最弱の竜が死んで
ラスボス手前でぐだぐだになってしまったが、なにはともあれ最奥の間に突撃を開始した。
突撃といっても鬨の声もあげなければ、進撃のラッパを鳴らしたりもしない。
まずはトリスがドローンを静かに広く展開させる。竜の居場所を正確にとらえた上で攻撃したり攪乱させたりする用だ。
突入前にその分析結果をトリスが図示したんだけど、いやぁ……竜ってほんとにいたんだね。正直半信半疑でした。
全長は8メートルほどでやや小型だが、翅があり後ろ脚も強靭そうだ。つまり想定以上の距離から飛びかかってくるかもしれない。長い尾の先には分銅のような肉の塊があり、振り回された尾に当たればかなりのダメージを食らいそうだ。レベッカは気を付けて欲しい。
火を吹くための分泌腺がない種もいるし、見た目ではどちらか判別できない。
広間にいる竜の位置を正確に特定したら、二方に別れて展開する。
おれ、トリスとレベッカwithベース。
戦力の偏りがおそろしい。二つに戦力を割るというよりどう見てもおれが遊軍です。
レベッカもベースに大人しく座っておくだけというまるで役に立たない位置にいるが、トリスがレベッカを前線に出すことを拒んだので仕方ない。レベッカの意見は聞いてない。
合図とともに、トリスが展開させた攪乱用ドローンから可聴領域外音を鳴らして竜の聴覚を殺す。それから発煙筒に燐寸で火を付けて竜の周囲にばらまく。
ここでレベッカが強肩を見せた。遠投力があり、極めてコントロールもいい。今年のドラフト一位に指名したい。ベースから一歩も動かずに竜を囲むように綺麗に円形に発煙筒を配置する。
四方八方からもうもうと煙があがり、ここで竜の視覚が死んだ。
(……どうして……どうしておれがこんな目に……)
急にチリチリと脳内で灼けつく声が、した。洞窟から剥がれ落ちてくるような声だ。
(……こんなことあるか……ありえない、ありえない、ありえない……)
竜が苦しげな咆哮をあげる。その中ではっきりと脳に焼きつく声。ダンジョン内の魔物の動向がわかるのと似たような感覚で、もっと激しく明瞭に志向性をもって、音なき声が聞こえる。
ふいに風が巻き起こって、発煙筒の煙が一瞬だけ晴れかける。風はすぐに止む。だけどこの一瞬で充分だった。おれは、竜の眼に止まってしまった。
(なんで、おれが……!)
向けられたのは理不尽さに対する怒りだった。竜はおれの姿を自分のものだと正確に認識していた。
(偽物が!)(お前だ!)(お前のせいだな!)(罠に嵌めやがって……!)
強い感情の渦に呑み込まれそうになる。おれの魔物を関知するちからと、魔物を調伏させる竜のちからが響きあっているようだ。煙がおれの姿を覆い隠しているのに、竜は糸でつながれているかのようにおれの存在を関知していた。
竜は、おれに向かって、まっしぐらに駆けた。
バネの効いた後ろ脚で地面を蹴って、おれに飛びかかる。
馬鹿なやつだ。
竜は猛烈な勢いでおれが構えたベラウの魔剣に突進して、自身でその身を裂いた。
記憶の断片がおれの中のあちらこちらにぶつかって砕けて散り散りになる。
カイン・ブルーブラッド。
臣下に裏切られ身分を失い放浪の旅を強いられた男。
彼の認識の上では、彼に一切の落ち度はない。
ただ、兄弟を推した臣下が頭角を現しつつあった彼を排除した。
古今東西の支配階級では、とてもよくある話だ。
彼は復讐を誓い、高貴な血と自称し、執拗に力を求め、雌伏の時を過ごしていた。
おれの炎に灼かれるまでは。
――彼の絶望も無念も、おれにとってはどうでもいい話だ。
おれは倒れた竜の首を切り裂いて、石を取り出した。コイン大のその石は濁りかけたイエローだった。魔物の黒ではないが、もう人間のものだとは言い難い色となっている。
「これがどういうことなのか、そろそろ説明してもらえるのかな?」
未だもうもうと煙を立てる発煙筒の向こうにいるはずのトリスに声を掛ける。おれの外見がカイン・ブルーブラッドになり、カイン・ブルーブラッドが竜と成り果てたことに、トリスが関係していないはずがなかった。
しかし答えの代わりに煙の中からいきなり突き出されたのは剣だった。
鎧が刃を弾いて高い金属音をあげる。
「『払』え」
刀印を作って付け焼刃の『咒』を切る。使ったことはなかったが、ハズレではなかったようだ。
軽く風が巻き起こって周囲の煙を払う。
今度は剣とは反対の方向から斧が飛んできたのを間一髪で避けた。
「『薙』げ」
さっきよりも強い風が沸く。払われた煙の向こうから赤茶けた髪の女が斧を旋回す。体躯はレベッカと似てるが、髪は裾の跳ね上がったショートカットだ。
「誰だ」
「こっちの台詞!」
女は大きく振りかぶると勢いを付けて斧を振り回した。おれは後ろに大きく下がる。
「『集』え」
視界を遮ろうと煙を集めてはみたが、斧と剣は容赦なくおれを襲う。鎧が上物でなければ防げないような斬撃だ。手強い。いやおれそんなに体術優れてないからね。おれの身体はそうとう鍛えられているし、ゲームで鍛えた反射神経との相性はとても良いけれども、かといって相手の力量を正確に測るには場数が圧倒的に足りてない。今のおれには荷が重い。
「来たれ『竜』よ」
苦し紛れに言うと、地面が割れて蛇のようなものが沸きあがり、異形と成った。岩で出来た紛い物の竜がうねり、地面を揺らす。
鎧姿で剣を構えていた巨躯の男と、戦斧を構えた女が足を取られている隙に、二人とは逆の方向へ走り出した。
「こっち」
トリスの声がする。そちらに必死に駆ける。煙の向こうでトリスが猛烈な勢いで走るカートに掴まっているのが見えた。カートの上にはレベッカが膝を抱えて座っている。おれもカートに走り寄ってトリスの反対側に掴まって見よう見まねでフレームに足を載せる。振動がすごい。こわい。
「なに、あれ?」
「あたしの姉貴……」
絶望的な表情でレベッカが言った。
「え? なんで襲ってくんの? ロストした仲間なんだよね?」
「それについてはごめんなさい」
なぜかトリスが謝ってきた。謝る意思をまるで感じない棒読みで。
「喧嘩を売ったので……たぶんあなたが主犯だと思われた気がする」
「は? なんでおれが? え、ちょっとどういうこと?!」
「トリスはうちの姉貴のお気に入りだから……そのトリスが仮に裏切ったとしても、姉貴はその事実を認めようとはしないんじゃないかな……いや裏切ったの? どうなのトリス?」
レベッカが頭を抱えたまま言う。ああ、そういえばなんか君の姉貴こわい人なんだっけね?
「裏切ったというか、フィオナの石を砕いたのは私だし」
トリスの言葉にレベッカがえええええ…という表情をした。絵で喩えるならムンクの叫びみたいな。
「でもそれはフィオナのせいだし、彼女にも私に嫌われてる自覚はあると思う」
「……でも姉貴ってめちゃめちゃトリスのこと気に入ってるじゃん?」
「彼女が執着しているのは私の持つ外法の情報であって、私じゃないから」
「だって、討伐隊のことだって二人で方針を話し合って決めてたりするじゃん? 信頼しあってる対等な感じで……」
「意見を求められたから答えていただけ。私が何を言おうが決めるのはフィオナ。彼女は自分がやりたいことをするだけで、そこに私の意見は関係ない。理解るでしょ?」
「……」
おれはレベッカの姉貴のことをまったく知らないわけだけど、レベッカの持つフィオナ像が、偶像視されていたトリスとフィオナの関係性が、音を立てて砕けていく瞬間を見ていることだけは理解できた。
レベッカは、トリスから聞かされていることを受け入れがたい様子だが、フィオナという人物に関してはトリスよりもよく知ってるわけで、受け入れる素地そのものはあるようにも見える。
「……君らは逃げる前に、彼女たちときちんと話し合うべきだと思う」
「勘弁して」
トリスが心底イヤそうに言った。
◇
スクーター程度の時速でカートがひた走る。時折、魔物の姿も見るが、轢き殺しかねないスピードのせいか向こうから避けてくれる。
「これは楽だね」
「始源の竜が死んで、次代の竜も死んだせいね。覇気がないわ」
「なるほどな」
確かにおれの感じる魔物たちの気配は一様にやる気がない。というか殺る気がない。竜ってそういう影響力も持っているのか。その影響力はおれにもまだ残っているのかね? こういうふうな感知力があるってことは残っていてもおかしくはなさそうだが。
「君たちこれからどうするの?」
「どうしよう、何も考えられない」
レベッカは事態が彼女の思考力の限界を超えたようで、ただただ頭を抱えている。
トリスはおれを見て尋ねる。
「あなたはどうする気?」
「おれ? 特に何も考えてないけど、あのおっかないお姐さんたちとはなるべく絡みたくないね」
「そこは同感」
「うう…」
レベッカが涙目になってる。
「レベッカの意見は?」
「姉貴だけは裏切れない。裏切りたくない」
「裏切る必要はないでしょ。ただ行方をくらまして連絡を取らなければいいだけ。簡単よね」
トリスの言葉にレベッカは首を横に振った。
「身分を偽装するぐらい簡単に出来るわよ。例えば偽の身分証からスタートしてもベラウの学園に潜り込んで学生証を作って卒業証明とれば、かなり信用力のある身分証明にロンダリングできるし」
「ベラウに行くの?」
「ロンダリングするなら獄門島でもいいけど、あちらは犯罪者として経歴に傷がつく方向だからお勧めできない。治安も悪いなんてもんじゃないし」
「極端すぎる!」
「カインは当然来るでしょ? あなたの外側には問題も多いし」
トリスがおれを見て言う。露骨に足元を見てやがる。
「前から思ってたんだけど、トリスって結構いい性格してるよな。おれの内側に関しては、少なくとも君に何らかの責任があるとみてるんだけど?」
「それに関しては偶発的な事故だから私が責任を取る謂われはないわ」
「君が何をしたかぐらいは教えてもらいたいがね」
トリスはちらっとレベッカを見て、そのうちね、と言った。なるほど。始源の竜云々のことはそうだね、レベッカは知らないほうがいいかもね。知ってても構わないとも思うんだけどね。
「レベッカ、あなたはどうするの? フィオナのところに戻る?」
トリスはレベッカを試すようなことを言う。おれとしては君がレベッカを手放せるのかね、とチベットスナギツネ目になってしまうわけだが。
「トリスも戻るなら」
「ぜったいに戻らない」
「なら、トリスと行く」
「どうして? フィオナのこと裏切れないんでしょう?」
「姉貴から『トリスのことを守って』って言われてるから、だから、あたしはトリスといても姉貴を裏切ることにはならない」
「……」
ようやく自身の身の施し方に関して迷いなき回答を見つけられてほっとしているレベッカとは裏腹に、トリスは苦虫をかみつぶしたような表情になった。
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