かといって、やらかしたことは忘れてもらえないわけで
「レベッカ? ないない、あれはないわー。確かに見た目はいいけどさ、中身がアレだろ? いまさら女として見ろって言われてもキツイって」
「あー、わかる。あれを抱くぐらいならまだお前のが抱けるわ」
「今すぐ俺から離れてできるだけ遠くで死んで来い」
ぶっちゃけ背後にあたしがいることに気付いて欲しい。姉貴が横で声を殺して爆笑している。そこまで親しくもないヤツにいきなりフラレてるあたしって何なの。不愉快さを飲み下そうとエールのジョッキをぐいっと呷ると姉貴に新しいジョッキを追加される。
「いやまぁ、レベッカはまだいいとしても姉貴がアレだからな。無理」
おかわりのジョッキは、あたしの咽喉を流れることなく背後の男が頭からかぶることになった。いやうん。姉貴はあたしでも無理だと思う。そうか。あたしこの人と同じカテゴリなのか…。喧嘩を売られたと立ち上がった男が姉貴の姿を見た途端に穏和しく椅子に座り直したけれど、姉貴は構わずその横に座って絡みだした。うわぁ…。
16歳の誕生日を迎えて成人の儀式が終わった夜。姉貴に連れていかれた酒場は同世代で溢れていた。姉貴は上機嫌で、とにかくあたしにいろんな人を紹介したし、とにかくあたしに酒を飲ませて潰そうとした。
姉貴がいなくなって一人になっても、誰からも気軽に声を掛けられたし、あたしも気軽に声を掛けて楽しく過ごした。酒場はとてもゴキゲンな場所だった。
――朝になるまでは。
◇
記憶がなかった。
窓から差し込む光で、もうだいぶ日が昇っていることを知る。ガンガン痛む頭を不快に思いながら目を開く。飾り気のない天井。見たこともない絵が掛けられた壁。窓際の一輪挿し。どれをとっても見覚えが無い。
「どこ、ここ……」
身動ぎすると、背後から静かにすーっ、すーっ、という音がした。誰かがいて、同じベッドで寝てる。いや待って。ちょっと待って。なにこの状況。落ち着いて。落ち着こう。身体を起こすと、あたしは服を着ていなかった。上から下まで、なにも。
あ、だめだこれ。
お酒は怖いって聞いたことある。記憶をなくして飲んで一夜限りのホニャララとか、笑い話としてよく聞く。それだ。アホだ。初体験がそれとかアホの極みだ。
「ん……」
背後の人が、起きた。
どうしよう。振り返りたくない。
ぶわっと冷や汗が吹き出す。
さっさと荷物をまとめて逃げ出すべきだった。
知ってる人でも知らない人でもこれから付き合うにしろ別れるにしろ、どっちに転んでも果てしなくめんどくさそう。せめて相手がめちゃくちゃ格好いい人でありますように!
「もう起きてたの?」
予想外のソプラノに驚いて振り返る。
ベッドに広がる金色の長い髪。シーツが華奢な肩から腰にかけて繊細な稜線を描く。少し紫がかった蒼い瞳。ソバカスの散った透き通るような白い肌。とんでもない美少女が、あたしを見ていた。
――誰だっけ。
見覚えはある。たぶん姉貴から紹介してもらった中にいた。でも誰だか思い出せない。
「……もう殆どお昼だよ」
渇いた声で答える。美少女が身体を起こす。服は、着てる。あたしはほっとして息を吐く。セーフだ。たぶんセーフ。あたしが服を着てないのは、寝ぼけて脱いだとかそういうことなんだ。あたしは何もしてない。貞操の危機云々は考え過ぎだった。たぶん。絶対。
「ほんとだ。なにか食べる?」
美少女がベッドから起き上がってスリッパをはく。あたしは首を横に振った。頭はガンガンするし、胸がいっぱいすぎて食欲どころではない。むしろ吐きそう。
「それで昨日のことだけど、」
「ごめんなさい」
ベッドの上で土下座する。美少女は面食らったようにあたしを見る。
昨日のことと言われてあたしはパニックになった。なにも覚えてないけど、きっとなにかをしたのだろう。それなら100%あたしが加害者であることに間違いない。相手はめちゃくちゃ華奢な女の子だし、たぶんあたし、酔っ払っていても身体は動くと思うんだよね。抵抗したかったら抵抗できると思うしさ。彼女相手ならまず間違いなく勝てると思うし。ということはあたしが間違いなく加害者ってことになるよね、ということまで一瞬で考えてしまったわけで。
「昨日のこと何も覚えてません。なにかしたなら本当にすみませんでした。できれば忘れて欲しいです」
当然の帰結として心の底から謝った。
けれど、文章を見れば誠心誠意謝ったとはとても思えないものだ。
なにかしたならすみません、って。
忘れろって。
後から考えればかなり最低だったと自分でも思う。
美少女の顔からも、スッと表情が消えた。
「あなたは二度とお酒を飲まないほうがいい」
それがトリス・エリュダイトとの最初にして最悪の出会いだった。