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19/24

麦酒とチャーハン

 思いつく限りの用事をすべて済ませて、宿に戻るとレベッカとカインが酒場で遅い昼食を取っていた。


 なにかを談笑しながら、レベッカがジョッキに手を伸ばす。

 ジョッキにはなみなみと注がれた麦酒。


「だめ」


 ジョッキの上に手を乗せて、レベッカを止める。

 カインも私の理性も信用できないこんなときに飲酒をするのは本当に止めて欲しい。

 レベッカはジョッキに未練を見せたが、重ねてだめだと言い募るとがっかりしたように肩を落とした。

 残しておいたら口を付けないとも限らないので、念のためにレベッカの隣に座って一気に麦酒を飲み干した。

 カインは、呆気にとられたように私を見ていた。


「あなたはカイン・ブルーブラッド」

「それ!」


 名前の話をしていたようだったので教えると、レベッカが勢いよく言う。


「え、なに、君、おれの名前忘れてたの?」

「忘れてたんじゃなくて、その、思い出せなかったというか」

「それ同じ意味では」


 レベッカとカインはすっかり打ち解けているようで、気安い様子だった。すこし面白くない。


「えっとこっちはトリス!」


 レベッカの唐突な紹介に、カインは軽く会釈した。

 本当に始源の竜なのだろうか。

 どう見てもただの気さくな青年なので、カイン・ブルーブラッド本人であるようにも思えない。

 カインはレベッカにロストについて質問する。

 竜は知性の魔物とまで言われているのに、基本的な知識がまるでない。

 レベッカと会話しながらチラチラ私を見るのも意味がよくわからない。


「帰る」


 だめだ。知能が働かない。麦酒にとどめをさされたみたいだ。本格的に酔いがまわる前に、席を立った。すこし部屋で休むべきだろう。


   ◇


 カイン改め始源の竜に逃げられたくないし、レベッカと二人っきりになって理性の限界に挑戦したくもなかったので三人部屋を取っていた。


 私は壁際のベッドを取る。隣のベッドにはレベッカの荷物を置いてキープする。

 それから壁際にクッションを配置する。荷物から取り出したレベッカの本にカバーを掛けると壁際にもたれた。読書には最適の位置取りだった。


 この本はすっかり私の精神安定剤として機能していた。本の薄さも紙のインクの匂いも安易な展開も歯の浮く台詞も軽薄な登場人物も、ぜんぶレベッカを偲ばせた。

 内容なんてとうに覚えてしまった。

 何頁に何が書いてあるのか一言一句思い出せるほど読み込んでしまっていた。

 本の頁をそっと撫でる。インクの凹凸すらも――


「いいか? 入るぞ」


 いきなり扉が開いた。

 ずかずかとカインが部屋に踏み込み、無造作に窓際のベッドに自分の荷物を置く。


「どうも蘇生がうまくいかなかったようで、記憶が戻ってない。面倒を掛けるが、よろしく頼む」


 カインが挨拶をしてきたので、頷いて返して本に注意を戻す。あぶなかった。いや特に何かおかしなことはしていなかったし、少しばかり不埒なことを考えていただけだったけれど。


 なんてぐだぐだ考えていたら、カインが突然窓を開け放った。


 突風が吹きこんできて、風に踊った髪が視界を塞ぎ本の頁がぺらぺらとめくられていく。読書には大変不適切な状態になる。


「寒いわ」

「すまん」


 抗議するとカインはすぐに窓を閉じた。それから興味津々の様子で私の持っている本を見る。


「さっきからずいぶん熱心に読んでいるけど、なんの本? 魔法の勉強?」

「ロマンス小説。これからヒロインが悪の貴公子を告発して王子と結ばれるクライマックス」


 ほう、とカインは頷く。


「いつになっても勧善懲悪ロマンスは人気だよな」

「たまには悪の公子が勝利すればいい」


 こんなことを言えばフィオナは失笑してトリスってほんとひねてるよねって言う。

 レベッカは多分、えぇ…って表情をするか、そんな話やだぁ、と言うだろう。


「わかる」


 しかし、カインはなぜか同意を示した。


「斜め上の衝撃っての? 冷酷無比で露悪的で意地の悪い貴公子が、こう思わぬところで激情をぶつけてヒロインに熱烈片想いしてることが分かる瞬間、よっしゃオラァ!って思わない? おれそういうのすごく好き」


 しかも語り出した。この意見にはそれなりに同意できる。


「わからなくもないわ」

「そんで相手がスカしてればスカしてるほど、みっともないのは爽快感があるよね。おれのヒロインの魅力をくらえ!って」

「いつからあなたのヒロインに」

「いやまぁね、おれのヒロインちゃんにはね、悪の貴公子みたいなそういういかにも幸せになれなさそうな男よりも、ずっとヒロインちゃんを見守っていた従僕とか、ちょっと素行の悪くてことあるごとにからかってくるワイルドな騎士様とかと幸せになって欲しいんだよね! あ、でも戦争に行く前のプロポーズはだめだよ。死亡フラグだからね。確実に死んじゃうからね!」

「確かに」


 なかなか鋭い指摘である。物語中盤で魅力的な脇役が死ぬのは、ロマンス小説の定型のひとつだ。


「だいたいさ、本命のヒーローって話の展開を持たせるために無駄に問題起こすどうしようもない奴が多すぎるんだよな。幼馴染とか親に決められた許嫁とか何人いるんだよっていう」

「ある…」


 その指摘も本質を突いていた。竜は知恵の魔物? 知恵の方向性が思っていたのと違うような。


「正直おれのほうがマシだよ! 王子様より確実に上手くチャーハン作れるからね!」


 なぜ竜がチャーハンを作らねばならないのか。いつ作り方を覚えたのか。そもそも料理するのか。唐突なチャーハンに思わず笑ってしまった。あまりにも超現実的(シュール)すぎた。


「あなたもロマンス小説が好きなの?」

「ロマンス小説も好き、だね。読めば面白いし、最後まで読めるものはなんでも好きだし。トリスは?」

「私は――」


 無邪気に訊かれたので、思わず考え込んでしまう。

 ロマンス小説なんて、レベッカが読んでなかったら絶対に読まないジャンルだ。


 思わず常日頃から感じていたロマンス小説に対しての不満を言い募ると、カインは律儀に合いの手を入れた。


「総じて一番つまらない人とくっつくのよ。私がヒロインなら絶対――」

「絶対?」


 ロマンス小説のヒロインは絶対に女性を選ばない。生殖機能を取り上げられているのに、娯楽小説でさえもそれをタブー視している。そういったことは社会に存在しているし特に珍しくもないのだけれど、極めて礼儀正しく無視される。


 私がヒロインなら――血まみれのオレンジ色の石が脳裏を過ぎる。


「――いちばん稀覯本を持ってそうな人を選ぶわ」

「やだなそんな打算的なロマンス小説!」


 私は肩をすくめると読書に戻った。

 ヒロインはいつだって周辺の登場人物の妹にはまるで注意を払わない。


   ◇


 カインが風呂に出掛けて、しばらくしたらレベッカが部屋に戻ってきた。

 精神安定剤と化した本に視線を走らせる。

 目がすべってしまって、まるで頭に入らない。


「あいつ、どこにいったの?」

「お風呂」

「そ」


 レベッカは隣のベッドに陣取ると、ブラッドのツールロールを広げて道具の整備をし始めた。

 本を熟読するふりをして、手早く作業をすすめるレベッカの様子を眺める。

 無言で作業するレベッカの姿は、いつまでも見飽きることがなかった。


   ◇


 カインが戻ってきて、整備された武器と防具を確認し終わって手持無沙汰になったのか本を貸して欲しいと声を掛けてきた。

 読める文字かどうか確認したいという理由だったので、予備のカバーを掛けたロマンス小説を渡した。


「何冊持ち歩いてるんだ?」

「たくさん」

「整理したほうがいいんじゃないか?」


 余計なお世話だ。私は首を横に振った。


「トリスって旅行のときに服や身の回りのものすべてをほっぽらかして、まっさきにどの本が旅先で読むのに相応しいか選び始めるタイプだろ――どうしてわかったって表情でおれを見るな」

「こわい。心を読まれてる」


 突然、レベッカが笑い出した。私たちの会話を聞いていたらしい。なにがおかしかったのかまるで理解できなかったけれど、レベッカは必死で笑いをこらえようとしては失敗して苦しそうに息を殺して笑っていた。


「あ、ごめん。ちょっと待って、止まらない」

「だいじょうぶ? エールのむ?」


 カインがまるで心配してないような口調で声を掛けると「飲まない!」と叫んで、レベッカがベッドに倒れ込んだ。まだ肩が震えていた。


  ◇


「これ持ち歩いてるの? ほんとに必要だと思ってる?」


 小一時間ほどで読み終わったのかカインが本を返してくると、レベッカがベッドから起き上がってはいはいと手をあげた。


「あっ、あたしも読んでみたいんだけど――」


 冗談は止して欲しい。この本は元々レベッカの本だ。

 もう読んでると思う、と言って本を仕舞おうとすると珍しくレベッカが食い下がった。


「トリスが読むような本を、あたしが読んでるとは思わないけど」

「レベッカが読みそうな本を読んでるの」

「こんな本を読むやつの気がしれないって言ってなかった?」


 苦し紛れに言ったことなんて、よく覚えてるな、と思う。


「言ったわ」

「なんで――」

「気が知りたいと思っただけ。でも、さっぱりどこが面白いのかわからない」


 レベッカの気が知りたかったと正直に言ったのに、なぜかレベッカの表情がみるみるうちに不機嫌そうに歪む。


「……もしかしてあたしをコケにするために読んでるの?」


 感情を押し殺したような声で、レベッカが言った。

 さすがにそういう本の読み方はしないし、どうしてレベッカが気分を害してるのかも分からない。


「ごめんなさい。言い方を間違えた。レベッカがあんまり面白そうに読むから、もしかしたら面白いかもしれないって思ったの。勘違いだったけど」


 言い直したけれど、レベッカの機嫌は直らなかった。どこで噛み違いが起きたのかよくわからない。


「はいはい、どーせあたしはつまんない本しか読みませんよーだ!」


 レベッカは不貞腐れてばたんとベッドに倒れた。


「面白いところもあったわ。将校の寒い台詞とか、男装しているヒロインが更に女装したりとか、笑えるところも沢山あったし」


 焦って告げた私の言葉にレベッカはなぜか毛布をかぶって膝を抱えて丸まりだした。

 だって無理がある。面白くない本を褒めることほど難しいことはないのだ。


「つまり今おれが読んだ本って、元々レベッカの本だったってことだよな?」


 突然、カインが会話に割り込んだ。突然何を言い出すのか。思わず枕をカインに投げつけた。

 カインは難なく枕を受け止めると、ニヤリと人が悪そうな笑みを浮かべる。


「ひとつ、すでに背表紙が割れてて読み古したような本だった。ふたつ、わざわざカバーを掛けて表紙が見えないようにして読んでるし、昼間にその表紙を見ているおれに渡すときにもトリスはカバーをかけていた。つまりレベッカには表紙を見られたくなかったからカバーをかけたんだろうな。みっつ、トリスはとてもつまらなさそうに読んでいる、即ちトリス自身がこのジャンルを好きだから読んでいる、というわけじゃない」


 ご丁寧に指を立てて根拠を並べる。

 いやになるほど正解だし根拠として並べ立てたことも一々あたってるので動揺して手に持っていた本を投げつける。

 カインはこれもあっさり受け止めて、あろうことかカバーを外そうとした。本当に勘弁してほしい。

 弾かれたようにレベッカを飛び越えてカインのベッドへと飛び乗って本を奪い返した。


「やめて。ほんとやめて」

「図星だった?」

「違うの。違うから。本を捨てるのが嫌だっただけなんだってば」

「それはどこに向けての弁解?」


 フィオナに決まっていた。

 ここにはいないのに。

 フィオナがいないから取り繕う必要もないのに。

 ふいにそのことに気付いて動揺する。

 カインの上着の裾を掴んで交差させてぎゅうっと首を絞める。カインは応えた様子もなくニヤニヤしている。

 始源の竜の知恵の方向、ほんと嫌。


「レベッカって、読んだ本を捨てるタイプ?」

「え、うん。だって一度読んだらふつう二度と読み返さないじゃない?」


 唐突にカインが訊ねると、知っていたけど酷い回答をレベッカがする。


「トリスは絶対本を捨てないタイプだよな?」

「ええ」


 なにをあたりまえのことを聞くのか。


「正直言っておれは本が好きなやつは本を捨てる奴とパーティなんか組めるわけがないと思ってる」

「え、そうなの?」

「わりとそう」

「マジで」


 レベッカが動揺したように私を見たので視線を逸らす。本に対する扱いが酷い人間の好感度が下がってしまうのは自然の摂理なのだから仕方ない。

 元々の好感度が天井を突き抜けてるとね、ちょっとどうかわかんないけどね。


「はい異論はなし。君らがパーティに加わった理由を述べよ」

「え、あたしは姉貴に『竜討伐に行くわよ、あんたもメンバーね、拒否権なし』って有無を言わさず加えられただけで、あたしが選んだわけじゃないんだけど……拒否権もほんとになかったし……」


 フィオナって全方向に酷い。知っていたけど。


「私は、」


 レベッカがいたからだ。いや違う。確かにフィオナは私を竜討伐隊に参加させるために妹で釣ったけれど、そうじゃなくて、彼女と関わりが出来た原因は別にあった。


「ええと……利害が一致したというか」

「どなたと?」

「フィオナ。レベッカのお姉さん」

「どんな利害?」


 カインの言葉に視線をあげる。そうだ。最初にフィオナが私を釣ろうとしたのは妹ではなかった。この世のすべての謎の元。


「すべての魔物の祖『始源の竜』をハントするから手伝って、って誘われたの。ここのダンジョンのドラゴンのことよ」

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