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新説! 劉邦伝-3-






「どうであったかな?」


 筆を(もてあそ)んで小さく唸っている司馬は無礼にも劉邦の問いに答えられずにいた。


 聞くこと二時間あまり。


 沛県での暮らしぶりから挙兵、項羽との戦い、そして今日に至るまでが仔細に語られた。


 言葉足らずは張良、蕭何が補完することで劉邦を中心とした漢楚の情勢を精緻な執筆の材料として残すことができた。


 しかしその完璧な材料が不満である、と言わんばかりに司馬は頬杖をついたりため息をついたりを繰り返す。


(先生と雖も無礼ではあるまいか?)


 蕭何は彼の振る舞いを注意しようとした。


 ひとつ卓を囲んで歓談したとはいっても相手は漢王に丞相、そして稀代の参謀の張良である。


 いかに招客でも払うべき敬意がある。


 そのことについて蕭何が(たしな)めようとした時、


「悪くはないのですが……」


 竹簡を見比べながら司馬が呟いた。


「何か問題があるのか?」


 劉邦はその中の一枚を持ちあげて問うた。


「どれも素晴らしいお話でございました。しかし一介の文筆家として言わせていただきますと――」


「遠慮はいらんぞ。思ったとおりに言うがよい」


「――全く面白くありません」


 張良はびくりと体を震わせた。


 それはさすがにまずいのでは――という空気が蕭何との間に張り詰める。


 劉邦は特段気にしている様子はなかったが、もう少し言葉を選べ、という言葉が張良の喉まで出かかっていた。


「面白くないとは?」


「端的に申し上げれば起伏がないのです。盛り上がりといいますか……蔗境(しゃきょう)となる部分がありません」


 筆を置くと司馬は水を一口含んだ。


「どこで何があった、誰が何をした、の羅列は書とは言いませぬ。それは記録として残しておけばよいことで某の仕事とは異なります」


「そういうものなのか?」


 劉邦は二人に意見を求めたが、どちらも答えられなかった。


「面白くなくては人に読んでもらえず、漢王様のご苦労やご活躍が世間に伝わりませぬ」


「そうは言われても先生、我々がお話したことは全て事実。それを面白くというのは――」


 不真面目すぎないか、と蕭何が言う。


巫山戯(ふざけ)るという意味にはございませぬ。記録は残すことに意味があり、書は読まれることに意味がございます。まずは読み手の関心を引かねば話になりません」


 司馬は滔々(とうとう)と語り始めた。


「思わず続きを読みたくなるような言葉選び、起伏のある構成、そして随所に逸話を盛り込んで物語の世界に引き込む! それが書というものにございます!」


「おおっ!」


 劉邦は思わず手を叩いた。


(この男、なかなか面白いではないか)


 彼には真面目一辺倒の張良や蕭何にはない飄逸(ひょういつ)さがある。


 堅苦しいのが悪いとは言わないが、ときにはこうした遊び心も必要だ。


「では具体的にどうすればよい? 儂が挿絵でも描こうか? 昔から鼠の絵を描くのが得意で――」


「絵は必要ありませぬ」


「そ、そうか……」


 劉邦はがっくりと肩を落とした。


「まずはそうですね、漢王様。沛県での生活ぶりを少し変えてみましょう」


「何を言っておる? 過去のことをどう変えるというのだ?」


「たとえば酒呑みのろくでなしだったことにするのでございます。そうですな……仕事にも不真面目で日がな一日、酒肆(しゅし)を渡り歩いていたとか」


「なんと!」


 持っていた盃を慌てて置いた劉邦は大仰に手を振った。


「儂はたしかに猩猩(しょうじょう)と呼ばれるくらいの酒呑みではあるが、亭長として職務に手を抜いたことはないぞ」


「私が証人です。漢王は沛県におられる頃から勤勉実直、周囲からも好かれる人品高潔なお方でした。それゆえ挙兵に際して多くの部下が付き従ったのですぞ」


 今とばかりに蕭何が加勢する。


 この物書きは少々礼儀に欠ける。


 ここで強く言っておかなければ増長するにちがいない。


 だが彼にはこの程度の反論は通用しなかった。


「そこなのです。生真面目な人が反秦のために立ち上がっても意外性がありませぬ。これでは物語としては凡庸も凡庸。これを書にすれば禍棗災梨(かそうさいり)もいいところです」


 司馬は鼻を鳴らした。


「儂、凡庸なのか……?」


 劉邦が今にも泣きそうな顔で張良に問う。


「いえ、波乱に富んだ半生かと」


 慰めの言葉とともに、すっかり小さくなった背中をさする。


「大船がぷかりぷかりと浮かんでいるだけの風景を見て楽しめますか? 軽舸(けいか)が嵐や賊の襲撃に遭いながらも海を渡りきるほうが胸躍りませぬか? 意外性、冒険、逆境に激動あり! 物語はそうでなくてはなりませぬ」


「そういうものなのか……?」


「そういうものにございます。たとえこの時代には受け入れられなくとも、後の時代にはかような冒険譚が垂髫戴白(すいちょうたいはく)に人気を博すことでございましょう」


「なかなか奥が深いようであるな」


「――というワケですから、漢王様は大酒呑みのろくでなしの穀潰し、ということにいたしましょう」


「さっきよりひどくなっておるではないか」


「ひどければひどいほど、漢王様の偉業が際立つというものです。さて、この次ですが……」


 司馬は竹簡を指でなぞった。

蔗境……話が次第に面白くなってくるところ


酒肆……酒屋、酒場


猩猩……想像上の動物。大酒呑みのこと


禍棗災梨……無価値な書物を出版することへの批判。版木にナツメやナシが適しており、無価値な書物のために消費されるのは版木にとってわざわいであるという意味


軽舸……小舟


垂髫戴白……子どもと老人のこと。垂髫はおさげ髪、戴白は白髪頭。

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