6年の片思い
『6年の恋』のザック側のお話です。
ザックが恋をしたのは、彼がまだE級冒険者の時だった。
彼が拠点としている、ロイズ王国カロット冒険者ギルドの新しい受付嬢のメイに初めて会った時、ザックの心臓がドキリと高鳴った。
明るい茶色の髪は肩までの長さで先がクルンと丸まっていて、彼女の丸顔の周りを飾っている。緑の瞳はイキイキとしていて、好奇心に満ち溢れていた。ぷるりとしたピンクの唇、細くて白い首、自分よりも頭2つ分小さな身体。豊かな胸に折れそうな腰、細い足首。
どストライクだった。ザックはこの時初めて、自分の好みというものを知った。
「メイです、初めまして。ルルーさんの後任です。ザックさんの担当になりますので、よろしくお願いします!」
ニコリと花が咲くように微笑んで、メイは可愛い声で挨拶してくれた。声まで好みだ。
ザックは緊張の余り「あぁ」と言っただけで無愛想な態度を取ってしまい、その日は全く仲良くなれなかった。
「可愛かった可愛かった可愛かった、なんで俺もうちょっと気の利いたこと言えなかったんだ、アホだ俺」
行きつけの酒場で、ザックは酒瓶を握りしめて愚痴る。
「あー、メイちゃんねー。可愛くて人気よねー」
パーティメンバーの魔術師ミカが、ニヤニヤ笑って言う。
「仕事も丁寧で真面目よー。意地悪なベテラン冒険者に揶揄われて泣いちゃうこともあるけど、こう、涙目で一生懸命に応対してるとこがもう、かっわいーって狙ってる冒険者も多いのよねー」
「泣かされてるのか?」
ガバッと顔を上げ、ザックが据わった目で聞いてくる。
「ほらー。冒険者の中には荒っぽい奴らもいるし、偏屈な奴もいるじゃない?それで窓口でゴネられたりしてね。ギルドで働くの初めてで、まだ慣れてないからちょっと怖いんだってー」
「怖い…」
自分も身体ばかりデカくなって、威圧的だとよく言われる。加えて今日の無愛想な態度は…。
「俺も怖がられているのか…?」
愕然としているザックを、ミカは杯を片手に面白そうに見ている。
「ぶっ、ぶははっ。ナニ?ザック、好きなの?怖がられてショックなの?」
「…一目惚れなんだ」
「ぶーーーっあっははっ、ぐごっはぐっゲホゲホっ。ヤバっ変なとこに酒が入った!死ぬっはっはっはぁはははっ」
口に含んだ酒を吹き出して、ミカは溺れる様な声で爆笑している。
「ミカ、笑いすぎだ」
パーティメンバーの1人、剣士兼弓使いのマイルが、布でミカの顔を拭きながら、しかしこちらも口の端を笑いでピクピクさせながら嗜める。
「そうですよ、ミカ。人の恋路を笑ってはいけません」
更にもう1人、パーティメンバーのジャンに嗜められる。こちらは神官らしい慈悲深き笑みを浮かべている。
「我々はザックの初恋を温かく見守ろうではありませんか」
「はつこいーーーっ!」
ミカは絶叫を上げた。
「ええ、幼馴染である私が断言します。コレはザック24歳の初恋です。我ら『黒狼』のリーダーで、『疾風の悪魔』と呼ばれている厳つい大男のは・じ・め・ての恋♡痛っ!」
「黙れっ!」
ザックは真っ赤な顔でジャンの頭を引っ叩いた。
ミカは大爆笑しており、マイルは顔を伏せてぷるぷると震えている。
「殴るなんて酷いですね」
殴られた頭をさすりながら、ジャンがボヤく。
「人をおちょくるお前が悪い」
「おや、私がシェリーヌちゃんを好きだと打ち明けた途端、馬鹿笑いしてからかって、村中に広めてシェリーヌちゃんとの仲を気まずくしてくれた人の言葉とは思えませんね」
「その節は大変すまなかった!反省していますっ!」
にこりと薄暗い笑みを浮かべるジャンに、ザックは頭を下げて謝った。
シェリーヌちゃんとのことは、ジャンとザックが6歳の頃の話だが、幼馴染みの執念深さを知っているザックとしては、ここで誠心誠意、謝っておかないと、同じ事をやられかねない。
「まー、ライバル多いし、ザックのさっきの調子じゃいつ恋が実るか分からないけど、頑張ってみたらー?わたしはメイちゃんと仲良くなったから、出来たらサポートしてあげるねー」
ミカが笑いすぎて出た涙を拭きながら、ニヤニヤして言う。
マイルは無言でミカが零した酒を拭いているが、こちらも深く頷いていた。
「私も微力ながらお手伝いしましょう。偉大なるラオールの女神様。どうかザックに慈悲を賜りますよう…」
ジャンがザックを微笑ましく見守りながら、女神に祈りを捧げた。
一癖も二癖もある仲間たちだが、ミカ曰く、『ザックとメイちゃんを仲良くさせちゃおう大作戦』が、E級パーティ『黒狼』の中で発足したのだった。
それから、ザックは頑張った。
外見の厳つさと目つきの悪さと愛想の無さはもうどうしようもないので(ミカ談)、とにかくメイの話を聞くようにした。「無理に話題を作ろうとしても、空回りするだけだ。メイちゃんの話をよく聞いて、大きく頷いたり、相槌を打つだけでグッと印象は良くなる」というミカのアドバイスに従って、メイをよく見て、よく話を聞くようにした。
すると、ミカの言う通り、ザックの厳つさに初めは固くなって緊張していたメイも、段々と打ち解けてくるようになった。
ザックの方も仕事の会話ならこなせるようになり、そこから世間話が出来る様になり、友人のような楽しい会話が出来る様になってきた。
呼び方も『ザックさん』から『ザック』、『メイさん』から『メイ』になり、敬語もなくなって、他のパーティメンバーも一緒だが食事に行ったり飲みに行くようになった。
外見だけでなく、メイの優しくて頑張り屋で意地っ張りな性格にも好感がもて、ザックは彼女にますますのめり込んでいった。
そんな、友人といえる関係にようやくなれたとき、E級パーティ『黒狼』に、ある護衛依頼がきた。
カロットの街から馬車で1ヶ月ほどの街へ、フリード商会の商隊を護衛するものだったが、最短でも往復2ヶ月の期間がかかる。
ザックはカロットの街を長期間離れることになるこの依頼を受けることを、一瞬だけ躊躇った。ようやく仲良くなれたメイと離れることになる。しかし、この、依頼を成功させることで、ギルドより『黒狼』のメンバーの昇級は確実と言われていた。ザックはすぐに決断した。
ザックのジリジリした恋の歩みを見守っていた他のメンバーからは、別に今この依頼じゃなくても、他の依頼をこなせば昇級はできるので断ろうと言われたが、ザックはそこを押し切って依頼を受けた。パーティのリーダーとして、この依頼を受けないのは愚策だと分かりきっていたからだ。
こうして『黒狼』は旅に出た。道中、大規模な盗賊団に狙われ返り討ちにした挙句盗賊団の9割を壊滅に追い込んだり、B級指定の魔獣の群れに襲われて討伐したりと大波乱だったが、『黒狼』はその功績が認められ、異例の2級昇級をすることになった。いきなりE級からC級になったのだ。
E級パーティーには身の丈に合わないトラブル続きで、何度も死にかけたが、輝かしい功績を成し遂げたザックたちがようやくカロットの街に帰ってきたとき、出迎えてくれたメイの傍には、フリード商会で働くユーリという男がいた。
フリード商会の会長に、商隊を守ってくれたと涙まじりに感謝されたザックたちだったが、会長の感謝の言葉もギルドの冒険者たちの歓声も、ザックの耳には入ってこなかった。
メイとユーリの仲睦まじい様子に、彼の頭の中はただ真っ白になり、機械的に会長に言葉を返していたと思う。
『黒狼』の他のメンバーも、顔色を変えてザックを見ていたけれど、疲れているからとサッサと宿に戻るザックをそっとしておいてくれた。
定宿のいつもの部屋に落ち着くと、ザックはベッドに身体を投げ出した。
情けないことに、泣いていた。
旅の間、イレギュラーなことばかり起こり、何度も死を覚悟して、その度にメイを思い出していた。必ず帰って気持ちを伝えようと、その想いだけで生き残ってこれた。
最短で異例の昇級。皆から称賛されるその功績の代償に、大事な人を他の男に渡してしまった。
「馬鹿だ。俺は」
呟いたザックの声は、消え入りそうに小さなものだった。
しばし落ち込んだ後、ザックは日常に戻った。
いつも通り依頼を受けてこなし、その結果をギルドに報告する。
恋人が出来て幸せそうなメイをからかい、たまには皆で飲みに行ったりした。
パーティメンバーたちは、そんなザックとメイに何も言わずにいてくれた。
1年目はまだメイの顔を見ると胸が痛んだ。どうしようもない気持ちにかられ、深酒することも多々あった。そんな時はいつもマイルかジャンが、最後まで付き合ってくれた。
2年目もまだ辛かった。気を紛らわせるために、仕事に打ち込んだ。無理をしすぎてパーティメンバーに諫められたが、お陰でまたランクが上がった。
3年目。そろそろメイとユーリは結婚を考えるのだろうか。メイは何も言わないが、友人の結婚話にぎこちない笑みを浮かべたり、子連れの家族をボンヤリ見ていることが増えた。ザックはそろそろ他の人に目を向けるべきかと、気持ちを切り替えようと思った。
4年目。他の女性と親しくなった。しかしどうしてもメイのことが心から離れない。いずれ彼女がユーリの隣で花嫁衣装を着て並ぶ日がくると分かっていても、それを見て胸が張り裂けそうになると分かっていても、諦められない。そんなザックを察したのか、女性とは自然に疎遠となった。
そして驚かされたことが一つ。マイルとミカが結婚した。前からいい感じの2人だと思っていたが、交際期間0日の電撃婚だった。ミカに聞くと顔を真っ赤にするだけで何も言わないし、マイルに聞くとニヤリと笑うだけだった。
生温い笑顔のジャンが、女神の祝福で2人の婚姻を認めていた。
5年目。メイを諦めることを諦めた。いっそカロットの街から離れようかと思ったが、彼女の側を離れることさえ出来ない。幼馴染みのシェリーヌちゃんと結婚したジャンに、『いつまでも想っていたらいいじゃないですか。私みたいに諦めなければ、死ぬまでには振り向いて貰えるかもしれませんよ?』と、うっそりと笑ってシェリーヌちゃんを抱き寄せていた。村でも評判だった素直で純真で可愛いシェリーヌちゃん。同意の上だよな?
そして6年目。
「お前、メイの周りをウロウロしていた冒険者だよな?」
いつもの冒険者ギルドに、金髪碧眼の華奢な美人を連れたユーリがやってきた。
取引で何度かやりとりがあったからと、ギルドマスターに隣町への異動の挨拶と、結婚の報告に来たらしい。
挨拶を受けていたギルドマスターの顔が引きつり、額に青筋が浮いているのにも気づかず、ユーリは意気揚々といかに自分の前途が明るいか語っている。
ギルドマスター同様、メイとユーリの仲(+ザックの片思い)を知っている冒険者たちからは、青白い炎のような殺気が立ち上っている。
そんな時、立ち去ろうとしたユーリと依頼を受けに来たザックが冒険者ギルドで遭遇してしまった。それどころか、ユーリが、どこか見下した目でザックに話しかけてきたのだ。
冒険者ギルドの中に緊張が走る。ザックのメイに対する気持ちは、メイを除いて周知の事実である。メイの恋人のユーリが他の女と結婚すると聞いて、ザックがどんな反応をするか…。
ザックはカロットの街を代表するA級冒険者である。そんなザックが一般人のユーリに怪我をさせたとしたら…。
もしもの時には馬鹿強いザックを止めるべく、冒険者全員がいつでも動けるように身構えた。
そんな緊張感に気づきもせず、ユーリは恋人の腰を抱いてヘラヘラ笑いながらザックに話しかける。
「さっきメイと別れてきたんだ。慰めてやってくれよ。今なら誰にでもついて行くぜ、あいつ」
ザックが無表情にユーリを見つめ、剣の柄に手をかける。そばにいたマイルが慌ててザックの手を押さえた。
「あんた、冒険者ギルドでよくそんなこと言えるわね」
ミカが冷えた声で言う。全身から魔力が漏れ出し、ミカの赤髪が逆立っていた。
「五体満足でいたかったら、2度とその面見せるんじゃないわよ」
ミカの言葉に、ギルド内の冒険者達がユラリと立ち上がる。全員、殺気を漲らせてユーリとその恋人を睨んでいた。
這々の体で逃げだすユーリとその恋人の背に、ジャンが物騒な女神の祝福を述べていた。
「偉大なるラオールの女神よ。彼の者の頭髪に衰退をもたらしたまえ」
ザックはギルドを飛び出して、メイの家に向かった。
ドアを叩くと、泣き腫らしたらしい真っ赤な目と、ボサボサの髪のメイが出てきた。
胸が痛んで思わず抱きしめたくなったが、ザックの口から出た言葉は「飲みに行かないか」だった。
メイはよく飲んだ。そんな小さな身体でそんなに飲んで大丈夫かと心配したが、ザックがやんわり止めても聞かない。
いつもは仲間たちが一緒で、何気に2人きりで飲むのは初めてなのだが、メイの様子が気がかりでそれどころではなかった。ザックは甲斐甲斐しくメイの世話を焼き、どうにかメイの傷を癒してやれないかと必死だった。
もう結婚なんて出来ないと言い出したときは、泣いて鼻水垂らしていてもこんなに可愛いのに、何を言ってるんだと思った。
そして気づいた。
もう誰に憚ることなく、メイに自分の気持ちを伝えてもいいのだと。ユーリはいないのだから。
そう思ったら、ザックはぱあっと目の前が明るくなった気になった。6年間心に留めて言えなかった言葉が、スルスルとザックの口から出て行く。
「俺だって、6年お前に惚れてんだ。ずっと好きで、好きで、あのヤローがいるのは分かってても、諦められねぇで、ずっとお前の側にいたんだ。もう邪魔者はいないんだから、全力で口説くし逃す気もねぇ。……今日はお前が酔っ払ってるから、諦めてやるが、明日から覚悟しとけよ」
わざと音を立てて額に口付けると、メイはポカンとして、それからみるみる顔を赤らめて、へたり込んでしまった。
ザックの言葉に動揺しているメイに、自分のことを意識してくれているのだと思って、純粋に喜びが湧いてくる。
腰を抜かしているメイを初めて抱き上げて、その軽さと柔らかさに、胸が締め付けられた。我慢できずにもう一度額に口付けると、「うひゃぁ」と可愛い悲鳴を上げた。
心の底から笑いながら、ザックは明日からどうやってメイを口説こうか、策略を巡らすのだった。
次の日。酔いが覚めてバツの悪そうなメイを、ザックは昨夜以上の熱心さで口説いた。
一晩考えたが、回りくどいことは苦手だし、ストレートに真正面から口説き続けることにした。
「可愛い」「好きだ」「優しくて思いやりがある」「綺麗だ」「頑張り屋なところが好きだ」「ちょっと抜けてるとこも好きだ」「怒った顔も可愛い」「照れた顔もいい」「絶対大事にする」
口下手なザックからよくこんなに言葉が出るものだと思ったが、メイに会うと自然と心に浮かんでくる言葉をただ口にしているだけなので、苦にもならない。
街を歩いていてメイが好きそうだと思ったものはすぐに買ってプレゼントした。A級冒険者になり、かなりいい収入があったが、貯めるだけで使い途のなかった金が役に立った。メイはあまり高価なものは遠慮して喜ばなかったが、花や子どもが好みそうなお菓子は嬉しそうに受け取ってくれたので、堅実で無邪気なところもまたイイ!と惚れ直した。
そうして3ヶ月後にはメイと付き合えることになり、6ヶ月後には結婚することになった。
メイは時々、ザックの気持ちに6年も気づかなかったことに申し訳ない気持ちになるようだが、ザックは6年間言えなかった言葉をメイに言えるだけで幸せだと、彼女を慰めた。
そしてある日。
ギルドの待機番をしていたザックの元に、緊急を知らせるベルがなった。しかも最愛の新妻のカウンターからである。
ザックの冒険者史上、最速で駆けつけると、メイの横に馴染みの冒険者と、蒼髪の緩み切った巨体の男がいた。しかも巨体はメイの手を握ってやがった。
馴染みの冒険者はシロ判定をし、巨体にのみ照準を合わせる。剣を抜いていつでも切れるように隙なく構えた。
「メイっ!大丈夫か?テメェ、何してやがるっ」
殺気を漲らせて巨体を睨みつけると、巨体から情けない悲鳴が上がる。
可愛いメイが駆け寄ってきたのを背に庇うと、メイから「手を握られて驚いてスイッチを押してしまった」と説明された。
ギルドの受付嬢の メイが手を握られただけで嫌悪感を抱くなんてロクなヤツではない。よし、殺ロウ。
決意を込めて巨体に向き直れば、メイが必死に止めてくる。よくよく見てみれば、なんとそいつはブクブク太りハゲかけているが、あのユーリだった。
なんで止めるんだ?メイはまだユーリが好きなのか?
不安になる気持ちに、追い討ちをかけるよう、ユーリが余計な事をいう。
「コイツにな、あの日、『メイを振ってやったぞ。今なら失恋につけ込んで誰にでも落とせるから、声を掛けてみたらどうだ?』って言ってやったんだ。本当に口説いたのか?」
「―!ちがっ」
なんて事言うんだ、この男は。それじゃあまるで、ザックが女の失恋につけ込んでホイホイ口説く軽い男に聞こえる。
ザックは6年、ひたすらメイだけを想ってきたのだ。そんな軽い気持ちで口説いたわけじゃない。
否定しようとするザックに、メイが目を瞬いて驚く。ザックがメイの失恋につけ込んでいたことは、ザック本人が認めていたじゃないかと。
「だって、私にこっ、告白っしてくれた時、ずっと『失恋につけ込んで卑怯な事してるって分かってるけど、気持ちが癒えるのなんて待ってられない。他のヤツに取られるぐらいなら、つけ込んででも俺のものにしたい。絶対後悔させないから』って言ってたじゃない」
言っただろうか、そんなこと。ザックは思い返してみる。…言っていた。メイをガンガン口説いている時に、困惑してるメイに申し訳ない気持ちになって、謝った覚えがある。
思い返すと焦り過ぎていたと恥ずかしい気持ちになったが、ザックは後悔はしていなかった。メイと結婚できたし。
照れて顔を赤らめる新妻が可愛くて、ザックは家に担いで帰りたくなった。仕事とかもう、どうでもいい。
そんな雰囲気に、馴染みの冒険者は死んだ眼になっているし、ユーリは愕然とした顔をしていた。が、ユーリが猛然とメイに復縁を申し込んできた。別れた元妻を家事が手抜きだと貶すのを聞いて、冒険者ギルド内には怒りのオーラが満ち溢れていた。
ロイズ王国では、庶民は夫婦共働きが珍しくない。夫が冒険者ともなれば、いつ死んだり大怪我をして働けなくなるかも分からない。冒険者の妻たちは、夫が元気なうちからしっかり仕事を持ち、万が一の時は自分と子ども、働けなくなった夫を養う大黒柱になるのだ。
共働きなのだから、もちろん家のこと、子どもの面倒などは夫婦で分担するのが当たり前だ。むしろ、体力がある男の方がより多く家事を分担するのが普通である。
それを、妻を働かせた挙げ句、家事を全部させて文句を言うなんて、その場に冒険者の妻たちが居たら、ユーリなど欠片も残らないぐらいケチョンケチョンにやり込められたことだろう。
それでも、ザックは不安に駆られた。どこからどう見てもクズなユーリだが、メイが6年も好きだった相手なのだ。メイが彼のもとに戻りたいというなら、ザックは彼女の手を離さなくてはならない。メイの望みは全部叶えてあげたいから。
死にそうな気分でザックがメイを見ていると、メイは何かを決意したようにユーリに向き合った。そして―。
「ザックと一緒にいると、幸せな気持ちになるの。ザックはね、私のことをよく見てくれるの。私の話を聞いて、一緒に考えてくれるの。私、家事をするの好きだから、1人でやるのは平気なんだけど、私も仕事していて大変だからって一緒にやってくれるし、それ以上にたくさん言葉をくれるのが嬉しいの。『ありがとう』とか、『美味いよ!』とか、『嬉しいよ』とか、『大丈夫か?』とか、『助かるよ』とか、『今日は俺の番だ』とか。何気ない言葉だけど、喜んで貰えて、頼られて、気遣ってもらえてとっても嬉しいの。
結婚なんてしないって思ってた気持ちが、ザックとずっと一緒にいたいって思って、ずっと一緒にいるなら結婚したほうがいいかなぁって思えるようになったの。
結婚って、しなきゃいけないって思ってするものじゃなくて、したいなぁって思った時にした方が幸せになれるのね」
メイはザックに優しく笑いかける。
「まだ結婚したばかりで、まだ始まったばかりだけど、ずっと一緒にいて、結婚してよかったって思えるようにがんばろうね、ザック」
そんな事を幸せ一杯の顔で言われて、堪らずザックはメイを抱きしめた。メイはザックを幸せにすることにかけては、天才だ。
追いすがるユーリに、メイは「浮気した時点で無理」「さんざん結婚を渋っていたくせに」と容赦ない。辛辣なメイもまたイイ!と、ザックはますますメイに惚れ直した。
いつの間にかユーリはいなくなっていたが、幸せなザックは気づかなかった。
余談だが。
ユーリが冒険者ギルドを出て行った数日後、正装姿のフリード商会長がギルドマスターと『黒狼』のメンバーに面会を求めてきた。
ユーリとメイが別れてすぐの頃、ザックは依頼で得た魔物の素材等を、今後フリード商会に卸さないとギルドに明言していた。また、フリード商会の依頼は受けないことも。それはザックの所属する『黒狼』だけには留まらず、カロットの街の冒険者たち、果てはギルド自体もおなじように宣言していた。
慌てたフリード商会長がギルドにやってきて、『黒狼』のメンバー及びギルドマスターと面談したが、ザックもギルドマスターも詳しい理由は告げず、『フリード商会の従業員の1人が信用できない人物だから』と押し通した。
フリード商会長は怒りもせずに殊勝な顔で、『必ず皆さんの信用を取り戻して見せます』と言って帰って行った。
そんなことがあってから、暫くぶりにやって来たフリード商会長は、『黒狼』とギルドマスターに頭を下げ、隣町の支部長を降格処分にしたと告げた。
商会長や商会の上層部には熱心に働くと思われていたその男は、部下に対する横暴な態度、女性職員への性的な嫌がらせ、女癖の悪さ、取引先との癒着、下級冒険者たちへ不公平な取引を迫った等々、ちょっと調査しただけでボロボロ悪い結果がでたと。
商会の金をごまかしていたこともあり、衛兵に突き出そうかとも考えたが、商会の中で見習いの地位まで落として、給料から金を返させ、鍛え直すのだとか。
『衛兵に渡せば回収できませんからねぇ』と笑うやり手の商会長の顔は、悪徳商人のようだったと、同席したギルド職員は顔を青くしていた。
更に余談だが。
カロットの街の冒険者の中に、『頭髪の盛衰に祝福を与える神官がいる』と噂が流れた。
その神官は、ひっきりなしに『頭髪に祝福を!』という輩に追い回されたり、大神殿にスカウトされたり、噂を聞きつけた高位貴族に拐われそうになったりと散々な目にあったが、カロットの街の冒険者ギルドが一丸になって守り抜いたという。
この出来事は、カロットの街の冒険者たちと、冒険者ギルドの結束の固さを物語る逸話の一つとなっている。
拙い作品を、最後まで読んで頂きありがとうございます。