ダンジョン行 2
カインが白旗をあげて、一旦休憩をとることになる。
カートに積んだ天板を組み立てて簡易テーブルとベンチを作り、給電設備にプラグを挿す。タイミング的にはまだ早いけれど、念のためだ。ついでに紅茶でも飲もうとお湯も沸かす。
レベッカがカインの鎧を検める。
「やっぱりだ。咒が剥げてる。書ける?」
なぜ私が彼のフォローをしないといけないのだろうか。当然書くよね? みたいな調子でレベッカに言われたら、書かないわけにはいかないから困る。
カインのベルトを緩めた鎧の内側に面相筆と墨で咒を書きこんでいく。温度調節、空気循環、重量低減となる文字を隷書で、補助となる文字を篆書で組み合わせて綴っていく。字体を替えたのは私の中で術式を整頓するためで決まりがあるわけではない。
カインは優雅に紅茶を飲みながら、レベッカに咒の基本的なことを尋ねて、細かなことを根掘り葉掘り聞いた挙句、人により効果が異なる点がどうしても納得いかなかったようだ。
「つまり術式を完成させるのは咒のターゲットである貴方ってこと。文字は術式の起動トリガーで貴方の魔力を引き出して方向付けをしてるだけ。ここが寺院の管理している場所だから起動しやすくなっているの」
私も説明してみたけれど、やはり腑に落ちない様子だった。
なお『咒』の起動トリガーは筆記でなく印楔や読経でも可能だけれど、ターゲットにより高い技量を要求するのであまり現実的ではない。
「まぁ、だからあたしの鎧はこういう感じなんだけどね。咒が効かないからとにかく軽く、機動性を重視したの」
レベッカがなぜか得意げに言った。そこは得意がるところではないと思う。
カインが不躾な視線をレベッカに浴びせた。
「正直言って、なにも守ってないように見えるんだが」
「ドラゴンにぶっとばされれば何着てても一緒だし、当たんなきゃいいのよ」
「潔すぎだろ。コボルトみたいなどうでもいい敵で死ぬぞ」
「当たんなきゃ死なないって」
「当たれば死ぬって言ってるんだが」
まったくもってカインの言う通りだ。レベッカにはもう少し安全な装備をしてほしい。私のドローンがなければ死亡率はもっと高かったはずだ。レベッカの機動性全振りの鎧選びをフィオナが面白がったのが悪いのだ。フィオナが推せばレベッカは自分の選択が間違ってないと思い込むから性質が悪い。
「死ぬって言えば、蘇生とかロストについてきちんと教えて欲しいんだが」
話題を替えたカインに、レベッカはこれまた丁寧に、かつ雑に教え始める。
が。
カインの知識レベルが低すぎてまるで話しが噛みあわず、レベッカの教え方も遠回り過ぎて聞いているとまるで作業に集中できない。
適当に話の方向を修正しながら『石』と『寺院』や生殖やらについての基礎知識を教えていく。
カインは特に『割礼』に衝撃を受けたようだ。
「成人の男は全員去勢済みって、じゃ、この世界の恋愛ってどういうことになってんの」
「行為自体はできるから、楽しもうと思えば普通に楽しめるよ」
レベッカの言ったことは寺院から受けた説明そのまんまだ。それを聞いたカインは頭を抱えた。確かに娯楽として性行為を楽しめるなんてさらりと言う相手の貞操観念に疑問を呈したくなる気持ちは分かる。
「じゃLGBTQとかどうなってんの。一対一なの乱交ありなのスワッピングとかそのへんのとこどうなんですか。結婚とか貞操観念とか普通ないですよねこんな感じだと!」
「え、ごめん何を言ってんのかよくわかんない」
不妊手術するなら性行為自体できなくしてしまえば、この世の面倒なことの九割方はなくなったに違いないのに。
「一対の男女で伴侶になる、というのがスタンダードで例外はあまりないから、伝統的な恋愛観を踏襲してるんじゃないかしら。結婚も、しておくとなにかと都合のいいこともあるから制度としては廃れてないわ。寺院で式も挙げられるしね」
男女の面倒ごとは人類開闢の歴史以来ほぼそのままの形で残っているという次第だ。カインはこの説明で、ようやく納得したようだった。
◇
『咒』の調整の甲斐あって、カインは驚くほど調子よく魔物を倒し始めた。ようやく始源の竜の本領発揮というところだろうか。
綺麗に首を飛ばしてくれるから、『石』の回収も楽だった。
その数さえ除けば。
このダンジョンはもう少し多彩な魔物が分布しており、出現頻度も高かった。
しかしさっきから小物しか出ないし数もかなり減少している。
始源の竜の消滅が効いているのだろうか。
「魔獣の数がかなり減ってる」
「それって悪いこと? いいこと?」
「わからない」
「じゃ、気にしても仕方ないじゃん」
レベッカがぽんと私の肩を叩いて斥候に戻ろうとする。慌ててその腕を掴むと、レベッカが驚いたように私を見た。
「私から離れないで」
「なんで」
「今日は三人しかいないんだから斥候に戦力を割けない。この先には大物もいるし、私の目が届く範囲にいて」
「トリスがそう言うなら、そうするけど」
腕を離すと、レベッカは私の話など何も聞いてないかのようにさっさと先に進んだので、一瞬混乱した。確かにレベッカは文字通り私から見える範囲で足を止めたけれど、そういう意味じゃない。
「私が先に索敵してから進んでって。そこまで噛み砕かなきゃ伝わらないの?」
「そこは『心配だから先行しないで』とか『怖いからそばにいて』とか、とって欲しい行動を具体的に伝えたほうがいいんじゃね? あいつ素直だからそこまでわかりやすく言えば従ってくれるでしょ?」
思わず呟いた言葉を捉えたのはレベッカではなくカインだった。カインはニヤッと笑って親指を立てた。
「気楽にやろうぜ」
◇
地図を確認しているとカインが経路について提案するようになった。
非表示にしていた魔物の分布図の薄いところを、まるで見えているかのように正確に提案する。驚くべき精度だった。
そのおかげで地図にない抜け道が見つかり、レベッカが気持ち悪がるぐらいの速さで最奥の間へ手前のプラットホームに到達した。
電源を確保してベースを組み立てる。カインは寺院の出店で不足していそうなものを調達する。
「前回はここまで来るのに3日かかったんだよ? ヒュドラやコカトリスで姉貴もグスタフもブラッドもロストしたんだよ? 今回はコボルトぐらいしか出ないって、ありえなくない?」
「まさかあんなところに抜け道があるなんて……確かに地図では空白だったから何かあったとしても不思議じゃないし、プラットホームに補給するなら無いほうが不自然……ということは寺院が情報を隠匿……?」
レベッカと噛みあわない会話をしながら食事の準備をする。もちろんそれほど手の込んだものは作れない。薄いスープとパンと炙りベーコンに干葡萄にピクルス。
カインは竜対策だと言って発光弾と発煙筒を用意していた。竜のピット器官対策だという。
「その作戦だと私たちが煙に巻かれるのでは」
「う……正直その可能性はあると思ってました……どうにかできませんかね?」
「ある程度なら。時間があれば」
「まかせる」
私とカインだけなら『咒』だけでどうにかできる。
けれどレベッカは。
彼女に対して取れる策はひとつしかないと思う。他の可能性もたぶんあるのだろうけど、私は故意にそれを無視する。もうあんな思いはしたくない。今度は彼女の安全を最優先したい。私のために。
「あ、そうだ。あたしトリスにずっと聞きたいことあったんだけどさ、あたしってなんで殺されたのかな?」
不意にレベッカが口を開いた。
「殺したよね、あたしのこと。なんかさ、やっぱちょっとずっと気になってて。今回本当にロストしちゃったらもうわかんなくなるじゃん? 謝らなきゃいけないことがあったら、謝るし……ていうか、いま謝るし。ごめん」
私のしたことなのに、なぜあなたが謝るのか意味がわからない。レベッカの思考回路は理解不能だ。なぜ自分に落ち度があったから殺された、などと考えるのだろうか。まだ詰られたほうが気が楽だ。私はそれに値することをしたのだから。
いったい彼女は何を謝ってるのだろう?
彼女が私に何をしたというのだろう? むしろ私のほうが何かしてるのでは。
「――意識があったなんて思ってなかったわ。もう死んでると思ったから石を回収した。謝罪される覚えもない」
「ほんとに?」
「ええ」
詰られたときのために用意していた答えを告げると、レベッカは安堵したような表情で食事を再開する。本当に意味がわからない。
彼女が私に対して罪を背負っているのだとしたら、それは私の心を捻じりあげるほど魅力的であることぐらいしかない。しかも彼女は私の気持ちなど知りもしないのだ。本当に馬鹿げていた。
ようやく次で話がすすめられます。遅くなってすみませんでした。