第四話:蒼鉄亭、正式開店
開店の日は、小雨混じりの曇り空だった。
まだ朝も早いうち、この仮設の食堂には、湯気が立ち昇っていた。木材の香りと新しい油の匂いが混ざり合い、どこか祭り前夜のような空気が漂っている。
看板はメルティが夜なべして描き上げたもので、“蒼鉄亭”と大きく記されていた。戦場の名残と、安らぎの願いを込めたその名に、レオンは少し照れくさそうな顔をしながらも、口元をほころばせた。
「今日から、始まりますね……」
厨房の裏口でメルティがぽつりとつぶやく。白い割烹着姿が、少年のような外見に不思議な調和を与えていた。短く切られた髪の下で、淡い緊張がにじんでいる。
「無理すんな。初日なんて、誰も来ねぇかもしれん」
レオンが火の番をしながら言うと、メルティは首を横に振った。
「でも……誰か一人でも来てくれたら、それで十分です」
その言葉に嘘はなかった。心構えとしてそう思っていたのは事実。でも、もう一つ切実な問題もあったのだ。
実際問題、この日用意できた食材と料理はそれほど多いものではない。数組客が押し寄せたら、あっという間に用意した食材も尽きてしまうだろう。
(食材の調達ルートを考えないといけないな。でも先立つものも限りがあるし......客が増えたら調理もメルティ一人じゃ手が回らないだろうし、どうしたもんか......)
レオンはいろいろと考えをめぐらすが、すぐ解決策が浮かぶような簡単な問題でもない。
(まあ、今は目の前のやるべきことに全力を尽くすしかないな)
レオンは思考を切り替えて、まず今日を無事に乗り切れるよう、集中することにした。
間もなく、戸が静かに開いた。濡れたマントを羽織った老女と、その背を支える若い男。そして小さな子どもを抱いた女性が続いた。
「……あの、食べ物……ありますか?」
彼らの声はかすれていた。彼らを元気づけるように、メルティはぱっと顔を明るくして頭を下げた。
「はい、どうぞ。麦粥と焼き魚、それと……豆の煮物もあります!」
席に案内された家族の背を見送りながら、レオンは鍋の中を見つめる。
(やれるかもしれねぇな……剣を置いても、人のために生きる道が)
その夜、“蒼鉄亭”にはもう三組の客が訪れた。皆、顔には疲れを宿していたが、最後には笑って帰っていった。
それを見送るメルティの横顔に、レオンはかつての戦場で燃え尽きた希望のかけらを、もう一度拾い上げる思いがした。
──続く。