第六話:畑を耕せ、鍬を振れ
春の足音が、まだ冷たい風に紛れて聞こえ始めた頃――
アルデンの村に変化が訪れていた。
長く続いた戦争が終わったのだ。王位継承権を巡った王族同士の争いは、反乱軍(レオン達が組していた側)の敗北で終わった。
秩序が急速に回復しつつある今、かつてこの地を離れた者たちが、様子を見に戻り始め、空き家に明かりが灯り、炊煙が昇る日が少しずつ増えていったのだ。
「人が、戻ってきたな……」
その朝、レオン・ヴァルトは蒼鉄亭の戸口に立ち、空を見上げながらぽつりと呟いた。
厨房の奥では、メルティが木の飯盒に湯気の立つ麦飯を詰めていた。
「レオンさん、「おにぎり」できましたよ」
にこやかに差し出された握り飯は、まだ少し大きさにばらつきがあるが、どれも丁寧に包まれていた。
この麦飯を握り固めたものを、メルティは「おにぎり」と呼んだ。なぜ、そういうものを作ろうと思ったのか? なぜ「おにぎり」と呼んだのか? それはメルティにもわからなかった。ただ、それが――
「記憶の片隅に残るいくつかの思い出の断片」
だという事だ。レオンもその辺りは特に深く追及することもなく(メルティの過去の悲劇を思い起こすことを避けたいから)、ただ、「おにぎり」が携帯食料としてはお手軽で意外と美味いので、割と気に入っていた。
「おう、助かる。今日も土を掘るからな」
食材の不足は日ごとに深刻になっていた。
旅人や村人が増えるにつれ、蒼鉄亭に求められる料理の量も質も上がっている。だが、物資の供給は限られており、特に新鮮な野菜の入手が難しい。
「だったら、作るしかねえだろ」
そう結論づけたレオンは、村の外れにある空き地――かつて畑だった場所に目をつけた。
土地は荒れていた。雑草が畑一面を覆い、地表は固く締まり、掘れば石がごろごろと出てくる。だが、ここなら日当たりも良く、村人たちが戻る前は、実際に畑として使われていたという話もある。
「ここを耕すの、ですか……?」
グランが不安げに尋ねた。
「そうだ。まずはここを全部掘り返す。力仕事だが、できるか?」
「やります!」
まだ細い腕ながら、少年は意気込んで鍬を手に取った。その様子を見ていたグランの母も「何かできることがあれば」と申し出てくれた。
戦争で大黒柱の父親を失い、母子家庭になったグラン家には収入がほとんどない。母親の病気も貧困からくる栄養失調が原因だ。
この母子に蒼鉄亭で食事を提供したり、できる限りの援助はしてきたが、レオンたちも決して余裕がある訳ではない。
「それでも、なんとかしてやりたい」
そこで、レオンは畑仕事をグランに手伝わさせる事にした。レオンも店があるので、ずっと畑仕事をしている訳にはいかない。グランに畑仕事を手伝わせ、ゆくゆくは自立できるように――
(母親の方はもう少し元気になったら、メルティの手伝いでもしてもらおうか)
食材調達と蒼鉄亭の人手不足解消、グラン家の自立。一石三鳥の作戦だった。
レオンとグランが一生懸命を畑作業をしていると、それを物珍しそうに眺める村人がちらほら現れるようになった。
戦争が始まってから、村には停滞した雰囲気が漂い、空気もどんよりしていた。村を捨てて逃げる村人も多く、家や畑は荒れ放題。皆、活力を失っていた。
そこに、楽しそうに畑仕事に精を出す二人組が現れた。最初は荒れ放題だった畑も、だんだんと昔の面影を取り戻そうとしている。
最初は日がな一日やる事のない村人が、冷やかし半分で眺めていたのだが、この畑の変化に何か思う事があったようだ。
日にちが経つと集まってくる村人は徐々に増えてきた。さらに数日後には、彼らの畑仕事を手伝う村人も現れた。そしてその人数は次第に増えていった。
鍬を振るうお爺さん、雑草を抜く主婦、畑の畝を整える若者たち。
自分の家の畑も、ここと同じようにもう一度やり直そうと決意を固める者もいた。
かつての静寂が嘘のように、畑には人の声と笑いが満ち始めていた。
「……こんな光景、久しぶりだな」
レオンは汗を拭いながら、鍬を肩に担いだ。
村が生き返る音。戦場では聞こえなかった音。その一つひとつが、レオンの胸にも確かに影響を与えていた。
日が傾き、作業がひと段落すると、メルティが大きな窯をもって畑にやってきた。
「レオンさん、グラン君。夕飯できてますよ。よかったら皆さんも、どうぞ!」
鍬を放り出したグランが嬉しそうに跳ね上がり、
「わあ、ちょうど腹ペコだったんだ。蒼鉄亭は、畑の神様だ!」
と大声で叫んだ。
その言葉に、皆が笑った。
――村の片隅、蒼鉄亭で新たな畑が、静かに芽吹こうとしている。
それは“食”のための畑であると同時に、“生きる”ための大地でもあった。
──続く。