最奥の間の手前で
語り手をカインに戻す意味があるのか議論の余地があるかもしれません
「あたしって、そんなに足手まといかな?」
「そうね。だから大人しくしてて」
トリスが冷淡にレベッカに告げる。レベッカが涙目でトリスを見上げた。
「いや待って待って待って。ねぇトリス、君の考えた対策ってこれ?!」
ベースにレベッカが乗せられて伸ばされたアンテナに後ろ手で縛り付けられいる。
レベッカはどうにかアンテナを折らずに逃れようと身動ぎしているが、足は足で縛られているので身を捩るのが精一杯みたいだ。いやどうしてこんな『後ろ手』『縛る』でググったみたいな縛り方した。清く正しい人間はそんな言葉でググってはいけない。
「ここなら場が取れるから『咒』が効く。だから発煙筒の対策もできるし、攻性防性の障壁も完璧だわ。仮に私が死んでも、彼女がここから動かないでいてくれたら自走して地上まで安全に戻せるから」
「その場合、あたしはトリスのこと守れない」
「構わないわ。そのときはロストの手続きをしてくれればいい」
「そんなの絶対やだ」
どこまでも冷淡で平静に説明するトリスにレベッカがぎゃんぎゃん噛みつく。
いやでもこれ縛ったのトリスだよね? 君、冷静に見えて絶対違うよねこれ。
レベッカもなんで縛り上げられるまで大人しくしていたの。抵抗して。
「君たちはアホなの」
トリスもレベッカもおれを睨みつける。
「ベースが安全って言うけどさ、レベッカが本気で逃れようと思ったらアンテナは折れるよね。で、それが折れたらWiFiも役に立たなくなって自走とやらもできなくなるね、きっと。そこは考えてる?」
「括る場所を間違えたわ」
「間違ったのはそこじゃないよね」
おれは短刀でレベッカの縄を切ってやる。手も足も、どちらも。
余談だが短刀は冒険者の標準装備だ。魔物からも仲間からも石を抉り取るのに必要だから。
はらりと縄が地面に落ちる。レベッカは自由になった途端に弾かれたようにベースから離れた。猫か。
「トリス、君はきちんとレベッカにどういう行動を取って欲しいのか言葉でリクエストするべきだ。彼女が自分の意思で正しい行動を取れるように。そして彼女の判断と行動を尊重すべきだ」
「……そうね。あなたの言う通り。短絡的だったわ」
トリスは不承不承頷いた。短絡的というより、偏執的あるいは変態的だったような気がするが。
「で、レベッカ。君は君でなんで縛られたのかをよく考えてみるべきだ」
「なんでって……」
「君は何を見ても何が起きても絶対にベースから動いてはいけない。それこそおれやトリスが死んでも」
「そんなの出来ない」
「そんな君だからトリスは縛らざるを得なかったんだぜ。この場所で君が動けば即無駄死にすることを理解してくれ」
レベッカが黙り込んだので、トリスの肩を叩いて促した。トリスは忌々しそうにおれを見たが、知らないね。君が自分の言葉できちんと要望を説明するべきなんだ。
トリスはひとつ溜息を吐くと、レベッカの前に立って、真正面からレベッカを見上げた。
いつも手にしていた本は、ない。
彼女たちがきちんと相対しているのを見るのは、初めてかもしれない。
「一昨日あなたの石を手に取ったとき、もう二度とこんなことしたくないって思ったわ。もう二度と死にゆくあなたを見たくない」
トリスが指を伸ばしてレベッカの喉に触れる。そのまま『石』がおさまっている鎖骨のあたりにまで指を滑らす。急所だ。レベッカがかすかに眉根を寄せる。
「あなただけは生きていて欲しい」
「ずるいよ。なら、どうして自分はロストで構わないなんて言うの」
「私がロストするのは、私にもメリットがあるの。でもあなたのロストは、私には何のメリットもない」
「トリスがロストするメリットって何」
「――忘れてしまいたいの。何も思ってなかった頃に戻りたいの。もうロストする以外に方法も思いつかない」
「なにを」
トリスがレベッカの首に両手を回して引き寄せる。バランスを崩したレベッカがトリスの肩を掴む。背伸びしたトリスの唇がレベッカのそれに触れたかどうかはここからはよく見えないな! だってトリスが両手を回してレベッカを抱き寄せてるからね。トリスが来てるのはローブだから、見事に全部隠れてる。
短くはない時間が過ぎて、トリスはようやく腕を緩めた。されるがままだったレベッカは困惑しきった表情を浮かべていた。
「あなたのことが好きだなんて、忘れてしまいたいの」
「は……え?、え、なんで」
レベッカはぶわっと真っ赤になって手の甲で自分の唇を押さえた。
あれ?
おれなんでここにいるのかなー……?
ここは席を外したほうがいいんじゃないかなー……。
しかしダンジョンのどこに外せるような席があるのか。
「え、ごめん。ちょっとよくわからない。トリスがあたしを好きなの?」
「ええ」
「どうしようちょっと言葉の意味がよくわからない」
「どうして? ずっと好きだったの。殆ど一目惚れだったわ。その整った顔がすき。長い指が好き。綺麗な腰が好き。すらりとした脚が好き。背筋にゾクッとくる声が好き。燃えるような髪が好き。続ける?」
トリスは動揺もなく淡々と言う。真っ赤になったレベッカがぶんぶんと首を横に振った。
どちらが告白してんのかわかんねーな、もう。
「忘れたいってどういうこと?」
「好きすぎて、もうずっと頭おかしいの。あなたを知らなかった私に戻りたいの」
「……そっか。あたしずっとトリスにきらわれてるって思ってたんだけど、トリスはあたしのことがきらいだったんじゃなくて、あたしのことを好きなトリス自身のことがきらいだったんだ……」
哀しそうに言ったレベッカに、トリスはぽかんとした表情になった。ここではじめて冷静さが消えたみたいだ。
「きらわれ――? え、どうしてそんなふうに思ったの? そんなのありえる?」
「だって、全然会話にならないし触るのも触られるのもいやがるし本だって貸してくれないし同室になるのもいやなんでしょ? 好かれてる要素ゼロじゃん」
「それは――」
「だけど、あたしはどんなトリスでも大好きだから、あたしのことは忘れて欲しくない」
えっ。この台詞、場外ホームランでは? 突然のイケメンこわい。さっきまで平静さを保っていたトリスが心臓を押さえて絶句してる。
え、なにこれ。おれ何見せられてんの?
うれし恥ずかし告白シーンというよりも、将棋とか囲碁の伝説の技の掛け合いを見た気分――!
レベッカはトリスの手を取って言った。
「トリスのこと守らせて欲しい」
「……なら、もう少しきちんとした鎧を着て欲しい」
「え、だめかな。これ」
「一撃で沈む鎧に鎧の価値はないと思うわ」
「姉貴も推してたけど」
「あの人は面白ければなんでもアリだから」
「面白い?! そっかーこれ面白い枠かー……」
「そのあたりはもう少し早く気付いて欲しかったわ」
いや待って。なに普通に会話続いてんの。
ていうかレベッカ、君そうだったんだ? トリスは超わかりやすかったからあれだけど、確かにレベッカにもトリスに対してぶんぶん振られてる尻尾は見えていたけども、君、基本的に誰に対してもそうじゃね? え? あれなにこれ。