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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

終末の聖女

作者: 音無來春

 火。


 偽りの聖女ルミアの目に映った最後の光景は、自らの身を燃やし尽くす深紅の炎であった。


「魔女め」


 火あぶりにされるルミアを、観衆が口々に(ののし)る。

 手足を杭で打たれ 十字架に張り付けにされて、身動きの取れない彼女に罵詈雑言と石の礫が投げつけられる。


 焼けて焦げて(ただ)れる身体が、まるで他人事のように俯瞰(ふかん)して見える。

 喉の奥底から出て来る叫声が、まるで他人の声のように聞こえる。


 これはきっと異端にふさわしい末路だ。

 全ての者が救えると信じていた愚かで子供じみた傲慢(ごうまん)な自分への、神が与えた罰なのだ。






 かつて、片田舎の辺境にある村に住むルミアは聖女と呼ばれていた。

 彼女が神に祈りを捧げれば、村に恵みの雨をもたらした。

 そして乾いた大地に水が湧き、微生物が活性化され、土地が潤う。

 村の人々からは感謝され、愛され、崇め奉られる。

 ルミアはそんな日々に充実感と、少しばかりの退屈を感じていた。


 そんなある日、村のはずれに一人の旅人が現れた。

 泥にまみれ疲れ果てた様子で、けれどその瞳はどこか光を宿していた。


「……ここが聖女の村か」


 ルミアが彼のもとに歩み寄ると、旅人はフードを下ろし静かに名乗った。


「王都より参りました。私は第二王子セリオス=アストリア。あなたの力について直々に確かめに来たのです」


 王族の名を耳にし、村人たちは息を呑みざわついた。

 こんな辺境の村で王都の人間などここ数十年見たこともなかったが、よりにもよって王子とは。


「あの、私の力に何か問題が?」


「この地に流れる祝福の力、王都ではそれをアルバの遺産と呼んでいます」


 彼が指差した地図には、村の位置に奇妙な印が記されていた。


「五百年前、アルバ帝国は自然を操る術を持っていました。しかしそれは神の意志に背く禁術とされ、封じられた」


 ルミアの心臓が静かに、しかしはっきりと鼓動を早めた。


「まさか私がその遺産を……?」


「あなたの祈りは神への信仰ではなく、古の装置を動かす鍵なのかもしれない」


 その背後では村の長老が、目を伏せたまま唇を震わせていた。

 まるで全てを知っていたかのように。


「ルミア様には、王都で精密な検査を受けていただく必要があります」


 王子の声に冷たさはない。むしろ暖かく包み込むような声音だった。

 だがその言葉に込められた命令の響きに村の空気が凍りついた。


「検査、ですか?」


「念のためです。これはあなたの身を案じてのことだ。王都ならば専門の司祭や学者があなたの力を安全に……」


 丁寧な言葉の裏で背後に控えた兵士たちが、剣の柄に手をかけている。

 それは保護ではなかった。明確な監視と拘束だ。


 村の長老が何かを言いかけたが、その目を見たルミアは気づいた。

 そこには怯えと恐怖、そして罪の色がにじんでいた。


「……ルミア、行きなさい」


 それが村の総意だった。

 納得も拒絶も問いただすことも、何もできないままルミアはただ馬車へと導かれる。


 車輪が軋み、村の景色が遠ざかっていく。

 車窓に映った自分の顔は、まるで他人のように無表情だった。

 王都の空は、村で見上げた空よりも低く重かった。


 石畳の街路を通り抜け、荘厳な城門をくぐる。

 けれどルミアが連れて行かれたのは、王城でも聖堂でもなかった。

 地下の冷たい研究棟だった。


「ここは静謐(せいひつ)の塔と呼ばれています。かつては賢者の実験場でしたが、今は特別な力を持つ者の調査と管理のために用いられています」


 セリオスの声は丁寧だったが、その響きはどこか遠く虚ろだった。

 案内された部屋には窓がなく、鉄の扉と封印術式が施されていた。


 ルミアがそっと祈ってみても、水は湧かず大地の声も風のざわめきもなかった。


「ここでは力を封じるため空間に干渉する結界が張られています。それでは私はこれで」


 セリオスは淡々と全てを説明し、こちらを一瞥することもなく去っていった。

 これは監禁ではない。聖女ではなく被験体としての収容だ。


 ルミアは状況を理解しきれないまま、与えられた簡素な寝台に腰を下ろした。


「祈り、か。そんなものに意味があると本気で思っているのか。あの田舎娘は……」


「まあまあ、王子。これも任務ですから」


 廊下からそんなくぐもった声が聞こえてきた。

 ルミアに残されたのは孤独感だった。


 この場所の硬さも冷たさも、まるで自分の存在が世界に拒まれているかのようだった。


「どうして、こんなことに……」


 誰に向けたわけでもないその問いに、答える者はいなかった。






 翌日、ルミアは研究棟の一角にある白い石で囲まれた儀式室に案内された。

 室内の中央には、古びた円形の装置が静かに鎮座していた。

 まるで神殿の祭壇のようにも、あるいは時の彼方から発掘された遺物のようにも見える。


「これは原初の核と呼ばれるもの。かつてアルバ帝国が大地と水を操るために用いていた中枢装置です」


 学者らしき男が、厳めしい顔で説明する。

 その傍らには神官服をまとった術師たちが控え、光の結界を維持している。


「さあ、祈ってみてください。あなたがいつも村で行っていたように」


 ルミアは足元の冷たい石を見つめながら躊躇した。

 こんな冷たい空間で、心から祈れるだろうか。

 けれど断れば何をされるか分からない。


 彼女は静かに胸に両手を当てて、いつものように祈った。


「どうか、水を。大地を。命を。神よ、恵みを与えたまえ」


 その瞬間だった。

 円形の装置が、鈍く脈打つように光を放ち始めた。


 複雑な幾何学模様が浮かび上がり、石床に広がる。

 空間が軋み、空気の重さが一変する。


 周囲の術師たちがざわめき、結界の強化を始めた。


「……起動反応確認。神の加護ではない。これは確かに術式機構だ」


 学者が顔を上げる。その目には敬意も慈愛もなかった。

 ただ標本を見るかのような、冷たい興味だけがその目に宿っていた。


「あなたの祈りは神への信仰などではない。あなたの体質、声の波長、精神周波……それらが装置を起動させる鍵だったのです」


 視界が揺れる。脳が理解を拒む。

 自分が信じてきたものは全て幻だったのだろうか。

 自分がやってきたこ全て偽りだったのだろうか。


「私は、神に祈っていただけなのに……」


 学者は片眉をつり上げ、わずかに冷笑する。


「あなたはただの装置の起動要因にすぎず聖女などではなかった。神の祈りによる奇跡など、最初から起こしていなかったのだ」


 足が震える。

 声が出ない。


 ルミアの胸に残されたのは絶望だけだった。

 空洞のような沈黙が、儀式室を満たしていく。






 処置室での祈りから数日後、ルミアは再びあの白い部屋に呼び出された。

 今回は術師も学者も一切姿を見せない。

 ただ一人、セリオスだけがそこにいた。


「来たのですね」


「……」


 彼は無言で机の上に一通の文書を差し出した。

 そこには王国最高評議会の印が押されている。


「これは……?」


「お前は危険因子として処分される。三日後、公開処刑だ」


 王子セリオスは吐き捨てるように言った。

 時が止まったかのように、ルミアの鼓動が消えた。


「な……ぜ……」


「お前の祈りは装置を制御した。そしてその装置は戦争の兵器として転用可能だと。それを制御できるのは唯一お前だけだ」


 セリオスの目は冷たかった。

 人ではなく物、ただの道具を見るような極めて事務的な目をしていた。


「お前の存在そのものが脅威とされた。上は技術を封印することを選んだんだ」


 ルミアは力なく床に崩れ落ちた。

 信仰でも祈りでもない。

 自分はただの兵器の起動装置として裁かれる。

 ただの道具として破棄される。


 最初から、神などどこにもいなかったのだ。


 




 王都中央の処刑場。

 石造りの広場には民衆が詰めかけ衛兵が列をなし、壇上には一つの十字架が立てられていた。

 その十字架に張り付けられたただの少女、ルミアはうつむいたまま何も言わなかった。

 杭が穿たれた手のひらと足首からは、赤い血がとめどなく垂れ流されている。


 王国の宣告者が声高に言い放った。


「禁術を操る異端者、ルミア=クレセレント。神聖なる王国に仇なす者として、ここに断罪する!」


 処刑人が、ルミアの足元に敷き詰めた(わら)に火をくべた。

 火は瞬く間に十字架へと移り、体全身を焼き尽くした。






 死の瞬間、彼女は思い出していた。

 たった一人の少女が、魔法を使って世界中の人を幸せにする。

 幼かったころ、ありし日に絵本で読んだ、そんな夢物語。


「みんな、幸せ……」


 みんなが笑っている。みんなが喜んでいる。

 自分の死を、みんなが幸福に感じている。


 


 


 ルミアが絶命した瞬間、雨が降り始めた。


 恵みの水は処刑台の火を消し去り、焦げて黒墨となった元聖女だけを取り残した。


 そして風が唸り、空が割れた。

 空気が震え、大地が鳴り響いた。

 誰もがその音に言葉を失った。


 処刑台の下、地下深くに封じられていたはずの原初の核が起動を始めたのだ。


「起動反応⁉ 誰が……⁉」


 術師たちが慌てて結界を展開するが、間に合わない。

 ルミアの祈りは発せられていない。

 だがルミアの中の奥底で、確かな何かが目覚めていた。


「みんなに、笑顔を」


 人々の脳裏に優しい声が響く。

 民衆の悲鳴が跋扈(ばっこ)する。

 衛兵の叫びがこだまする。


 広場の石畳に亀裂が走り、噴き出すように水が湧き出した。

 まるで、世界そのものが目を覚ましたかのように。


「アハハハハハハハハハハハハハハハ‼」


 処刑台の焼死体から姿を現す、人でも悪魔でもない禍々しい何か。

 黒塗りにされた影に千手観音のごとき無数の手が生え、永遠に伸縮を続けている。


 その手に触れられると、無数の人が倒れ、まるで生気を吸い取られたかのように衰弱し、老化する。

 手足は枝のように細くなり、頬はやせこけ、髪と歯は抜け落ちる。

 そして体中の水分が全て抜きとられ、干からびた屍と成り果てる。


 次々と命が失われてゆく。


「終わりだ。全て……」


 科学者が呟いた。

 その言葉を最後に彼は命を引き取った。


 セリオスは逃げた。


 荒れ狂う豪雨の中、情けなく助けを求める王をおいて、自分だけ逃げだした。

 城の中の儀式室に逃げ込む。ここなら魔力も祈りも何も通らない。


 そのはずなのに、死の腕は追ってきた。

 冥界へ手招きするように、黒い腕はセリオスの足を捕まえた。


「やめろ! 離せ!」


 触れられたところから壊死するように細胞一つ一つが死んでゆく。

 セリオスは腰に差していた剣で、自らの片足を切り落とした。


 そして這うように儀式台をよじ登り、結界の中へ転がり込んだ。

 だが全ての魔性を含む物全てを拒む安全な結界でさえも、死の腕を防ぐことはできなかった。


 なぜならルミアはこれを()()でやっているからだ。


 みんなが幸せになる方法。それはみんなが死ぬことだ。

 生きていなければ苦しむことは無い。生きていなければ悲しむことは無い。


 死は平等に、全てを安息の闇に包み込む。


「あああああああああああ‼」


 セリオスは「死」に抱擁され、命を落とした。


 恵みの雨は降り続ける。

 雨はやがて世界を覆いつくし、全ての面積を沈黙する水で埋め尽くした。

 浮かび上がった干からびた死骸たちに、潤いが戻ることはなかった。


 ルミアは精いっぱいに両腕を伸ばし、国を、大地を、果ては惑星全体を包み込んだ。

 この星に住むありとあらゆる生命は、母なる海の中で深い眠りについた。


 彼女はほほ笑む。


「私の力は、みんなを幸せにするためにあったんだ」


 その水の星は、今も宇宙の中で闇に包まれている。

 そしてルミアは、永久に幸せな夢を見続けるのだった。

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