01 王妃代理の依頼
建国祭から二週間後、サリサは再び「赤の橋」で父のリベラ伯爵と会っていた。
同席しているのはやはりエイプリルだけだ。
「第五妃様…あまり軽率なことはおやめください」
建国祭でイズラエルをダンスに誘ったことだろう。エイプリルにもゾロ王にも、果てはガブリエラ王妃にも同じ注意を受けたことを思い出したサリサは苦笑を浮かべる。
「申し訳ありません、誰かと踊らなければ間が持たないような状況でしたの。…だったらクレスウェル公爵様の方が良いと思って」
「まあ仕方ありませんな。あまり酷い噂にはなっていないから良いですが」
リベラ伯爵もしぶしぶといった体で頷いた。確かにあれだけ囲まれて誰にも声をかけずにやり過ごすのは顰蹙を買う恐れがあったし、かといって不用意に別の貴族に声をかければ相手に変な期待を抱かせるかもしれない。元々こちらの陣営で、関係を邪推するにはサリサとは年の離れているクレスウェル公爵をダンスに誘ったのはベストではないがベターだった。
「それで今日はどういったお話しですの?王太后様と第二妃様の噂のことでしょうか?」
「いいや、それは大体把握しております。何とか収まったようですな」
「表向きは、ですが」
建国祭の舞の奉納でのオーガスタ妃の失態に、ラモーナ王太后は激怒した。
これまで建国祭の舞の奉納を取り仕切っていたガブリエラ王妃よりも上手くやれるということをアピールするはずだったのが、主要貴族たちに与えたのは逆の印象だったのだから無理なからぬことだろう。対するオーガスタ妃はどうして叱責されるのか分からず、それがさらに王太后の怒りを煽ったという。女官や侍女はもちろん下女や宦官にも知れ渡るくらいなので、派手に言い争いでもしたのか。どちらも感情を押し殺すタイプではないので、どんな応酬があったのかはサリサにも容易に想像がついた。
二人が険悪になっているという噂はあっという間に後宮の外へと飛び出し、それぞれの実家が仲裁に乗り出した。実父のホーソーン伯爵に説得されたオーガスタ妃がラモーナ王太后に頭を下げ、何とか二人の諍いは収まったことになっている。しかし一度できた溝はそう簡単には埋まらないだろう。
ところがリベラ伯爵の話は全く別のものだった。
「ほかならぬクレスウェル公爵からの情報です。国王陛下の御命を奪わんとする輩が、本格的に動き始めたようです」
「そうなのですか?」
「後宮で陛下の食事に毒が盛られました。宦官が一人行方不明になり、毒見役の下女が二人死んでいます」
「…聞いておりませんわ」
「『牡丹の館』での出来事でしたので、陛下の判断で内々に収まり、密かに捜査が進んでいます」
毒見役が二人死んだということは、毒は少なくとも二回盛られたということだ。昨日今日の話ではない…王太后と第二妃の派手な諍いが隠れ蓑になっていたのか。しかも「牡丹の館」はガブリエラ王妃の居城。まさか王妃の館の中で暗殺に及ぶとは…後宮内でも特に警備が厳重な場所のはずである。
「大きな力が働いているようですわね」
起こりえないことが起こっている。強大な権力を持つ者がかかわっているのだ。
「しかし後宮での暗殺は失敗した。連中は手を変えてくるでしょうな」
「そうでしょうか?」
「もちろん警戒は怠りませんが…。少なくとも毒での暗殺はもうないはずです」
「そうですね…。それに以前は弓矢を飛ばした不届き者もいたようですし…第二妃様の勘気も役に立つことがありますね」
サリサの暗殺未遂以来警備が増やされたのはもちろん、物の出入りも管理も厳重になっている。体の中に隠した小さい刃物や針ならば見逃される可能性もゼロではないが、よほど距離を詰めないと殺傷するに及ばない。ゾロ王に付き従っている宦官と女騎士はかなりの手練れなので、後宮内で物理的な攻撃はほぼ不可能だろう。
王宮内では言わずもがな、イズラエルが率いる護衛騎士が固めている。ということは…。
「民衆の前での公務中が狙われるでしょうね」
「その通りです。教会や病院への訪問は減らすことはできてもなくすことはできません。しかもいくら警備を厳重にしても必ず穴がある…。人目が多い分暗殺者も逃げにくいが、逃げ切れなければ死を選ぶという暗殺者を連中が確保していたら、かなり苦戦を強いられることになります」
その例が、イズラエルが謹慎することになった事件だろう。暗殺者は国王の暗殺に失敗し、イズラエルから逃げられないと悟るや自らの命を絶ってしまった。
「しかも護衛騎士は陛下だけでなく王妃様も護衛しなければなりませんものね」
「そこなのですが、第五妃様…。ここからが本題です」
「あら」
すでに本題に入っていると思っていたエイプリルが思わず声を漏らした。サリサとリベラ伯爵の視線に気づいてぱっと顔を赤くする。
「…申し訳ございません」
「いいのよ、私も驚いたわ。それでお父様、随分長い前置きでしたが…」
「まさに今、第五妃様がおっしゃられた懸念を解消しようと。王妃様には『体調不良』になっていただき、王妃の任を第五妃様に代行していただきたく」
「民衆の訪問の際は、王妃様の代役をせよとのことですね。ですが順序的には第二妃様では?」
「そこはご心配なく。暗殺のとばっちりを受けるかもしれないことを匂わせれば第二妃様の方から辞退されるでしょう」
「第三妃様と第四妃様は?」
「王宮では多少の反発はあるでしょうが、大したものではありません。第五妃様の周辺は騒がしくなるでしょうが」
「…丸投げですか?」
「いままで後宮でのほほんとされていたのでは?少しは嫉妬の洗礼を受けたほうがよろしいですよ」
「実の父親とは思えぬ物言いですわね。大体、私とて武術の心得があるわけではありません。先日だってクレスウェル公爵様のおかげで命拾いしたのですよ?また暗殺者の危機にさらすなんて酷いですわ」
「あなたのように肝の据わっている娘ならば護衛しやすいとクレスウェル公爵様が。それに私は娘をこれくらいで潰れるように育ててはおりませんので」
このような言い方をするのであれば、ここに来る前にクロックフォード侯爵とは打合せ済みなのだろう。選択肢はないということだ。サリサは表向きはあんまりだと言いたげな顔をする。
だが高鳴る胸に、また自分の悪い癖が出てきたのだと自覚せざるをえなかった。後宮内では思っていたほど刺激がないのだ。少し外の空気を吸いたいと思っていたところだったので、子供のようにわくわくしてしまう。
何より、またイズラエルと会うことができる。恋心は一生胸に秘めるつもりではあるが、相手を間近で見て悦を感じるくらいは許されるのではないか。
「赤の橋」を辞して「桜の館」に戻ったサリサは、しばらくの間、浮足立つ心を止めるのに苦労するのだった。




