富士山の麓
第28話 富士山の麓
風となった自分が、これ程気持ちの良いものだと思いもしなかった。
今吹いているこの風に乗れば、あっという間に、富士の麓迄行けるだろう。
出発の時、阿沙華と権也が光のローブを使って、信康を風と一体化させた。
それは当初信康が、心を閉ざした俺に対して使用する筈だったのだが、その信康が、俺の為に記憶の全てを渡した為、魂と肉体が綻んでしまい、発案者の信康本人に使われる事になるとは、残酷で皮肉なものだと思ってしまう聖司だった。
使い方を理解している阿沙華に、直感力の優れた権也が、細かい微調整を指示すると、すんなり風と一体化に成功するのだった。
それを見ながら、何としてでも元に戻す事を信康に、誓う聖司だった。
微力ながらも力を使う事で、使者に気付かれる事を避ける為に、タイミングをずらして、別のルートから富士の麓に向かう事にした。
落ち合う場所は、光の力により、各自の脳内にマッピングした地図を用意してもらっていた。
この時代の自分達が、用意してくれてた道具の半分を一緒に、風と一体化させて先に行く、父さんと母さん。
もう半分を俺と夕香で一体化させ、別のルートで次に出発。
最後に子供達が、更に別のルートで富士の麓へと向かうのだ。
時折強くなる風に、コントロールが難しくなるが、なんとか持ち堪え、無事富士の麓に到着出来た。
徒歩での移動なら、10日は掛かると思っていたのに、風と一体化出来た事により、1時間弱で到着出来るなんて、本当に凄い事をしていたのだと、改めて思うのだ。
マッピングされた場所へと向かうと、1番後から出た筈の子供達が既に到着していた。
「お父さん!こっち〜!」
権也が手を振ってくる。
「もう着いていたのか!?凄く早いじゃないか!」
聖司は素直に驚いて返答すると、阿沙華が
「権也のおかげ。かなり的確に指示してくれたから、私はコントロールに集中出来たし、風を乗り換えて来れたの」
「へぇ〜凄いわね〜、私達は強い風に対応するのが精一杯だったわ…でも何とか来れて良かったぁ!…ところで、お義父さん達は何処?…」
夕香が、護都詞達の姿がない事を気にしていた。
「お爺ちゃん達、まだだよ…」
権也がそう答えると、阿沙華も
「そろそろ着いてると思ってたんだけど、ここには未だ来ていないみたい」
「そうなのか?…それじゃしばらくここで待っていよう…」
聖司がそう言って、木陰で横になっている信康の横に座ると、夕香達も、信康を囲むように座るのだ。
「それにしても、あれだけの距離をたった1時間弱で到着出来たのは、凄い力だな…。おかげでちょっとクタクタだよ…」
少し弱音を吐く事で、張り詰めているだろうと思われる、子供達の心を少しでも軽くしようと、ワザと言う聖司。
「そうなのお父さん?僕は楽しかったから、全然平気!」
「楽しかったのか?それは凄いなぁ〜!父さん、本当クタクタだよ…」
聖司が笑って権也の言葉に返答すると、阿沙華が
「本当権也って、なんでも楽しむんだから…。権也の直感力のおかげで楽は出来たけど、その分ハラハラするところ沢山有ったんだから!こっちが集中してる時に、向こうから鳥の団体がやって来るとか、あそこに美味しそうな実がなってる〜とか、そんな事ばかり言って、何回道を逸れそうになったか分かってる?それを止める私の身にもなってよねぇ!本当私もクタクタよ〜…」
「でも色々発見出来たりして、楽しかったでしょ?」
権也の前向きな返しに、夕香が
「楽しんだのは良い事よ、でも人に迷惑掛けて迄はダメよ?」
「は〜い、…でもね、信兄ちゃんに後で、楽しい記録見て欲しくてね、そう思ったらさ、勝手に動いてたの…」
兄想いの権也の優しさに、聖司達は感銘を受けるのだった。
「ったく、そう言う事は先に言う!そうすれば、少しぐらい私だって、気になった所沢山有ったんだから、寄り道してたかも知れないのに!」
「えー!そうなの〜?」
「そうよ!」
このやり取りに、笑いが起きる。
笑いながら夕香が
「ねぇ阿沙華、気になった所って、どんな所だったの?」
「フフフッ、多分あれはねぇ、温泉だったと思うの」
その言葉に、聖司が
「温泉!?」
「そう、温泉!湯気が出てたから、間違いないと思うの」
嬉しそうに答える阿沙華。
「こっちに来てから、まだお風呂入った事ないでしょ?いくら身に付けた力で、清潔を保っていたとしても、やっぱりお風呂に入りたいもの」
と、付け加える。
「確かにそうだよな…温泉と聞くまでは、汗をかいても、土で汚れても、知らないうちに綺麗になってたから、お風呂の事考えてなかったよな…」
「そうですよね…私も何故か、お風呂の事抜けてましたわ…」
夕香も同じだった。
そこに権也が
「それじゃ後で、温泉に入りに行こうよ!」
「それも良いかもな、するべき事済ませたら、入りに行こうか」
聖司がそう言った途端、阿沙華が
「男子は後からにしてね!最初は、私達女性から入るからね!」
と、先に釘を刺されてしまうのだった。
「わ、分かってるよ…女性陣から入れば良いから…。それに信康も綺麗にしてあげないとな…年頃の男の子だから、家族とはいえ、見られたくはないだろうしな…」
「…だよね…あっそう言えば、あの温泉に、誰か2人入ってた気がする…」
阿沙華が思い出したように言うと、夕香が
「こんな所まで入りに来てるのなら、とても良い温泉なんでしょうね」
「そうかもな、でも…2人遅いな…。既に1時間近く経ってるのに、何かあったんだろうか…」
聖司が、護都詞達の遅れが気になり
「ちょっとその辺り見て来るよ」
と言ったそばから
「いや〜遅くなって済まない!」
と、ようやく護都詞達が、合流して来た。
「父さん、遅かったじゃないか?どうしたんだ?…何かあったのか?」
聖司が聞くと
「いやな…情けない話、強い風に流されてしまって、力のコントロールが出来なくなったんだよ…」
頭を掻きながら護都詞が言う。
「そうだったんだ…で、それからどうしてたんだよ?」
更に聖司から聞かれ、護都詞が
「下手に力を使えば、気付かれる恐れがあったから、一体化を解除したらな、運良く温泉に落ちたんだ」
「ハァ?温泉に落ちた〜?」
聖司が聞き返す後に、阿沙華が
「もしかして、それってこの近くの温泉?」
と聞く。
「あぁ歩いて30分程の所に有る天然の温泉だ」
「もしかして、あの2人ってお爺ちゃん達だったのかな…。それなら納得いくけど、どうしてこんなに時間が掛かったの?あそこに落ちただけなら、こんな時間は掛からない筈なのに…」
阿沙華の鋭いツッコミに
「あのね阿沙華、私達も直ぐに出て、こっちに向かうつもりだったの。だけど、力のコントロールで大分消耗したのか、動く事がなかなか出来なくて、しかも服は濡れてるから少し乾かす時間も欲しくて、悪いと思いながらも入ってたのよ」
弥夜の言葉に付け足す様に、護都詞が
「温泉に入っていたら、失われて行く力が回復してきたのが分かったんだよ。それで回復も含めて長湯してしまったんだ…申し訳ない…」
2人共に、申し訳なさそうにするが、その事を咎める者はなく、逆に阿沙華が
「お爺ちゃん、回復ってそれ本当?」
「あぁ本当だよ、信康が補填出来ないと言っていたが、私達の感覚では、補填してる様に思えたよ」
「そうでしたよね、なんだかこう…体というか、その奥底に染み渡る感じがしてたわ」
と、2人共同じ事を言う。
それを聞いた阿沙華が、しばし考えて、聖司に
「ねぇお父さん、1度その温泉に入りに行かない?」
と言うのだった。
「今から!?おいおいどうしたんだよ、先にするべき事してからって、言ってたじゃないか。ただ温泉に入りたいだけなら、すべき事してからにしないと、信康が助からないのじゃないのか?」
聖司の意見は最もだったが、阿沙華は
「そうなんだけど、信兄ちゃん運んでて分かった事があって、信兄ちゃんの魂の力が、かなり衰えてるのよ…」
「だったら尚更、信康を元に戻すのが先決なんじゃないのか?」
「そう…そうなんだけどね、温泉から力が回復するのなら、その衰えの進行も抑えられるんじゃないかなって、後キツい事言うけれど、今から元に戻すとしても、その準備に時間は掛かるし、その間にも衰えが止まらないのなら、回復をしてからでも遅くはないだろうと思ったの…」
そこ迄考えての提案だった。
「…そっか、阿沙華、お前がそう思ったのなら、それがベストなのかもしれないな…」
聖司が納得した時、権也が
「僕もそう思うから、信兄ちゃんを温泉に入れてあげようよ!」
と、言うのだ。
直感力の優れた権也の言葉で、そうするべきなのだろうと、決心が固まるのだった。
「分かった、それじゃ先ずは温泉に行こう!悪いが男性陣を先にさせてもらうな!信康を一刻も早く回復させたいからな…」
「それで良いよお父さん、お母さんも良いよね?」
阿沙華が夕香に問うと、夕香も"良いわよ"と言って了諾するのだった。
「それじゃ行こう、父さん達は悪いけど、ここで荷物の番しててくれるかい?」
「あぁ分かった、信康を頼んだぞ!」
力が回復するというので、時間も惜しく、また風と一体化して温泉に向かう。
阿沙華の案内により、直ぐに着き
「それじゃ悪いが先に入らせてもらうよ」
「はい聖司さん、信康をお願いしますね」
夕香がそう言うなり、阿沙華と離れて行く。
自分達の服を脱いでから、信康の光のローブはそのまま、着ていた物を脱がせて温泉に浸かる。
すると、本当に力が回復してくるのが分かったのだ。
信康にも変化が起き、青白くなっていた肌が、血色良くなっていくのが分かる。
「あぁ信康…良かった…本当に良かった。後もう少しだけ待っててくれよ、必ず元に戻してみせるからな…」
しばらく温泉に浸り、充分力の回復が出来たと思い、服を着せて
「待たせたよ、交代しよう」
聖司の合図に、直ぐやって来た夕香と阿沙華。
信康を見るなり
「信兄ちゃん、血色良くなってる!本当に回復出来るのね!」
「そうみたいね、本当に良かったわ!」
驚くも嬉しそうに喜んでいた。
「それじゃ俺達は、先に戻ってるよ。ゆっくり入って来てくれよ」
「はい!」
「分かったよ、お父さん。信兄ちゃん宜しくねぇ」
そう言葉を交わして、護都詞達の元に戻る。
信康を抱えて、30分程掛けて歩いて戻ると、既に夕香達が戻っていた。
「お帰り、歩いて帰って来たの?」
「そうだけど、お前達力を使ったのか?」
「うん、信兄ちゃんの為の下準備が有ったから、そうしたの」
「そうか…それで準備は整ったのかな?」
「今出来る事は終わったよ、後は洞窟の中の修行場に辿り着いてからだね」
「それじゃ、直ぐに修行場に行こう。場所は分かるのか?」
「それは大丈夫、ただその修行場を使うには、お父さんの力が必要なんだけどね、その説明は向こうに着いてからするね」
「俺の力?まぁよく分からないけど、取り敢えず行こう」
聖司と阿沙華とのやり取りが終わり、目の前にある洞窟へと入って行くのだった。
洞窟の中は暗く、ジメっとしていたかと思えば、初夏のこの時期なのに、冷んやり冷えてきて、何処か肌寒くなっていた。
どれくらい歩いたのだろう。
幾つかの分かれ道が有ったりしていたが、迷わず進む阿沙華に付いて行く。
力が備わっていたから良かったと思えた。
何故なら、普通なら暗くて濡れた足元はよく滑り、とても危険な道のりなのだ。
それをものともしなくいられるのは、やはり力が備わったからだと思う。
そう思えたのは、暗い筈なのに、灯りがなくても洞窟内がはっきり見えるし、少し斜面のキツい凸凹道を歩いている様にしか、感じられなかったからだ。
距離にしてどれくらい歩いたのだろう、富士の洞窟の中は、これ程にも深く長い距離が有ったなんて、知らなかった。
ここでも風と一体化すれば、目的地に早く着いたのかも知れないが、洞窟の中は風が無く、歩くしかなかったのだ。
何だかんだと1時間近く掛けて、やっと目的の修行場に着いたのだ。
「皆んな、修行場に着いたよ」
と、阿沙華が言うのだが、そこには何も無いのだ。
聖司が思わず
「着いたって、何処に修行場が有るんだ?何も無いじゃないか…まさか、この何も無い所で、習練しろと言うんじゃないだろう?」
不思議に思えて、変な風に聞いてしまう。
「信兄ちゃんの真似をするなら、良く思い出してみて!ってやつね…。それか考えてみてかな?どちらにしろ、ここで間違いないの」
今度は護都詞が
「阿沙華、信康の真似しなくてもいいから、もっと分かり易く教えてくれないかな?とても私達には、理解出来んのだよ…」
と、本当に理解出来なくて聞いてしまう。
「あっごめんね、何時も信兄ちゃんが使ってたキメ台詞を言ってみたかっただけなの〜、気にしないでね〜」
少し嬉しそうに言う阿沙華。
「あらあら…」
と、弥夜と夕香が呆れながら笑うのだ。
「でね、ここに向かう前に、お父さんにしてもらう事有るって言ったでしょ?それと以前に信兄ちゃんが、誰にも気付かれない様にされてるって、そう言ってたの覚えてる?」
「あぁ確かにそんな事言っていたよ」
と、護都詞がポンっと手を叩き、思い出す。
弥夜が
「それがこの場所なのね?それで聖司は何をするの?」
「そうだよ、俺が何をすればいいのか、説明するって言ってたけど、何をすればいいんだい?」
「ちょっとだけ、痛い思いしてもらうの」
「!!??痛いって、何言ってるんだ!?また怖い事言うのか!?」
「またって、私怖い事言った事ある?」
「い、いや…全然!…全く!…」
「でしょっ!ったく、未だ説明の途中なのに、話折らないで!」
「ご、ごめん…」
「続けるね、先ずお父さんの借りてる肉体に、意識を持っていくとね、肉体に残された記憶の言葉が浮き上がってきて、それを唱えるの、その時にその肉体の血必要なんだって!だからチョコっとだけ血が必要なの。すると、修行場の入口がこの場所に現れるみたい」
「そうなのか…でも本当に、チョコっとだけなのか?本当は、結構痛くて、沢山の血が必要なんじゃ無いのか?大丈夫なのか?」
「大丈夫大丈夫!痛いのは最初だけだから♡」
あっここにもサイコさん居ました、そこ迄信康の真似しなくても良いんだよ?阿沙華…と、思う聖司+護都詞。
「別に、信兄ちゃんの真似してないからね?サイコでも無いから、安心してよね!」
と、サイコではなく、女帝様だったのだと思ったのだ。
もういいか、今は言われた通りにしようと覚悟を決め、肉体に刻まれた記憶を探る聖司。
魂の時とは勝手が違い、なかなかアクセス出来ないでいたが、権也が
「お父さん、ここに意識を向けてみて」
と、聖司のお臍の部分を触る。
言われた通りにお臍の所に意識を向けると、そこからこの時代の自分の記憶が湧き上がってきて、言葉が浮かんできたのだった。
「カームカーマ」
気付けばそう呟いていた時、聖司の手に痛みが走る。
阿沙華が小刀で、聖司の掌を軽く切ったのだ。
聖司の掌から滴り落ちる血液が、地面に落ちた瞬間、地面から眩い光が発せられ、10cm四方の立方体の箱が宙に浮かんでいた。
光が消えてもそのまま浮かぶ箱。
その箱を指差し、阿沙華が
「これが修行場の入口なの。それとお父さん、痛かったのは最初だけだったでしょ?」
と、悪びれる事なく言う。
痛いのは諦めたとして、これが入口なのかと
「これが本当に、修行場の入口なのか?…イテテ…」
と聞くと、阿沙華が
「そうなんだってば、これに手を触れれば、その中に入れる様になってるの。要は、異空間の箱バージョンってとこ」
それを聞いた護都詞が
「それが本当なら、確かに光の主のやりそうな事だな。あやつの力と、この時代の私達の力が合わされなければ、こんな大掛かりな事なし得られんのだろうなぁ…」
それに同感した弥夜も
「確かにこれなら、誰もこの中に、私達が居るなんて思わないでしょうね」
更に権也が
「阿沙姉ちゃん、多分なんだけどさ、ここ迄来る道順にも仕掛けが有ったんじゃ無いの?」
「流石権也の直感力!そうなの、あのルートじゃなきゃ、ただここに来て同じ事しても、この箱出現しなかったのよ」
それを聞いた夕香が
「それが本当なら、本当凄いわね〜光さん。ただ光ってただけじゃ無かったのね、色々考えてたのね、偉いわぁ〜」
やはり何処か抜けているが、良しとする一同。
「信兄ちゃんの事も有るから、早く中に入りましょうよ!」
聖司の手当てをしながら阿沙華が言う。
「そうだな、それじゃ阿沙華の言った通りに、皆んな早速入ろう!」
聖司の合図と共に、それぞれが順に、箱に手を触れる。
そして箱に、吸い込まれていくのだった。
それを見ながら、聖司は信康を抱きかかえて、夕香が信康の手を取って、同時に箱に触れるのだった。
一家全員が、箱の中へと消えて行った。
箱は暗い洞窟の奥で、ただ浮いているのだった。
悪しき者から家族を守る為に、存在を消すかの如く、ただ闇の中で、静かに浮いているのだった。
第28話 富士山の麓 完
温泉好きですか?
僕は好きですが、猫肌なので熱いの苦手です。
では次話をお待ち下さい。