、朝子は綾子の夫、捺美くんに、綾子が入院したことを電話で伝えて)
(電話...私の頃には、警察や役所にしかなかった)
(おじいちゃん、また話が横に逸れる)
(私は、虎之介殿におじいちゃんと呼ばれるのは、どうも好かん)
(よろしいじゃないですか。あっ、彦衛門さまをおじいちゃんとお呼びする方ではなくて、話が横に逸れる方ですわ。私たちの時は永遠のようなものですもの)
(後で知ったのですが、捺美、綾子の夫ですわね、電話で入院したことを聞いてから一日中、腹痛だったそうです。仲のよろしいことで。あなたさまは毎回、お産婆さんと私の閉じこもった部屋の外でそわそわおろおろだったとおっしゃいますが、腹痛までは起こしませんでしたでしょ)
(捺美君は、名前に美がつくし、二つの世界大戦のあと徴兵制もなくなってから産まれたから、軟らかいというか優しいというか、藩校で文武を習ったものとは違うに決まっておる)
(一週間後、綾子はお腹を平にして、腕に赤子を抱えて帰ってきました)
(赤ちゃんのお名前、マナさんでしたっけ)
(あらカテリーヌさん、私の玄孫の名前まで覚えてくださって、ありがとうございます)
(どういたしまして。マナって、神秘的な力のことだと、ずいぶん昔に学んだことなんです。私たちのことみたい、でしょ。ですから覚えやすかったのですわ)
(それからが大変だったの。まだ時の感覚のない赤子。夜半にも腹を空かして泣く)
(朝子は綾子と摩奈と同じ寝室にしていました)
(私とマサが朝子に付くのと同様に。犬が朝子に付いてくる。つまり、寝室には、私とマサと孫、曾孫、玄孫に犬。窮屈だったと申すより、犬が近くにいるのには、どうも落ち着かない。犬の方も、私とマサを薄々気づいているようだったしの)
(摩奈が腹を空かして泣く、綾子は熟睡、アルが、おっと、アルというのはその美味しそうな犬の名だがの、アルが綾子を鼻先で突いて起こす。綾子が摩奈の襁褓を換えて、汚れた襁褓を風呂場の樽に入れ、手を洗ってから乳を含ませる。それを見て、嫉妬するのか、アルが嘔吐し始める。朝子が起きてアルの嘔吐を始末する。摩奈が寝付いたら綾子は日記に記録してから就寝。これが一晩に一度二度と繰り返される。何もできぬ私たちは、ただただはらはら、犬に気づかれないかとどきどき、朝子も綾子も寝不足ぼんやり。元気なのは私たちと、寝てばかりいる摩奈とアル。しばらくして捺美君が会いにきて、初めての我が子を愛おしそうに、怖そうに抱き上げた。新しい命に触れられるとはうらやましい)
(あら、わたくし、あなたさまには五人も抱かせてさしあげましたわ。末の子の時など、初めての女の子によだれもたらさんばかり。悦ばしいから悦と名付けられて)
(ほら、また横道に入った)
(虎さま、構いませんことよ)
(僕たちには時間は限り無い...か)
(赤子の入浴もたいへんでしたわねぇ。朝子も思い切ったことをするもので。お台所の流しの桶で洗ってましたっけ)
(そうそう、横で綾子はあきれ、アルは吠える)
(病院に行く駕篭、いや、タクシーに乗るために指輪を選んだり、流しで赤子を洗ったり、朝子は思いがけないことをする孫でしたわ。赤子の成長は早いもの。ひと月もすると流しでは洗えなくなり、板張りの床に、何て言うんでしたっけ。油紙のような、つるつるで水をとおさない布みたいなのを敷いて、その上に盥を置いて、そこで湯を使わせはじめました)
(あのせいで、私たちはこちらに戻ってきてしまったんだ)
(でも、そのお話、おうかがいする度に、目に浮かぶようですわ)
(朝子が摩奈に湯をつかわせる。綾子はおひさまの香りのする大きなふわふわの手ぬぐいと着替えや襁褓を用意する。まだ湯に慣れない摩奈は両手両腕両足を上げて泣く。赤子が泣くと犬が吠える。挙句の果てに呼び鈴までなる。犬がまた吠える。「ちょっと待って」「誰が出る」。中で騒いでいるから留守とは思われず、呼び鈴は何度もなる。朝子に乗っている私たちが代わりに出るわけにもいかず、犬は吠え続ける。赤子の泣き声と朝子と綾子のやりとりに犬はさらに吠えるし呼び鈴は鳴り続けるし、赤子は気配に覚えて手足を余計にばたつかせ水がそこら中にはねる。私たちは気もそぞろ、おやおやたいへん、でもいいお湿り、そう思った瞬間、気が緩んだのか何故なのか、私たちはここに戻ってきてしまったんだが)
(あれから四半世紀、摩奈もさぞかし成長したことでしょうに。きっとわたくしや孫に似て可愛い、それとも悦や曾孫に似て美しい子になったことでしょうね。玄孫じゃ墓参りにも来てくれませんしね)
(一度会ってみたいもんだが)
(綾子は何人産んだのだっけ)
(風の便りでは摩奈だけのようですよ)
(子は宝なのにの。昔は大人になる前によく死んだからの)
(わたくしは、あなたさまのお子を皆成人させました。ご存知でしょうに。あっ、カテリーヌさん、ごめんなさい)
(私の子も言葉を覚える前でしたわ。今でもお話はできませんのよ。日本語でも英語でも仏蘭西語でも)
(あっ、虎之介殿、ユリさんにもごめんなさいね)
(僕は、一応大人になりかけてましたし)
(ユリもね、一応大人みたいなものでした)
(たしかに私の子は皆成人したが、ここに住む子は、戦死した孫より後に入ってきた敦のみ)
(セラヴィ)
(烏が...)
第一話 終わり
お楽しみいただけましたなら幸いでございます。
ご感想は彦衛門さま、マサさま等、セミテリオの仲間にお届けいたします。
第3話まで下書きはしてあります。
第5話まで聴取メモはあります。
後は、アップする時間だけ。
彦衛門さま、マサさま、私のこちらの世は、多忙なのです。