03 ラトランド辺境伯
ラトランド辺境伯ロードリックはイズラエルより一つ年上の38歳。濃茶の髪をオールバックにしており、太い眉毛に鷲のように鋭い目つき、さらにがっしりとした体つきの男だ。
隣に立つパーシヴァル少年は、逆にランスロットの一つ年下の11歳。赤い髪を丁寧に切りそろえ、やや肥満気味の体に豪奢な仕立ての服をまとっている。軍人一家の子息であるはずなのに、陽に当たったことはないと言わんばかりの青白い肌をしていて、それが顔のそばかすを目立たせていた。
「ラトランド辺境伯もこの施設に出資したのかしら?」
「そんなはずはありません。事前に確認しましたが、出資した貴族は学園長の挨拶に立ち会った十数名だけですよ」
それでは辺境伯父子は呼ばれてもいないのにこのパーティーに強引に入り込んだということだろうか。主催は学園施設であるからマナー違反とまでは言わないが、明らかに常識外れの行動だ。先ほどのランスロットの話では、ラトランド辺境伯はまだ常識人だということだったが…。
「あ、こちらに来ますよ」
周囲に注目されながらやってくる父子に、サリサとランスロットは居住まいを正した。
「ごきげんよう、ランスロット殿」
「お久しぶりです、ラトランド辺境伯閣下」
この四人の中で一番立場が上なのは国王の妃であるサリサなのだが、ラトランド辺境伯とは面識がないので失礼にはならない。辺境伯の挨拶を皮切りに会話という名の腹の探り合いが始まる。
「できればそちらのご婦人を紹介していただけませんか?婚約者のご令嬢ではないようですが…」
辺境伯のその言葉で、サリサは初めてランスロットに婚約者があることを知った。考えてみれば当然だ。仮にも公爵子息なのだから、相応しい爵位のご令嬢を宛てがわれているのだろう。
「こちらは第五妃のサリサ妃であらせられます。本日は体調を崩された王妃様の代理として公務に参加されております」
「これはこれは第五妃様でいらっしゃいましたか。ご挨拶が遅れ大変失礼いたしました。ラトランド家当主ロードリックと申します。これは息子のパーシヴァルです。以後お見知りおきくださいませ」
「はじめまして、ラトランド辺境伯閣下。第五妃のサリサですわ」
ここでサリサがにっこり笑って受け流せば彼らとの会話はそれきりだったのだが、ここは相手の腹を探っておかなくては。
サリサは挨拶を返して父子に優艶に笑いかけた。パーシヴァルの青白かった頬に、あっという間に血が集まった。11歳なので無理もないが、なんともわかりやすい。対するラトランド辺境伯は曖昧な笑みを浮かべながらも、こちらを見定めるような目で見つめてきた。
「しかし王妃様が体調不良とは存じ上げませんでした。お見舞いをせねばなりませんな」
「陛下はあまり大事にするべきではないと仰せでしたわ」
「そうですか。しかし…大変失礼ですが、王妃様の代理でしたら第二妃様が請け負うものでは?」
「本日はこの施設の設立を主導したのが私の実家でしたので、王妃様が気を使って指名してくださいました。それに女の身で小賢しいとお思いかもしれませんが、私は後宮に上がる前、こちらの分野に携わった時期がありましたので」
「小賢しいなどとは!…ご不快に思われたのなら申し訳ございません。なるほど、確かに最大の出資者はリベラ伯でしたね」
ラトランド辺境伯は、納得したといわんばかりに大げさに頷く。
そこへウェイターが飲み物を進めてきた。パーシヴァルがすぐに果実酒(アルコール度数が低いので、この国では子供のころから飲酒ができる)に手を伸ばそうとする。
「待ちなさい、パーシヴァル。言っただろう、我々は出資者ではないのだから飲食は遠慮しろと…。すまないが下げてくれ」
その言葉をランスロットは見逃さなかった。
「おや、閣下は出資者ではなかったのですか?では公務でもないのに何故こちらに?」
「貴様には関係ないだろう!」
父親を詰られたと感じたのか、パーシヴァルがランスロットにかみつく。ランスロットは気にした様子もなく、ラトランド辺境伯から視線を動かしていない。
「父上は辺境伯だぞ!爵位も継いでいない貴様が対等に話しかけてよい方ではない!わきまえろよ」
「私は王命にて今回の公務の補佐を任されています。当然の質問だと思いますが」
「偉そうに…っ、母親がいないくせにっ」
「やめんか、パーシヴァル」
パーシヴァルの声が大きくなっていき、周囲の視線を集め始める。
「体の弱い女の腹から出てきたから、こいつの頭も弱いのです。爵位は公爵でも碌な育ちをしていない!」
「あらあら…」
「第五妃様もそう思うでしょう?」
サリサは急に話を振られ、眉を寄せた。パーシヴァルの態度に不快になったからではない。この父子は不自然なのだ。
パーシヴァルが陰険な性格なのは間違いないのだろう。しかし国王の妃であるサリサの前でこんな騒ぎを起こすほどの無能にも見えない。ラトランド辺境伯もそんな息子を本気で止めようとしていない。こんなところでこんな騒ぎを起こせばどちらに非があるかなど明らかだ。進んで自分たちの恥をさらしているようにしか思えない。
「ええと…そう思うというのは、『母親を早くに亡くした子供は碌な育ちではない』というところかしら?」
「そうです」
「困ったわね。そうすると、生まれてすぐ母を亡くした私も碌な女ではないわね」
「…」
パーシヴァルが固まる。
「他にもお母上がいらっしゃらない方を存じていますわ。…伯爵家のご令嬢に…侯爵家のご当主、…ああ、ラモーナ王太后様も幼い時にお母上を亡くされたとか」
「だ、第五妃様…!」
「そういえば辺境伯閣下のご実父であらせられるベイトソン公爵様も、当時第三妃様だった御母堂をご出産で亡くされたのでは?」
そこまで一気に言って、サリサはにっこりと笑いかけた。
五十年ほど前まで出産での死亡率は高かった。今でも産褥で産婦が死ぬのは珍しい話ではない。
「良かったですわね、ランスロット様。禄でもないお仲間がかなりいらっしゃるわ」
「そうですね。これを機にベイトソン公爵様と誼を通じたいものです」
「パーシヴァル、今の言葉を取り消せ。ランスロット殿と第五妃様に謝罪するのだ、今すぐに!!」
「し、しかし…お爺さまはランスロットだけには舐められてはならないと…」
もごもごと言い逃れをしようとしたパーシヴァルだったが、父親の形相に気おされて息をのんだ。再度促され、サリサたちに蚊の鳴くような声で謝罪する。ランスロットのことはよほど嫌っているのか、彼に謝罪するときは怒りで顔を真っ赤にしていた。
そのまますごすごと退散していく父子の背中を見送りながら、サリサとランスロットは同時に唸り声を出す。
「ランスロット、…どう思う?」
「そうですねえ…。いくら何でもやりすぎですよね」
サリサはラトランド辺境伯父子と初対面だが、ランスロットは何度も会っているはずだ。違和感はより強かっただろう。
「わざと注目されて、騒ぎの中心になったような気がします」
「同感よ。…ということは、これから仕掛けるのかしら?」
二人の勘が正しいのなら、ラトランド辺境伯がしたのはアリバイ作りだ。図々しい、常識外れだと眉をひそめられることを承知で縁もゆかりもないこの会場に乗り込んだ。
「クレスウェル公爵様も気づいておられるでしょうね」
ラトランド辺境伯が会場近くに現れた時点で、イズラエルはゾロ王にそのことを伝えたはずだ。今頃は国王と帰りのルートを念入りに確認しているのだろう。
サリサはことが解決するまでは王妃の代理を数週間は続けるつもりだった。しかし敵は思いのほか性急にことを進めていたようだ。この公務が、最初で最後の代行になるかもしれない。
イズラエルの顔を思い浮かべ、少し残念に思うのだった。




