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新説! 劉邦伝-6-

「おいおい、もう充分であろうに」


「項羽の残暴ぶりに触れたのはただの寄り道。再び漢王様について書きとうございます」


「儂をなんとする?」


「民に慕われ、共感を得るには俗人ぽさも必要です。天稟(てんぴん)の王となれば民も近寄り難く、懐くどころか畏れ慎みましょう。そこで人としての至らなさを描きます」


「酒呑みのろくでなしの穀潰し、でよいではないか」


「酒呑みのろくでなしの穀潰しの遊冶郎(ゆうやろう)、でございます。しかしこの程度では巷間には珍しくありません。意外性です。意外性がなくては」


「……儂、泣いていいか?」


 項垂れる劉邦に張良が酒を勧めた。


彭城(ほうじょう)からの脱出劇、ここに色を加えましょう。そうですな……逃げる途中、車を軽くするためにお子様たちを投げ捨てた、というのはいかがでしょう?」


「何を言うか」


 これにはさすがに劉邦も眉を顰めた。


「逃げる劉邦、追う楚軍。このままでは追いつかれる! よし、我が子を落として車を軽くしよう! 劉邦、襟を掴んで我が子を外へ。漢王、何をなさいます! 車を停めて夏侯嬰(かこうえい)、子を乗せ再び走らせます!」


「また何か始まったぞ……」


「やいこら、馭者(ぎょしゃ)の夏侯嬰! 儂を漢王と呼ぶでない! 追手に気付かれ全滅ぞ! 子を捨てるなどとんでもない! お子を守るは臣下の務め! いやいや今は逃げるが先ぞ! 子はいくらでも産めばよい!」


 司馬は軽快に筆を走らせた。


 蚯蚓(みみず)ののたくったような書体が竹簡を黒く染め上げた。


「――司馬よ」


 一段落してその手が止まるのを待ち、劉邦が静かに声をかけた。


「儂が子を捨てるワケがないではないか。むしろ実際はその反対。漢の宗廟(そうびょう)を絶やすまいと儂の命に代えても守り通すつもりだったのだぞ」


 ふん、と鼻を鳴らす。


「しかし漢王、劉盈(りゅうえい)様を車の外に投げたのは事実ではありませんか」


 突然の声に劉邦が振り向く。


 ――夏侯嬰だった。


「いつからそこに立っておったのだ?」


「少し前に。芝居がかった調子でわたしめを呼ぶ声が聞こえたものですから」


「ああ、それはこの男よ。文筆家の司馬言――」


「あなた様が夏侯嬰様ですね!? 漢王様がお子様を捨てたというのは本当でございましょうか?」


 司馬はずいっと身を乗り出した。


「ああ、事実だとも。三回……いや、四回だったかな。追手を撒く途中で投げるのでその度にわたしが拾い上げたのだ」


「まてまて、夏侯嬰。それは誤解だ」


 劉邦が慌てて口を挟む。


「おや、五回でしたか?」


「そうではない。追いつかれれば儂ら全員が虜になるのは必至。だからその前に劉盈たちだけでも逃がそうと車から突き落としたのだ」


 それをお前がいちいち拾い上げるから、と批難する。


「適当に脚色しようとしたのがまさか事実だったとは……某はこの才能が恐ろしゅうございますよ」


 彼はわざとらしく身震いしながら筆を進めた。


「ではお子様を投げ落としたのは事実ということで、その理由は我が子を見捨てて車を軽くするため、と――」


「ああ、どんどん本当の儂とかけ離れていく……」


 しょんぼりする劉邦の肩に張良がそっと手を置いた。


「これも国家のためと思えば……」


 慰めの言葉をかける彼の口元は明らかに笑いを堪えるために引き攣っていた。


「ふん、張良はいいな! 范増を悪く書くことで株が上がるのだからな!」


「まあまあ、そうお怒りにならずに。沛公は仁厚の士。こんなことで怒っていては人心は離れていきましょう」


「離れているのは此奴(こやつ)の創作だ」




 その後も司馬は様々な出来事を装飾した。


 たとえば巴蜀に向かう際にうっかり灯火を落として桟道が燃えてしまったのを、張良の策略ということにした。


 劉邦を儒者嫌いということにして、酈食其(れきいき)などの儒者に対して数々の無礼な振る舞いをしたという挿話を盛り込む。


 韓信が大将軍になったのは面接と実技試験の結果が優秀だったからだが、これを蕭何が一目見ただけで才能を見抜き、”国士無双だ”と言って推輓(すいばん)したことにした。


 こうして司馬は誇張も含めて史実のあちこちに手を加えた。


 奇しくも改変した箇所は全部で七二であった。

天稟……生まれつき(の才能や性質)


遊冶郎……酒におぼれて身持ちの悪い男


宗廟……祖先に対する祭祀を行う廟

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