第三話:煙の向こうに笑顔を
アルデンの村に戻って三日が経った。
レオンとメルティは家屋の清掃を終え、倒れかけた薪棚を組み直し、腐った床板を引き剥がして新しく張り直していた。
仮設の厨房は、かつての物置を流用したものだ。屋根の一角を張り替え、炉と煙突を応急で仕立てた。煤けた鍋がいくつもぶら下がり、メルティが丁寧に磨いていた釜が、日光に反射して鈍く光る。
「よし、火は通るな。煙も逃げる。......使えるぞ」
レオンが煙突の向きを確かめながら言った。
「水は、井戸から運ぶしかないですね。桶も、底を直さなきゃ」
「そのへんは俺がやる。お前は、あっちの保存食の確認をしてくれ」
「はいっ」
メルティの声が弾む。薪の匂いと、乾いた土と、かすかな草木の香りが、少しずつ“生活の匂い”に変わっていくのがわかる。
そんな折だった。
「......あのー......!」
外から、かすかな声が届いた。
ふたりが顔を上げると、そこには一人の少年が立っていた。十歳か、十一歳ほどだろう。細身の体、土で汚れた裾。
「なんだ? 誰かの使いか?」
レオンが問いかけると、少年は戸惑いながら答えた。
「......母ちゃんが言ってた。煙が上がってる家があったら、きっと誰かが戻ってきたんだろうって」
「それで?」
レオンが首を傾げると、少年は帽子を脱ぎ、深く頭を下げた。
「ぼく、グランっていいます。母ちゃん病気なんです。......なんでもやりますから、ごはん、分けてもらえませんか」
沈黙が広がった。それを破ったのは、メルティ。
「お腹、空いてるんだよね? すぐ作るから、ちょっと待ってて」
そう言ってメルティは火の前に立ち、乾燥野菜と干し肉を用意し始めた。そして早速料理を始める。素早く、迷いのない手つき。レオンはそれを眺めて、ふと問いかけた。
「お前、本当に料理慣れしてるな。どこで覚えた?」
メルティは手を止めず、少し遠くを見るようにして答えた。
「村で......親が食堂をしてました。小さい頃から、手伝ってたんです。それに傭兵団では華奢なぼくは力仕事に向いていませんでしたからね。主に炊事を担当していましたし」
「その食堂って、あの戦の前か......」
「はい。あれで焼き出され、全部、なくなりました」
その声は静かだったが、鍋の沸騰する音に紛れてもなお、レオンの胸に刺さった。
そうこうしているうちに料理は完成した。麦と乾燥野菜を煮込んだ素朴なスープに、薄く切った鹿肉の塩焼き。ハーブで香りづけしたジャガイモも添える。
「熱いから、気をつけてね」
「......ありがとうっ!」
グラン少年は顔をくしゃくしゃにしながら、椀を抱えて夢中でかき込んだ。
それを見ていたレオンは、ふと昔の団員たちの姿を思い出していた。戦の前夜、最後の飯を食わせてやるのが、メルティら後方部隊の仕事だった。満足に味も感じぬまま、彼らは命を賭ける場に向かっていった。
今、目の前で「うまい」と言って涙をこぼす少年がいる。
それが、レオンにとっては、初めて“報われた”瞬間だったのかもしれない。
「おいしい料理、ありがとうございました! お代の代わりに俺、なんでもします!」
「じゃあ、巻き割りを手伝ってもらおうかな」
レオンは優しく微笑みながらその少年と同じ高さの目線で話をする。
「それが終わったら、これ持って帰ってね。病人でも食べられるように作ったミルク粥だから、家で温め直してお母さんに食べさせてあげて!」
メルティが厨房から身を乗り出すようにして、土鍋に包んだ粥をそっと少年に差し出した。
少年は、レオンの巻き割りを手伝った後、メルティが用意したお土産を持って帰っていった。途中、何度も何度も振り返っては頭を下げる少年。レオンはそれを見送りながら、同じように何度も何度も手を振った。
少年の姿が見えなくなっても、その姿を追うように立ち尽くすレオン。しばしのの沈黙の後、
「......よし」
レオンは口元をほころばせて言った。
「この厨房に、看板を出そう。“食堂・蒼鉄亭”だ。蒼鉄の狼の、最後の名残りだな」
メルティが嬉しそうに笑う。
「偶然ですね。ぼくも店の名前に”蒼鉄”の名前を入れたいと思っていたんです! とても良い名前だと思います。じゃあぼく、看板を描きますね!」
剣を置いてからずっとレオンは考えていた。『剣を手放した自分に、いったい何ができるのだろう?』、『これから自分は何をすべきなのか?』と。
でも、答えは出なかった。これまでの自分には、戦いしかなかったのだから――
(そうだ、戦いしか知らない俺であるのなら、これからは別の方法で戦えばいい。人を斬るための戦いではなく、人を生かすための戦い――)
この食堂で俺の新しい戦いを始めればいい。いや、メルティと二人、『俺たちの』戦いだ。ここが、新たな『蒼鉄の狼』の戦いの場となるのだ。
――こうして、小さな厨房と少年との出会いから、「食堂・蒼鉄亭」はその第一歩を踏み出すことになる。
それは、戦火に疲れた者たちが集う、静かな避難所となってゆくのだった。
──続く。