07 侍女クローイの興奮(他者視点)
「あの娘、邪魔だわ」
クローイを呼びつけるなりオーガスタ妃はそう言い放った。
クローイはまたかと内心ため息をついた。
「蓮華の館」のオーガスタ妃の寝室。
ラモーナ王太后と第五妃サリサとのお茶会を終えるなり、オーガスタ妃はクローイを呼びつけた。
この館の中で、表向きクローイの身分は侍女となっている。
しかしオーガスタ妃が同席なしで彼女と二人きりで会うと、裏の仕事をせよという合図になる。
クローイの本来の役目はオーガスタ妃に不都合な人物の排除…つまり暗殺だ。
彼女はオーガスタ妃の実家ホーソーン家から送り込まれた、幼い頃より殺しの訓練を叩き込まれた戦闘兵器なのだ。
これまでにクローイは何度もその手を汚してきた。
王妃が妊娠するたびに毒でその児を始末してきたのはほかならぬ彼女である。
「第五妃を始末して」
「始末…ですか。恐れながら、脅すだけで十分では?」
「あの生意気な小娘に脅しなんて通用しないわ」
せっかくクローイが厨房で作った渾身のミミズ入りのケーキはテーブルに出されなかった。
第四妃パンジーをお茶会に招いた時にはテーブルに乗り、パンジー妃はそれ以来いつもびくびくしている。
サリサ妃が後宮入りする前は一番若くてチャンスがあったのに、オーガスタ妃に目を付けられるのが怖くて大してゾロ王にアピールできなかった。
「急ぐのよ!陛下のご寵愛ぶりを考えれば、もう妊娠しているかもしれないわ」
「…分かりました、やってみましょう」
一度オーガスタ妃の前を辞したクローイは、まずは女官のベリンダの元へ赴いた。
ベリンダはオーガスタ妃が侯爵令嬢だった時からの侍女で、今はこの「蓮華の館」を取り仕切っている立場だ。
この後宮内では、オーガスタ妃以外でクローイの正体を知る唯一の人物である。
「オーガスタ様にも困ったものね。簡単に…しろだなんて」
「始末」の部分は声を落とした。
部屋には二人きりしかいないが、用心に越したことはない。
「第五妃サリサ…ね。確かに他の妃とは違う感じね」
「違う…ですか?」
サリサを直接見ていないクローイにはぴんと来ない。
「なんていうのか…凛として、物怖じしない、強い目をしていたわ。一人娘なのに側妃にされるくらいだから平凡な娘を予想していたのに裏切られた感じよ」
「ではベリンダ殿もオーガスタ様と同意見ですか?」
「そうね。…確かに、彼女みたいな子が『運命』をつかむのだと思ったわ」
ベリンダはクローイを見ると、「できる?」と尋ねた。
「時間をかければ確実に…。ですが、オーガスタ様はどうしてもいますぐやれと」
「どうして?」
「彼女が妊娠しているのか気が気でないのでは?」
「そうねえ」
これまでクローイは王妃が腹に子を宿すたびに、あらゆる手を使って毒を潜ませた。
下女を金で抱き込んだり、クローイ自身が宦官に化けたり、料理人を脅したりしたこともある。
だが王妃側も馬鹿ではないので同じ手は二度と通用しない。
暗殺を阻止されたことだって何度もあった。
そのたびにオーガスタ妃はヒステリーを起こし、ベリンダをはじめとする女官侍女は戦々恐々としたものだ。
今日「始末しろ」と言ったからには、サリサが死ぬか再起不能の怪我をするまでまたヒステリーが続くのだろう。
「どうするつもり?」
「すぐにやれというのなら、毒ではなく武器を使います」
「できるの?」
「顔を狙います。運よく生き延びても、顔に傷が残ればオーガスタ様の留飲も下がるでしょう」
ベリンダは頷いた。
「ホーソーン家には今日にでも連絡を入れておくわ」
「よろしくお願いします」
クローイは自室に戻ると、天井裏やクローゼットの引き出しにばらばらに隠していたパーツを組み立て始めた。
四年前にオーガスタ妃に付いて後宮に入った時から準備していたボウガンだ。
これまで使う機会がなかったのだが、いつでも用意できる状態にしておいた。
すでにサリサ妃の行動は下女として動いている子飼いの部下に詳しく調べさせている。
「サリサ…サリサね。国王が執着しているというけれど、美しい娘なんでしょうね」
クローイは明日にでも何か理由をつけてサリサ妃の顔を拝みに行こうと思った。
正直クローイはこれまでの仕事は不満だった。
顔も見えない腹の中の胎児を毒で始末するのは、あまり殺すという実感がない。
宦官に化けて毒を盛った時、一度だけオーガスタ妃が嘆くのを遠目に見た。
ぞくぞくした…ああ、もっと間近で見たかった。
美しい顔が恐怖と絶望に歪んで、最後に自分の足元にひれ伏して命乞いをする…そんな暗殺がしたい。
けれども後宮は思いのほか監視が厳しく、そんな派手な殺し方はできなかった。
どうしても我慢できないとき、気に入らない下女や女官を人気のない場所に誘い込んで脅して殺しては鬱憤を晴らしている。
「…最初は外してみようかしら」
クローイは思っていたことをあえて口に出してみた。
あっさり殺しては面白くない。
何度も脅して、狙って、サリサ妃には恐怖に慄いてほしい。
パンジー妃のように。
去年のお茶会でミミズ入りのケーキを見たパンジー妃は卒倒していた。
彼女を介抱する名目で、クローイは彼女の近くで彼女の怯える様子を観察した。
気づかれないように首の後ろにミミズを落とせば、泣きながら身をよじって暴れた。
本当に楽しかった…。
その後も何度かオーガスタ妃はパンジー妃を呼びつけ、クローイは思う存分楽しむことができた。
サリサ妃もあれくらい怯えてほしい。
クローイは舌なめずりをした。
暗殺は失敗した。
サリサが見晴らしの良い広場で舞の練習をすると聞き及び、ボウガンで狙ったのだが、サリサと同席していた騎士団長のイズラエル・クレスウェル公爵に阻まれてしまった。
いや、クローイがそうさせたというべきか。
あえて殺気を発し、相手がこちらに意識を向けたのを確認してから矢を放った。
案の定、優秀な騎士団長は矢を防ぎ、サリサを守り切った。
「ちょっと、クローイ!どうして失敗したのよっ」
「…申し訳ございませ…」
謝罪し終わる前にポットのお茶が降ってきた。
「この役立たず!!陛下は今日もあの小娘の館に行ってしまったわ!あんたのせいよ!!」
「すみません」
オーガスタ妃の金切り声とポットが割れる音のせいで、ベリンダをはじめとする女官や侍女たちが部屋に入ってきた。
なおも暴れるオーガスタ妃を皆が口々に宥める。
クローイはやることがないので部屋を後にした。
「ふふふふふ…」
濡れた服を着替えながら、クローイはこみ上げる愉悦を抑えることができなかった。
「サリサ…サリサ…いいわ、素敵。とっても可愛い子だった」
見目がいいだけではない。
若さと気力に溢れ、確固たる存在感があった。
あの娘の心を折り、踏みつけてぐちゃぐちゃにするのがクローイが求めているやり方だ。
今回はそれができるかもしれない。
「簡単には折れないでね、第五妃様…」
「その時」を夢想し、クローイは身もだえするのだった。