05 建国祭前の妃たち
リベラ伯爵と「赤の橋」で会談をした次の日。
サリサはガブリエラ王妃の住まいである「牡丹の館」を訪れていた。
初日の時のように手土産を用意し、女官のエイプリルとともに居間に通される。
そこには先客がいた。
「いらっしゃい、サリサ様」
「王妃様、第三妃様、ご機嫌よう」
「こんにちは、第五妃様」
先に牡丹の館を訪れていたのは第三妃エメラインだった。
サリサは先触れを出した時から先客がいることを聞かされていたので、エメライン妃の存在に驚きはしない。
ガブリエラ王妃が長年第二妃オーガスタと敵対しているのは周知の事実だが、他の妃とは表向き穏やかな関係を保っている。
特にゾロ王の即位とともに後宮に入ったエメライン妃と定期的に交流していることは、サリサも事前の調査でつかんでいた。
エメライン妃の父ギルソープ辺境伯はどちらかといえば第二妃派に近い人物なのだが、肝心のエメライン妃は第二妃や王太后におもねるわけでもゾロ王の寵愛に執着するわけでもなく、お茶を飲んだりアクセサリーを集めたりレースを編んだりと日々のんびり楽しく過ごしていた。
ガブリエラ王妃は彼女に完全に心を許したわけではないようだが、お茶に誘われればたいていは応じているようである。
「しばらくぶりね」
「ご無沙汰をしました。お許しください」
頭を下げれば、ガブリエラ王妃は少し困ったような顔をした。
意地の悪い言い方に捉えられてしまったと思ったのだろう。
傍から見れば、夫の愛を独占している生意気な側室をいじめる正妻の図式の出来上がりだ。
「仕方ないですわ。連日陛下のお渡りが続いていますもの。まだまだ落ち着くのは時間がかかりそうですわね」
エメライン妃はわざとなのか天然なのか、煽るようなことを口にする。
「しばらく王妃様の元には渡られていないのですよね?」
ぶしつけなエメライン妃の質問に、さすがのサリサも目を丸くした。
一方、王妃の女官や侍女たちの目は吊り上がる。
「え、ええ…。最近風邪気味なの。陛下は王女の顔を見に毎日訪ねてくださるけれど、同衾は控えています」
「王女様は可愛いですものねぇ。この間私を『おねえさま』と呼んで下さったのよ?」
いいでしょう?とにこにこするエメライン妃に、周囲は今度は微妙な空気になる。
相手の琴線に触れかねない発言をしたり、かと思えば子供を褒めたりと、本当に掴みどころがない人だ。
「実は先日、第二妃様のお茶会に呼ばれたのですが…」
「聞いているわ。嫌な思いはしなかった?」
「何事もなく済みましたわ。…実は、そのお茶会で建国祭の話が出まして」
「建国祭?確かに時期ね」
「今年は舞い手が決まっていないとか」
「…」
ガブリエラ王妃の目がすっと細められた。
自分の流産の原因になったかもしれない侍女たちのことを思い出しているのだろう。
「ええ、舞い手として雇っていた娘は事情があって解雇してしまったわ」
「恐れながら…私に今年の舞い手を任せていただけないでしょうか?」
「サリサ様が?」
「ええと…今年の舞は確か…」
「『シュルヴィ姫』です」
「一番難しい舞よ。これから舞い手を探すのは大変だから、私にとっては渡りに船だけれど…大丈夫なの?」
「『シュルヴィ姫』は舞ったことがあります。ただ随分前のことですので、講師を後宮に呼び、二、三回訓練したいのです」
「講師?」
「実家のリベラ伯爵が、騎士団長のクレスウェル公爵はどうかと…」
「イズラエル・クレスウェルね。…そう、リベラ伯爵がそうおっしゃったの」
ガブリエラ王妃は何かに気づいた様子で考え込んでいる。
その横で、相変わらずのほほんとしたエメライン妃は「ああ!」と手を叩いた。
「なるほど!だからだわ」
「…第三妃様、なにがなるほどなのですか?」
また爆弾を投下しはしまいかとびくびくしながらも、無視するわけにもいかずサリサは聞いてみる。
「第二妃様!衣装を発注していたの」
「…オーガスタ様?」
「昨日お買い物で一緒になったのですけれど、商人に踊り子の衣装の説明をしていましたわ」
「そういえば、第二妃様も今年の建国祭は舞い手を務めたいとおっしゃっていたような…」
「私は何も聞いていないわ」
「まあまあ、王妃様。第二妃様のあれはいつものことじゃないですか」
不機嫌になるガブリエラ王妃に、エメライン妃がフォローになっているのか良くわからない宥め方をしている。
これが己を天然に見せる演技ならば、大したものだとサリサは思った。
サリサの意見は通った。
ただしオーガスタ妃も「シュルヴィ姫」を舞うつもりであることから、建国祭の直前に国王と王妃の前で二人が競い合い、その結果で最終的な判断を下そうということになった。
王妃としては自分に話を通そうとしないオーガスタ妃は最初から選択肢入れたくないだろうが、それではラモーナ王太后が口を出してくるだろうと考えてのことだ。
サリサとしては最終的にどちらが舞い手に選ばれても、今回の剣舞の講師の件を承認してもらえば目的は果たせたも同然だった。
講師として名前を挙げたイズラエル・クレスウェル…彼と接触することがリベラ伯爵から課せられた使命だった。
用を済ませたサリサが「牡丹の館」を暇する旨を述べると、エメライン妃も同じく席を立った。
ちょっとお散歩でもしましょうよと言われ、断ることもできずに回廊を並んで歩く。
「牡丹の館」から少し離れ、近くを歩く下女たちもいなくなったのを見計らってエメライン妃が扇を開いて口元に当てた。
ひそひそ話をしたいという合図だ。
「…それで?ミミズのケーキは出たの?」
「何のことだか…」
「だって第二妃の周囲を調べていたでしょう。ミミズケーキが作られていたことくらい掴んでいたのではなくて?」
「…私は見ておりません」
「あら、そうなの。私の時も出なかったのよ」
それはそうだろうな、とサリサは内心嘆息した。
こんなふわふわした人に下手に喧嘩を売れば、ブーメランどころかその場で粉塵爆発が起こりそうだ。
「第四妃様の時は出されたのですって。どんなケーキか詳しく聞いたのだけれど、パンジー様ったら教えてくださらないのよ」
「…そうですか」
第四妃はしっかり脅されたのか。
実はサリサの後宮入りは、本来は来年十六歳になるのを待って行われる予定だった。
去年後宮入りしたばかりで十代のパンジー妃の立場を慮ったためだが、その肝心のパンジー妃は後宮に入ってしばらくすると国王との同衾を何かにつけて拒否し始めた。
クロックフォード侯爵とリベラ伯爵は、パンジー妃の態度は第二妃の圧力のためだと判断した…そしてそれは正しかったのだろう。
「パンジー様、いまだに定期的に第二妃様のお茶会に呼ばれているようよ」
エメライン妃と別れ「桜の館」へと歩いていると、同じく女官と侍女を引き連れて歩いてくる妃の姿に気がついた。
なんと、先ほどまで話題に上っていたパンジー妃だ。
第四妃パンジー…アシュクロフト伯爵家の出身で、サリサの二つ年上の17歳。
ピンクブロンドの髪を編み込んでまとめ、今日はクリーム色のドレスをまとっている。
後宮内では基本的に妃になった順番がそのまま序列になるため、サリサは下位の妃として回廊の端に寄って立ち止まり、軽く会釈をした。
視線を下げて相手が通り過ぎるのを待ったが、やはりというべきか、パンジー妃の歩みは止まった。
じっとこちらを見ているようだ。
「…久しぶりね、第五妃様」
「はい、第四妃様」
顔を上げるとパンジー妃の紫の瞳がじっとこちらを見ている。
「よく見れば貧相な体をしているのね。陛下はあなたみたいな子供のどこがいいのかしら?」
ありきたりな嫌味に、サリサはくすりと笑う。
パンジー妃の目じりが吊り上がった。
「何がおかしいのよ!?」
「おねえさまがお可哀そうで。だって、その貧相な小娘に陛下の寵愛を取られたのですものね」
「…っ」
これくらいはいいだろう。
パンジー妃は第二妃に押さえつけられているだけの無力な妃だ。
その事実だけなら彼女のせいではないが、その状態でわざわざサリサに八つ当たりしようとするからこんなしっぺ返しを食らうことになる。
「わ、私だって…あんたさえいなければ…」
「おねえさま、言葉は正確にお使いください」
「な、なによ!」
サリサはパンジー妃の耳元に近づき、彼女だけに聞こえるように言う。
「オーガスタが怖くて陛下にアピールできなかったんでしょう?あんたはただの腰抜けよ」
「…そんな…そんな、こと…」
「第四妃様?第五妃様、第四妃様に何をおっしゃったのです?」
パンジー妃の女官がサリサに向かって怒鳴るが、サリサは素早く扇子を取り出すと、その女官の頬をばしりと叩いた。
「…なっ!」
「無礼な女官ね。私は第五位とはいえ国王の妃よ。許しも得ずに口を開くなんて…『菫の館』の女官は皆こうなの?」
「そ、それは…っ。あなたが第四妃様を怯えさせたから」
「まあ、口答えをするなんて!第四妃様にはちょっとしたアドバイスをしただけよ」
サリサがパンジー妃に手を上げたというのならばともかく、耳元で一言つぶやいただけだ。
勘違いさせるような行動を取ったサリサに非がないわけではないが、結果的にパンジー妃は怪我一つなく、女官はすぐに誤解したことを謝罪すべきだった。
「第四妃様…女官の教育も満足にお出来にならないようですわね」
「…どうするつもりよ?後宮女官長にでも告げ口するの?」
「いえいえ、死者に鞭打つようなことは致しませんわ」
「死者、ですって?」
「そのまま陛下の寵愛を得るわけでもなく、私を中途半端にしか攻撃できない軟な牙を装備して、死者のように後宮内を徘徊していてくださいませ」
「…っ」
パンジー妃は怒りでぶるぶると震えているが、貴族としての矜持がそうさせるのか顔は無表情のままだ。
「お分かり?…あなたは貧相な体つきの私に劣っているのよ」
サリサはにっこりとほほ笑んでカーテシーをすると、パンジー妃を置いてその場を後にした。
「随分辛らつになさいましたね」
しばらく歩いたところで、エイプリルが苦笑いしながら口を開いた。
「あら、パンジー様に同情しているの?」
「そうかもしれません」
「後宮に入ったのならもう少し図太くなっていただかなくてわね。少しお尻を叩いてあげたのよ」
「ご自分が悪役になってでもですか?」
「嫌な女に思われるくらいなんてことないわ。パンジー妃だって子供を産む可能性があるのだから、もう少ししゃんとしていただかないと」
とはいえ、第二妃オーガスタをこのまま野放しにしてはパンジー妃は身動きできないだろう。
仮にもゾロ王の子を妊娠しようものなら、王妃が味わった堕胎が生易しいと思うくらいの目には合いそうだ。
さすがにそんなことになってしまったら、サリサも夢見が悪くなってしまう。
「やはり…第二妃ね」
後宮の癌は彼女に間違いない。
広がらないうちに切除したいものだと思ったが、そう簡単にいかないのが彼女たちがいる現実だった。