第1話 砂の廃墟で目を覚ます
――冷たい砂の感触が、頬に伝わった。
瞼を開けると、視界は黄ばんだ空と、ひび割れた石柱の群れに占められていた。
ここは……どこだ?
最後に覚えているのは、工場の機械点検中に響いた、金属が裂ける音と、視界を白く染める閃光。
その次の瞬間、俺はこの廃墟の中で目を覚ましていた。
服は見知らぬ素材でできた簡素な旅装。靴は砂にまみれ、腰には見覚えのない錆びた短剣が吊るされている。
上半身を起こした瞬間、掌に奇妙な感触があった。
透き通る板のような光の膜が空中に浮かび、そこに文字が現れる。
> 【古代端末 起動】
> 使用者登録:未設定
> 接続対象:検出不能
――何だ、これ。
工学の直感が告げる。これは機械ではない。だが確かに“作られた”ものだ。
「おーい! そこの人!」
乾いた風に混じって、少女の声が響いた。
振り返ると、砂煙を蹴立てて小柄な影が駆けてくる。短く束ねた金髪が夕陽に光っていた。
「……生きてる!? よかった、さっき地面が崩れてたから埋まったかと思った」
肩には革袋、腰にはツルハシとナイフ。戦士というより、作業員の装備だ。
「君は……?」
「リリカ。掘り師見習いだよ。ここはグランディア大陸の東の外れ、“リュード発掘区画”。大都市からじゃ二週間かかる辺境だね」
グランディア大陸――聞き覚えのない地名。
リリカは俺の手を掴み、ぐいっと引き起こす。
「こんな場所でボーっとしてると、“砂喰い”に骨まで削られるよ。村まで来な、せめて水くらいはあげる」
村までの道は、瓦礫と砂に覆われていた。
時折、地面から突き出た黒い鉄骨や、見たことのない金属の塊が目に入る。遠くの地平線には、塔の影や城壁らしきシルエットが霞んでいた。
魔法文明は滅んだ――とリリカは言ったが、完全に消えたわけではない。
人々は荒廃の中でも、大都市や城を再建し、細々と暮らしているという。
「でもね、大都市の連中はこの辺境には来ないよ。遺物を掘るのは私たちみたいな下っ端さ。危ないし、儲けも少ないから」
歩きながら、俺は手の中の光る板をそっと見下ろす。
リリカがちらりと視線を向け、低い声で言った。
「……それ、村じゃ見せないほうがいい。高く売れるけど、同時に、厄介も引き寄せるから」
やがて、発掘拠点の村が見えてきた。
だが、その手前で、俺は奇妙なものを見つけて立ち止まった。
土の中から、黒曜石のような光沢を持つ“手”が突き出ていた。
まるで、地中から這い出そうとしているかのように――。
乾いた風が、その指先を撫でていった。
俺の中で、得体の知れない不安が静かに膨らみ始めていた。
村は、崩れかけた城壁に囲まれていた。
城壁といっても、魔物や盗賊を防ぐというより、砂嵐から家々を守るためのものらしい。
壁の内側には、木と金属の廃材を組み合わせた家が十数棟、発掘道具の山、部品や金属屑を並べた市場。
空気には鉄と油と、焼いた穀物の香りが混じっていた。
「よう、リリカ。……そいつは?」
入り口近くで見張りをしていた大男が、俺を値踏みするように見た。片目にはゴーグル、背には大ぶりなハンマー。
「ガロン、この人、発掘区画で倒れてたの。たぶん掘り師じゃないけど、ほっとくのも悪いでしょ?」
「ふん……死にかけを拾ってくるのはお前の悪い癖だ」
それでも、ガロンと呼ばれた男は俺を中へ通してくれた。
村の中心には共同井戸があり、その周りで人々が水を汲み、子どもが遊び、鍋でスープを煮込んでいる。
「ほら、水。飲んどけ」
リリカが差し出した木椀を一気にあおると、砂漠のように乾いていた喉がようやく潤った。
翌日。
「せっかくだから、仕事の手伝いをしてもらうよ」とリリカに言われ、俺は発掘現場へ向かった。村から徒歩十五分ほどの丘の斜面に、石造りの階段が半ば砂に埋もれた遺跡がある。
彼女たちはそこを慎重に掘り進め、武器や工具、金属片を見つけては持ち帰っていた。
俺は、昨日拾った光の板――古代端末を試しに近くの金属箱にかざしてみた。
すると、視界に半透明の図面が浮かび上がる。
> 【検出:魔力変換炉/小型】
> 状態:機能停止/魔力供給ライン断裂
「……やっぱり、これ、ただの光じゃない」
配線のような部分を軽く押すと、内部で微かな光が走った。
その瞬間、リリカが鋭く声を上げる。
「やめろ! 勝手に古代の機械を動かすな!」
慌てて手を離す。
リリカはため息をつき、周囲を見回した。
「……古代の遺物はね、便利なものもあるけど、同時に“何か”を起こす引き金になることがあるの。昨日見た黒い手、覚えてる? ああいうのは、昔の封印が解けた証拠なんだよ」
夕暮れ。
発掘を終えて村に戻る途中、再びあの黒曜石の手の場所を通りかかる。
昨日よりも、土がわずかに崩れ、指が一本――空を掴むように伸びていた。
風が一瞬だけ止み、耳の奥で低い鼓動のような音が響く。
> ……め……ざ……せ……
俺は足を止めたが、リリカは何も聞こえていないようで、そのまま先を歩いていく。
背中にじっとりと嫌な汗が滲む。
――あれは、絶対に放っておいちゃいけない。
そう直感しながらも、俺はまだ、この世界のことをほとんど知らなかった。
発掘現場で見つかったのは、銀色の円筒だった。
腕ほどの長さで、両端に奇妙な刻印。内部は空洞のようだが、俺が古代端末をかざすと、視界に情報が浮かぶ。
> 【検出:魔力増幅管】
> 状態:良好/安全圧まで充填可能
「これ……動けば、相当な力になるな」
ぼそりと呟くと、隣のリリカが肩をすくめる。
「だからこそ、私らじゃ売れないんだよ。こういう大物は都市か城に持っていかないと」
村に戻ると、入り口に見慣れない二人組がいた。
一人は青い外套を羽織った長身の男、腰には装飾の施された細剣。
もう一人は鎧を着た兵士で、盾には紋章が刻まれている――双塔と炎。
リリカが小声で言う。
「……王都ラザリアの使者だ」
長身の男は一歩前に出て、落ち着いた声で告げた。
「この村に、魔力反応の強い遺物が出たと聞いた。
私はラザリア王城付属の魔術院から派遣されたクレイヴだ。遺物を確認したい」
ガロンが前に立ちはだかる。
「規則じゃ、取引は市場を通すことになってる。城直行なんざ、まっぴらだ」
クレイヴの目がわずかに細くなる。
「……あの日を忘れたわけではあるまい。
大崩壊――魔術師どもが禁忌の術式を暴走させ、世界を怪物の巣に変えたあの惨劇を。
あの時の封印が、また揺らいでいる」
その言葉に、俺は思わず反応した。
――封印。揺らいでいる?
ガロンは黙ったまま視線を逸らした。
「詳しい話は……発掘の古株に聞け。俺たちじゃ荷が重い」
夕暮れ。
俺は古株の老人から話を聞いた。
数百年前、魔術師たちは「世界の理を変える」と称して、巨大な魔力炉を築き、天と地をつなぐ術式を起動した。
結果――世界は灼光に包まれ、山は崩れ、海は沸き、空からは怪物が降った。
それが“大崩壊”と呼ばれ、今に至るまで魔物と怪物が地上を跋扈させている。
老人は、俺が拾った古代端末をじっと見つめた。
「……それは、当時の術式炉とつながる可能性がある。あまり触らんことだ」
夜半。
外は静まり返っていた――はずだった。
しかし、村の外れから低く、地を震わせるような音が聞こえる。
黒曜石の“手”のあった場所だ。
俺が駆けつけると、土が崩れ、大きな亀裂が地面を走っていた。
月明かりの中、半ば土に埋もれた巨大な影が蠢く。
それは腕だけでなく、肩、そして仮面のような顔の輪郭を持っていた。
> ……めざめ……よ……
頭の奥に直接響くような声。
背筋が凍る。
その瞬間、遠く村の方から鐘の音が響いた。
外の見張りが叫ぶ。
「魔物だ! 森の向こうから群れが来る!」
封印獣の目が、ゆっくりと光を帯び始めた――。
黒曜石の巨影が、土と砂を弾き飛ばしながら起き上がった。
その体は岩と金属が絡み合い、胸の中央には脈打つ光の核。
顔のような部分は無機質な仮面で、目孔から赤い光が漏れ出している。
「……嘘だろ……あれが、封印獣……?」
リリカの声が震えていた。
背後の森からは、魔物の群れの咆哮が近づいてくる。
封印獣の目覚めが、周囲の怪物を引き寄せているのだ。
「全員、武器を取れ!」
ガロンの怒号が村中に響く。
村人たちはツルハシや弓を手に、防衛線を張るが――相手はただの獣ではない。
封印獣《オルガ=マウ》は片腕を振るった。
その一撃だけで、石造りの倉庫が粉々に砕け、砂嵐が巻き起こる。
衝撃で俺は地面に叩きつけられた。
> 【接近危険 推奨行動:退避】
古代端末の文字が赤く点滅する。
「下がれ! 私が食い止める!」
声の主は、王城の使者クレイヴだった。
外套を翻し、杖を抜くと、紺色の魔法陣を展開――雷の矢が封印獣の顔面に直撃し、火花が散る。
だが、巨体はほとんど怯まない。
クレイヴは舌打ちし、視線を俺とリリカに向けた。
「……悪いが、こんなところで死ぬつもりはない。
あれは私の任務の範囲を超えている。生き延びるのも才能だ、覚えておけ」
そう言い残し、彼は森の反対側へと駆け去っていった。
リリカが叫ぶ。「おい、卑怯者!」
その瞬間、封印獣が足を踏み出し、地面が大きく揺れた。
核の光が一段と強く脈打つ。
周囲の魔物たちが一斉に咆哮し、村の外壁に突撃してきた。
俺は古代端末を握り締め、無意識に声を上げる。
「……何か、弱点を表示しろ!」
端末の画面に、新たな文字が浮かび上がる。
> 【解析開始……魔力炉接続口:胸部中央 耐久値高】
> 【推奨行動:魔力増幅管の使用】
魔力増幅管――昨日、発掘したあの銀色の円筒だ。
俺はリリカと目を合わせる。
「……やれるか?」
「やるしかないでしょ」
封印獣の巨影が迫る中、俺たちは増幅管を抱え、破滅の核へ向かって走り出した――。
封印獣《オルガ=マウ》の咆哮が、夜の空気を裂いた。
赤黒い光が核から溢れ、村の影が歪む。
魔物たちが外壁を食い破り、家々に雪崩れ込む音が響く。
「リリカ、左へ回れ!」
俺は増幅管を抱え、封印獣の正面を取った。
胸の中央――そこが唯一の弱点だと古代端末は示している。
巨腕が唸りを上げて振り下ろされる。
地面が抉れ、土砂が弾け飛ぶ。その衝撃で耳鳴りが走った。
俺は膝をつきながらも、必死に増幅管を構える。
リリカが投げた火薬袋が封印獣の顔面で炸裂し、煙が視界を覆う。
その一瞬――俺は増幅管を核の接続口へ押し当てた。
> 【魔力充填開始】
> 【警告:過負荷状態】
青白い光が管の両端から奔り、手に持つ感覚が灼けるように熱くなる。
脳裏に警告が鳴り響くが、離すわけにはいかなかった。
封印獣が動きを取り戻し、巨腕を振り上げる。
「――ッ!」
俺は全力で管を捻り込み、叫んだ。
「吹っ飛べぇぇぇぇっ!」
次の瞬間、胸の核が爆ぜた。
白と青の光が爆風となって溢れ、封印獣の巨体を内側から引き裂く。
破片と砂塵が空へ舞い上がり、衝撃波が村全体を揺らした。
その衝撃が右腕を直撃し、激痛が走る。
骨の奥まで痺れる感覚に、息が詰まった。
視界の端で、封印獣が崩れ落ちていくのが見えた。
気がつくと、俺は地面に倒れていた。
右腕は感覚がなく、服は焦げ、血と砂にまみれている。
リリカが駆け寄り、必死に呼びかけた。
「おい! しっかりしろ! ほら、まだ息してるな……!」
周囲では、村人たちが魔物の残党を追い払い、崩れた家屋の中から人々を助け出している。
夜空には、爆発の余韻のように青い光が漂っていた。
遠くの闇の中――森の端で、一瞬だけ外套の影が揺れた。
クレイヴだ。
こちらを一瞥した後、何事もなかったように背を向け、夜の中へと消えていった。
俺は歯を食いしばり、痛みに耐えながらも思った。
――これは、始まりに過ぎない。
封印獣が一体なら、まだいい。
もし複数いたら……世界は、また滅びる。
夜風が吹き、右腕に巻かれた即席の布が血を吸って重くなった。