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君は読んだ本の冊数を覚えているか(おれは覚えてない)

 風呂に行くから、と宿を出る。着替えらしきものもタオルも荷物にはないから手ぶらなのは仕方ない。無料だとはいうがタオルやら着替えやらが無料というわけもないだろうと数枚の銅貨をポケットに忍ばせながら、ぶらぶらと屋台なんかを冷やかしながら街を歩く。


 『寺院』というのはおれが最初に目が覚めた場所のことだ。

 野戦病院のようなところは『御堂』といって、そこで蘇生や治療をしてくれる。坊主だけでなく専門の医者もいて高度な治療が受けられるらしく、そのぶんお値段も張る。


 無料で利用できる『風呂』はおれが思うような癒し空間ではなく、禅寺のような雰囲気を漂わせた修業空間だった。

 ここでは魔法ならぬ『(まじない)』で汚れを祓う。

 お湯に浸かったり滝に打たれたりした挙句、謎の祈祷や説法で汚れと水が吹っ飛ぶとか、目を疑った。しかしこれが実に綺麗に仕上がるし、ふわふわのピカピカになる。

 それこそトリスの白衣みたいに派手に返り血を浴びたって、元通りになるだろうと思わせるほど、綺麗に。

 なお着衣したまま利用する。混浴だが何もいかがわしくない。残念だ。


 さて、風呂の靴箱の合鍵が漢数字だった。

 宿の部屋番号はアラビア数字だ。

 トリスが読んでいたロマンス小説はアルファベットだ。

 もっともアルファベットを使うからといって英語だとは限らない。東南アジアでは元からあった文字を捨ててアルファベットを使う国も少なくない。もちろん借りるのは文字だけで、並んだ言葉からは英語の特徴は失われているし、おれには読めない。

 英語なら普通に読めるし、まだマシなんだが。


   ◇


 宿に帰ると、鎧兜と剣があった。

 竜をやって幾歳月。武器も防具もない暮らしは正直厳しかったです。


 おれが、頬の筋肉を緩ませきって防具にぺたぺた触ってみたり、剣の曇りを息を吹きかけてはこしこしと布でこすったりしている姿を見て、レベッカがぼそりと呟いた。


「ニヤニヤして気持ち悪い」

「なんとでも言え」


 キュキュッと刃を拭った両手剣を見る。大振りで両刃の、切るというよりは叩き殴るという重量のある剣だ。

 喉に一文字のピリリとした感覚が走る。

 もしかしすると、この剣は竜だった俺の咽喉を切り裂いた剣ではないだろうか。


 竜としての生を閉じる最後の瞬間に見たのは、赤毛の女剣士に短刀を振り下ろす白いローブ。

 あれは絶対この二人だ。レベッカとトリスだ。

 しかしこの二人、被害者と加害者のようにはまるで見えない。

 親しげに言葉を交わしているわけでもないが、特に仲が悪いようでもない。


「どうしたの? 気分でも悪い?」


 おれは剣をじっと見つめて考え込んでいたらしい。声を掛けてきたレベッカのほうを振り返る。

 おれの視界はレベッカを通りすぎ、部屋の入口横に掛けられた鏡をとらえた。


 そこに映っていたのは、少年漫画の主人公顔の男がいた。浅黒く日に焼けた肌。乱れ方までやけに主人公じみた黒髪と、キリッとした眉に意志の強そうな黒い瞳。

 思わずおれは呻いた。


「イケメンだ」

「うわぁ」


 ちょっと待てレベッカ。君は誤解している。おれは単に事実の確認をしたのであって、自分の姿に見惚れたわけではない。


 カイル・ブルーブラッド。おれを倒した男。おれが焼き殺した男。それが今のおれの外見だった。


   ◇


 さて。どうしよう。


 カイル・ブルーブラッドなる男には一片の興味も湧かない。レベッカやトリスとはうまくやっているようだし、何も考えなくてもいいだろう。


 隣のベッドに陣取っているレベッカは、自分のベッドの上に革製のツールロールを広げ、工具のようなものを手の上でくるくると器用に回しながら矯めつ眇めつしては戻していく。ジャグリングでもしてるみたいだが、表情はいたって真剣だ。


 その向こうのベッドで、壁に背を凭れさせて革カバーの本を黙々と読んでいるトリス。どうやら昼の本はすでに読み終わって次のロマンス小説に取り掛かったようで、頁はずいぶん戻っている。


「トリス、あの本読み終わってるなら貸してもらえないか?」

「どうして?」


 視線もあげずにトリスが応える。


「おれが読める文字なのか確認しようと思って」

「……合理的な理由すぎて、断れない」


 トリスは溜息を吐いて本を閉じ、傍らに置いた。ゆるりと膝立ちでベッドフットまでにじり、でもベッドからは降りないまま入口の脇に寄せてあったカートをあさる。カート。スーパーマーケットにあるようなショッピングカートがえらい機能的になったような形状をしている。杖が引っかけてあるから、トリスの持ち物だろうか。


 トリスはしばらくごそごそと荷物をあさって、ひとしごと終えたような表情で革カバーの付いた本をくれた。わざわざカバーなんか掛けなくても裸のままで良かったんだが。


「何冊持ち歩いてるんだ?」


 トリスは無言で指を折り始めたが、しばらく手を開いたり閉じたりさせたあとで、数えるのを止めた。


「たくさん」

「整理したほうがいいんじゃないか?」


 これがただの旅行だとしたら暇潰しの本は重要かもしれないが、洞窟(ダンジョン)探索にロマンス小説は必要だろうか。率直に疑問だが、トリスは困り顔でふるふると首を横に振った。


「トリスって旅行のときに服や身の回りのものすべてをほっぽらかして、まっさきにどの本が旅先で読むのに相応しいか選び始めるタイプだろ――どうしてわかったって表情でおれを見るな」

「こわい。心を読まれてる」


 トリスはいつもの調子で淡々と会話していたんだが、それがどうやらツボにはまったらしく堪えきれずにレベッカが吹き出していた。


「あ、ごめん。ちょっと待って、止まらない」


 ずいぶん苦しそうにレベッカが笑うから、だいじょうぶ? エールのむ? と気遣ったらベッドに倒れ込んで飲まない! と怒られた。気遣ったのに。


  ◇


 ぱらぱらと借りた本の頁をめくる。アメリカ英語で書かれた南北戦争(シヴィル・ウォー)を舞台に敵味方に引き裂かれた将官同士のロマンスだった。さっきやたらトリスが文句をつけていたのはこれか。なぜそのへんの娘が男装しただけで将官になれるのか。序盤から不自然さが大爆発だ。

 とっかかりを読んで、目次に戻って大きく展開しそうなところだけ拾い読みして、結末に飛んで一時間も経たないうちに読破した。

 な、中身がないのが悪いんだからね! おれに英語力があるなんて思わないでよね!


「これ持ち歩いてるの? ほんとに必要だと思ってる?」


 そう言いながら返したらトリスに無言で睨まれた。


「あっ、あたしも読んでみたいんだけど――」

「もう読んでると思う」


 レベッカを冷たくあしらって、トリスはさっと本を仕舞い込む。


「トリスが読むような本を、あたしが読んでるとは思わないけど」

「レベッカが読みそうな本を読んでるの」


 つまらなそうにトリスは言う。レベッカは首を傾げた。


「こんな本を読むやつの気がしれないって言ってなかった?」

「言ったわ」

「なんで――」

「気が知りたいと思っただけ。でも、さっぱりどこが面白いのかわからない」

「……もしかしてあたしをコケにするために読んでるの?」


 やだ…険悪。おれはおろおろと、あの本面白かったよ! と言おうと思い立ち、いやでも嘘はつけないと、どうでもいいところで葛藤する。嘘だ。葛藤するふりして巻き込まれるのを避けてるだけだ。だって、険悪だから……


「ごめんなさい。言い方を間違えた。レベッカがあんまり面白そうに読むから、もしかしたら面白いかもしれないって思ったの」


 さすがにレベッカの機嫌を損ねたことを察したトリスが慌てて取り繕った。


「勘違いだったけど」


 なぜその台詞言うの?! その台詞いらなくない?! 前のところで留めといたら、本好きなんだねーとか、レベッカが好む本を読みたかったんだねーとか、そういう可愛い話で終わるよね?!


「はいはい、どーせあたしはつまんない本しか読みませんよーだ!」


 拗ねたような、おどけたような言い方で、レベッカはトリスの失礼な物言いを冗談として流そうと思ったようだ。大げさにばたんとベッドに倒れてみせる。悪くはない。スルーして読書に戻ったってなんの問題もないオチだ。


「面白いところもあったわ。将校の寒い台詞とか、男装しているヒロインが更に女装したりとか、笑えるところも沢山あったし」

「……」


 トリスは真顔で、心の底から、真摯に、フォローを入れるつもりで、追い打ちを掛けていた。笑えるの意味が違う。失笑ポイントを挙げてるだろう。わざとやってるのか。

 毛布をかぶって膝を抱えて丸まりだしたレベッカの精神は瀕死に見える。憐れだ。


「――つまり今おれが読んだ本って、元々レベッカの本だったってことだよな?」


 見かねて口をはさむと、ビンゴだったのかトリスから枕が飛んできた。

 あらあらおやおや。

 え、どゆこと? みたいな視線は毛布のわずかな隙間のレベッカから。


「ひとつ、すでに背表紙が割れてて読み古したような本だった。ふたつ、わざわざカバーを掛けて表紙が見えないようにして読んでるし、昼間にその表紙を見ているおれに渡すときにもトリスはカバーをかけていた。つまりレベッカには表紙を見られたくなかったからカバーを掛けたんだろうな。みっつ、トリスはとてもつまらなさそうに読んでいる、即ちトリス自身がこのジャンルを好きだから読んでいる、というわけじゃない」


 トリスから飛んできた本を受け止めて、カバーを外そうとすると、今度はトリスが飛んできた。文字通り、レベッカを飛び越えておれのベッドへ。


「やめて。ほんとやめて」

「図星だった?」

「違うの。違うから。本を捨てるのが嫌だっただけなんだってば」

「それはどこに向けての弁解?」


 おれが言うと、真っ赤になったトリスがぎゅうぎゅうとおれの咽喉をしめあげた。あはは。かわいい。力が無いからぜんぜん苦しくない。

 毛布から身を起こしたレベッカが、どうしてこの会話の流れでトリスが慌ててるのかよくわからないというように首を傾げている。君もかわいい。


 レベッカが楽しそうに読んで捨てた本をわざわざ拾って、それで中身が理解できないと真剣に文句をつけながらも何冊も読みふけってるトリスとか可愛くない? そしてそれを本人には知られたくなくてこそこそやってんの。おれはたいへん可愛いと思う。トリスの行動をよく理解できないレベッカにも花丸をあげたい。完璧だ。にやにやしてしまう。かわいい。


「レベッカって、読んだ本を捨てるタイプ?」

「え、うん。だって一度読んだらふつう二度と読み返さないじゃない?」

「トリスは絶対本を捨てないタイプだよな?」

「ええ」

「正直言っておれは本が好きなやつは本を捨てる奴とパーティなんか組めるわけがないと思ってる」

「え、そうなの?」

「わりとそう」

「マジで」

「はい異論はなし。君らがパーティに加わった理由を述べよ」

「え、あたしは姉貴に『竜討伐に行くわよ、あんたもメンバーね、拒否権なし』って有無を言わさず加えられただけで、あたしが選んだわけじゃないんだけど……拒否権もほんとになかったし……」


 愚痴っぽく消えていく台詞に、その姉貴の強権っぷりを感じる。言いたいことはずけずけ言う感じのレベッカをして反論を許さない姉。なにそれこわい。


「私は……」


 トリスはちらっとレベッカを見たあと視線を彷徨わせた。どことなく照れてるように見えるのはおれの百合フィルターのせいだろうか。


「ええと……利害が一致したというか」

「どなたと?」

「フィオナ。レベッカのお姉さん」

「どんな利害?」


 トリスが視線をあげて、おれを見る。さっきと違って表情がない。もっと照れて。さっきぐらい照れてくれていいのよ!


「すべての魔物の祖『始源の竜(ドラゴン・ゼロ)』をハントするから手伝って、って誘われたの。ここのダンジョンのドラゴンのことよ」

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