ダンジョン行 1
静かになったと思っていたら、カインが眠り込んでいた。
レベッカも寝支度を整えている。
「竜のところへはいつ行くの?」
話を切り出すと、レベッカが戸惑ったように私を見る。私はロマンス小説から視線をあげずに、できるだけ落ち着いて会話を続ける。
「できるだけ早く行ったほうがいい」
「姉貴たちが来るのを待ったほうがよくない? 手紙はもう寺院に預けているんでしょ? 遅くても来週ぐらいには合流できると思うんだけど」
レベッカは気が進まなさそうに言う。
彼女はフィオナの命令には疑問を呈することなく従う。行儀よく躾けられたフィオナの忠犬だ。私がフィオナと敵対したら、レベッカは間違いなくフィオナにつくだろう。
だけど、フィオナが合流することはない。
申立はしたけれど、合流に必要な情報はなにもメッセージには含めなかったし、発信元を見て何かを察したとしても来るまでには多少の時間を要するだろう。
「その頃には竜が育ってしまうわ。できるだけ早く行くべきよ」
レベッカが困惑した表情で私を見ている。私はロマンス小説から視線をあげない。竜が育つという表現は行き過ぎだっただろうか。彼女は始源の竜が討伐されたことを知らないはずだ。それについて説明する言葉も用意してある。しかしレベッカは何も質問しなかった。
暫く考えてから、レベッカは判断を下した。
「それなら明日にでも」
それは少し軽率ではないだろうか。しかしレベッカはもうその話題を続ける気はなかったようだ。
「蝋燭はどうする?」
「あとで消すわ」
レベッカが寝台に横になる。私は本を読むのをやめて、頁を撫でる。そして右腕を頭に乗せて眠るレベッカを眺める。右腕を頭に乗せていて顔が見えないのが残念だ。
私は合理的な判断が出来ているだろうか。わからない。
魔物は討伐しても補充される。竜もまた補充されているはずだ。その竜もまた始源の竜なのだろうか? それともただの竜かあるいは別のなにかだろうか?
いずれにしても、早く行けば行くほど、それはまだ慣れていないことが期待される。数百年にわたり君臨していた始源の竜ほどの脅威にはならないはずだ。
始源の竜が人間のやり方に慣れていないように。
それを確認するのにレベッカを連れていく必要性はない。彼女は充分に強いけれど、戦力として必要かというとそうではない。ただ一緒にいて欲しいだけだ。彼女を失うというリスクを冒してまで連れていくべきなのかといえば、確実にそうではない。
しかし補充された竜の力が弱いであろう今なら、その問題はそれほどはないはずだ。もちろんこれは希望的観測だし、自分に都合の悪い事実から目を逸らしている自覚もなくはなかった。
それらをさておいても。
魔物とは根源的には何なのか――それを知る最大の好機が到来している。
◇
目を醒まして一番にレベッカの寝顔を確認して安堵する。
さっさと身支度を済ませて精神安定剤であるロマンス小説に手を伸ばす。
しばらくするとレベッカも目を醒ましたので一緒に朝食を取る。
――そういうこと、もっときちんと説明して欲しい。
もう少しなにか説明したほうがいいのか頭を悩ませているうちに、ろくに会話もしないまま時間が経ってしまう。
「あれ、ほんと?」
「半分以上でたらめ」
「半分は本当なのかよ。どれだよ」
「そんなことより今日の予定の話なんだけど」
いつの間にか朝食の席に飲み物を手にしたカインが合流していた。
「そうやって質問スルーするのよくないと思うよ」
「黙れ。あんたがだらだら無駄話してなきゃ、とっくに出発できてんのよ」
「え、なに? どこか行くの? ダンジョン? ダンジョンだよね!」
「今日こそ始源の竜を狩るから」
レベッカの言葉に、ギクッとする。カインが目を見開いた。
そして私をめちゃめちゃ見てくるので、思わず視線を逸らせてしまう。
「トリスも同じ意見?」
「私からは特に」
敢えて視線を逸らせたのに、名指しで聞かないでほしい。
「おれの記憶では、始源の竜はすでに討伐されたはずだけど、違った?」
重ねてカインが私に聞く。なぜ私なのか。それは最後に生き残ったのが私だけだからだ。カイン本人は火炎で焼かれたから、その顛末を知らないはずだ。
今のカイン・ブルーブラッドの言葉は、彼の中身が間違いなく始源の竜であるという証だった。
「ぜんぶ忘れたんじゃないの? なんでそこだけ覚えてるの? おかしくない?」
「ちょっと待ってレベッカ、君は黙っていて。いま大事な話をしてるからね?」
「……確かにあたし、速攻で竜にやられたから何も見てないけどさあ……」
案外鋭いところを突いてきたレベッカを軽くあしらって、カインは私を真正面から見据えてきた。
だから、答えた。
「始源の竜は、存在している」
嘘ではない。カインは疑わしそうに私を見たが、表現的には嘘ではない。まずここにカインが存在しているのだから、実際に竜がいてもいなくても嘘にはならない。
「……ほーん。じゃ、すぐ出るか。準備は出来てる?」
「もちろん」
カインの言葉に答えたのはレベッカだった。
◇
出発には大変乗り気だったのに何も知識がないカインの準備をレベッカが手伝う。放っておけばいいのに、とても親切なことだ。
最終点検をしていると、カインがレベッカに囁く声を聞いた。
「ねえ、なんでトリスしゃべんないの? おれ嫌われてる? なんか変なことした?」
「まさかでしょ。嫌われてるならあたしのほうだって」
「うっそー。二人なかよく朝食キメてたじゃん?」
「会話ゼロだったけど?」
「仲悪いな?!」
「仲は悪くないと思うけど! 普通ぐらいなんじゃないかなって思うけど!」
声を潜めれば潜めるだけ、二人の会話はとてもよく聞こえた。
そしてその内容にかなり動揺する。
フィオナには筒抜けだった自分の気持ちが、当人にはまったく伝わってないことに始めて気付く。
いや今まで気付かなかったほうがおかしい。
確かにブラッドには、もっと仲良くしろとかそういうことを言われていたわけだし、フィオナのことしか気にしてなかったから、それでいいと思っていた。
あれ?
私にしてみたらそこに好意があることは大前提だったしフィオナに知られているから当然本人にも筒抜けのような気がしていたのだけれど。
もしかして根本的に間違っていたのでは。
「むしろあんたこそ、昨日めっちゃ仲良く喋ってたじゃない? トリスがあんなに沢山しゃべるの初めて見たんだけど」
「マジで? あれがフツーだと思ってたんだけど」
「内緒話するなら、聞こえないようにやってね?」
耐え難くなって会話を遮ると、カインがにっこりと笑ってこう訊ねた。
「ねえ、さっきから喋らないのはなんで?」
レベッカが表情を引き攣らせた。
「三人いて二人が喋っていたら、私が会話に加わる必要性って限りなく薄くないかしら」
「つまり?」
「面倒なのでサボッてました」
「え、そんなしょーもない理由だったの?! もうちょっときちんとコミュニケーション取ろうよ?! 仲間なんだし!」
今まで黙り込んでいたレベッカがいきなり早口で割り込んだ。
「え、仲間?」
――なぜ。仲間だったろう? 詰るようなブラッドの声が耳に甦る。
「え、違うの?」
焦ったようにレベッカが言う。
「そうね。仲間だものね」
良心に恥じることなくそう言える?
フィオナやグスタフやブラッドに関してなら、彼らを仲間だと感じたことはない。
お互いに都合よく利用し、利用されていただけだ。
それなら、レベッカは?
彼らと私を繋ぎとめる唯一のものであった彼女は?
◇
始源の竜は極めてヘボかった。
重装備で歩くだけで酷く難儀している様子だった。
「……あれはヒドイ」
「認めざるを得ない」
「引き返す?」
レベッカの言葉に首を振る。
「なら、配電確保してくる」
「待っ――」
止める間もなくレベッカが先行した。大丈夫だ。ここはまだ安全だ。最初の『駅』にも達していない。ろくな魔物もいない。心配するほうがおかしい。
「配電、確保。ブレーカーあげるよ」
配電はすぐに確保できる。『駅』ごとに設置された配電盤の落ちたスイッチを入れるだけだ。
『駅』ごとに配電を確保して経路に給電し先に進む。やらなくても進めるが、外法を使うならその手順は必須だ。経路に沿って電源が確保できるから。外法にとって電源切れは致命的だ。
電源が確保できたのでカートからアンテナを伸ばすと、カインが覗き込んできた。
「それ、なに?」
「WiFi」
「はい?」
「失われた古代の超技術ってやつよね? 旧き者の力を借りるとか言って」
私たちのところまで戻ってきたレベッカが言うが、それは世に蔓延る『外法使い』を自称する者たちが神秘性を高めようと喧伝している口上だ。間違いとも言い切れないが、正解とも言い難い。
「ただの通信規格では?」
「そう」
始源の竜の知識のほうがレベッカより遥かにマシだった。カインは興味津々で出来ることを聞く。
「それが外法の正体?」
「手順に則れば誰でも使えるものを秘匿し隠匿し手順を増やして神秘のベールに包んだものが外法。私が使っているのは単なるWiFi」
「同じもの?」
肯定する。彼は本質を掴むのが遥かに早かった。