二 少しずつ癒えていく傷➁
エアコンの稼働音。
時折、家の前を通る人の足音や声。
静かな部屋にはそんな音がよく聞こえる。
「美波? 全然進んでないぞ」
「えっ……? あっ……」
ふと顔を上げると、輝先輩が苦笑していた。
ローテーブルで向かい合う私たちの距離は、とても近い。
「なに? バイト疲れ?」
「そう、かも……」
「でも、今日はそこそこ頑張らないと、次のデートも課題になるだろ」
「デート……」
ドキドキしている私の心臓が、〝デート〟という言葉に撃ち抜かれる。
(そっか……。デート、なんだ……)
今まではただの勉強会だった時間が、恋人になった途端にデートになる。
彼氏と彼女って、たぶんそういうこと。
初恋の経験もろくにない私に反し、彼は余裕そうに笑った。
二度目の輝先輩の部屋は、前に来た時よりもずっとドキドキした。
匂い、物、雰囲気。
男の子っぽい、モノトーンカラーの部屋。
彼の気配が濃すぎて、勝手に鼓動が暴れてしまうのだ。
「そんなに緊張しなくてもなんもしないって」
「え? しないの?」
「は?」
思わず食い気味に尋ねた直後、自分が発した質問の意味に気づいてハッとする。
頬がボッと熱くなる私とは裏腹に、輝先輩が眉を下げた。
「美波のそれは天然? 計算?」
「ちがっ……! 今のは間違ったの!
「……だよな」
彼のため息が響いて、ドキッとしてしまう。
ふたりきりでいるだけで緊張しているなんて、呆れられてしまっただろうか。
勝手にテンパっているなんて知られて、嫌われたかもしれない。
内心アタフタしながら不安を感じていると、輝先輩が顔をクシャッとした。
「そこまで警戒しなくていいよ。まぁ俺は美波とイチャイチャしたいけど、美波はまだいっぱいいっぱいって感じだし?」
「う、うるさいな……。私は先輩みたいに遊んでないもん……。付き合うとかも初めて、だし……」
言い返す口調に力が入らなかったのは、急に悲しくなったから。
私は心臓が痛いほどドキドキしているのに、彼は楽しそうに笑っている。
輝先輩は恋愛経験が豊富なんだと思えて、なんだか無性にモヤモヤした。
「俺だって遊んでないけど」
「うそつき」
「は? なんでうそなんだよ? マジだからな」
「……でも、彼女くらいいたでしょ?」
「……いないわ」
「え?」
「……え、なに? 俺、そんなにチャラい奴だと思われてる?」
「や、そうじゃなくて……。だって、先輩……モテるっぽいし……告白とか……」
ぽつりぽつりと零せば、彼が気まずそうに眉を寄せる。
「一年の時は練習漬け、二年ではリハビリばっかりで、それどころじゃなかったし。告白は何度かされたけど、彼女にした子はいない」
「本当に?」
「俺の初めての彼女は美波だよ」
目を真ん丸にする私に、輝先輩は不本意そうな顔をしている。
「クソッ……。かっこわりぃ……」
「なんで……?」
「好きな子の前でくらい、かっこつけたいだろ」
拗ねたような顔をする彼が、なんだかとても可愛く見えてしまう。
思わず噴き出せば、輝先輩に鼻をキュッと摘ままれた。
「うっ……」
私が顔をしかめると、彼がケラケラと笑う。
鼻を摘ままれていた手を押し返すようにして、これみよがしに唇を尖らせた。
「バカ」
「……先輩だって似たようなものでしょ」
「そんな生意気なこと言ってると、水族館に連れて行ってやらねーからな」
「それはずるい……!」
課題が全部終わったら、水族館に行こうと約束している。
私が今一番行きたい場所だった。
「じゃあ、真面目に課題やるぞ。夏休みもあとちょっとだし、サボって時間をムダにするのはもったいないからな」
「うん」
水族館デートは、なんとしてでも叶えたい。
そんな気持ちをぶつけるように、とにかく雑念を押し込めて課題と睨めっこをしていた。




